敗戦66年にあたって(声明)
第二次世界大戦が終結して、66年目を迎えました。社民党は、8月15日に当たり、戦争の惨禍を思い起こし、すべての戦争犠牲者を追悼します。平和憲法は多くの人々の犠牲を払って獲得したものであり、私たちはこれからも平和憲法を堅持していかなければなりません。社民党は、改憲のために憲法審査会を動かし国民投票に持ち込もうとする国会内の動きを警戒し、平和憲法を変えさせないという人々の願いを結集します。
憲法の前文には、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」と書かれています。軍事統制下で抑圧され隠されていたことが、語られていますが、それは、なぜあのような無謀な戦争へと突き進んでいったのかを問い続け、自らの体験を歴史の証言として残しておかなければならないという意思の表明でもあります。日本国内だけでなく、各国の証言を突き合わせることによって、日本がアジア太平洋地域の人々との和解と共生をはかり、世界の平和に貢献する国でありつづけるための教訓を学び取らなければなりません。
2011年は、私たちにとって1945年の広島、長崎、1954年の第五福竜丸事件と同じく、「核の惨禍」に襲われた年として、決して忘れられないものとなりました。3月11日に東日本で日本の観測史上最大となるマグニチュード9.0を記録した大地震が発生しました。今、多くの被災地は、鎮魂の夏を迎えています。さらにこの地震と津波は、福島第一原子力発電所の事故を引き起こしました。チェルノブイリと同じレベル7という深刻な事態になり、多量の放射性物質が5ヵ月経っても処理されないまま残存しており、人々の暮らしを脅かしているのです。
原発の周辺に住んでいた10万にも及ぶ人々は立ち退きを余儀なくされました。国内のみならず近隣諸国まで放射性物質が飛散し、何万トンもの量の汚染水が海に流されました。汚染された野菜、魚、肉を食べれば、体の内部から被曝し、原発から200キロ以上離れた首都圏でも、母親の母乳や子ども達の尿から放射性物質が検出されています。「ノーモア・ヒバクシャ」を訴えてきた私達は、再び被曝の恐怖にさらされることになりました。地震国日本に原発を作ることがいかに危険なのかは、容易に分かることであり、社民党はずっと警鐘を鳴らし、反対しつづけてきました。「安全神話」を振りまいて、原発をつくり続けてきた歴代政府と電力会社、推進派の学者や評論家はその過程をきちんと検証し、自らの責任を明らかにしなければなりません。それがなければ、また同じ過ちを繰り返すことになります。
この日本の惨状を目の当たりにして世界各国で、脱原発の機運が高まってきました。社民党の脱原発アクションプログラムでは2020年までに国内のすべての原発を廃炉にし、2050年には100パーセントを再生可能エネルギーでまかなうことを提案しています。「核の脅威」から解放されるため、多くの人が協力しあってこの目標を達成し、未来への展望を切り開きます。
以上