あのおぞましい事件から早くも5年。
ちょうど5年前、会社から帰ってつけていた TV に映し出された映像を目にした際の衝撃は今でも忘れることが出来ない。2機目が突っ込んだ瞬間。タワーが崩壊する瞬間。目の前で起こっていることが信じられなかったし、どうしてこんなことが起こったんだろうと呆然と TV の前に座り込んでいたという記憶が残っている。
あれから5年。この事件を機にアメリカはテロ掃討へと猛進し、アフガンを攻め、イラクのフセイン政権を崩壊させた。しかし、テロへの恐怖は衰える気配もないし、「負の連鎖」から互いに憎しみあい、同じ人間同士を傷つけ合う戦争が世界の至るところで行われている。
あの時アメリカが取った方針は、国家を守るという意味では間違っていなかったとは思うが、暴力に暴力で応酬するという愚挙では何も解決しないと言うことが浮き彫りになっただけのような気もする。
先日、高校の同級生が、レバノンにいる友人からのメールをブログに載せていた。当時レバノンは武装組織ヒズボラによる兵士誘拐事件に怒ったイスラエルに侵攻されていて、ヒズボラとは全く無関係の民間人が空爆により多数無くなったというのはご存じの通り。その友人からのメールでは、彼女の友人、知人が毎日たくさん犠牲になっていくという悲惨な状況が切実に訴えられており、こうした生の声を目にすると、どうしてこんなことになってしまうのか、もっと他に解決の方法はなかったのか、ヒズボラもイスラエルも互いに歩み寄ることは出来なかったのかと、何ともやりきれない気持ちになる。我々はこうした悲惨な状況も TV のニュースでせいぜい1日に数十秒程度目にするだけだが、平和な日本にいるからこそ、世界ではいつもどこかでこうした悲惨な行為が繰り返されていると言うことを忘れてはならないと思うし、せめて日本だけは、どんなに時代が流れても、暴力に対して報復的軍事措置を取るような国になって欲しくないと思う。もちろん国が侵攻された際にこんな甘く悠長なことを言っていられる訳がないという意見もあると思うが、暴力を封じるための暴力は、結局さらなる暴力を生み出すだけであり、最後に残るのは「無」でしかないということは理解して欲しいと思う。
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