日記2002年前半



2002/6/24

戦争中もこんな感じだったんですか?>体験した人

共催ですからね(怒)
元彌ネタにはさまれて、はるか下のほうに行ってしまったが、前回のワールドカップに関する日記では、ドイツが決勝リーグに残ったことを素直に喜び、サッカー観戦を素直に楽しむ様子が書かれていて、自分でも「楽しかったなあ、あの頃」という感じである。
あれから10日あまり。ドイツはまだ勝ち残っていて、ベスト4になった。次の対戦相手は韓国である。
そう、問題は韓国。
それまで(ドイツが日本にいたせいもあって)日本の試合ばかり見ていたために知らなかったのだが、自国が戦うときは真赤、そうでないときは白々と空席ばかりのスタジアムで平気で試合をさせていた国。
なぜか韓国と当たると、イタリアやスペインやポルトガル、といった強豪チームが「誤審で」敗れ去っていってしまう恐ろしいチーム。
対戦相手の宿泊先の周りで一晩中騒いだり、いたずら電話をかけて安眠を妨害し、コンディションを崩させるサポーター。
「共催国」日本が負けて大喜びしてくれた国。
アメリカと対戦したとき、ゴールした後にわざわざ「オリンピックのショートトラックのポーズ」をし、「江戸の仇を長崎で取ったぜ」というような執念深さを見せる選手たち。

正直、見ていて見苦しい、と思った。たとえベルギーだろうとチュニジアだろうと、キャンプ地では歓待し、決して嫌がらせなどせず、たとえドキュソだろうとサポーターは川に飛び込むにとどめ、そして選手たちも正々堂々と戦っている日本の子として生まれて、よかった、と心から思った。祭り好きの嫌いはあるが、まだまだ日本も捨てたものじゃない。

ところで、この韓国を、今日本のテレビや新聞では「日本の分も頑張ってもらおう!!」と「応援しろ、応援しろ」一色である。ちょっとでも「なんで韓国と対戦すると誤審が起きて相手がみんな負けちゃうの?」と口にしようものなら、一瞬にしてメディアの世界から消されそうな勢いである。もちろん、上記のような「韓国の姿」は報道されない。あたかも「日本人よりマナーがいいです」と言いたそう。ベスト4というくらいだから4カ国残っているのに、次の試合のことは韓国ばかり。対戦相手のドイツはすっかり悪役みたい。

ちょっと、おかしくないか?
そもそも「共催」っていうのも不自然だけれど、日本と韓国は別に、もともと仲がいいわけではない(日本の音楽や映画は、この騒ぎのちょっと前まで、韓国国内で放送禁止だったくらいである)。なんで日本が負けたからって、韓国を応援しなくちゃいけないの?それを、メディアに強制されなくちゃいけないの?自分の好きでいいじゃない。
少なくとも私は、負けたら喜ぶような相手の応援なんかしたくない。自分があからさまに嫌われていると知っていて、そいつを愛することなんて、できるか?
しかも、もし逆の立場で、日本が残っていて、韓国が負けていたら、韓国は絶対に絶対に日本なんか応援しないと分かっているのに。
もしもドイツがこの中のメンバーにいなかったら、日本を好いていてくれるトルコ、日本がかなわなかったトルコを応援したい。これってごく自然な感情だと思うのだけど、なにかおかしいだろうか?

ともあれ、FIFAが認めたという「誤審」さえも、最初は「なかったこと」としてVTRを故意にカットしたり、韓国以外の情報を流さなかったりして、素直な人が「韓国がんばれ!」と思うように洗脳しているとしか思えない。マスコミにとって都合の悪い(そう、視聴者にとって、ではない!)情報を知らせないようにしているとしか思えない。まるで「大本営発表」?誰かになにか圧力かけられてるの?

もともと、田中元外相を故意に持ち上げたことやら(それ見ろ、やっぱりあやしいじゃないか!)、このワールドカップに関してだって「ベッカム」と「イタリアイケメン軍団」のことしかとり上げず、まるで「ベッカムから金でももらってるのかい?!」と思いたくなるようなひどい偏向報道ばかりしていたマスコミなのだが、今回は本当にひどすぎる。人々が一様にとても関心を持っている話題(ワールドカップ)で、ここまであからさまに偏向・言論統制しているのは初めてなんじゃないだろうか。世論ともずれまくり。だから「洗脳」しているんだろうけれど。

そんな、まったく信用できないメディアなので、こちらとしては、メディアの情報に頼らず(全て正しい、なんて決して思わないことである!)、自分が今までに培ってきた直観(≠直感)を頼ったほうがよいと思う。騙されないように見識を深めておかないとね。

ともあれ、明日も頑張れ、ドイツ。圧力に負けるな、カーン!







2002/6/13

大河ドラマ:ソーケケをめぐる人々(ネタです)

<宗教法人 ソーケケ>

《ソーケケ メンバー》

<ショクブンカイ>

<ソーケカイ>

参考:

<これまでのあらすじ>

<ウラ話>


《参考:野村家・山脇家家系図》


┌──野村万蔵─┬─野村萬─┬─野村万之丞
│                      │                 │
│                      │                 └─野村与十郎
│                      └─野村万作──野村萬斎
│                           (以下兄弟略)
└─三宅藤九郎─┬─和泉元秀(十九世)─┬─淳子
      (野村万介)    │    (三宅保之)            │
                          │                                ├─祥子(三宅藤九郎)
                          │                                │
                          │                                └─元彌(ソーケ)
                          └─三宅右近──(以下息子略)

《参考:和泉元彌を知るためのサイト》
元彌問題総括リンク集(発展中)








2002/6/12

日本人、フーリガン化する。

FIFAワールドカップTM開幕
ちなみに「TM」って今話題の(!)登録商標のことである。
ワールドカップが始まった。前回の日記に「サッカーはあまり興味がないので」なんて書いた私だが、なんのことはない、ふつーの流行に弱い日本人と一緒で、にわかファンとなり毎日見ている。
なにしろ、開幕戦で、フランスがセネガルに負けたのがはまるきっかけだった。サッカーって本当に行方がわからないのね…と思ったから。
そんなフランス、前回は優勝したのに、今回は一次敗退。しかも全試合無得点。これって、ジダンが怪我してたから、とかいうだけの問題なのだろうか?
イングランドもなんだかイマイチ。決勝リーグには進んだけれど、決定力に欠けているような気がする。
イタリアはこれから。イタリアには「イケメン(何度も言うようだが私はこの言葉が大嫌いである)選手」が多いということで、テレビでもよく取り上げられていたが、私はああいう「フェロモンばりばり(^_^;)」というような、ほっといたら大神源太会長(ジー・オーグループ。覚えてますか?)のように、セクシーカレンダー出しちゃうような男性は好きじゃないので、応援する気にならない。

「世界は広い」と思ったのは、アフリカ勢。
カメルーンの時間のルーズさは前回書いたとおりだが、ちょっとびっくりしたのは、セネガルがフランスとの試合で得点したとき、ゴールした選手の脱いだシャツの周りに選手があつまり、廻りながら踊ってたことである!相方は「狩の成果を喜ぶ踊りでは?」と言ってたけれど、これが案外的外れでもないらしい。昨日も、カメルーン対ドイツ戦で、カメルーンが負けそうなとき、サポーターがナゾの魔術だか呪術だかを行っている風景を流していた。一説には以前カメルーンは相手チームを呪う「黒魔術」を用いていたそうで…いや〜〜〜世界は広い!!

というわけで、ドイツ!やっぱり「第二の故郷」ドイツである!!!
初戦のサウジアラビア戦で、「今年は弱い」と言われたドイツの特徴がよく出た。ある意味、ドイツ人のキャラクターでもあるのだが、
・組織力があって、守りに隙がない
・何があっても冷静さを欠かない
・多数得点しようと押されていようと最後まで気を抜かない
といったところである。ものすごい「きっちり」。サッカーとしては面白くないのかもしれないし、「可愛気がない」から、日本人には好かれないのかもしれないが、わたしは「まさにドイツ人」という気がして、余計好ましかった。
さて、そんな中でも、プレイに惚れたのは「ゴリラ」ことGKにしてキャプテンのカーンである。チームの闘争心を引き出す力、堂々とした守備、自分に厳しい対応、なんと男らしいことか!!人を好きになるのに「男らしい」とか「女らしい」ことを評価の対象にはしない私だが、カーンに限っては「これぞ漢!」という気がした。心から惚れ惚れ。
あと、楽しいのはフリンクス、ボーデの二選手が私の住んでいた町のチーム「ヴェルダー・ブレーメン」の所属であること。対カメルーン戦では、ボーデ選手が得点し、インタビューされていたが、久しぶりにブレーメンのドイツ語(ミュンヘンのそれとは全然違う)が聞けてうれしかった。私が住んでいたころもブレーメンでやってたのかは知らないけれど、ブレーメンも結構強いチーム。頑張れ!
あとは、怖いルックスのわりにヘタレすぎるヤンカーとか、いつの間にか二色モヒカンを剃ってしまい、誰だかわからなくなってしまったツィーゲとか、Hugo Boss(日本では一流ブランドとして扱われ、スーツ10万以上するが、ドイツではデパートの平場にある、ごくごく一般的な服装メーカー。アウトレットショップだと2万くらいで買えるぞ)のユニフォーム(スーツ)だとか、ドイツ好きには嬉しいポイントがたくさん。 決勝リーグに進んだので、これからもカーンのプレイが見られるのが嬉しい(でも活躍シーンが多いということは、それだけシュートされるということなのがちょっと悲しい)が、今後の試合は韓国で行われるのが寂しい。これからも頑張れ!!

スターの神様
と、上に書いたワールドカップの開会式のNHKの中継は、ゲストに木村拓哉を呼んでいた。一瞬、「だれこのしょぼい兄ちゃんは?」と思ったらキムタクだった。
一応「ゲストがキムタク」って超目玉、のはずなのだが、キムタクが出ていることの何の効果もなく、却って開会式の模様がよくわからず(キムタクを優先するため)、余計つまらない番組となっていた。

キムタク、といえば、本当にちょっと前まで、登場するだけでまばゆいようなオーラを放っていたはずである。それが、今じゃあまったくありがたみのないタレント。今やっているドラマを私は見ていないが、どうせいつもと同じような演技をしているはずである。あの衰えた肌で。ここのところ、昼間「古畑任三郎」の再放送をしていて、キムタクが犯人だった回を見たが、このときは同じ演技でも、若者の傲慢さ、無反省さが、彼の中から溢れていて、それなりに見られた。今とはまったく違っていた。ぴかぴかしていた。

こうやって、「スターの神様」は旬の芸能人から離れていくんだ、と思った。

別に「キムタクはもう古い。今は誰々である」と言いたいのではない。ただ、スターの神様がキムタクから離れていくのを目の当たりにしてしまったのだなあ、という感慨があるばかりである。

和泉元彌の電波ゆんゆん会見
と、人様がワールドカップに盛り上がっている間に、そして萬斎さんが、「オイディプス王」の初日を迎える、という大事な日に、やってくれました和泉元彌。ホテルで金屏風そして大きな看板&家系図を背にしての記者会見。なんでも「和泉流二十世宗家和泉元彌 宗家継承説明会」だそうである。説明会。すでに「自分は宗家である」ことは絶対に変えないというネーミング。イベントタイトルだけで喧嘩売ってます。
出席者は、元彌と弁護士二名、札幌能楽会とやらの人二人。ほぼ独演会で2時間ちかく。しかも元彌の説明、全然説明になってないうえに口数ばかりが多いので、結局何がいいたいのかわからないし、質問の答えにもなっていない。
レポーターは「遊びにきてるんじゃないんだぞ!!」と切れていた。そりゃそうだろう。私が記憶する限り、会見でここまで顰蹙を買ったのは、最近では岡田ミリミリの離婚会見、古くは藤田朋子のヌード?会見、そして海老名みどりの作家デビュー会見くらいのものだろう(考えてみたらみんな女じゃないか!男だったら『普通は』もうちょっと筋道たてて喋れるってことなんだろうな)。ここに載せた全員、あとあと「イタイ人」というイメージがついてしまって、滅びていった。元彌も早くそうなってほしい(なお、元彌のゆんゆん会見の概要は「ウラ日記」にて公開中)。

あ、そうそう、元彌とそのご家族のみなさん、「ウチの元彌には『スターの神様』がついてるでしょ♪」と思っているかもしれないけど、ついてませんから(^○^)。大河ドラマで主役張ろうと、CD出そうと、最初っからついてません(断言)。

なお、次回このコーナーにて、元彌ネタの小作品を発表(ってほどでもないが)しようと思います。もうちょっと推敲させてね☆

ナンシー関さん、急逝
前回の日記には、伊藤俊人さんの逝去が書かれていて、読み返すとあのときの衝撃が甦るものの、すでに時間は進んでいる印象があった。ところが今日、また衝撃的なニュース。

ナンシー関さん、逝去。昨日の夜、友人と食事したあと、タクシーで帰宅する途中気分が悪くなり、救急車で運ばれたけれど、そのままだったそうである。まさに本人も予測しない、突然の死。そしてナンシーさんも、伊藤さんと同学年だった。

彼女は、とても賢いひとだったと思う。テレビのオンエアや芸能人の台詞といったテーマでコラムを書くのは、自分の集中力や消耗が激しいわりに、どちらかというと文章としては消耗品扱いされてしまうものだが、彼女はそれを「良し」とし、ひたすら「お茶の間でテレビを見る視聴者の目線」でコラムを書き続けた。だから、読者の中には「このくらいなら私にも書ける」と思っていた人もいるだろう。
だけど彼女の文章は、本当は消耗品で終わるようなものではなかった。私が知る限り、エッセイストとしては、日本で何人かに数えられるくらいの名文の主ではなかったか。少なくとも私は泉麻人と同じくらい彼女の文章を愛していた。みながテレビを見て、なにかおかしいと思っているのだけれど、どう表現したらわからない、隔靴掻痒の思いでいるようなある現象を、「そこそこ!」と腑に落ちさせるような抜群の言葉に当てはめてみせるところなど、名人芸だった。「ある、言葉にならないものごとを新しく言葉に当てはめようとする試みの連続」が文学である、とするならば、彼女は文学者である。
似たような仕事をしている、女性エッセイスト(?)が、やたらエステに走ったり、テレビに出て文化人ぶったり、ヘンなムーブメントを起こしたりして、「イタイ女」扱いされる中、彼女は決して表には出ず、ひたすらに消しゴムを彫り、コラムを書いた。消しゴムの似顔絵がまた、絵の隣のコピーとともに秀逸で、それだけで笑える優れた一コマ漫画のような作品なのである。

これからもテレビや芸能を斬ってほしかった!
森繁の最期をウォッチしてほしかった!
大食いのその後を書いてほしかった!
あまりに失う才能が惜しい。だけど、(意識的ではなく無意識だったにせよ)「本来ならば私が先に」と森繁に言わせる人生を選んだのは、もしかしたら彼女かもしれない。テレビについてコラムを書く(彼女以外の)多くの人が、結構な年配者で、本人は「斬って」いるつもりでも、実は感受性が古くて読むほうはやってられない、と思われているように、年を取ってから「ナンシー関ってもう古いよね」って言われるのはいやだったのかもしれない。いやいや、彼女なら年を取ったらとったなりの芸があったのかもしれない。ともあれ、私の読書人生を楽しくしてくれた一人だった。もう新しいコラムが読めないことを悲しみつつ、ありがとう、といいたい。







2002/5/27

生死の境目

「今泉慎太郎のテーマ」
土曜日に信じられないニュースが飛び込んできた。
俳優の伊藤俊人さんが急死したのだ。まだ40歳。くも膜下出血だそうである。
最初夕刊を開いてふと訃報欄に目をやり、「伊藤俊人」という名前を見てからメイン記事に目を移し…「えっ?」と思わず見直してしまった。写真も出ていた。それから二日。まだ立ち直れない気がする。

伊藤さんのプロフィールはこちらに詳しいが、恐らくテレビで見て知っている人も多いだろう。
私は彼をサンシャインボーイズ時代から知っているわけではないが、ごくたまに見るドラマが三谷脚本のことが多く、従って彼を目にする機会も多かった。
初めて見たのは「警部補・古畑任三郎」である。その後第二弾のときに、深夜の「今泉慎太郎」では「古畑〜」と同じ役名で準主役(というか出演は二人〜たまに三人〜だけなので、相手役)を演じていたのが印象深い。中でも、このコラムのタイトルにした、「古畑が今泉を愛している証拠に、誕生日プレゼントに作ったという」設定の『今泉慎太郎のテーマ』では、白井晃演じる芳賀刑事ともども、美声を披露していて笑った。第二弾の前に出演した(んだったと思う)「王様のレストラン」同様、おもしろくて思わずこの曲の収録されている西村雅彦のCD「DECO」を買ってしまったくらいだった。

最近のドラマは主役がアイドルやモデル上がりで、同じ演技しかできないような、「俳優としてはどうかな」という、でも見目だけはいい、ような人に迎合したものが多いので、彼のような小劇団出身の、きちんと演技の出来る脇がいると、ドラマも締まってとても面白くなった。たとえば「ショムニ」なんて、原作や脚本のおもしろさもあるけれど、脇の人事部長(高橋克実)と人事課長(伊藤俊人)の悪巧み(?)シーンがなければ、だいぶ面白くなかっただろうと思う。
私がたまに目にする彼の演技は、ちょっとコメディタッチのものが多かったのだが、最後に見た「トリック2」では、最初はいつもの「いい人」キャラで散々間抜けなことをしておいて、最後に実は深慮遠謀があって豹変する、という難しい役をみごとにこなしていた。見終わって「ああ、伊藤さんうまい!!」と感動したくらいだった。
お芝居は、去年「VAMP SHOW」を観たのが最初で最後だった(日記「2001年後半」6月の項参照)。

最近はバラエティにもよく出演していて、目の悪さから来る目つきの悪さで笑いをとったり、ちょっと内気で誠実ででも間抜けなお話で笑いを取ったりしていたのも印象的だ。私がテレビを眺めていて、「この人は本当に性格のいい人なんだなあ」と思った数少ない人(他には上川隆也さん、阿部寛さん。でも、上川さんと阿部さんの「いい人」は、まじめで誠実という感じで方向が似ているけれど、伊藤さんのそれはもっと自己犠牲的な感じがして、ちょっと痛々しい気もした)だった。

こんなに突然で、何より本人がびっくりしているだろう。きっと頭が痛くなりだした時には、こんなに大事になるとは思ってなかっただろうから。
そして何より、これからお仕事も殺到して、いい年の取り方を見せられるときだっただけに、無念でならないだろう。今ごろ「なんで、オレ?」って言ってそうな気がする。

人が生まれて死ぬってどういうことなんだろうとちょっと考えた。
私だって明日死ぬかもしれない。でも、私が死ぬのはいい。けれど、
わたしの大事な人が死んでしまったら…悲しいのは、お別れするヒマがないこと。
「ヤツだったらどうするかな」って意見を聞こうとしたら、いないこと。
あまり肉親に死に別れた経験がないので、考えただけで泣けてしまって仕方ない。

逆に、これから新しい人間を生み出す予定も私にはある。
顔も知らないし、話したこともないが、お互いに叩いたり蹴ったりして存在を知っている。自分の血を分けた人間が登場するってどういう感触なんだろう。

そんなことを考えていたら、もう二度と観られない伊藤さんのことがやっぱり悲しくて仕方ない。

「能狂言好きは変質者」謝罪事件
前回の日記に書いた、橋下弁護士の暴言事件だが、その後国文学の研究者の方が立ち上がってくれたことで、TBSも少しは本気にとってくれたらしく(というのは、その方のところにはプロデューサーから電話があったそうなのだが、抗議メールをだした一般人のところにはまったく返事が来なかったようなので、局を動かしたのは多数の抗議ではなく、一人の著名人なのだろうと判断したのである)、次の同番組で謝罪があった。…
と書いてはみたけれど、正確には番組内では謝罪がなかった。かの弁護士も「弁護士なんて変態じゃなきゃできない」などと相変わらずの暴言ばかり(変態とか変質者とかっていう言葉が好き…というかそういう言葉しか知らないのだろう。気の毒な方である)だった。実際に謝罪らしきものがあったのは、エンドロールも流れ、一旦CMに入り(ということは当然番組本編は「終わっている」)その後だった。
一応弁護士と番組に出演している女性アナが二人で出てきて、殊勝なことを言ってたようだが、その態度たるや、とても謝罪しているとは…少なくとも、反省しているとは…思えなかった。

なるほど、テレビ局って結局この程度のモラルなんだな、と思った。

案の定、その次の週、くしくも同じ曜日、関東では「サンデー・ジャポン」の後にやっている「アッコにおまかせ!」で、上に書いた伊藤さんの訃報を取り上げるのに、安東アナが「気分が悪くなり」を「機嫌が悪くなり」と誤読した上、和田アキ子そのほかの人が突っ込み笑いを取っていた。人の死で笑いを取るってどういうことなんだろう?
さらに、先週の「うたばん!」では、司会の石橋貴明がZONEのメンバーの一人を男性性器にたとえたそうである。

ここまでくれば、もう局として「何を言ってもいい」ムードとなっているとしか思えない。アナが悪い、タレントが悪い、弁護士が悪い、という問題ではない、それを許す土壌があるとしか思えないのである。

もともとTBSの番組はあまり見ていない(というかどの局がどう、ということは、あまり考えない)のだが、なんだか意識的に見ないようにしよう、と思えてきた。

犬と猫と傘
人間を傘で刺して殺した事件の犯人がつかまった。
平気で出勤したあと、早退して妻と逃避行をしていたそうである。
車の譲り合いのシーンってどこにでもあると思うが、そのくらいで殺されてはかなわない。最近の電車の中での傷害事件などもそうなのだが、「ムカッ」と思ってから、相手にそのまま攻撃を与えるまでのハードルが低すぎる。世の中には腹のたつことなんてたくさん転がっていて、だけど「なに?」と心で思う程度で、態度には出さないのが普通だと思っていたのだが…

犬と猫を虐殺していた犯人が宇都宮で、猫の虐待をネットで中継していた犯人が福岡で見つかった。どちらも理由が「目立ちたかったから」。ば・か・か?
もちろん、こんなことでしか目立つ方法がないのだから、それまでの短い人生、目立つことなどなかったのだろう。だけど、目立つことっていいことなのだろうか?
よく成人式のときに、「目立ちたい」と思っている新成人が大量発生して、バカ面(正確にはモザイク処理されているが…これって彼らの望みと逆では?!)を曝しているが、あれもよくわからない。目立つことの価値がわからない。
ほとんど全ての人は「大勢の中の一人」であり、目立たないだろう。全国に少しだけいる、名前を知られている人は、ほとんどの場合、自分の努力で何かをなしとげ、結果名前を知られるようになった人だ。「目立つため」に何かをしたのではなくて、「目立つようになった」のは結果にすぎない。
「目立ちたい」って言っている若い人は、目立ちたい理由・目立ったことで考えられるメリットをきちんと考えてから行動してほしい。そんな頭があればしないけどね。

もうすぐワールドカップ
今週からワールドカップが始まる。
サッカーにはあまり興味がないのだけれど、とりあえずドイツ人が大挙して見られる機会はあまりないので、ドイツ戦は絶対見たい。
前回はたしか「ゲルマン魂」と呼ばれ、「なんでもゲルマン魂で片付けるな〜!」と思っていた記憶があるが、今回もそう呼ばれちゃうんだろうか。
前回はたしか、選手の平均年齢が34歳!!で、びっくりしたが、今回は年齢は下がってないけれど、相変わらず「世代交代が上手くいってない」んだそうで、心配である。前回、後半になるとあからさまにばててたもんな…
頑張れドイツ!決勝くらいには出てね。
個人的には「きっちりドイツ」VS「適当カメルーン」が楽しみかも。







2002/5/14

どうせ私は

「能狂言好きは変質者」橋下徹弁護士発言
日曜日の朝から信じられない言葉を聞いた。
それもテレビの中で。
5月12日放送TBS『サンデージャポン』の中で、弁護士の橋下徹氏が、「このご時世、能狂言のファンっていうと、恥ずかしいじゃないですか。変質者っていうか。」と発言したのである。

狂言を観始めて六年目。たしかに狂言ファンは、例えば浜崎あゆみファンのように(浜あゆファンだって私の世代には多くはないが)たくさんいるわけではない。ましてここ数ヶ月、「ああ、あの和泉元彌の」と言われ、必要以上に肩身の狭い思いをしている。しかし、他人に謗られるほどひどい趣味なのだろうか?

言うまでもなく、能狂言は「世界遺産」に認定されたほどの、日本が世界に誇る芸術である。人間国宝の方もたくさんいらっしゃるし、600年も続く、伝統のある芸術でもある。

そして愛好者である私は、狂言を見出してからというもの、人間の成長には終わりがないこと、長い目で見守れる芸術のあること、日本語の力のあること、舞台は一期一会であること、観る側(見所)も成長することで、演者を成長させる力を持つことができること、などなど、数限りないことを教えてもらった。
こういう芸術を愛する人が「変質者」だというのは、一体どういう根拠で言っているのだろうか?大体彼は、能狂言を観たことがあるのだろうか?能狂言のファンを知っているのだろうか?
寡聞にして、わたしは「能狂言ファンの変質者」を知らないので、勉強のためにぜひ知っていたら教えてほしい。

ただでさえ、人の趣味嗜好を安直に「ヘン」だの「おかしいんじゃない?」などと貶すことは、友人間でもしてはいけないことだと思う。まして、マスメディアの側にいる人間(正式には、彼はマスメディアに属する人間ではないが、マスメディアを通じて発言したのだから、同じことである)が誹謗中傷していいものではない。まして「変質者」なんて、犯罪者とも取れるようなひどい言葉で断定するなんて。

これは、私たち能狂言ファンだけではなく、能狂言に係わる人たち全員を侮辱する言葉である。こういう発言を(しかも法律を通じて人権を守るべき立場にある人間が)する弁護士や番組の見識を疑う。
今後この発言がどういう波紋を及ぼすか、見守りたい。

領事館事件その後
案の定、この領事館事件は、中国側の「日本の副領事は『ご協力ありがとう』と言った」という調査結果と、日本側の「無言であっという間に浚っていった」という調査結果との間で、水掛け論になっている。この問題を「北朝鮮の人かわいそう」「子供かわいそう」という観点から、日本の対応を非難する人がいるけれども、それは問題の本質をついていないと思う。

この問題は、「無断で主権を侵害された」ということが最大の問題なのであって、それに対して「断固たる対応を取れなかった」外交官どもがヘタレだ、というのが問題なのである。前回の日記にも書いたが、「亡命が成功するかしないか」は、亡命したいのは彼らだけではないだろうし、彼らだけを救ってもなんともならないだろうし、人道上は気分はいいだろうし、それも国際国家としてすべきことだろうけれど、主権侵害ほど重要じゃないと思う。

私は、正直なところ、外交官たるものがあの程度の危機意識しかなく、火急の場合に対応できないなら、そしてそれを国の指導者があまり怒らないなら、「もう主権国家であること=独立国であること=をやめたら?」とさえ思った。それくらいひどい話なのである。ちなみに日本が独立国じゃなくなったら〜どこかの属国になったら〜そんな「二等国民」として生きるのは私はイヤである。

小泉さんも、最初はなんだかんだ言ってたが、中国があまりに引かないので(中国が引かないのは、国としてのプライドをかけているからで、独立国同士の駆け引きとしては当然の対応である。私は最初から「すいません」なんて言う訳ないと思っていた)「冷静に」なんてまた言い出した。どうも背後には、教科書問題だとか、靖国参拝で中国が怒っていることなんかを心配しているようだが…ちょっと待ってほしい。

ひとの国の教科書に何を書こうが、こっちの勝手である。文句を言うのは「内政干渉」であろう。そんなのは放置すればよい。そうでなくたって、逆に日本だって、世界中の教科書で勝手なことを書かれている。
そして靖国参拝。これだって、国として姿勢がどうの、と言われているのじゃない。ただの首相の趣味で行っているだけではないか。大体、文句を言われてイヤならば、参拝しなければいい。参拝するなら、文句を言われることくらい覚悟しろよ。
結局彼は、スタイリストというか、口ばかり、声ばかり大きくて、実行力など何もないのだ。行動は矛盾だらけ。
本当に属国になっても知らないぞ。

小田和正『自己ベスト』
遅ればせながら、小田和正の大ヒットアルバム『自己ベスト』を買った。いや、胎教にもよさそうである。
しかしほとんどの曲を知っているのにびっくり。なにしろ中学〜高校はオフコースに明け暮れた。知っていて当然なのであるが、このアルバムを買う人の中には、「Yes−No」をリアルタイムで知らない人も大勢いるのだろうな。

それにしても…正直、私がはまっていたころ(20年前)には、自分が当時の小田さんの年齢になるまで、小田さんが残っているとは思っていなかった。オフコースには解散の危機が迫っていたし、本人も「声がいつまで出るか」という感じで、ずっと現役を続けないような旨のほのめかしをしていたからである。しかも当時、たしかにオフコースはとても流行っていたけれども、一方で、「オフコース」「中島みゆき」そして「さだまさし」は、 「ダサい」とされ、それを聴く人を嘲う、ような風潮もあった(中高生の間だけかもしれないが)。

しかし、今ではすっかり「スタンダード」の趣。たまに「キラキラ」のように、大ヒットを飛ばすこともあるが、大抵は「すごく売れるわけではないけれど、コンスタントに愛される」という理想的なポジションである。相方曰く「こういう、キレイなもの、を今の人たちは求めているんだよ」だそうだが、本当にそうだと思う。彼の声、彼のメロディは、彼にしか書けないのだ。そして、オフコース時代の曲もちっとも古くならない。港のみえる丘公園は相変わらず(最近行ってないけど)だし、あなたにあえて本当に良かったと思う恋心も変わらない。

もう一つびっくりしたことがある。それはこのアルバムのミキサーが「ビル・シュネー」だったことだ。「ビル・シュネー」といえば、オフコースが海外進出を図った20年くらい前から、ミキサーとして参加した人。未だに付き合いがあったのか!!小田さんの人脈にびっくりである。もっとも、彼は非常にべらんめいというか体育会系というか、情に厚いようなので、古い付き合いも大切にしていそうではあるが。

と言う訳で、誰にでも勧められる無難な一枚。それにしても、私の好きな(だった)人たち:小田さん→小沢健二→相方→白洲次郎…ってみんな同じような顔の系統だ。なんだい、単なる好みかいっ。







2002/5/9

正直、毎回同じネタばかりになりそうで鬱なんです。

白洲次郎ふたたび
「ウラ」日記に少し書いたが、「文藝別冊 白洲次郎」という本が出ていたので購入した。いや〜、かっこいい!
本の表紙に「日本一カッコイイ男」という惹句が書かれているが、本当にその通りだと思う。
顔がとか、スタイルがとか、服のセンスが、とかいうこと以前に、たたずまいというか、人を怖がらない姿勢や、マイペースであるところや、硬派で紳士であるところなど、の生き様がカッコイイ!のだ。
もう、わたしにとっての「理想の男性像」といっても過言ではないと思う。こういう、個人としてのアイデンティティをしっかり持ち、誰にも影響されない生き方を貫ける、しかも上品な男性って存在してないのだろうな。
本の内容は、彼がもっとも表舞台に出ていた「占領下の憲法制定時代」の裏話などが中心だったため、相方にも貸した。読み終わって相方曰く
「こういう人が存在できたのは、組織に属さないで生きてこられたからだろうね」
うむ、たしかに、彼はサラリーマンの経験がない(会社に関わるのは常に「役員」という立場でだけである)ものな。現代人は、サラリーマンであれ、なんであれ、どこかの社会という「組織」に属さざるを得ないので、こういう人は出ないのかもしれない。

気になること
今朝のニュースを聞いたばかりで、まだその後の対応がどうなるか分からないのだけど、気になるので書いておく。
中国の、日本領事館に、北朝鮮の人が逃げ込んでこようとしたけれど、中国の警察の人が「領事館の中に入り込んでまで」捕まえてしまったそうである。

大使館とか領事館の中は「治外法権」で、その国の警察は力を及ぼしてはいけない場所である。領事館の中に無事に入れたなら、北朝鮮の人の亡命が成功したのか、ということはおいといて、治外法権の(日本が主権を及ぼしてよい)場所において、外国の警察が力を使った、ということは、とても大きな問題である。なのに、首相のコメントは「冷静にやりなさいと(外務省に)言ってある。(日中関係を)阻害しないように対応すべきだ」だそうである(読売新聞5/9朝刊より)。バカじゃないか?

だから日本はなめられるのだ!主権を持つ国家であれば、その主権が侵されたならば、断固として抗議するのが独立国だろう!喧嘩をしろ、というのではない。主張すべきところを主張しなくては、国としての独立は保てない、と言っているのだ。こんな国の一大事に「穏便にすませろ」なんていう指導者がどこに存在するっていうのだ?上に書いた、白洲次郎の爪の垢でも飲んだらどうか?

以前田中が外務大臣だったときに起きた、「正男ディズニーランドにやってくる」事件もそうだ。北朝鮮は「アレは正男です」なんて一言も認めてないのだから、「一般の不法入国者」として取り調べればよかったのだ。もし認めたなら、それを切り札にして「あんたんとこにいる日本人を返してくれたらコイツを返してやる」くらい言えばよかったのだ。何にも調べないで、身元もはっきりさせないで返すってどういうことだ?他の一般不法滞在者に対しても失礼だろう。

外務省はヘタレだとか腐っているだとか、ムネオ問題でいろいろ言われているけれど、こういうことこそが「ヘタレ」の一番問題となるところだと思う。

いい加減にして
前回そして前々回と書いた、元彌問題がまだ決着しない。
能楽協会では、宗家会において元彌から話を聞こうとしたけれど、着物のお見立て会があるとかで出られない、という、弁護士からの(喧嘩腰)手紙が届いたきりのようである。
ちらっと顔を出して、自分の言い分を言えば、能楽協会だって「そうですかい」と形式上の審議を終えるつもりだっただろうに、どうして喧嘩を売るのだろうか。そんなに除名してほしいのか?
毎日、ワイドショーで取り上げられていくたびに、狂言という芸能そのものが穢れていく気がする。いい加減な知識でコメンテーターとやらに説明されるのも(こちらから間違いを訂正できないので)腹立たしい。
能楽協会の役員の方がおっしゃってた「自分から宗家だという人は聞いたことがないですね(苦笑)」というコメントがすべてを表わしていると思う。宗家だ、遺伝子レベルで芸の継承ができているから自分は天才(昨日見た狂言は、父親とのあまりの芸のレベルの違いに逆に驚いてしまったが…二十歳くらいまで稽古を受けていてあんなにひどいものか、と)だ、などという前に、することがあるだろう。

もう、本当に能狂言界にとってガンでしかない彼は、どこへでも行ってほしい。目に入れたくない。







2002/4/19

こんなことで萬斎の名を出すな!

最後の狂言鑑賞
狂言鑑賞をひとまずお休みすることにして、最後の狂言鑑賞に行ってきた。別のページにも書いたが、お腹は万作・万之介両師に反応。万作師の謡など、心から堪能しているようだ。これは、聴覚だけで生きているぶん、上手い下手が直接彼の快・不快に係わっている、ということなのだろうか。自分よりもこいつ観巧者?とちょっとうらやましく思った。
しかし母体は同じ姿勢でへとへと。やはりお休みに入ることに決めておいてよかった、と心から思った。

どのツラ下げて その1
また田中がなにやら騒いでいる。
秘書の給料ピンハネ疑惑で、自民党の政治倫理委員会から、質問状をもらったのだが、「なんでこんな質問よこすんじゃゴルァ」と逆ギレ、逆質問状を出したそうだ。その後、最初の質問状に文書で答えた形跡もない。さすがである。
彼女の「週刊誌なんかの記事を間に受けて」とは、それでは辻元とか加藤とか、週刊誌から始まった疑惑はみんな怪しいのか?それとも、「自分の『だけ』おかしい」のか?まったく客観性がない。
さらに、委員会委員長の部屋に直接出向いて、口頭で説明した、というのも、あとで言質を取られたくない彼女らしい。
次に書こうとしている相手もそうなのだが、どうすればこんなに客観性を失うことが出来るのか、すごく疑問である。やはり親のしつけに問題があったのだろうなあ。
こんなヤツ、離党でも辞職でもとっととして、もう二度とテレビに出てこないで欲しいと思うくらい、見苦しいのだけど、こういう人に限って、何時までも目立ちたいのか、ずうずうしく辞めないんだよな…次に書く人とそこも同じ!

どのツラ下げて その2
元彌問題、さらに様々なネタが出てきた。
・さらに遅刻、ドタキャンネタ続出。さらに、「15分でテレビのために早退」ってこともあり、しかも姉が「元彌を見たい方はテレビを見てくださ〜い」と火に油を注ぐ発言。
・イギリス公演でも遅刻、さらに狂言公演の予定が小謡に変更。
・元彌ママ、テレビにワンショルダーのドレスで登場。電波一杯の言い訳。
・千葉県に「モトヤハウス」こと和泉流宗家記念館オープン。展示物ほとんどない上に、入場料800円。しかも「宗家記念館」でありながら、先代以前の資料なし。
・元秀さん時代からの印刷代(チケット・パンフなど)踏み倒し
・借りている駐車場代滞納。
・狂言自体の中抜き(はしょって上演すること)疑惑。
全国の遅刻ドタキャン他は、分かっているだけで10ヶ所を超えた。これは元彌のいう「体調を崩して舞台に上がれなかったのは本当に残念です」というレベルの問題ではないだろう(詳細は前回日記参照)。

今回、この問題が出たため、「批判を書くなら一応実際の舞台も観ないと」と思い、公式サイト(本日現在なぜか閉鎖中)にある、動画の狂言を観てみた(ちなみに私は狂言鑑賞歴五年、初心者ではないが、観巧者でもない)。…最後まで観ることが耐えられなかった。とてもプロのする舞台ではない。あえていえば、習いたての研修生のような、または高校生の学芸会のような、レベルである。がなりあってばかりいて、重みも軽みもなく、品も感じられない。運びはぶれている。さらにいえば、学芸会ほどの真剣さも専心も感じられないので、学芸会以下であろう。「職場の宴会で芸を披露してみました」ってレベルかな。芸の巧拙が直接宗家問題とは関係ないが(宗家が流派でいちばん上手くないとダメ、と言っているのは彼らだけである)、これではお客さんにお金を出してもらって見せる芸ではない。

さらに、彼らは狂言の中抜きをしているそうである。たしかに彼らの狂言は、私を含め、「能狂言自体を愛するもの」は決して見ない。よしんば一度観てみたとしても、上記内容なので、二度とお金を出す気にはならないのである。彼らの主な観客は「元彌くんかっこいい!」という感じの、「元彌ファン」そして「一度観たい」という人である。彼らの特徴は「他の家の狂言は観ない」というところだろう(観ればあまりにも下手なのが分かって、彼らの狂言を観なくなる筈だ)。彼ら山脇家は、そういう「狂言素人」しか観ないのをいいことに、はしょって上演しているのだという。そんないい加減な「狂言風」のものをもって「自分達は狂言を広めてやっている」とは迷惑千万である。そんな狂言、広めてくれなくて結構。しかもそれで高いチケット代を払わせるとは、詐欺ではないのか(そもそも「和泉元彌・狂言の世界」と銘打っておきながら、一曲しか元彌を出さないというのは、詐欺にあたるのではないかと思う)。

さて、そんな元彌、昨日になって自ら釈明したそうである。新聞記事からの引用だが、曰く
1.世襲が昔からの伝統
2.自分の先祖が師匠と仰いだ人をそのまま仰いでいかないと芸は残っていかない
まず、1については、和泉流の歴史において、芸養子が取られたこと、彼の父親自体が「和泉流の職分全員による合議の上で」作られた養子であることから考えれば「どこが伝統なのかきちんと資料を持って説明してほしい」と言いたくなる。
2については、先代の師匠本人が、いわゆる「先代和泉流宗家」から芸を学んだのではなく(それまで不在だったのだから当然である)彼らが「弟子家」と言い切る、職分(もちろんこの認識から間違っている)から芸を学んだ経緯を考えれば、これをもって「宗家は世襲のみで芸を残す」という根拠にはならない。
この程度のことは、狂言の入門書にだって書いてあるのだが、どうやら彼は本が読めないのかどうか、まったく勉強したことがないらしい。ママの洗脳だけで思想が成り立っているのだろうか?

まだ若いのだから、元彌が心から反省して芸を学ぶ気になれば…と今までは思っていたが、素人相手の詐欺めいた商法といい、あまりにも頑なで改めない態度といい、このままでは本当に狂言の危機である。能楽協会は今度理事会を開くそうだが、ぜひ除名してほしい。
せっかくの「世界遺産」が泣いている。







2002/4/9

ヘタレいろいろ

戌の日
なんでも、妊娠五ヶ月の戌の日に、腹帯をつけると、安産だという言い伝えがあるそうだ。というわけで、戌の日である31日に、安産で有名な水天宮に行ってきた。
といっても、半蔵門線の「水天宮前」にある水天宮は、戌の日などとっても混雑するそうで、妹が以前行ったら、炎天下に並んだ、という話を聞いていたので、避け、清瀬市にある「清瀬水天宮」なる、支店なのだかバッタモンなのだか分からない場所に行ってみた。
駐車場があるのが大変助かったが、水天宮と同じ場所に「日枝神社」もある。…神社界の合同庁舎?
お祓いを受けるのは初めてである。さっそく会場(っていうのか)に上がりこむ。来ているカポーはなぜか「ばあば」(奥さんの母親か姑かは不明)と一緒。そういうものなのかな。見た目は若い、というより「年齢不詳」な我々だが(相方=なんだか知らないが若く見える;私=顔がぱんぱんでしわがない)、上がっていきなり「このすだれは『香炉峰の雪はすだれを掲げて見る』のすだれだね!」「清少納言は頭がいいって話だね」「てゆーか、シャレがわかる人だったって話だね」などとかましてしまい、年寄り丸出しである。
神主さん登場で、お祓い始まる。途中で名前を入れ込まれるのだが、住所まで公開されてしまって恥ずかしい。
終わって、同時にお祓いしてもらったグッズ(腹帯=重要、お札、お守りなどなど)をいただいて帰る。中に絵馬が入っていたので、安産のお願いを書いてかけていくことにした。とりあえず先に書いてから、相方に「書いて」と渡すと、しぶしぶ(相方は字が「人間とは思えないほど」下手くそなので、肉筆を書きたがらない)書いたのだが、わたしにつられて「名前をひらがなで書いちゃった〜」
アンタ、私の名前はもともとひらがななんだよ!なんで自分の名前までひらがなで書くかなー。
出来上がった絵馬はその署名のおかげで、ものすごく頭の悪そうなものになってしまった。ああ神様、どうかお願いを聞いてやってください。くすん。

声に出して読みたい日本語
少し前に、「だるマニア」でも話題になっていたこのタイトルの本を、購入してみた。一応、胎教のためである。ホラ、絵本を読んでやるといい、なんていうでしょう?絵本より「私が」楽しいかなと思って。(だってどうせ胎児は意味を理解できないんだし〜)。
それが、浪曲あり、謡あり、歌舞伎浄瑠璃あり、狂言あり、詩吟ありで、きちんと読むのはものすごくテクニックが要りそうだ。さっそく狂言を「それ風に」読んで見たが、腹から声を出しすぎて痛くなってしまったので、挫折。仕方なくのどから声を出して普通に音読することにした。
さて、実家に帰省した際にも持って帰ったのだが、意外なところで役に立った。寝たきりの祖母(介護していた祖父が心臓病で入院したため、介護施設に入所中)のお見舞いに持っていって、母が朗読したら、大変喜んだのだ。
もともと祖母は小学校の先生だったこともあり、文学がとても好きで、子供の私に、古典への興味を植え付けてくれたのがこの祖母だったほどだ。また、自分の教養に自信を持っていて、とてもプライドの高い人でもあった。そんな彼女に「平家物語」や「伊勢物語」、百人一首や「論語」は、自分でも暗誦できている、楽しいものだったらしく、「いいねえ」としみじみ言っていた。なんとなく読んだあとの会話の反応もよくなったようである。
ところで、本来の「胎教」であるが、まだ効果があるかはわからない。ただ、読んでいると、動くようである。それよりなによりびっくりしたのは、音読しているだけのつもりだった私が、いつの間にか一節を暗誦していたことである!いや、まじでこれはいい本だったわ。って今更遅いけど。

自称宗家の除名問題
前回の書き込みのときに、過去の日記を読んでいたら、あたかも「和泉元彌」が和泉流宗家であることを是認しているかのような(というか、少なくとも積極的には否定する言葉が書いてない)解釈もできるようだったので、今話題のこの件を取り上げておく。

恐らく、狂言を好きで、よく観ている人で、「和泉元彌」を宗家であると思っている人はいないのではないかと思う。狂言を少し知った人ならば、元彌の宗家詐称問題が、昨日今日始まったことではなく、だからこそ昨今の彼のテレビ登場には必ず「和泉流二十世宗家」という肩書きがついていたことを、苦々しく思っていたはずだ。(私も実は、彼が紅白の司会をすることに決まった頃に、サイトに見解を載せたことがある。古い文書だが、再掲しておく。)
彼は宗家という肩書きを「詐称」もしくは「標榜」しているのであり、能楽界では公式に宗家であると認めた文書はない。
しかし、一時期は大河ドラマの主役を演じるなど、それなりに活躍をしていたし、それがいかに苦々しくとも、あえてマスコミの表にそれを出すことは、あまり大人の対応とはいえない、と、能楽界の方々も思っていたのではないだろうか。
しかし、昨今は元彌ママともども、格好の餌食になり、以前からあったという、地方公演や学校狂言の「ドタキャン」や「遅刻」がよく報道されるようになり、また本人や元彌ママが、到底納得できないような、言い訳にもならぬ言い訳をするに及んで、恰も「いちばん偉い宗家とかいう人もそうなのだから、狂言の人はみんな遅刻するものなのだ」という印象を、知識のない一般の人に植えつけ、学校から「狂言師に公演してもらう」ことを取りやめられたりすることになってしまった。また、「和泉流二十世宗家」などを商標登録していることも判明、ついに、「和泉流職分会」(和泉家3+2人を除く和泉流狂言師全員から成る組織)が社団法人能楽協会に「除名申請」を出すに至った。

そもそも学校狂言は、戦後に「学校で狂言を演じて、わかいうちから狂言に親しんでもらおう」と、大蔵流茂山千五郎(現・千作)・千之丞兄弟らがはじめたことである。彼らは、呼ばれればどこにでも行ったので「まるでお豆腐みたいやなあ」と陰口さえ叩かれた、という(それが今の茂山千五郎家のキャッチフレーズになっている)。もちろんこの動きはすぐに狂言全体に広がり、だから小学校時代に「狂言を観た」という記憶のある人も多いだろう。こういう、今は人間国宝となってしまったほどの先達の功績を、あっという間に無にするようなことを、「自分は宗家である」などと主張するほどの人間が、していいものだろうか?
「発熱した」からとてドタキャンすることも、無理なスケジュールを入れて遅刻することも同じことである。そもそも十九世でさえ、舞台の上で倒れたと聞く。熱が出ようが肺炎だろうが、点滴を打ち舞台に出るのが芸人として、見所に応えるものとして当たり前の態度であろう(先日NHKにて放映された「いま裸にしたい男たち」の中で、「肺炎っぽいんですよね。今日もさっき点滴を打ったんですけど」と言いながら地方公演のために移動していた、野村萬斎さんの姿を覚えている人もいるだろう)。大体、スケジュール管理も体調管理も、自己管理のうちであろう。遅刻や急な休みを繰り返していたら、一般のサラリーマンならとっくに首だ。
商標登録だってそうだ。それを肩書きとして分捕ってしまおうという焦りが見え見え。狂言は(もちろんそれで生活しているのだけれど)「ビジネス」ではない、と思う。芸術である。肩書きをビジネスに使おうとするのは、芸術家のすることではない。同様に「和泉流宗家会」なる、能楽界の「宗家会(各流派の宗家からなる組織。もちろん元彌はここに属していない)」との錯誤を起こさせるかのような名前の組織を作っているのも卑しい。テレビで「理事長」などと呼ばせている元彌ママの姿は、片腹痛いというものだ。

かくいう内容で、狂言ファンも元彌一門の暗躍には非常に腹立たしく感じているのだが、今回の「除名申請」、立ち上がったのはいいけれど、ワイドショーなどで、狂言共同社の井上祐一師が取材に答えている姿を観るのも痛々しい。こんなくだらない(問題としてはくだらなくないのだが、相手があの元彌だと考えると「くだらない」)ことでテレビに登場すべき方じゃない。
元彌が宗家問題についての職分会との話し合いに応じない以上、そして狂言師として狂言のイメージを落とす行動を続ける以上、とっとと能楽協会に動いてもらって、除名でも退会勧告でもしてほしいのだが、「前例がない」とはどういうことか。「他ジャンルの舞台に出た」という理由で、現茂山千作さん、千之丞さんに「退会勧告」を出したほどの勢いはどうなったのか?とにかくこの問題が「和泉元彌一門が狂言界から足を洗うという方向で」一刻も早く決着してほしいと、狂言ファンとして節に願う。







2002/3/29

政治は動いたようで、実は全然動いてないぞ

語学番組
最近、テレビの「ドイツ語会話」にはまっている。
年度末なので、土曜日の深夜に一か月分ずつ再放送をしてくれているのだ。進みが早くてあきない。

それにしても、語学番組も随分変わったと思う。 ドイツに住む前後には、ドイツ語を習いたい!という欲求があったので、やっぱり観ていたのだが、スキット(会話のフィルム)もイマイチ変化がなくて、正直面白くなかった。ところが、今やっている「ミュンヘンより愛をこめて」というスキットは、ドラマ仕立てでなんだか面白いのだ。
内容はこんな感じ。

・東京の会社に勤めるヘンな発明家、カンベン(ヘンな名前!)は、自らが発明した「同時通訳機能つきカラオケカエル」(なぜ「カエル」なのか?という説明一切なし)をドイツに売り込みに行くよう社長から頼まれる。
・しかし実は社長はカンベンの発明を評価したのではなく、そのカエルにダイヤを仕込んでいたのだった。
・そのせいで、カンベンは行く先々で、マックスとエルニーという夫婦に襲われる。
・しかも社長の手先で謎の美女、アリアーヌが近づくも、カンベンは意図に気付かず惚れてしまい…

最近カンベンにたくらみがばれ、やっとカンベンが怒ったので、今後どうなるか楽しみでならない。

スキットだけではない。毎週、ドイツに関する情報も紹介してくれる。
・第一週  ドイツのヒットシーンのPV紹介
・第二週  ドイツの建物探訪
・第三週  ドイツの料理教室
・第四週  「マイスター」に聞く
とくに音楽コーナーは楽しみで、それが気に入ってもめったに手には入れられないのだが、「ドイツのブラックミュージック」だとか(なんだそれ?)が見られる。先日は、私が去年偶然知って、旅行でCDを手に入れた、ポップスデュオ「PAULA」のPVが流れて大変感動した(案の定金がかかってなかった)。

すでに語学をマスターするということは一切あきらめているので(^_^;)、単に筋を追ったりたまにリピートしたり、「アンタ、バイエルン訛りだよ!」とつっこんだりするだけなのだが、ドイツ語に興味のない方も結構楽しめるんじゃないかと思う。

それにしても、わたしは一言言いたい。他の「フランス語」とか「イタリア語」はたしか、素人の立場で語学を習うアシスタントがアイドルなのに、なぜ「ドイツ語会話」は桂小米朝さんなんだ!!いや私はアイドルじゃなくて嬉しいけれど、「なんでドイツ語だけオヤジ…」という疑問は頭の片隅から消えないんですけど。

辻元やめる
ムネオ騒ぎのときは、寝たきりで更新できなかったので、こちらは取り上げておく。
みんな思っていると思うが、ずいぶん自分に甘い人なのだな、と思った。ムネオを喚問しているときに、いろいろ罵倒して彼を怒らせたのは、ちょっと「ディベート手法」(相手を怒らせて論理を破綻させる)を使ったのかな、とよく解釈してしまった。とんでもなかった。単にああいう人だったのだ。
彼女の論旨「なんでわたしだけが」は、まるで、駐車禁止をとられて「ちょっとコンビニに行くのにとめただけじゃない!なんでわたしだけ駐禁をとるわけ?」と怒っているおばちゃんと一緒だと思う。数年前にわたしも、こんな場面に遭ったことがある。

当時わたしは社宅の寮長をしていた。選挙が近くて、社宅の塀に無断でポスターを貼る人たちが結構いて(社宅の塀がぼろくて、いかにも「貼ってください」な風情なのも悪いのだが)いろいろ対策を練っていた。そんなある日、買い物から戻ってくると、社宅の塀にポスターを貼っている場面に出くわしてしまったのだ。
貼っていたのは、おばちゃんで、ポスターは左翼系市民運動グループのもの。私が、「ここは私有地です。貼らないでください」と言うと、おばちゃん「他の人も貼ってるじゃない(たしかに、すでに他の政党のものが貼られていた)」とのこと。「はい。これからはがしてもらうのです。こちらの社宅管理事務所に許可を得たんですか?得てないなら貼らないでください」といっても「でも他が貼ってあるんだからいいじゃない」とのこと。そこで「じゃ、アナタは他の人が泥棒をやっていたら、やるんですね?」というと、「あ〜〜〜めんどくさい!じゃあもういいわよ!!」と逆ギレして帰っていった。

社民党のスタッフってこういう人が多いのか、残ってしまったのか知らないが、感情ばかりが先走って、政治的な思想が見えてこない、さらにいえば、実務能力がなさそうな人ばかりが目に付く。某元外相もそうだが、感情でののしる声ばかりが大きくて、実際になにもやらない(できない)というのが「女性政治家」だと思われるのは、一応女性と名乗っている一人として、非常に心外である。女性である政治家や労働者の中には、もっと冷静にことにあたり、実務能力も思想も大変高い人がたくさんいるはずなのだ。マスコミも、ネタとして面白い、声の大きい人ばかりではなく、黙って粛々と業務をこなしている人を正しく報道してほしい。

ついでなので、ムネオの話。ムネオも加藤さんも、やっぱり往生際が悪いなあと思った。
加藤さんは、特に「加藤の乱」の時も、簡単に矛を収めてしまったし、今回も、最初は「党で(処分を)決めてほしい」と言っていたくらいで、正直「かなりヘタレなんだわ、この人」と思ってしまった。役人ボケしているのか知らないけれど、決断力がないというか、タイミングを見る力がないというか。
そしてムネオであるが、ムネオでいちばん問題だと私が感じたのは、外務省への介入以上に、北方領土への態度であった。
桜を植樹するのに、検疫してくれ、とロシアに言われて、植樹をやめた役人に対して、怒ったとか。本人は「なんだそれくらいで四角四面に考えやがって」と思ったのだろう。だけど、「北方領土は日本です」というのは、日本がずっと主張していることだ。たとえ検疫にせよ、してしまうことは、「ここはロシアの領土です」と認めてしまうことに他ならない。絶対にひいてはいけない部分だったのだ。
この話を聞いて、「この人は大局を見られない人なんだな」と思った。たぶん、自分の親しい人や地元のためには、良くしよう良くしようと、一生懸命努力する人なのだろう。だけど、政治家はそれが本分なのではない。日本をどう動かすか、高い視点で考えて、では具体的にどうすべきか、考えて実行する仕事だろう。小さなメリットばかりを優先してしまって、日本全体のメリットを著しく失ってしまったのが、たぶんムネオなんだろうと思う。

だけど、最近こういう、大局を見る政治家っていないような気がする。そのことがいちばん不安でならない。

妊娠性?
我が家(というか我が体内)に無料で下宿している下宿人だが、元気に活動しているようだ。しかしたまに壁を「ていっ」「ていっ」と蹴ったり殴ったりする。環境に不満があるのでは、大家として申し訳ないので、彼(彼女)との対話を試みるのだが、相手はどうも言語能力がないようだ。ま、手のひらサイズだし、しょうがないか。
ところで私は妊娠がわかった年末くらいから、鼻がなぜかずっと詰まっていた。鼻水は出ないのだけど、つまっている。年末からだから、花粉症じゃない(くしゃみもでないし)。以前一度「副鼻腔炎(ちくのう)」をやったことがあるので、またそれか!と思い、安静が解除されてすぐに耳鼻科へ行った。すると診断曰く「妊娠性鼻炎」。なんでもホルモンの関係で鼻の粘膜が腫れる人がいるんだそうだ。と、いうことは…
「もしかして、産むまでこうなんですか?」「そういう人もいます」。
まじかよ…

さて、妊婦といえば虫歯。そろそろ検診に来てくれ〜というはがきをもらっていたこともあり、歯医者にも行ってみた。検診の結果「妊娠性の歯肉炎です」。なんでもホルモンの関係で歯茎が腫れるんだとか。

ってそんなに妊娠性妊娠性ってさあ〜〜〜〜

体型もすっかりだるまに似て、面白いのだけれど、他にも変わったところがたくさんある。こんな話はあんまり面白くないかもしれないが、本人が面白がっているので、一応紹介させてください。

・頭皮と顔にぶつぶつがたくさんできる。
・つわりのころ、頭皮がものすごい痒かった。
・腹の産毛が濃くなる。(いや守ってるんだね…ってなにを守ってるんだよ!その毛で!!)
・足の毛がなくなる。(腹に移住か?)
・甘いものが一切だめになる。
・生のたまねぎが食べられない
・ご飯粒がなんかイヤ。
・みょーに甘ったれになる(相方に対して)

また別の日、美容院に約四ヶ月ぶりくらいに行った。なにしろ前回は年末で、思いっきり凝った頭にしてしまった(色までつけてた)ため、もう悲惨だったのだ。
前回色をつけてしまったので、今回もつけないと…ということになり、美容師さんに
「どうしましょう?春だから、さわやかな色にしましょうか?軽めに」と言われて
「いや、もう体型がさわやかじゃないですから別にさわやかじゃなくていいです」
と言ったら、「いいわ〜〜」と大爆笑されてしまった(ついでに家で相方に話したら、やっぱり大爆笑されてしまった)。

よく「妊婦でもきれいに」とか「妊婦らしくない服装がいい」とかって言う人も多いけれど、私は自分がババアのせいか、もともとしゃれっ気があんまりないせいか、「思いっきり妊婦を楽しみたい!」という風に思う。だって、どうせ夏までの限定期間なのだ。しかも次回はたぶん、ない。だったら、思いっきり「妊婦」である自分を面白がって楽しく生きたいのだ。どうせどんどんだるま化するんだしさ。







2002/3/16

ながのご無沙汰。

お詫びと事情説明
再び長い間留守にしまして大変失礼いたしましたm(__)m。
二週間前に、医者から「安静」を言い渡されたため、本日まで寝ていました。
理由は以下の通りです。

実は前回の更新で、こんな書き出しで発表しようと思っていたことがある。
「私の体の中には、心臓が三つある。」
急に心臓病になってしまった(!)とか、そういうのではなくて、腹の中に、ちっちゃい生き物が二つ、発生したためである。
年末にそれが判明し、正月〜2月はつわりで寝たきり、しかも点滴をうけるありさまで動けなかった。やっと、そろそろ安定期、一応事情説明代わりに公表してもいいかな…と思ったとき、検診で、
「二人のうち一人が死んでいる」
ことが判明してしまった。

もうすぐ安定期、というときである。双子の育児は大変だろうねえ、なんていいながらも、楽しい我が家を勝手に想像していた上、自分には何の症状もなかったために、目の前が真っ暗になった。

通常、胎児死亡(稽留流産、という)のときは、手術で子宮の中をキレイにしないと、化膿などの危険があるのだけれど、この場合、もう一人が元気なので、手術をするわけにいかない。ではどうなるのかというと、死んだ子が体内に吸収される(うう、グロい…)のを待つしかないのだという。しかも、「死んだもの」が体内にある状態なわけだから、細菌などに感染しやすい。そしてそれがもし感染してしまったら、もう一人の元気な子にも感染する恐れがある、感染したら死んでしまう……
それで、「とりあえず安静に」を言い渡されていたのだった。

流産の経験がないわけではないが、ここまでちゃんと養分を体から与えて、育てたのに、二人いた二人ともいなくなってしまう事態はどうしても避けたい!…と、祈るような二週間だった。
で、本日検診。結果は…この日記をちゃんと更新していることで明らかであろう。もう一人は元気で、着々と自分の陣地(?)を広げていた。安静も解除となった。とりあえずほっ。

この間、「ござる乃座」にもいけなかったけれど、正直にいうと、狂言なんか観られる精神状態ではなかったし、身体状態でもなかったので、あまり悔やんでいない(それもメインが「川上」だし)。あれほど狂言三昧だったのになあ…自分の変化に自分でもびっくりである。
望むらくは、今後出産まで、問題が起きませんように……

あ、ちなみに、予定日は、8月末です。なので、7月末くらいからしばらくサイトの更新ができなくなると思います。(「いつまで」できないか、は分かりません。生まれたら余計出来なくなりそうな気がするので…)というわけで、今後ますますご迷惑をおかけするわけですが、どうぞ事情をお汲み取りいただいて、ご理解くださいますようお願い申し上げます。







2002/3/1

ついに出たぞ!

オリンピック閉幕
あら、前回は「開幕」って書いたのに、もう閉幕。
予想以上に盛り上がらないオリンピックだった。日本人がほとんどメダルを取らなかった(金メダルが一つもない、なんて何年ぶりだったのだろう?)というのも大きいけれど、見ている人たちが「この順位、当てにならね〜」と気付いてしまったことも大きかったのではないか。
フィギュアのペアで、カナダが金メダルということになったときに、「カナダだからアメリカ人が騒いでああなったけれど、もしあれが他の国だったらどうだったか」と、友人へのメールに書いた。その後まったくその通りになってしまった。
韓国の失格。ロシアの失格勧告。
アメリカは「テロと戦う世界(もちろん中心はアメリカで)」をなんとかアピールしたかったのだと思うけれど、炙り出された姿は「テロ対策同様、自分中心のアメリカ人」ということだけだった。

もともとオリンピックはヨーロッパ人の貴族がはじめたことなので、日本のようなアジアの(もっと言ってしまえば有色人種の)強いことには抵抗が強い。むかーしの鈴木大地のバサロをはじめ、日本が金メダルを取るや否やルールを変更してしまう、ということは数え切れないほどあった。記憶に新しいところでは柔道の篠原の「いくらやっても技ありと言ってくれない」事件もそうだ。日本はそういったことに対して、それほど強いアピールをしないできた(何の時もそうなのだけれど)。
今回、オリンピックが「正確で公平ではない」と日本の一部の人以外にも知られたことはいいことだったと思う。次回以降、日本も韓国くらいは強く出ても良いのではないか。

ブッシュとハムスター
もう前の話になってしまったが、ブッシュがやってきた。
「ほめ殺すつもりか?」といわんばかりのヨイショの嵐、日本語だけではなく、英語でも待遇表現が使えない(というより誰に対しても無礼な口しか利けない)不自由な言語能力の宇多田ヒカル、あからさまに「しこみ」である居酒屋の客、そして、「みんなが楽しそうにしているのが何よりもイヤ」なのに「自分が中心でないのもイヤ」だから、後でごちゃごちゃウソを言ってた某元外務大臣、などなど、突っ込み所は満載だったのだが、私が驚いたポイントはやはりブッシュの次の言葉である。

「日本のコメはカリフォルニア米に似ている」

あのさ〜、カリフォルニア米ってもともと日本のコメの種を持っていったんでしょ。同じで当たり前。ついでにいうと、彼が食べたコシヒカリ(じゃないかもしれないが、高いコースだそうなので、普通のコメじゃなかろう)とカリフォルニア米と一緒にするなよ。

ここで思い出したのは、ドイツに在住していたときのこと。ドイツにも日本食屋はあるのだが、日本のコメは(たぶん)輸出禁止なので、そういうところで扱っているのは全てカリフォルニア米である。で、私たちもご飯が食べたいときはカリフォルニア米を買っていたのであった。
ところで、当時買っていたハムスターの「ロドリゲス(♂)」は、ご飯が大好きで、日本ならば、頬袋いっぱいにご飯を詰め込み、「つちのこ」みたいなわけの分からない生物に化けてしまえるくらいだった。ところが、ドイツに住んでいたときだけは、絶対にカリフォルニア米を口にしなかったのである!目の前にご飯を差し出してみても「いやぁ〜」というような顔をしてそむけてしまう。まったく、グルメなねずみだった。

<結論>ブッシュの味覚はハムスター以下。

いい話。
先週、ちょっといいニュースを見つけたので紹介する。
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英軍スペイン侵攻? 英領ジブラルタルと誤認、即撤退

 英海兵隊がスペイン南岸を急襲?−−迫撃砲やライフルで武装した英兵20人が1 7日、スペインの保養地ラ・リネア・デラ・コンセプシオンのビーチに上陸していた ことがわかった。19日付の英各紙によると、すぐ南に位置する英領ジブラルタルと 間違えたらしい。

 突然現れた物騒なやからに、浜にいた観光客や漁師、子どもたちは逃げ出した。近 づいた警官に「ここはスペイン領」と教えられると、兵士らは小声で謝罪しながら揚 陸艦に戻ったという。この間、約5分。

 海兵隊はペルシャ湾岸へ向かう途上、ジブラルタルで訓練に参加していた。ジブラ ルタルは領有権をめぐって英とスペインが対立している紛争地。英国防省のスポーク スマンは「スペイン領土を取る意図、計画はむろんない。反省している」と述べた。

 一方、ラ・リネア・デラ・コンセプシオンの市長は「海岸線が入り組んでいるか ら、地理の正確な把握が難しい」と理解を示したという。(00:14)

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上陸して、「アレ?なんか様子がヘン?…ここ、スペイン?
……こりゃまた、失礼しました〜〜〜〜〜〜」
と速攻去っていくイギリス兵の姿が目に浮かぶようである。そそくさ。「小声で謝罪しながら」っていうのもいいですね。 「ソーリー」「ソーリー」ってちっちゃい声で言いながら帰っていったんでしょうね。

2/22
今年は「2002年2月22日」と、なかなか美しいぞろ目になった。世間では「2ちゃんねるの日」といわれていたようだが、そうではなくて、私の誕生日である。
この日のために、旧友ビル・ゲイツもわざわざ来日してくれた。海の向こうでは、マリナーズの佐々木もお祝いしてもらったようで何よりである。
わたしはというと、母と妹から「ハッピバースディ、ツーユーーー」という電話(我が家では以前より、誕生日に電話でこの歌を歌わなくてはいけない、という掟がある)をもらい、相方に「つまらないもの(本人談)」を買ってもらった。そしてなにより、このサイトに来てくださるたくさんの方にお祝いしてもらった。なんか友達がいっぱい増えた気分でとっても嬉しい!

ところで話変わって、旧友(うるさいってば)ビル・ゲイツは、来日して『笑っていいとも!』に出演していた。どうしてよりによって「いいとも」??と思い、相方に訊いてみると「『エド・サリバンショー』みたいなものだと思ってるんじゃない?」とのこと。
そうか、エド・サリバンショーか…なんか違うな。たしかに「いいとも」も『森田一義アワー』なんだけど…なんか違う。

折衷主義の。
私が待って待って待ちくたびれた、小沢健二の新しいアルバム『Eclectic』がついに発売になった。この項のタイトルはアルバムタイトルの和訳である。テレビでもCMが流れ、それなりに話題になってもいるようである。

アルバムの外見は、正直にいうと「売る気があるのかゴルァ」という感じである。プリ ンタエラーをそのままジャケットにしたような模様。歌詞カードも一瞬「え?ないの?」と思ってしまったくらいで、実はあったのだが、非常に見づらい。どこを歌っているのか、何曲目なのかよく分からない。

内容。小沢といえば、「シンプルだけどキモチのいいメロディに、シンプルだけど深い歌詞」というのが私がいちばん好きだったところだった。今回は、アメリカナイズされているというか、音遣いも複雑だし、歌詞も修飾語が多くなって、ちょっとキリンジっぽい感じである。そしてなにより変わったのが、歌い方。あの、無邪気で素直な歌い方はすっかりなくなってしまって、一生懸命(ここで「一生懸命」と感じ取れてしまうところがまたかわいいけれども)技巧を使っているようである。
アルバムの発売と前後して、オフィシャルサイトがオープンになり、彼のメッセージが載るようになった。それらを読んで「この人日本語をぜんぜん使わないで生活しているから、日本語能力が衰えたな」と思ったそのままの印象が、やはりアルバムの歌詞からも感じられた。本人は、すでに歌詞にあまり力を入れたくなくなったのかもしれない(そう思われる箇所もある)のだけれど、それにしても外人に日本語のコーラスをさせるところ(したがって発音が日本語に聞こえない)や、本人の「らりるれろ」の発音が「la,li,lu,le,lo」になってしまっているのは、やはり悲しい。日本語の能力は、(これは自分の体験から言うのだが)海外でも本やテレビを見ていればそれほど落ちない、というものではないのである。普段あふれるほど(どうでもいい内容でも)日本語を浴びている、日本在住の私たちと、アメリカ在住の彼とはやっぱり違う。
内容は、全体的には、夜っぽい感じ。スガシカオっぽくもあると思う。以前の小沢のファンの中には、受け入れ難い人もいるかもしれない。しかし、全体が一つの大きな曲のようで、例えばよくある「シングルだけ突出して聞こえてしまう」というような恐れはない。どれも前後と、そして他の全てと関連している。それを裏付ける一つは、カバーの「今夜はブギー・バック/あの大きな心」以外の全ての歌詞には「あなた(=あの人)」しか出てこない、のである!「僕」も「友達」も出てこない。つまり、自分すら俯瞰しない、徹底的に主観的な詞世界だということだろう。濃密な、「あなた(と呼ばれる女性)」と、それを見ている「ぼく」の世界。
ところで、私は、小沢復活の日に備えて「赤鼻連盟」というサイトまで作ってしまったのだが、どうやら彼と「赤い鼻」をつける日はこないようだ。彼が「東京タワー」「プラダの靴」「教会通り」「いちょう並木」なんて言ってたときとは、日本の状況も、そして私たちの精神年齢も、そして彼自身の精神年齢も、変わってしまったのだなあ、とアルバムを聞いて痛感した。







2002/2/13

リュージュが見られなかった…

オリンピック開幕
って一応書いては見たが、実はあまり見てないのである。特に日本選手が出てくると冷めてしまって、余計見てない。
あの、日本選手に対する、不必要なバックグラウンドの紹介(親がいない、とか)や、「感動をありがとう」的な報道って、どうなんだろうか?
というわけで、ドイツ選手が意味なく強いところなどを見たいのだけど、日本が強くなくてドイツが強い競技って、当たり前だけど放映してくれないんだよね…

和泉元彌と田中(前外務大臣)
前回は「結婚」のことだけで書いてしまった元彌問題(?)だが、先週、実は「でき婚」それも七ヶ月、というのがバレて余計「痛い」存在というイメージがついてしまった。
わたしはこの二人はどちらも(テレビに出る前から;閣僚になる前から)嫌いなので、例えば能楽師としての能力だとか、政治家としての能力だとかについて、書きたいことはたくさんあるのだけど、今回は、「彼らを支持する(した)人々」について書いてみたいと思う。

元彌の、大河時代(時代、って「歴史上の出来事」にしちゃうのもどうかと思うが)のイメージは、まさに母や姉のもくろんだ通りの「生まれの良い貴公子」「若くして宗家」だったと思う。ところが、その後「結婚のごたごた」、ママの「不安はございます」発言、そして「妊娠七ヶ月なのに未入籍、母子手帳をもらっていない」などなど、いわゆる世間からみて「考えがなさすぎじゃない?」「本当に高貴な家なの?」と思われる行動ばかりが報道されてしまい、最初のプラスイメージから「バカでマザコンで嘘つきな坊ちゃん」という、ものすごいマイナスイメージに下がってしまった。

たとえば同じことをしたのが、(例は悪いが)キムタクとかだったら、ここまで叩かれなかったのではないか、という気がする。最初にヘタに「名家」だの「宗家(自称だけど)」などと主張してしまったために、そして受け取る側がそれをそのまま受け取ってしまったが故に、目に見えない「上流階級への嫉妬」がもともと、元彌一家に対してあったのではないか、という気がする。今までは、それでも「狂言」なんていう、よくわからない芸能をやっている(立派そうな)一家だということで、「こういう人もいるんだな」ぐらいで済んでいたものが、あの一連の間抜け行動で、「なんだオレラと同じくらいの間抜けなんじゃん。なのに、なんだったの?あの今までの偉そうな発言は」となったんじゃないかという気がする。

さて翻って、田中。彼女は、田中角栄の娘、という特権階級に生まれて、何一つ不自由ない状態で育ってきた「お嬢様」である。経歴を見ても、いきなり父親の持っていた会社の役員なんかになっている。本来なら、元彌同様に一般主婦から「嫉妬」されてもいい存在である。
しかし、ぎゃくに彼女の支持層は主婦。これを考えてみるのに、彼女は、選挙のときも普段も、あたかも「自分は一般主婦である」というような顔をして、名家(じゃないと思うけど)の出身だというのをおくびにも出さないから、みな忘れているのではないかと思う。選挙運動中に、わざわざジャージに着替えるという小賢しい演出もそうである。議会にはエルメスのケリーバッグを持ってきているのに、なぜかカメラでアップにもされず、あれほどファッションチェックの好きなワイドショーで話題にならない、というのもたぶんそうである。
それに加えて重要なのは、生まれもった天性の「顔の悪さ」と「品のなさ」である。あれで恐らく、主婦は「わたしたちの仲間ね〜☆」と思ってしまうのだろう。ある意味、大衆の心理をうまくついた作戦だと思う(顔は好きで悪くなったんじゃないと思うが)。

今の外務大臣の川口さんや、固辞した緒方さんがそれほど女性に人気が出ないのも、大衆の「生まれや学歴、社会的地位の高いものに対する嫉妬」があるからだと思う。たぶん主婦には、緒方さんの「犬養毅のひ孫!」「国際政治学の学者!」「聖心インターナショナル出身!」「ダンナは元開銀副総裁!」「田園調布に家!!」「難民高等弁務官!!」「アフガン会議の政府代表!!」という経歴や肩書きは、まったく訳の分からないものなんじゃないだろうか。共感する余地が一つもないというのか。彼女は主婦であり、子育てもきちんとし、ご主人の親を看取ったという、(田中のニセ経歴より)ずっと立派な、主婦としての側面もあるのだけれど。

同様に、以前「王子様」ともてはやされていた時代の小沢健二が、特に若い男に蛇蠍のように忌み嫌われていたのも、同じ嫉妬からであろう。彼の「祖父は右翼親玉(親玉ではないが戦中の運動家の一人だった)」「家にトイレが三つ(おばあちゃんが同居しているのだからそれくらいあるだろう)」「父はドイツ文学者、母は心理学者」「叔父は日本人で初めてヨーロッパのオペラ劇場の音楽監督となった小澤征爾」「本人は東大卒」という出自や経歴が、一般男性のそれとあまりにかけ離れていたからだと思うのだ。

こんなこと書いている自分はどうかと言われると、ぜんぜん「一般人」の平均的な出自でしかないのだけれど、わたしはこういう、「自分の出自に負けないだけ努力し、結果社会的地位の高い人」は素直に尊敬する。そこまでするのに、大変な思いをしただろうことは容易に推測できるからである。田中のように、親の財産だの地位に溺れてしまうほうが、ずっと楽なのである(首相の息子もちょっとその傾向が)。元彌のように、与えられた地位に満足し、何の磨きもかけずにただ口先だけを動かしているほうが、ずっと楽なのだ。

バレンタインデーと予告
明日はバレンタインデーである。ところで、まだ「義理チョコ」ってあるのだろうか?
保険料がサラリーマンも三割負担になるかもって時代に、人に義理でチョコなんか買ってる余裕はないと思うのだが(会社員のとき、わたしは「女子がわたし一人」という職場にばかりいたので、義理チョコが本当にイヤだった。しかもホワイトデーにパンツとか嬉しそうに返して寄越すし。今ならセクハラである)。

そしてさらにこれを読む方にはカンケイないと思うのだが、次回の「日記」は、たぶん 「2002年2月22日」の自分の誕生日の話と、小沢健二のアルバムの話になるんじゃないかと思う。興味ない方、ホントごめんなさい。先に謝っておきますです。







2002/2/3

今ごろ年始の挨拶かよっ!(三村ツッコミ)

非常に遅れましたが、明けましておめでとうございます。
サイトに来てくださっていたみなさんはご存知と思いますが、体調を崩していて、なかなか更新できませんでした。平に平にお許しを…

おかげで狂言は二つ行けず、最悪の年明けになってしまった。いや体調が悪いと、毎日のすぎるのは遅く感じるものよ。と、詠嘆してみても始まらないので、こっからは元気に行きたいと思います。どうぞ今年もよろしくお願いします。

一月のニュース総まくり?
ざっと思い出す分だけ、ニュースを振り返ってみたいと思う。
『元彌結婚』
あんなに叩かれた姑は久しぶりですね。いや、わたしは『渡る世間は鬼ばかり』を見てないのだけど、アレよりひどいんじゃないだろうか。新婦の両親を受付にするなんてねえ。わたしなら速攻結婚取りやめだけどな。
正直、それほどの家じゃないだろ!!っていうツッコミが最初に入ってしまうからなのだけど。

『小沢アルバム発売まであと一ヶ月』
だんだん新しいアルバムの情報も出てきていて、大きなレコード店では試聴もできるようだ。ああ聞きたい。しかしまだ出かけられないので、我慢我慢。
ところでウワサによると、平井堅っぽいとか。
R&Bの苦手なわたしには「イヤ〜〜」なのだが。
まあ、楽しみにしていよう。
メルマガについてきた画像は、なんだか「そういえば数年前の男の子ってこうだったわね」と思わせる髪型や眉毛で(海外に長く住んでいるとそうなるというのはよくわかる)、ほのぼのしてしまった。

『捨て牛と雪印』
前に書いたかもしれないが、わたしは二歳のときに「雪印恐怖症」にかかったそうである。CMをきっかけに、雪印のマークが怖くなり、外(当時店先には雪印のマークが大きく入ったアイスクリームケースを置いている店が多かった)にもろくに出られなかったそうである。ま、今から思えば、妹誕生に対する心因反応だったのだろうけど、去年からの雪印騒動を見ていると「もしかしてわたしって、すっごい先見の明があった?」とちょっと自慢したくなる(^○^)
それにしても、誰か(主に政府)に文句を言いたいとき、牛に落書きをして捨てておく、という手法は誰が考えたのだろう。牛が気の毒だからやめて欲しい。捨てるなら捨てる(いやそれもダメだけど)、落書きは黒板に。

『マキコとムネオと野上さん』
いろいろ書きたいのだけど、たぶんわたしの書くことは人の反感を買うので、一言だけ。
「だからもっと前に首にしろって言ったのに!!小泉のバカ!!」
ちなみに、「プレジデント」レベルの浅薄な知識をひけらかして、首相になってからやったのは「写真集を出す」「CDを出す」「XJAPANのフィルムライブに行ってずっと座っていて他のファンに迷惑をかける」くらいの彼は、前外務大臣と職務遂行能力は大して変わらないと思う。
川口さん、会談に臨んでの勉強振りが素晴らしかったと思う。やっぱ会談前って勉強するのが当たり前だよな。「こんなもん読んでられない」と言ったり、人に自腹で指輪買わせたりしてないで。







 

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