堤未果: ルポ 貧困大国アメリカ



世界随一の大国アメリカ。自由経済主義の象徴とも言えるこの国では自己責任の名の下に貧富の格差が拡大していることはよく知られているが、その現状を自身の取材結果なども交えて記した本。

「自由に競争させれば無駄が排除されて受益者へ還元される」ということは昨今の民営化の議論の中ではしばしば言われることであるが、それも行きすぎるとここまで悲惨な社会を作り出すことなりかねないということを如実に表した本だと思う。

競争というのは、本当に無駄な部分をそぎ落としている間はいいが、無駄がなくなった状態で「もっと競争しろ」と煽るのはかなり危険だ。コストを下げるには最終的にサービスレベルを落とすしか方法はなく、結局受益者にとってメリットは出なくなる。この本でも例としてアメリカの医療保険制度の例が書かれているが、高い保険料を払っておきながらなんだかんだ難癖つけてお金が支払われないというあこぎな商売が横行しているのは本当に恐ろしい。それでいて医療費が信じられないほど高い (急性虫垂炎で1日入院しただけで治療費が100万円を超えるらしい!) というんだから、日本の国民皆保険制度がいかに貴重なものか、この本を読むとよく分かる。

こうしてたった1回の病気で人生が借金漬けになってしまうというのも大変恐ろしいが、もっと恐ろしいのはこのような借金漬けを生むプロセスが医療に限らずそこかしこに転がっていると言うこと。そして弱者はますます弱者になり、一部の富裕層だけが労せず肥えていくというプロセスが出来上がる。

さらに破滅的と思われるのが、貧困層にある若者の将来。日本でもワーキングプアーなどと称されて社会問題になっているが、アメリカのワーキングプアーは想像を絶する。学費が払えず借金漬けになった学生を、お金で軍隊へ入隊させて危険な戦地へ向かわせるという構図が成り立っているらしい。

この本を読むと、アメリカの行きすぎた自由経済主義というのが国民を疲弊させ、若者の将来を閉ざし、戦争なくしては立ちゆかない状況を作り出しているように思う。

やはり国民の安全な生活にとって不可欠な要素は採算云々を議論してはいけないし、その意味で民営化してはいけない部分というのは絶対にあるだろうと思う。

この本で実例として出てくるケースは、おそらく common case でなく worst case なんだろうとは思うし、悪いところばかりを取り上げているのでちょっとアンフェアなところもあるが、それでもこれだけ大変なんだと言うことを知るためにはとてもいい本だと思う。

何でもかんでもアメリカにならっていてはダメだし、日本がアメリカ化することだけは避けたいとこの本を読んで強く感じた。

堤さんの文章も読みやすく、具体的な数値も出しているので説得力がある。かなりおすすめ。

石田衣良: 灰色のピーターパン - 池袋ウエストゲートパークIV



IWGP シリーズの第6作。

最近の石田さんは正直あまり好きではないんだけど、このシリーズだけは回を重ねてもやっぱり面白いと思えるんだよね。今回もマコトがいろいろな難問題を解決していく様は爽快。相変わらず軽いタッチで語りかけるような描き方をしている上に、短編でちょうどいい分量なのでとても読みやすい。それと、これだけ長い間続けていながら設定がちっとも陳腐化していないし、毎回構図は同じながらマンネリ化しないというのもすごいよなぁ、と思う。石田さんはまさに IGWP で大当たりを生み出したと言ってもいいだろう。

# ま、さすがに驚愕の展開というのはもうないけどねー。

5作目あたりを読んだときは「もうそろそろ限界か?」と思ったけど、6作目では下降線は感じられなかった。ハードカバーではもう8作目まで出ているようなので、このままの調子であることを期待したい。

姜尚中: 悩む力



政治学者の姜尚中さんが、自身の敬愛する夏目漱石やマックス・ウェーバーの書物を引用しつつ、本気で悩むことを推奨している本。

この本では漱石やウェーバーが活躍した約100年前と現在の状況を比較している。自由を得たはずの市民がその自由さ故に進むべき方向に悩み苦しんでいるのは、いまも昔も変わらないが、それ以上に社会が抱えている閉塞感みたいなものも実は似通っているのではないか、とする筆者の主張にはなるほどと思う部分も多い。

哲学的な本とも言えるが、生きると言うことを深く考えることが重要であるという姿勢を説いた本でもあるといえるだろう。

いろいろなテーマについて考えを披露しているのでちょっとまとまりなく感じるところもあるが、いろいろと考えさせられるという意味では有意義な本だった。

玄侑宗久: 現代語訳 般若心経



自分は無宗教な人間な訳だけど、やはり仏教というのは日本人としての考え方の土台になっているところも多いと思うし、生きていく上での心構えとして勉強しておきたいという思いの一環で読んでみた本。

般若心経には大本と小本があるらしいが、大本に書かれていることのエッセンスのみを262文字に凝縮したのが小本ということらしい。一般的にお経として読まれているのは小本の方だが、その背景とか意味とかをより深く知るにはやはり大本を読むことが必要となってくる。この本ではまず大本についての現代語訳 (と筆者は言っているが実質は解説だと自分は思っている) をした上で、最後に小本を載せるという構成になっている。

般若心経で一貫して述べられているのは、すべての物事はお互いに関係しながら絶えず変わり続けているということであり、善悪や生滅についても普遍的なものではなく、見方によって変わる概念であるということ。これなんかはたとえばアメリカが「テロとの戦い」といったイラクやアフガンの戦争なんかを見ても心理だと言うことがよく分かる。また、物事が増えたり減ったりして見えるというのは実は極めて近視眼的なとらえ方であり、そのようなことに惑わされてはいつまでたっても「苦」から逃れることは出来ないというのも昨今の金融危機の様子を見てもなるほどなぁ、と思った。

単なる精神論や講釈だけでなく、近代の物理学なんかも絡めた話はとても面白く、観自在菩薩の言葉を理解するのに大変役立つのだが、ただ最後の「般若心経とは呪文である」という結論に至るところがいまいち飛躍していて理解できなかったのは残念。

ただ、やはり物事の芯を捉えた教えであるようには思うし、これだけ長い間いろいろな人に受け入れられている理由も分かったような気がする。自分にとっては、論語なんかより受け入れやすかったかも。

# しかし難しかった。この本はまだ平易に書いている方だと思うが、それでも読破にゆうに1週間以上はかかってしまった。。。

小幡績: すべての経済はバブルに通じる



昨今の金融危機を象徴するようなタイトルの本が本屋に並んでいたので読んでみた。

この本はサブプライム問題に端を発するここ1年強の金融不安について、実例を挙げて解説したもの。サブプライムローンとは何かと言うところから、何故投資家はバブルと分かってサブプライムに投資しなければならなかったのか、そしてこれまでのバブルと今回のバブルとの違いについて説明し、21世紀型の新しいバブルの形態は今後も現れ続けるだろうと結論づけている。

この新しい形態のバブルを筆者は「リスクテイクバブル」という言葉で定義している。本来リスクがあるべき金融商品を変形させて新たな魅力的な商品が作られることで、もとの商品をリスクなく証券化できるという構造ができあがり、リスクが相対的に目減りしているように見えることで同時に価値が上がっているかのように見えるのは、土地転がしの「土地」を「リスク」そのものに変えただけであり、その意味でリスク自身を担保としたバブルが起こっているというのはなるほどと思う。

そもそも経済活動というのは、あるものに価値を負荷する対価として利益を得るのが大前提ではあるが、実体のないものに投資してどうして利益が得られるのかずっと不思議ではあった。株式にしても、いまの金融市場では経営権を得るための存在としての株式ではなく、市場で取引される価格のみに価値を見いだす存在となってしまっている。こうしたお金がお金を生む (無から有が生まれる) という構造自体にはずっと違和感を感じていたし、その意味でやはり実体への回帰は必要だろう。

金融工学に過度に依存し、他を出し抜くがためだけに半ば自滅的にファンドマネージャがバブルへ突っ込んで行かざるを得ない状況を「キャンサー・キャピタリズム」と表現しているように、この状況が正常な状態ではないことは徐々に周知の事実となってきているように思う。では規制を導入すればいいかというと必ずしもそうではないとも思うし、なるようにしかならないのだとは思うが、もはや素人が簡単に投資を出来る時代は終わったのかも知れない。

筆者が最後で予見しているように、すべての膿を出し切らないとこの危機は乗り越えられないかも知れない。そうなったら既存の資本主義は大転換を迫られることになるだろうが、我々資本主義下のしがない一般市民としては大転換は決して好ましいことではないし、何とか既存の枠組みを維持しながら共存していければいいなぁ、と切に願う。

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