スカイラインの命名伝説
まだ、プリンスの開発員だった頃の若き「桜井 真一郎」が、自ら開発を担当した新型車のテスト走行で、富士スカイラインを走った時に、その雄大さに感化されて「スカイライン」と名付けた事を指す。
つまり、桜井氏は「三つ子の魂百まで」を、地で行く人だったようだ。
ところで、スカイラインといえば「スカG伝説」が余りにも有名だが、その起源となったのがこれから述べる件である。
1964年の「第2回日本グランプリ」GTレースにおいて、前年惨敗したプリンス自動車が、必勝を誓って出場させたスカイラインGTが、トヨタのワークスドライバー「式場荘吉」の駆るポルシェ904GTSの前を1週だけ走った故事に由来する。
この珍事でスカイラインはポルシェと対等に戦えるクルマと認識され、現在に至るスカイラインGTーR人気の基礎となった。
本来バリバリのレーシング・スポーツである904と、セダンのフロントを延長してまで、強引に6気筒を詰め込んだGTが同じ土俵で競う事自体おかしいのに、いかに904が本調子では無かったにせよ、改造セダン如きに遅れを取るとは不自然であり、当事者の生沢 徹と式場が旧来の友人である事から、デキレースの噂も多かった。
後年において「もう、時効だから」と式場が「もし、追いつけたら1週だけ前を走らせてくれ」との申し出が、生沢本人よりあった事が暴露され、式場の904が周回遅れに捕まってペースダウンした時に追いついた生沢に前を譲ったと懐述した。
この席には当の生沢も同席しており、なんら反論しなかった点で事実であると証明された。
スカG伝説って、一体・・・