新宿・紀伊国屋の新刊書コーナーで立ち読みしていたところ、知らない男性 (たぶん同い年ぐらい) からいきなり声をかけられた。
男「すいません。何かお薦めの本ってありますか?」
いきなりこんな話しかけられ方してちょっと怖いとは思ったのだが、無視するのもどうかと思い、
俺「いや、あなたがどんな本を読みたいか分からないから何とも答えられないんだけど」
と答えたところ、
男「何か、見方 (世界観ということか?) が変わるような本が読みたいのだけれど、なかなか出会えなくて」
と言う。とりあえず手当たり次第本を読んでいるのだけど、「これはすごい」と思える本に出会えていなくて、人に聞いて回っているらしい。
これを聞いて、この人はとてもかわいそうな人なんだなぁ、と思ってしまった。
自分が面白い本に出会えなかった時、人に聞けばいいだろうというのは考え方としては分からなくはないし、手っ取り早い方法だろうとは思う。でも、本を読んでどう感じるかなんて人それぞれ。ある人が面白いと思った本があったとして、誰がその本を読んでも面白いという保証もない。本を読んで感じることというのは、その人の性格とか考え方といったバックグラウンドに大きく左右される訳で、それを見ず知らずの人に求めるというのもどだい無理な話。仮にそれで薦められて読んだ本に感化されたとしても、自分ですごいと思ったわけでなく、人の評価を受け入れているに過ぎない可能性だってある。自分が変わる程の衝撃を受けるような本に出会うには、自ら探す努力をするしかないし、人に薦められないといい本に出会えないというのは何とも情けない。
で、これってテレビ文化の悪影響なんじゃないか、と彼の姿を見てふと思ってしまった。テレビというのは自分から探し求めなくても向こうから面白いコンテンツをどんどん配信してくれるメディアな訳で、我々テレビにどっぷり浸かっている世代は、それが当たり前だと思っている節がある。自分の行き方も含めて自ら何かを探し求めていくることが苦手な世代といえるのかも知れない。だからとってそれを放棄し、誰かが面白い物を自分の前に持ってきてくれることを期待しているだけではいけないと思う。
ま、それはともかく、かなりびっくりしました。とりあえず適当にあしらって帰ってきましたが。。。
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