今日の通勤の電車の中での光景を2つ。
座席に座る親子。子供は制服を着ているので幼稚園に行くところなのだろう。母親は完璧にメイクアップしているが、その手には問題集が。見ると、算数の問題だろうか。ぐずる子供にひたすら問題を解かせる母親。決して怒鳴ったりすることはないが、鉄仮面のような全く表情のない顔で出来るまで問題に取り組ませようとしている。一方子供はというと、眠そうな顔で全くやる気なし。それでも母親の言いつけに従って何とか鉛筆を握って問題集に向かっている。
人様の家庭の教育方針に口を挟むのもなんだけど、こういうやり方はどうなんだろうか。
勉強なんて、大きくなったらいくらでも出来るんだから、この時期にしか出来ないことをやらせてあげた方がよいんじゃないだろうか。こんな形で無理矢理やらされる勉強に、何の意味があるのだろうか。今はまだ親に従うという思考回路しか持ち合わせていない年齢だからまだやってるけど、こうやっていやいややらされた子供がもうちょっと大きくなった時、勉強が嫌いになってしまうんじゃないかと危惧してしまう。
百歩譲って、小学校受験のために頑張らせていることを認めるとしても、何も電車の中でまでやらせなくてもいいんじゃないだろうか。
朝からちょっと憂鬱な気分になってしまった。
が、心が和む光景もあった。
混んでる電車に、明らかに脚が悪そうなお年寄りが乗ってきた。お年寄りが立っていても優先席ですら譲らない若い世代が多い昨今。混んでるしこの人も立ちっぱなしなんだろうなぁと思っていた矢先、1人の若者が「どうぞ」と。
結局その人は「座ると今度は立てなくなる」ということで譲られた席に座ることはなかったのだけど、そんな対応の中でも件の若者は笑顔でその老人と会話を交わしていた。人を見た目で判断してはいけないとは言うが、明らかに席なんて譲らなそうに見える若者が、とても自然に席を譲った姿をみて、とても感心した。
その直後にも、ドア付近の角っこに立っていたおじさんが「こっちへどうぞ」と自分の立っていた場所を譲っていたりして、久々に人の好意の満ちている空間に居合わせることが出来て、とてもすがすがしい気持ちになった。
ちょっと嫌な光景を見た後だったし、こうしたちょっといい光景も見れて、心が中和された感じだった。
# 見る順番が逆でなくてよかった。。。
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