
世間ではエコブームであるが、いわゆる環境によいとされる行動が必ずしも環境によいわけではないということを、著者が独自に調べたデータを元に解説した本。タイトルからしてちょっとひねくれていて、自分の考えと相容れないだろうとは思ったが、いろんな角度から見るのも重要だと思い、読んでみた。
読んでみると、確かに我々が環境のためと思ってやっていることが必ずしも効果を生んでいないというのはよく分かった。たとえば家電やペットボトルのリサイクルとかも、法律で義務づけられているのは「回収」であって「再利用」ではないという点はこれまで気づかなかった部分だ。その結果、せっかく回収された資源が海外へ流出しているという事実もあるし、またたとえ資源化されたとしても不純物の影響で資材としての質が落ちたり、再資源化の過程で有害物質が多量に出てくる可能性もあるのもやはり事実だろう。また、CO2 削減に躍起になっているのは日本だけで、他の国に追随する気が全くないことを日本だけ頑張っても、結果として地球上の CO2 濃度が下がることはないだろう、というのもまあ分からなくはない。
ただ、だからといって「今やっていることは全部無駄だからやるのをやめなさい」というのはあまりにも乱暴な言い方だと思う。リサイクルがちゃんとできていないのであればそちらを正すのが筋であって、拗ねて反抗しているだけでは何も進まない。
それと、自分が一番相容れないと思うのが、エコに対する活動の意味。たとえば冷房の設定温度を上げるという活動に対して、これがCO2 削減という最終的な目標に対して貢献するかと言われると No であるのは確かだろう。もっと CO2 をたくさん排出している国が積極的に行動してくれないと、いくら日本が頑張っても焼け石に水だというのはよく分かる。しかしこの活動の目的が直接的に CO2 削減をすることなのではなくて、人々に CO2 を削減しなければという気持ちを植え付けることにあるんだとすれば、これは非常に重要な行動であるといえるだろう。本当に CO2 を削減しなければならないのであれば全世界的に行動しなければならないというのは分かるが、60億の人間を巻き込む行動が一朝一夕で実現できる訳はない。どんな活動もはじめは小さなところからはじまって徐々に拡大していくことで全体的なムーブメントにつながっていく訳で、いまみんなが取り組んでいる活動というのはそのための一歩にすぎない、と個人的には考えている。小さなことでも気をつけていく気持ちを常に持ち続けていなければ、より大きな範囲での活動を進めていこうという機運にはならないだろうから、冷房の設定温度自身が効果を生むものではなくても、こうした活動を続けていくことで世間の意識が上向いていくことを期待したいし、その気持ちをくじくような主張については賛成しかねる、というのが正直なところ。
データについては興味深いものもあるが、説明がかなり短絡的なので、データから導き出される結論についてはちょっと懐疑的な箇所がいくつかある。たとえば p.193 ではリサイクル開始前のペットボトル消費量が年間15万トンだったのに対し開始後は55万トンに増加しているため、リサイクルがペットボトルの消費を加速されたというような主張をしているが、開始前と開始後それぞれいつの時点のデータで比較しているのかが不明である。1年で4倍近くになったのであれば問題としてもいいかもしれないが、おそらくこれは何年もかけて達成された数値だろう。ペットボトル業者やリサイクル業者の悪徳を猛烈に批判しておきながら、説明を骨抜きにして議論を自分の有利な方向に持って行こうとするのは片手落ちだし、ちょっと卑怯な気すらしないでもない。
事実を認識することは非常に重要であるが、この問題に関しては感情論ではなく論理的に正しい結論を導き出す必要があるだろう。実際に結論を遂行するには感情に訴えかけることも必要だけど、それ以前のステージであるにもかかわらず著者の個人的感情が前に出すぎている感がするので、その意味でこの本の主張も話半分ぐらいに考えておいた方がいいのかな。
ま、でも環境問題を別の視点から眺めるという当初の目的は達成できたのでその点はよかった。