日記
男もすなる日記といふものを、女も ……
過去の日記は
2001年前半
2001年後半
2002年前半
2002年後半
2003年末〜2004年前半
2006/5/5
長らく放置しまして、ホント申し訳ありません。
近況
半年も更新をさぼりまして、本当に失礼いたしました。なんとか生きております。
この間「クリスマス、あけおめことよろ、お彼岸に先代誕生日、それから子供の日」ってなもんでしょうかね。あ、娘の七五三もございました。
そしてPCも変わりました。ワイドだよ〜ん。A4版用ノートPCバッグに入らないよ〜ん。
さて近況です。
・鬱、ものすごい勢いで回復中。
とはいえ、実際は精神的体力がまだ追いつかず、リハビリ中といったところでしょうか。ひどい落ち込みはなくなりました。
それと少し強くなったかな?
・娘やっと年少さんへ
その前に「保育園に入れたよ〜〜〜〜〜ぅ」というのがあったんでした。1月の募集に申し込んでみたら、通れたんですわ。それで「年少さん」より一足早くから通っています。すでにでかい顔しているようです。
・仕事探し、始める
そんなわけで、鬱もよくなりつつあるというのもあり、仕事を探しています。が、見つかりません(号泣)
遺体が五体あるアパート
昨今「猟奇殺人好き」な私のこころを刺激するのが、これです。
え〜と、殺された女の子と自殺遺体(男性)が発見されて、無理心中かと思っていたら、逃げていたお母さんが「娘を殺した」と出てきた。
でもって部屋を探したらほかに120センチくらいの男の子の遺体(白骨化)と新生児の遺体二体(腐爛中)が出てきた、と。
犯人の母親には数人子供がいて、内縁の夫(故人)の連れ子が男性(35歳)。120センチの男の子は、22年前にいなくなったと母親が騒いだ、長男なのではないかと言われている。母親には浪費癖がある。三人でアパートに暮らしてたらしいが、遺体ももって歩いていたらしい。
……って、書いてもわからないわ。
女の子(19歳・M大演劇サークル在籍)と、連れ子(実の母親は健在:故人の正妻)がなんでその母親と暮らしていたんだろう?特に男性。
しかし周りの人、くさかっただろうなあ。もうアパート的にも致命的ダメージだし、しかも家賃滞納してたっていうし、大家さんも踏んだり蹴ったりですね。
「うさぎ!」と「毎日の環境学」
小沢健二作「うさぎ!」第三話まで来ました。いいたいことはわかってきたけれど、そこに出てくる人間?らがどう活躍するのか、世界の説明が長すぎてわからない。いえることは、「で、その灰色って貴方の住んでいるアメリカだよね〜」ってことだけだ。この先、たとえば灰色はあの子たちにやっつけられたとして、その後どうするつもりなのだろう?みんなが等しく富を分け合おうっていう、今更「社会主義」?それとも「原始生活」?それとも、生ぬるい「エコロジー」?
と、いうわけで、出たのが、……ああ五枚目ですか、の「毎日の環境学」。インストアルバムである。タイトルから言っても、イラスト(うさぎのいる絵)から言っても、「うさぎ!」と関連があるのに間違いない(公式サイトにも「うさぎ!」第一話が載っているしね)。
でもって、私にはこれ、響くものがありませんでした。前回の「エクレク」に似た、いや音楽は全然違うんだけど、中に流れた乾燥したものが同じ。洋楽好きの方にはいいのかもしれませんが、私は好きではありません。私は小沢の、同じ音楽でも必ず中心が湿っていた、日本にいた時代の曲が好きでした。
小沢にもずいぶんお布施してきたけど、そろそろ潮時かなあと思いながら、まだ左翼のにおいがぷんぷんする「こどもと昔話」はもう一冊くるのであった。恐るべし年間購読。しかも高い。
クライン孝子という人
ブログを読んでいてくださった方なら、さんざん書いたからご存じであろうが、在ドイツのご婦人で、自称ノンフィクション作家(今気がついたのだけど、「ルポライター」などではないのね。そして「エッセイスト」でもないのね)だという、「クライン孝子」なる人がいる。
もともと「海外に住んで海外がわかる」とも「海外に住んで日本が『より』わかる」とも思っていないので、この手の「海外褒め型、日本比較して貶し型」の本を読んだことがない。
まず、経歴がおかしい。海外に出るのが大変な時期に、スイスで一年(本人曰く「ドイツ文学」専攻)遊学、その後ドイツに入り、働きながら?フランクフルト大学(ってことはたぶん「ヴォルフガング・ゲーテ大学」ですね)にて「西欧政治経済史」なる、日本でもあり得ないほど広い学問を学んだという。なんとかいう女性プレスに入り、日独有名政治家や有力者と親しいという。
……「入学資格」なくしてドイツの大学の卒業はありえない。まして聴講生ではビザがとれない。当時は「ワーキングホリデー」制度はない。
……女性プレスは存在しなかった。
……ご主人はジャーナリストじゃなくて、ゴム屋さんを自宅でやっており、その規模は家庭内工業レベル。たぶん弟子が2〜3人。
……ドイツから発信している日記(あえてURLは書かないので、「クライン孝子 日記」でぐぐってください)は日本の新聞のサイトからのネタばかり。困ったときには陰謀説。
「親しい」はずのドイツの政治家と会話した記録がない。ドイツの新聞をきちんと読んだ形跡もない。
「ドイツ情報を発信せず、日本のことばかり発信している」
そして何より困ったことには
「正確な情報を発信しない」
「こういう人に心酔する(或いは利用する)、多くは『愛国者』の団体がある」
心酔している人はネット界に顕著ですが、実際に某RAT(Remote Area of Tokyo)に「来日(?)」して、大盛況だったりしたものですから、本人をますますつけあがらせています。
単なるおばあさんだと甘やかしておいてはいけません。現に利用している人たちもいるし、本人の軸足がしっかりしていないから、政治の状況についていけていない(このあたりはドイツに住む悲しさ、でしょうか)。けれど、勢いだけはあるので、プロパガンダにはぴったりなのです。
すでに2chではスレもできていますし、専門で批判しているブログもあります。もっと古くから批判し、本人と直接メールで対決した人もいます。わたしがここで叩くことではないのかもしれませんが、ネットで、或いは書籍で、それらしく書かれていても、実際はそうではないこともあるということ、そして海外に住んでいるからといって、日本がよく見えるわけでもなんでもないということを、知ってほしくて、敢えてまた書きました。
ネットワークの歴史
ふと、ある人の名前(もちろんHN)を検索していたら、パソ通時代のやりとりが残っていて驚きました。そして実際に読んでみて、ああそうだった、こんな密着してたんだよなあ、と思いました。
私が初めて「ネットワーク」に接したのは、UNIXマシンのLANです(笑)メールつうのが書けるのが嬉しかったですねえ。手紙より早く、好きなときに読める。
すぐ後に「ニュースグループ」ってありましたね。これもやりました。少しだけ(笑)あそこは技術系が多くて、いつも何かもめていた印象が…
その後、パソコン通信へ。私の入ったのは、某氏のとは違うところですが、あの、今と違う密着度は同じですね。なんだかみんな知り合い、みたいな。オフもしょっちゅう行われていたし、有志で会員制会議室なんてのを作ったりしてました。ちなみに私が書き込んでいた会議室は、「小動物ペット」「(旅行フォーラムの)ドイツ」このくらいかな。読んでいたのはもっとあったけど。そして、会員制会議室では「日曜研究家(以前私の携わっていた雑誌および著者を囲む会)」「デュッセルドルフ在住者の会」に参加していました。
「日曜〜」のほうは、主立ったメンバーはすでに知っているわけですから、オフには参加しませんでした。
が、「デュッセル〜」のほうは、なんの拍子だったかな、「ドイツ」で知り合った人がそこのオフに行くついでにうちの方でミニオフをやったものですから、そのついでにデュッセルドルフまで出て行ったのかな、なんだかそんな複雑な状況でメンバー入り=初オフ、という感じだったと思います。
そのときデュッセルドルフに赴任していた人たちは、(デュッセルと関係ない私も含めて)現地職の方を除いてみんな日本に住んでいるというのが笑えます。
そして日本だと余裕がないので、オフがほとんどないのも複雑です。
ドイツ在住の方が出張でこちらに来られるときに、各地でミニオフを行ったりしてます。
けれど、未だにメンバーの顔が浮かび、かつ連絡を取り合っているのはこれだけですね。
そしてインターネットデビュー。このサイトを作って、掲示板作って、yahoo!に登録されず(笑)、狂言ブームと共に盛り上がったこともありました。お互い同じ公演を見に行くので、能楽堂でばったり、ということはありました。
そしてブログへ。
こうやって考えてみると、範囲が広くなればなるほど、相手の顔が見えなくなりますね。サイトはある意味「客寄せ」の意味があり、志を同じうする人が集まるので、まだ相手の顔が見える。けれど、ブログはいろんなことを書くから、どこに引き寄せられて誰がきたのか、さっぱりわからない。
と、いうわけで、私はブログからすっこんでサイトに戻っているわけです。ブログ時代に知り合って、今でもメールのやりとりをしているのは、断言しますが3人だけですね。
そんなこともあって、SNS(内容を知らずに書いてます)に収斂していっているのかな、と思ったりしている今日この頃です。
2005/10/24
娑婆の情報いろいろ
激しくうるさいんですけど!!!
今この24日午後10時前後ですけどね。飛行音が激しくうるさいんですけど、なんかあったんですかー!安眠妨害でーす!元彌のウルトラセスナ移動ですかー?
毒舌とはどうゆうことか。
ここのHP開設以来のお客さんや、ブログにかつていらしてくださっていたお客さんには、「なんのこっちゃ?」かもしれませんがね。私、ものすごく丁寧に、ほぼ文学の話のみで終わらせているところが別にありまして。
そこの読者さんに「毒舌」って感想をいただいたんですよ。
…あそこが毒舌だったら、ここの日記なんか┐(´ー`)┌
そしてましてあの幻の(でも一年間続いた)ブログの900件の記事なんざ┐(´ー`)┌┐(´ー`)┌(←手をつないでいる場合じゃない)
とかく、私のネット上での書き物は「毒舌」と評されることが多いのですが、毒舌とはなんだろうとしばし考える私であった…(故ナンシー関の文章も私には「毒舌」ではなく、太田光の文章は「優しすぎる」と思う私ゆえ、感性が特殊かもしれない)
と、思っていることを念頭において、下の記事は読んでいただきたい。
「うさぎ!」第一回感想
やっと「子どもと昔話」25号が届いた。すぐに「うさぎ!(小沢健二作)」を読む。ちょっと痛いところ突いているなあと思いながら二度目読む。しかしこれは大人と子どもと誰をターゲットにしているんだろうなあと思いながら三度目を読む。
結論:前置きが長すぎる。文章下手くそ。
「もっとも美しい日本語を生み出す作詞家」として小沢の曲に何度励まされてきたかわからない私でもこんな評しか出せなかった。
ざっと内容を言えば、文明論。貧しい国と豊かな国、そして豊かな国を支配する闇の力「灰色(経済をめぐるあらゆる現象のこと・抽象概念)」の説明である。そしてこれから物語が始まります、という前提。
最初はやさしい言葉なのだ。しかし途中で抽象的な言葉で言い表してあって「これは小学生では難しい」と、大人のための童話なのか、と思いたいけれど、大人にとっては「工夫のなさすぎる文章」なのだ。たとえば比喩がつまらなすぎる。小沢なら、あの「通り雨がコンクリートを染めていく」と書いた小沢ならば、「浴室にカビがひろがるように」なんて比喩は使わないでほしい。というよりも「ように」なしで文をかけないのかっ!と一喝したい気分。
文章の段落分けから推察するに、恐らくは電子メールかテキストファイルで送られたもの。やっつけ仕事だったのか、やはり「異国に住む」というのはこういうことなのか、としばし愕然。
あと気になったのは、主筆(小澤俊夫氏)が癌になったときの話。手術日に当時超「王子様」だった小沢は寝坊して遅刻する。それでもなんとか間に合ったのだから、まだいい。問題は手術中、小沢は父親の病室のベッドで「眠い」としばらく寝て、それから控え室に行ったとのこと。…なんか基本的な躾がなってないような…
私の盲腸ですら、相方はずっと外にいたらしいぞ。相手は癌だぞ、癌。
2005/10/13
「転職」の季節?
転職1:小沢健二さんの場合
前回の日記で書いたとおり、小沢さんがフィクションを連載することになりました。
読んだら一ネタ書きたいので、発売前に予告!
連載場所は、小澤俊夫責任編集『子どもと昔話』25号からです!タイトルは
「うさぎ!」。
どうも
小澤昔ばなし研究所(わかる人にはわかる、場所も「川崎ノーザンソウル」だ!)のサイトによると、この季刊誌(私は購読したことがあります)は読者が減ったのか、刊行が危ぶまれていたようで、自主出版としての再スタートになるようです。でもってその25号の案内が
これ。表紙を拡大していただければおわかりかと思いますが、背表紙にも「新連載:うさぎ!」と書いてあり、小沢健二さん、親孝行というか、親父のために人寄せパンダというか、そんな感じです。しかしやらないものはやらないと思うので、本人も(周りが思っていたように)文学への憧れがあったのでしょう。
ちなみにこの雑誌、旧姓のペンネームを使い、奥様で心理学者の小沢牧子さんも連載しています。
ザ・家内制手工業。
長男の淳さんや自分の弟の征爾さんを引っ張り出す日はいつなのでしょうか(笑)
転職2:和泉元彌さんの場合
数年前にこのコラムで大々的に書きすぎたため、一応自己責任を取っての「あのひとは今」です。事情があまりに細かく書いてありすぎるので、細かいことをお知りになりたい方は、過去の「日記」を読んでくださいませ。
能楽協会を馘になり、「狂言のできるタレント」を目指すも、能のアイもできず、芸はあがらず、最近は地方公演をこっそりしているだけで、何の動きも見せなかった彼、ついに転職を決意(或いは兼業かもしれませんが)したようです!
それもプロレスラーに!
高田総統率いる「ハッスル」なんとかいうもので(プロレスのことはぜんぜんわかりませんすみません)、レイザーラモンHG(大好きです)が参戦するというので、最近ちょっと注目していたら、なんとまあ元彌まで!!
食いっぱぐれたんでしょうか。セコンドはもちろん節子が勤めます(元彌は節子のリモコンですので)。
HGのように、学生プロレスやってました!とかあの体格(フォ〜!)じゃない上、貧弱、そして160台と言われるあの身長。大きいのは顔と態度だけ。色としては、「HG参戦」よりも、かつての「ゴージャス松野」のイメージですね。
コイツが表面に出るのは、能狂言ファンとしては、非常に不愉快なのですが、その墜ちっぷりをとくと見届けたいと思っています。
なお、「退会処分撤回」だの「慰謝料ん億円」だのを求めた裁判は、ことごとく敗訴&棄却されてます。裁判費用も馬鹿になりませんね。
2005/09/21
永のご無沙汰お詫び申し上げます
前回最後に書いたのは昨年の八月だったんですね。それから私はブログに移り、ブログでエライ目に遭い、心身壊れて療養、というわけで、一年経ってしまいました。
お待ちくださっていたみなさん、大変申し訳ございませんでした。
私はブログよりも、こういう方が似合っているようです。
再びおざわ
一郎じゃないぞ。
私が心より愛する詩人であり歌手である「小沢健二」さんが(くん、ってもう呼べないよね、37だっけ)
小説を連載なさるのです!
どこで連載するかは、調べてください。
個人的には、彼の日本語運用能力が、あの地獄の「エクレク」時代よりどれほど戻っているか、期待しています。
恐らく私が予想するに、双極性気分障害であろう(勝手な判断ですからみなさん本気に取らないように)彼には、小説は向いていると思います。夏目漱石はノイローゼを治すために「我輩は猫である」を書上げました。小沢さんの作品がよいものであることを、私は心より望みます。
2004/08/05
心頭を滅却すれば…暑いもんは暑いんだよ!
シリアルキラー
BLOGにも書いたことなのだが、親戚七人殺した男が逮捕された。近所でもトラブル続きのおやじで、親も逃げたほど。車の中には「牛刀(ってなんだか知らないけどすごそう)」二本とガソリンがあったそうだ。怖い。怖すぎる。
私は割と犯罪の本を読むのが好きなのだが、人数としては、「津山三十人殺し(八つ墓村の元ネタね)」やわが郷土が誇る「大久保清」に勝るとも劣らないのではないだろうか。
津山三十人殺しの犯人は、貧乏で教育が受けられなかったこと、結核を患って徴兵されなかったこと(でその地域でさげすまれていたこと)、その地域では「夜這い」の習慣があったのだけど、夜這いにいくと相手の女に馬鹿にされたりしたことで、孤立感を深めた、というのが原因らしい。
大久保清はすごく甘やかされて育ち、父親は色情魔で兄嫁を犯したとか自分の妻を犯したとかで、清もその血を引いたのか強姦マニア?になってたらしい。画家やら先生やらに化けて若い女性をナンパし、強姦するのだけれど、その際に抵抗した女性は殺された。
そして今回の事件。本人は困ったちゃんなオヤジだっただけに、近所の親戚(といっても遠い親戚らしい)もそりゃ冷たくあしらいたくもなるだろう、できれば接したくなかっただろう。まあそういう対応をしている間に本人は逆恨みを募らせていたというわけだ。
この三点、「閉ざされた狭い地域のいざこざが原因で起きている」という共通点がある。大久保清はちょっと違うかもしれないが、父が兄嫁だとかを犯したってのは、やはり狭い視野を感じる。大体都会が怖いと世間では思われているし、実際犯罪も多いのだけど、こういうシリアルキラーはものすごい限られた範囲の問題で殺人を犯している。
かつてホームズは「都会よりも、こうした一見のどかな農村地帯のほうが犯罪は恐ろしい(大意)」とワトスンに話したが、やはりそうなのだろうか。津山は本当に隣の地域とも距離があり、警察官が来るのが遅れたほどだし、今回だって遠い親戚があんな近くに住んでいる。広い意味での一族郎党住んでいるんじゃないか?ってほど。
思うに、都会では他に逃げ道がある(引越しとか)のに、そうした地域では地縁があって簡単に引っ越せないのではないだろうか。そういえば奈良だったか、女子中学生?をわざと引いた丘崎とかいう若者も、すごく貧しい家にすんでいて(これ、人住めるの?というような家だったそうだ)娯楽はたまに町に出て風俗にいくくらいだったそうだ。
そんな地縁で閉鎖的で逃げられない地域に変なヤツがいたら…逃げ場はない。でも頑張って引っ越してみる…というのは、都会の人間の考え方なんだろうな。わたしは先祖代々の土地もないし、自分自身の家も持っていないから。
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