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本田ゆみ


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社会民主党北海道第二区総支部代表
本田 ゆみ



 




プロフィール

1978年 北海道網走市生まれ(旧姓・伊藤由美)
1997年 北海道立網走南ヶ丘高校卒業
1997年 団体職員(北海道電気保安協会網走支部)
2005年 退職、札幌へ転居。2ヶ月間登録型派遣のアルバイト、その後、ほくでん情報テクノロジー株式会社に契約社員として勤める(2007年契約期間満了まで)。
2006年 北海道造形デザイン専門学校 グラフィックデザイン夜間コース卒業(1年間)
2007年 株式会社ほくでんサービスに契約社員として勤める。
2008年 退職。以降、アルバイトをいくつか。

     



立候補の決意

社民党 本田ゆみ

本田ゆみ、30歳です。2008年の2月に「福島みずほと船で行く『若者セミナー』に参加して、若くて溌剌とした自治体議員など社民党の新しい担い手と交流をし、正直に言って、新しい世代ががんばっている姿に驚き、身の引き締まる思いと活力を与えてもらいました。9月からは衆議院選北海道比例区候補予定者の山口たか後援会のスタッフとして、社民党や支援する人たちの国政を変えたいという熱い思いに触れました。私は、このたび、北海道第2選挙区に立候補する大胆な決意をいたしました。

1.いま、国会に社民党の議席を増やすことがどうしても必要です

 山口たか後援会のスタッフになる以前は、自分が政党活動に関わることや、ましてや選挙に立候補しようという大それたことは、考えてもいませんでした。社民党の活動に関わりはじめてからの期間は短いですが、その間に、さまざまな立場の人たちが社民党を支え、信念を持ってがんばっている姿を間近に見てきました。

 なぜ、私利私欲を顧みずに社民党でがんばり続ける人たちがいるのだろう?
「本当に働く人の身になってくれるのは社民党だった」
「人に上なし、人に下なし、人間はみな平等だという当たり前のことを言い続けられるのは社民党」
「社民党は憲法9条にある戦争放棄を貫き、海外派兵に反対する理念を崩さない」
「女性を応援しているのは社民党」
「原子力発電等、あらゆる核の利用に反対しているのは社民党」
そのような声を聞き、自分でも社民党の主張や政策を他政党と比較して考えた結果、いま私が支持できる政党は社民党しかないと確信するようになりました。さらに、「山口たかさんが国会議員になったら政治は変わる!ぜひとも絶対に国会議員になってほしい!」と以前から思っていましたので、社民党のみなさんと共に私も精一杯の努力しようと決意しました。私たちの未来や今の暮らしを脅かす法律が、国会で次々と可決されるのを続けざまに見て、悔しい思いをしてきました。社民党なら信頼できます。国会に社民党の議席を増やすことはどうしても必要だと強く思います。

2.立候補にうって出ることができる理由

 山口たかさん・社民党を支持することと、自分が立候補することの間には、また一つ、とてつもなく高い壁があります。私は政治や選挙活動の経験がほとんどありませんし、人より秀でた素質や能力を持っているわけでもなく、むしろ弱さやダメなところが多いです。「私は候補者としてふさわしいのだろうか……?」どんなに自分の強みや長所を集めても、それでふさわしいと言い切るまでには至りません。けれども、政治は一人の優秀な指導者が独断でおこなうわけではなくて、みんなの声を聞き、みんなで考え、みんなで支えあって作っていくのだと、社民党や私がこれまで関わってきた活動を通して教わってきました。ですから、自分が候補者になることに驚きながらも、「わたしの出番!? そう言ってもらえるのなら、とことんがんばりましょう!」が心の中の第一声でした。その上で、自分ならではの主張は何か、私のこれまでの経歴を述べながら、お伝えできればと思います。

3.これまでの経歴

 私は、北海道網走市で生まれました。小学生の時に両親が離婚しましたが、母がパートをかけもちして働き、高校まで卒業させてもらいました。高校卒業後は地元で団体事務職員として勤め、その間に結婚と離婚を経験しました。子どもはいません。もっと勉強をしたいという思いが強くなり、網走で働き続けながら、通信制の大学や事務関連資格の勉強も始めました。試験を受けたり、趣味の美術館巡りをしたりするために札幌を訪れることもしばしばで、2005年(26歳のとき)に仕事を辞め、アルバイトを増やしてお金をためて、札幌に転居してまいりました。

札幌では、夜間制の専門学校でグラフィックデザインを学びながら、日中は大手関連企業で契約社員として事務の仕事をしました。市民向けの講座を受講したのがきっかけで、さまざまな社会問題を知ってNPOや市民活動にも興味を持つようになり、仕事帰りや休日にボランティアとして関わることが多くなりました。チラシなどのデザインや、社会問題を提起しつつ楽しくやれそうなイベント・映画上映会などの企画運営の経験をいたしました。

4.社会を変えるのは、わたしたちです

 市民運動に取り組んでいる人たちと出会い、一緒に活動して学び、話し合ううちに、「平和・人権・環境・開発・ジェンダー・共生・グローバリゼーション・労働」など、それまで自分の生活とは関わりのない大所高所の問題と思っていたことを、自分の身にひきつけて一から考えるようになりました。「いやな世の中だけど仕方がないのだ」「人並みに生きていくためにはこうするしかないのだ」と思っていたことを、問い直すようになりました。そのような流れで、昨年「山口たかサポーターズ」に誘っていただいたことが、社民党と関わるようになったきっかけです。

 社会問題や政治への意識が芽生えてくると、同時に怒りがわいてきました。格差や貧困が政策によって作り出され拡大されている、知らず知らずのうちに戦争や力のある者による支配のシステムに協力させられている、お金や学歴や地位が無いことがみじめだと思わされている、上から決められたことに従って仲間内で競い合わないと生きていけないと思わされている、私たちが「美しい」「豊かだ」「幸せだ」と感じる価値観までも上から横から日常的に方向づけられている・・・…。これまでの自分の生き方は、そのように植えつけられた固定観念に基づいていて、価値観が狭められていたようで、怒ると共に哀しくもなり、もったいなかったとも思いました。私は「もう、たくさんだ」と思います。

 けれども、こんな世の中でも生きているのは私たち一人一人なのだから、変えていけるのも私たち一人一人だと気づいたことが、私が得た強みです。大きな流れや大きな力に打ち負かされそうになっても、人びとが繋がれば負けることはありません。2007年「フェアトレードフェスタinさっぽろ」実行委員会事務局、2008年は「自由と生存の連帯メーデーin札幌」実行委員や、北海道洞爺湖サミットに合わせた「国際交流インフォセンター/国際交流キャンプ札幌実行委員会」事務局などの活動をし、若い人たちを中心に世代や国境を超えてさまざまな人たちと協力して、新しい流れを作ってきました。その経験を共にした人たちの間に、「みんなが力を合わせれば成し遂げられる、世の中は変わる、今ここから変えていける」という、また新たな希望が生まれ続けています。

 諦めから希望へ。アメリカで発生した金融危機に見られるように、世界的な市場原理主義、新自由主義的なグローバリゼーションとして推進されたカジノ資本主義は、ぼろぼろと崩れていっています。今こそ政治の流れを大きく変える時です。社会保障を切り捨て、お年寄りを切り捨て、若者を切り捨て、障害のある人を切り捨て、地方を切り捨て、一生懸命はたらく人を切り捨て、民営化や規制緩和で公共サービスの質と量を低下させ、格差を拡大してきた構造「改革」路線とアメリカ追随型自民党政治を、今ここできっぱりと終わらせましょう。人を大切にする、いのちを大切にする政治に切り替えましょう。

誰もが生きやすく、のびのびと明るく、競い合い殺し合うのではなく助け合って生きていける政治をつくるために、皆様と共にがんばります。どうぞよろしくお願い申し上げます。