オーテック・ザガート・ステルビオの開発



ステルビオ 誕生

 さて、後に桜井氏によって「ステルビオ」と名付けられる事になるクルマは、ラグジュアリー・スポーツクーペという性格を満足させるために日産レパードF31アルティマ・ツインカム・ターボ(VG30DET)がドナー・シャシに選ばれ、オーテック・ジャパンで大幅なフレーム補強と改修, 及び足周りとエンジンのチューニングを施された後、イタリアはミラノ郊外のザガート工房に運び込まれた。

 このクルマの最大の売りであるザガートのアルミ・ボディーは、デザインから製造までを二代目社長のジャンニ・ザガートが自ら指揮したと伝えられるが、肝心のエクステリア・デザインに関しては誰の作品であるのか発表されていない。

 これは、カロッツェリアでは良くあることで、社内デザイナーの個人名が発表されないときは、知名度のないルーキーの作かまたは、社長自らの作品であることが多い。エルコレ・スパダのように若くして名を成す事は容易ではないのだ。

 ところで車名である「STELBIO」の語源であるが、スイスとイタリアを妨げるアルプス越えの要衝として有名な、綴れ折りの狭い道路の続く標高2757mの剣が峰「ステルビオ峠」のことである。

 自動車レース創世紀にまで遡る事が出来る程の歴史ある数々の大きなアルプス横断レースで、幾多のレーサーとマシンの横断を拒んだ伝説の峠であるが、若かりし桜井氏がプリンス時代に新型車開発と欧州レースに参加する為の試走を兼ねて挑戦したステルビオ峠のアルプス越えで、その雄大さに感激した氏が、件の峠名を自ら生み出したクルマに命名した事は、かつての「スカイライン」の命名伝説ともオーバーラップして興味深い。

 さて、今回のステルビオのデザインは、基本的には前作のアストン・マーチン・バンティッジ・ザガートのアウトラインを踏襲しながら作り上げられた事はまちがいない。

 但し、件のバンティッジ・ザガートのデザイナーであるジュゼッペ・ミティーノは、既にザガートを離れており、おそらくジャンニも含め数人のスタッフでの共同デザインであったと思われる。
(初期のスタイリングデザインにマルコ・ペドラツィーニのサインが有ることから、氏によるデザインであるとの説もあるが、実際にはザガート車内のデザイン・スタッフによる共同作品と考えられる。)

 また、アウトラインにバンティッジを利用したのには訳があり、それは、バンティッジのキャビン関係のパーツとの関連性を持たせることによっての生産の簡便化を図ったと思われる。
 事実、バンティッジの簡易プレス製のダブル・バブル・ルーフは、そのまま、ステルビオに再利用されている。

 ところで、ステルビオのエクステリア・デザインを語る上で、避けては通れない物にボンネットに組み込まれたサイド・ミラーがある。
 近年のザガートデザインの写真写りが悪いことは有名であるが、その中でも1,2を争う程のアクの強さで、特にクルマの顔とも言うべきフロント・マスク周辺のデザインに関しては、とても美しいとは言えずバランスを崩しているように思える。

 ザガートのバッド・センスを哄笑する上で、常にやり玉に挙げられる部分であるが、これは、クライアントの桜井氏の強い希望で取り入れられた物であり、このサイド・ミラーの存在がステルビオの外観を醜悪な物に変えてしまった。

 間違いなく、昼間の高速で後ろから迫られたら「退いて」しまう部類の迫力ある顔つきである(実際、並のセダンでは本気で走るステルビオの前を走ることは不可能である。)フェイスには、同時期に発表となったアルファロメオのES−30(後のSZ、お世辞にも「エレガント」とは言えない)ですら、ステルビオの異様さの前には影が薄れるであろう。

Aston Martin Vantage Zagato
1986年に発売された
超々高価格 豪華GT
50台限定であったが
後にオープンボディーの
Volanteも発売された。

ステルビオのデザイン

 ステルビオのデザインは桜井氏のサイドミラー案を実現させるために、かなりの制約を持つこととなった。 

 フェラーリ330P4の様にフロント・フェンダー内に美しくまとめられたミラーを夢見た桜井氏であったが、レーシング・プロトのパイプ・フレームと、出来のよろしくない量産車のモノコック・フレームではデザインの自由度が違いすぎて、比較にもならない事は明らかであり、しかも、フロントには巨大なV6,3リッター・エンジンが鎮座しているのである。

 このV6ターボユニット冷却の為に、フロントマスクに┏┓形のエアスクープがデザインさせているが、これはAutechの頭文字Aをモチーフにしたものであった。が、その形状には否定的な意見を述べる人物も多かった。
 また、フロント・ノーズから前輪上部付近まで、まるで魚のエラの様に張り出されたボンネットの形状は、上から見るとまさに台形であり、しかもサイド・ミラーが組み込まれた前輪上部で唐突に切り取られ、強引に本来のボンネット幅に取り付けられている。
 このボンネット形状を正面から眺めると、そこに第二のダブルバブルのモチーフが形作られている事に気付くだろう。
そして、そのダブルバブルのラインはルーフに受け継がれて後方に向かって緩やかに消滅していく。
ザガートのデザインスタッフが処理に苦心惨憺したであろう事が伺える処理の一例である。

 サイド・ミラーの後方視界を得るために、車幅はウエスト・ラインを境に切り詰められ、せっかくのワイド・ボディー化もウエスト・ラインより下方だけに止まり、ワイド・トレッドをクリアするために前後ホイルアーチ上部がブリスター処理されるという、極端な事をいえば凸形断面とも言える、いささかまとまりに欠けたボディー・フォルムとなった。

 キャビンは、その殆どが新造されたものだが、かって、一連のパノラミーカ・ボディーで一世を風靡したザガートの作品らしくバンティッジ・ザガートと同じくルーミーなものとなっている。

 テール部分はフロントに較べると遙かにまとまった印象を受けるが、これもバンティッジ・ザガートのデザインを踏襲したのは明らかで、アルファのSZと同じと思われるテールランプ・ユニットとテールパネルを横断するブラックスモーク処理されたライト・カバーによって引き締まった印象を与える。

 しかし、前述したボディー断面の凸形の処理は、このテール部分でも苦労しており少し煩雑な印象を与えているが、逆に良いアクセントになっていると見る意見もある。

 いずれにせよ、写真などでザガート・ボディーの魅力を知ることは難しいだろう。
機会があるのなら是非一度、実車を眺めてみる事をお薦めする。