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裁判員制度の是否

今日、ついに新制度の下で初の裁判員裁判が開かれるに至った。

裁判員制度については是非も分かれるだろうし、そもそも決まったことに対して今更是否を問うても遅いが、自分としてはやっぱりちょっと割り切れない思いの方が強い。

自分は正直この制度が導入された背景をきちんと理解しているわけではないが、おそらく想像するに、1つは重大な判断を下す裁判という場に国民の総意を反映させる手段がこれまであまりにも乏しかったと言うこと、そしてもう1つは裁判に関する国民の関心を高めてより成熟した民主主義国家をめざそうということ、この2つが主な目的なんだろうと思う。確かに裁判所が誤った判断を下すことで国民に対する不利益が生じたり、政治的腐敗の温床となってしまうという危惧はあり、一定の歯止めの効果は期待できるだろう。しかし、いくら一般の国民が裁判に参加するとはいえ、あまねく国民の意見をたった6人の裁判員が代弁できるとは到底思えないし、普段から「決断」を下すのになれていない人が、他人の人生を左右するような重い決断を下すことを求められたときに、果たして本当に納得いく決断、あるいは国民の総意を反映させた判断が出せるものなのか。プロと比べて一般市民は考えが揺れやすいだろう。限りなく有罪が疑わしいという状況にありながら裁判員の心証を掴んだ被告側が無罪を勝ち取るという O. J. シンプソン氏の例を出すまでもなく、ちょっとした心証の差で有罪か無罪かが決まってしまうようでは、何のための裁判員制度か分からなくなってしまう。

裁判員制度を成功させるには、国民の意識の向上が必須だろう。ただ残念ながら今回導入された制度は「意識が向上しないなら制度を変えて無理矢理参加させよう」という意図が見え隠れしていて、どうにも本末転倒な感がぬぐえない。そもそもこの制度の導入が決まった時、制度の是非に関してどれだけの議論があったのか。4年前というと日本はまさに郵政民営化一色であったし、その裏でひっそりと決められてしまうようなやり方が、果たして成熟した民主主義で行われるべきことなのか。この制度についてはどうも納得がいかないことが多いように思う。

とはいえ自分も全然この制度についてちゃんと理解していないのもまた事実。ということで、最近裁判員制度に関する本を買ったので、読んだ後また感想を書きたいと思う。

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