過去の日記 2000年12月〜2001年6月

2001/6/26

今日は新宿に出る用事があったので、ついでに映画を見に行ってきた。いまさらだが『ショコラ』である。どこかに書いたかもしれないが、私は映画が苦手である。子供のころから、映像という形での刺激に弱いらしく、というのは別に医者の診断を受けたわけではないが、同じような内容でも、字で読んだり音で聞いたりするのはよくても、動いている映像だと耐えられなかったり、その後いつまでもうなされてトラウマみたいになってしまうのである。脳の映像をキャッチする部分が過敏なのかもしれない(そんな症例聞いたことがないが)。小さいときには反戦教育の一環か「はだしのゲン」を見せられて(それも実写版)しまい、数年はうなされたし(個人的には、ああいうのは反戦云々より逆効果になると思う)、名作「ヴェニスに死す」で吐き気を催し、「海と毒薬」を立ち見で見ていて貧血を起こした、など枚挙にいとまがない。特に大画面だと、ほかに視覚の逃しようがないので、余計悪いようで、予告編から気分が悪くなったりする。そんなわけで、映画は数年に一度くらいしか見ないのだが、今回、生まれて初めて一人で映画館に足を運んでしまった。
なんでそんな暴挙に出たかといえば、以前からチェックしている俳優さんが出ていることを週末に発見したからである。アイルランド人の彼の名は、ヒュー・オコナー(Hugh O'Conor)。多分誰も知らない……(有名どころでは、「マイ・レフトフット」のダニエル・デイ・ルイスの子供時代をやってます)。私が彼を知ったのは、ディズニー映画「三銃士」で、彼はルイ13世をやっていた。いかにも「王子様」な顔(役はあくまでも「王様」だったが、どうみても「王子様」だった)に、すっかり萌え〜になったのだけれど、もともと私のアンテナは映画情報を入れる手段をもたないのに加えて、彼は学生さんらしくてあまり映画に登場せず、その後画面で見かけることもなかったのだった。そうそう、一度「グレアム・ヤング毒殺日記」で主役をやっていたのを知り、ビデオを借りてきたが、タイトル通り毒殺シーン満載(しかも実話)で、途中で気分が悪くなって挫折したこともある。そんな彼の出演作品だったので、必死で映画館へ行った訳である。ちなみに『ショコラ』は、特に面白いというわけではないけれど、平和なよいお話であった。ヒュー・オコナーは神父役で出演。「三銃士」と同じく、気が弱いおとなしい役をしていた。顔も変わらずきれいでかあいらしかった。でも、あのタイプは人気は出ないだろうなあ。やはり人々が喜ぶのはセクシー系だもの……。

最近和ものに凝りだした。てぬぐいが人気というのもあって、わたしも欲しい!と思い立ち、てぬぐいと和柄のハンカチを購入。本当は古裂風の風呂敷も欲しかったけれど、これはレーヨンの「それ風」のを買うよりも、アンティークを買ったほうがいいだろう、そして現在私はそういうものがとっても手に入れやすい場所に住んでいることを思い出し、今回はあきらめた。本当は着物に走りたいところだが、やはり経済的に無理があるので、小物で我慢。

映画の帰りに紀伊国屋に寄って本を購入。買ったのは、ちょっと前に近所の本屋で見かけて、表紙が汚かったのであきらめたら他の本屋にちっともおいてなくてああ後悔、だった岩川隆の『殺人全書』(光文社文庫)。ちょっと似ているかも?の『事件論』(芹沢俊介・平凡社新書)。以前から、犯罪学のようなものに興味があって、犯罪史の本をよく読む。殊に、毛色の変わった事件があると、特にその分野への探究心が刺激されてしまう。今回もそんなわけで、この二冊を選んだ。上で「映像はトラウマになってどうこう」などと繊細そうなことを書いているではないか!と思うアナタ、映像「は」苦手、ということなので悪しからず。
『事件論』の近所にあった『心霊写真』(小池壮彦・宝島社新書)。日本における心霊写真の歴史の本。今「日本における」と書いたが、外国にも心霊写真というジャンルはあるのだろうか?そういえば、先週の日曜日、「アッコにおまかせ!」で、心霊写真を「作って」いた。中でも怖かったのは、峰竜太が楽屋のような場所でメイクをしている写真で、よく見ると鏡に映っているのは彼ではなく、怖い顔をした和田アキ子、というもの(「怖い」の意味が違うかもしれないが)。
それから、以前図書館で読んだかもしれないが『世界の教科書は日本をどう教えているか』(別枝篤彦・朝日文庫)。「ゴンベエさんはカナエさんと一緒に風呂に入ります。この風呂は木でできていて、なんと裸で入るのです!」というようなのを期待していたのだが、もうちょっとまじめな内容のようである。それから「休日はめいっぱい休むドイツ人」(大意)のようなタイトルの本があったので、中を見たらおもしろそうだったのだが、今回は断念。

昨日見るとはなく見ていてびっくりした「堺正章・岡田美里離婚」。堺さんという人は、以前BSの「ミッレ・ミリア(1950年代以前のアンティークカーによるレース)」の番組を見ていて、好きになった。ちょっとヨーロッパ偏重だが、趣味がよいと思う。岡田美里という人を私はよく知らないが、「VERY」とかに出てきてマダーム振りを自慢しているような印象だ。で、岡田さんのほうが会見していたのだが、原因がPTSD(心的外傷後ストレス障害)だというので、注目していたら、なんか言っていることが変だ。
「父親がアルコール中毒で周りの人間に暴力をふるっているのを見てPTSDになった」
「堺は仕事しすぎだ。かくし芸でも、あんなに一生懸命しなくても、ハナ肇みたいに銅像になっていればいいのに」
「結婚したときは堺に仕事がなかったので週四日ゴルフができてよかった」
「わたしは繊細なので、普通の人が大丈夫なことでも傷つく」
「三度目の妊娠で流産したが、普通の人なら平気でもとの生活に戻れるかもしれないところを、私は繊細なので病気(PTSD)になってしまった」
(レポーターの発言に)「私は日本人じゃありませんから(わかりません)」
聞けば堺さんに暴力をふるわれたわけではないらしい。弟子を叱責するのが怖くていられない、のだそうだ。私もPTSDを体験したわけではなくて、本で読んだレベルでしか知らないが、これって本当にPTSDなのか?たとえば地下鉄サリンやら阪神大震災、バスジャックや先日の小学校の事件など、本当に生死に関わる体験をした人は、あんなに自慢げに病気について語る余裕などないだろうし、人前に出て話をするのさえ怖いと思うのではないだろうか?彼女の言っている「繊細」というのは、まるで、「弱いワタシ」を演出したくて最近「自称敏感肌」が多いという、その「敏感肌」女性と同じ匂いがする。あんなに「繊細」という言葉が自慢そうに聞こえたことはついぞない。第一、よく聞いてみると、弟子への叱責云々よりも「忙しい旦那」に怒っているだけみたいだし。(日本の働き盛りの男性は大抵忙しいし、そうであってほしい。それが「日本人じゃない」から分からないなら、日本に住んで日本で語るな。)それに、「かくし芸」のこと、堺さんにもハナさんにも失礼である。堺さんのかくし芸は、すでにアイデンティティの一つだと思う。ぜんぜん「かくし」てないけれど、立派な芸だし、彼があの番組のために大変な努力を毎年しているのだろうことは容易に想像がつく。それに、ハナさんだって、楽なのがよくて銅像をしていたわけではない。若い人(アイドルなど)がワイワイとコント仕立ての劇をやっていて、ハナさんの銅像にいろいろいたずらをする。銅像は水をかけられたり、クリームをかけられたり、掃除されたりしても無表情で少しも動けない。「銅像顔」のハナさんは、ギョロリと目を見開いたまま無表情に演じる。そこが芸なのだ。あれは「ハナさんだから」成り立つのだ。見ているほうは「ハナさんの銅像」が見たくて見ているのだ。わたしはハナさんが亡くなったとき「ああもう銅像が見られない」とそれだけで悲しくなったものである(まあ、「クレイジーキャッツ」リアル体験世代じゃないからかもしれないが)。人の芸をはたから見ているだけで「楽だ」といったり、夫が自分の(芸能)人生をかけて努力しているものを「しなくても」といったり、一般視聴者以下のヤツである。夫の仕事に対する取り組みを13年も一緒にいて理解できないのは、日本人だ外人だ云々の違いではない。今の時代に、楽をして妻子を養える男性がどれほどいるというのか?自分のわがままを病気のせいにして逃げているようにしかみえなかったのは、わたしが「頑丈肌」で、流産を体験しても普通の生活に戻れる鈍感な人間だからだろうか?ともあれ、これでPTSDに本当に苦しんでいる方々にヘンな偏見ができないことを心から望む。

2001/6/16

気がついたらもうすぐ選挙だったらしい。朝からうるさい。そしてついでになぜか右翼の車までご活躍。うるさ〜い!

前回書いた、大阪の児童殺傷事件。その後の報道で、どうやら名前をメモっておかなくても、ちゃんと報道してもいいことになったようだ。それにしても、知れば知るほど嫌な事件である。やはり人格障害の可能性が高いのか、何事も長く続かず、続かないのを、すべて人のせいにし、反省しない人生。犯罪がどんどんエスカレートしているのに、精神障害を装ってなんとか放免してもらってた歴史。高校中退(ということは、資格でいうと「中卒」ということなのではないだろうか?)で、前科もあるのに(それも婦女暴行だ!)市の職員(しかも運転手や用務員)として採用されてしまう事情。こんな事件を起こすのは、もちろん本人が悪いのだけれども、制度的に、「採用できて」しまったり「不起訴」になってしまったりしてきた、そのことがさらに彼を増長させた可能性はあると思う。
この事件でも、犯人の性格について特集されているが、では、彼のかかっている(可能性のある)人格障害というのはどういう症状で、治るものなのか治らないものなのか、どういう対処がいいのか、責任能力はあるのか、逆に、以前そうだったと診断された精神分裂病はどういう症状で、どうすると治るとか、人格障害との違いは(法律的な観点から)、といった詳しい説明をしているところは一つもない。スペシャル番組でやってくれてもいいくらいなのに。そういうことこそちゃんと報道すべきなんじゃないだろうか?そこの違いを踏まえてこそ、刑法の改正云々の議論もできるんじゃないかと思う。今の論議では、へたをすると、すごい乱暴だが、胃潰瘍の人と出産前の妊婦さんを同じ「入院患者」として一緒に扱っているようなものじゃないのか。
知らなきゃ、予防も対処のしようもない。そういう無知が、精神障害の人全般へのいらぬ差別を生むのだと思う。
この事件のレポートをするキャスターたちが、涙ぐんでいる場面を結構見かけた。それだけ現場は陰惨なのだろう。そして、弱い人のために作られた制度を利用してのうのうとこれまで罪を免れてきたという、そういうことにだけ知恵が働くヤツが犯人だった、ということに、いいようのない怒りを感じる。二度とこういった事件が起こらないようにしてほしい、というのは簡単だが、そのためにしなくてはならないことは山ほどあるような気がする。

図書館に行って、リクエストしておいた「再現・昭和30年代 団地2DKの暮らし」という本を借りてきた。ヴィジュアル本で、中には松戸市立博物館に再現されている団地の一室の紹介を中心に、当時団地に住んでいた人の写真なども載っている。ちっとも懐かしい感じがしない。と思ったら、なんのことはない、今住んでいる家と間取りがほとんど一緒だ(涙)。今の家は昭和30年築の、思いっきり団地形式なのだ。内装こそ、風呂をユニットにしたり、便所を様式にしたり、給湯器つけたり、と変わっているが(しかしこうなったのも数年前と聞いている)、玄関脇の謎の納戸(倉庫代わり。室内に置けないものを入れるらしい)や、なぜかしっかりついている「非常ベル」(昔学校の廊下にあったようなもの)、思いっきり「バリアありー」な床(ところで「バリアフリー」の反対語って何だろう?)、やたらある押入れ(半間分は洋服をかけるようになっている)、梁でぼこぼこの壁と天井、ふかふかソフトなフローリング(涙)、微妙に傾いた全体、などなど、突っ込みどころ満載である。しかし、私はこのぼろぼろな家がなんとなく気に入っている。もちろん、新しくて綺麗なところに(安く)住みたいけれども、こういう経験もだんだん少なくなっていくのだし、いいじゃないか、という気がする。

ほかに借りたのは、「『我輩は猫である』の謎」長山靖生著。先日会った人の知り合いだから書くのではないが、「猫」に出てくるグッズやキーワードに拘って謎解きをしているものだ。まだちゃんと読んでないが、なぜ借りることに決めたかというと、まったく同じようなことを、わたしは大学の授業でやったことがあるからである。私は大学で「国語学」を専攻したのだが、その専攻の授業の一つで、なぜか、「久保田万太郎の『寂しければ』を読む」授業があった。読むといっても鑑賞するのではない。「何行めの『あんかけ』『海苔』とはどんな料理か」「この店までどういう道を通って行ったか」など、到底読み飛ばしそうな、或いは本文にはでてこないが、当時の読者は当然知っていたはずのことを解き明かす、というのが内容だった。つまり「鑑賞」までの予習みたいなものか。「この程度のことを知っていなければ、きちんと鑑賞したことにならない」というのが先生の口癖で、それは今になって、当時よりは少し物を知った私が、「なに嘘書いてんの、これ」と思ってしまう本にしばしば出くわすようになって、痛切に感じることでもある。なんて偉そうに書いているが、もちろん明治・大正・戦前期の小説を、当時の人と同じように鑑賞できるわけではもちろんない(しかも時代物はお手上げ)なのでご了承ください。

私のところにも、首相官邸からメールマガジン(個人的にブームな福田官房長官は「メルマガ」という短縮形しか記憶してくれてないようだが)が届いた。内容についてはさておき、ニュースやワイドショーで取り上げるとき、いくら首相の連載コラム名が「らいおんはーと」だからって、BGMにSMAPの「らいおんハート」を流すのは止めて欲しい。あの「らいおんはーと」は歌のほうじゃなくて、イギリスの王様のほうだと思うぞ。一応国を担っている人なのだから、勝手に卑俗な解釈はしないほうがいいと思う。ただでさえあの歌は「笑うそばからほらその笑顔」の表現の意味がわからないのだから。

物書きをやっている友達からメールがきて、そのうち「ミイラ」についての大作をものするそうである。その人の文章は教養が香ってて優しいので読んでいて楽しい。楽しみである。(と、ちゃんと記録したから、ちゃんと書いてね。)

2001/6/11

日本語と格闘する日々again!という毎日。いくら日本語が好きな私でも、やはりデータを整形する作業は飽きてしまう。いかんな〜と思いながら、いろ〜〜んなところに逃避する(ネット繋ぎ放題はこんなとき便利!)。そんなわけで、日記も更新(^○^)

人と会うことの多い一週間だった。二度そういった会合があったが、どちらも初対面(片方は、正確にいうと初対面ではないのだが、顔を見知っていた程度、しかも会うのは6年ぶりくらいなので、初対面と同じだと思う)の人々。片方は、結婚後ずっとバイトをしていた先への訪問だったので、きっと会えるに違いない、と目当てに楽しみにしていた人がいたのだけれど、みごとに出張中で撃沈。自分の中の気合全部抜けまくりな状態での会合だった。とほほほほ。とはいえ、そちらも、もう一つのほうも、とても楽しかった。のだけど、普段ほぼ「引きこもり」状態の私には、楽しかろうがつまらなかろうが、「人と会う」こと自体が神経をかなり使うらしい。「らしい」というのは、そのときは楽しくて何も思わないのだけど、後になって必ず体調が悪くなるので「ああ疲れたのか」と思うからである。「その時は気づかない」というのは今に始まったことではないので、人と会うときはあまりまとめて疲れがたまらないようにするか、または会合と会合の間を十分とるか、どちらかにするようにしている。

妹がご懐妊(わざと「誤用」してます)らしい。ちょっと今後が心配なのは、お兄さんになる「ごうじろう(しつこいようだが、本名とはぜんぜん違う)」のことである。あの甘ったれが「兄」というお役をまっとうできるのか。そして、もっと楽しみ(!)なのは、今度生まれる子供が女の子だった場合の、顔である。もしかしたら、二歳にして誰よりも「男らしい」いや「男そのもの」の体型&顔のごうじろうそっくりになるのではないか?そうなったらどうしよう(^○^)。ぷぷぷ。

木曜日、腕時計が止まってしまったので、電池交換ついでに中野へ。「まんだらけ」に行って、『百鬼夜行抄』(今市子・著)を出ている分揃いで買ってきた。そもそも、「ジャケ買い」して、文庫で揃え始めたものなのだが、おもしろくて、文庫など出るのを待っていられない、と思ったのだった。案の定、面白い。淡々と話が進んでいくのと、一つ一つの話がコンパクトにまとまりがよいのが好きだ。しかし、今回(単行本の分)全部読んでみて、大笑いしたのは、著者が、私と同じ大学出身なので、「わかるわかる〜」なツボがたくさんあるところだった。

・大学構内の風景がほぼ母校そのまま
・学科の呼び方が「日文」「社学」など同じ
・食堂のことを「旧キャフェ」「新キャフェ」と呼ぶ
・ある話で出てくる悪いやつ(ただの「悪いやつ」でもないのだが、ネタばれになるのでとりあえず「悪いやつ」ということで)の名前が「鳥居

共学のくせに、学食が「キャフェテリア」はないだろう、しかも「カフェテリア」じゃなくて「キャフェテリア」である。母校も「新旧」ふたつの「キャフェテリア」があり、どっちも(母校には生協が入ってないので)まずくて高かった。
そしてなによりも「鳥居」!!今市子さんは日文出身なのではないか?なのではないか?「鳥居」先生にこんなところでお会いできるとは、嬉しいかぎりである(作品内では、「社学の専任講師」だったけれど)。でも、いくら恨みがあったとしても、「水谷」という名前の人は、出さないでください……

「百鬼〜」の話が長くなったが、もう一冊、小学校のときに、大好きだった記憶のある『ラミと気まぐれ学園』(坂東江利子・著)の前編だけあったので、買ってきた。読んでみた。感想。「いかにも小学生が好きそうな感じ」。すでにギャグもストーリーも何もかも古くなりすぎていた。

帰り、同じくブロードウェイ内にある、中古CD屋に行ったところ、なんとフリッパーズ・ギターの「カメラカメラカメラ」マキシシングル盤を発見。パーフリものは出ないと一時期言われていたが、最近の(二人とも)活動しなさ加減にだんだん放出され始めたのだろうか?本当は小沢健二の「夜と日時計」の入っているシングルCDが欲しかったのだけど、細長いCDは置いてないとのことだった。

やはり、これには触れないわけにはいかないだろう。大阪の国立大附属小学校での殺人事件。ニュースを見ていて涙がでたのは初めてだ。犯人の宅間守という男(いつか名前が出なくなったときのために、書いておく)、以前おこした事件の際は、「精神分裂病」だとか言われて措置入院になったそうである。しかし、「小さいときから粗暴」「トラブルメーカー」「継続した人間関係が保てない」「極端な自己中心主義」などから、どちらかというと、精神疾患というよりも、「人格障害」つまり性格のゆがみのような気がする。
分裂病は、薬で治したり、症状を抑えたりできるけれど、人格障害を治療するのは非常に難しいと聞いたことがある。「疾患ではない」という考え方もある。人格障害ではないか、と思われる人間による凶悪犯罪がこのところ目立つように思うけれど、刑法に規定する「心神喪失」には、人格障害も入ってしまうのだろうか(制定されたときにはなかった症例だと思うけど)。
それからもう一つ。この犯人は、精神障害を「騙って」いたふしもある(今日のニュース現在)。こういう「騙り」と本物って、どこで線が引けるのだろうか?「胃がいたい」といわれて胃カメラをやっても、胃はとっても綺麗、というのとは違う。目に見えないのである。(どちらかに)鑑定した医師が絶対に正しいと、誰が言える?これは、宮崎勤の精神鑑定でも問題になっていたように思うが……。
さらにもう一つ。この犯人が、犯行直前に精神安定剤(安定剤といってもいろんな種類があるのだけど)を10回分飲んでいたとか、以前つかまったときに「精神安定剤依存症」だと言われたとかいう報道があったせいで、安定剤が危険な薬物だと(またはラリれる楽しい薬物だと)世間に思われることは、大変危険なことだと思う。安定剤一錠で気分が楽になって助かっている人が大勢いるのだ。以前「ハルシオン」を飲んでラリって犯罪を犯すことが続発して、ハルシオン自体処方されにくくなった、という話を聞いたことがあるが、こんなバカ(あえて、知能も性格もあらゆる意味で「バカ」と思う)一人のために、よく効く薬が処方されなくなるなんて事態には、ならないでほしいと思う。

2001/5/29

土曜日は簡単な手術。痛かった。そして月曜日には、一ヶ月ぶりの狂言。かわもりたさんとご一緒した。萬斎さんが気合を入れている(はず)シリーズの一つ「新宿狂言」だ。気合が入りすぎて、狂言にしては重たい作品だったので、かわもりたさんには申し訳なかった気がする。もうちょっと楽しい作品の時にお誘いすればよかった、と反省。でも、前回の「まちがいの狂言」のときには痩せ細っていた萬斎さんが、今回はすっかり元に戻っていたので安心した。映画もクランクアップしたのだろう。
万作さんは「狂言は悲劇だ」とおっしゃったそうである。私なぞは、狂言を観て元気をもらってくるようなものなので、悲劇だったり、考えさせられたりするのはちょっと困る。茂山千五郎家みたいに「いやし系ですねえ(笑)」みたいなのでいいじゃない、と思うのだけど、それはきっと素人考えなのだろう。
広辞苑なんかに書いてある「狂言」の語釈「能と能の合間に演じられる、こっけいな寸劇」というのが、萬斎さんは大嫌いなのだそうである。芸術性を無視されたような書きかただからかな?
私見だけれど、べつに「こっけいな寸劇」でいいではないか、という気がする。日本では(世界でも?)「お笑い」ってすごく軽視されているけれど、そもそも「笑う」ことは人間と一部の猿くらいにしかできない、高度な感情表現なのだし、突き詰めていけば非常に深いものなんじゃないかと思う。能の切り口とは違う、あくまでも「こっけいな寸劇」である「お笑い」であるという切り口で、人間を描くというのも、一つの手法なのだろうし、「こっけい」だから芸術的でない、とか軽視されるようだ、とかいう感覚そのものが、狂言を侮辱しているような気がする。あれほどの基礎の上で、人間の使える能力を総動員して、「こっけいな寸劇」をやるからこそ、面白いし、観るほうは有形無形の豊かさを得るのだ。同じ「笑い」だって、げらげら、からふふっ、まで、いろいろ種類があるのだし。
コントやら漫才やらを見ていても、狂言と同じ内容のものはたくさんあって、人間の(というか日本人の)「笑い」のツボは普遍的なのだなあ、と、いつも思う。笑いの変遷とツボの普遍について、論文が書けると思うくらいだ(書いた人がいるのかもしれないけど)。狂言師のみなさんには、だから、逆に「こっけい」を徹底的に追求して、「笑うことは軽視すべきこと」という価値観をひっくり返してほしい。特に萬斎さんは、「笑い」の尊厳や哲学的意義、存在価値といったものをきっちりと思索できる人だから、私はとても期待している。なんつってすごい偉そうなんですけど〜。

2001/5/25

22日から24日まで、祖母の見舞いのために帰省していた。前に書いたように、祖母は急に衰えてしまって、現在寝たきり。どこが病気というわけではないので、自宅療養中である。
さて見舞ってみると、わたしの存在自体は知っているのだが、名前が出てこない、そんな感じである。ちょっと悲しい。でも、頭はまったくボケていなくて、ちょうど入浴サービスの日だったのだが、ヘルパーさんたちにも冗談を言うほど。人格が崩壊してしまっていたらかなり悲しいと思っていたが、そのまま保たれていたようで、本当にほっとした。それでも、もうあまり時間はないのかもしれない、と思うと、孫のなかでも祖母とすごした時間が長い私には、影響をうけたことや言われたことなどが頭をよぎり、涙が出そうになる。世の人は「90まで元気だったのだから、大往生」と言うかもしれないけれど、失いたくない人はやはり失いたくないのだ。とはいえ、まだ死んでしまったわけではないので、そういうことはとりあえず考えないようにする。
それより何気にびっくりしたのは祖父だ。現在祖母と祖父は二人で暮らしているのだが、祖母の介護をそれはそれはまめにやっている祖父まで、私の顔を忘れていたのにはびっくり。しかも「孫の一人である」と分かっても、妹と間違える始末(妹と私は身長差も10センチ以上あり、顔もまったく似ていない)。祖父こそ大丈夫なのか??

私の実家は、群馬県前橋市のなかでも、伊勢崎市との境目あたりにある。そして伊勢崎市といえば、最近テレビでも取り上げられることの多い、「激安地帯」。久しぶりに、その類の大型ショッピング施設で楽しんできた。伊勢崎とはちょっと離れた場所だが、やはり激安で有名なお店には、ドイツから輸入されたビールグラスがあってびっくり。
ドイツでは、ビールの種類によって飲むグラスが違う。そして、必ずグラスには「0.2l」とか「0.5l」とかという線が書いてあり、ビールやジュースを出すお店では、この線まで注がないと法律違反になるという決まりがあるのだ。この「線が入ったビールグラス」というのが相方の大のお気に入りで、これまでは、ドイツから帰国したときに、義弟にお土産で買ってきたピルスナーグラスを、いらないというので引き取って愛用していたのだが、私があっという間に割ってしまい(しかしドイツのグラスはガラスが薄すぎる!!)、悲しい毎日を送っていたところだったのだ。その店には各ビールブランドのマークのついた、いろんなグラスがあり、しかも安く、感動。さっそく「ビットブルガー」のマークのついたピルスナーグラスと、「エルディンガー」のマークのついたヴァイスビアのグラスをゲット。ラッキー。

自宅に戻ってきてみたら、近所のコンビニの従業員が、店長からバイトにいたるまで「総とっかえ」されていて衝撃。いったい何があったのか??ちなみに内装は何一つ変わらない。

2001/5/15 旅行実施記念スペシャル

12日から14日まで、一週間遅れのGWで旅行に行ってきた。
そもそも、数年前、GWの次の週に箱根に一泊したら、道路はすいすい、ホテルはがらあき、でとても快適だったので、その後我が家ではGWは避けて旅行することにしている。
そして今回は、南紀白浜と伊勢鳥羽に行ってきた。

それでも新幹線は指定がいっぱいで、喫煙席しか取れない始末。名古屋から快速の「みえ」というのに乗ったのだが、JRじゃなくて近鉄のほうがよかったかも、と思ったのは、この電車が単線を走るのを見たときだった。「どうも待ち合わせが多いなあ〜」と思ってみたら、駅で向こうから来る電車のやり過ごしのために待ってやんの。
その素敵な電車で、外国人のグループと席が近くなった。言葉を聞いていると、ドイツ語。「おおドイツ人だ!」と非常に嬉しくなり(二年しか住んでなかったくせに、日本であまり見かけないこともあって、ドイツ人を見ると同胞に会ったような気分にすらなってしまう)話し掛けようかと思ったのだが、私の会話力では世間話の途中で会話が途切れること間違いなし、かといって頼みの相方は「疲れててそんな気力ない〜」とのことで、断念。
「憧れの」ジャパンレールパスで来ている旅行者らしく、駅員との会話もすべてドイツ語(英語は話せないのね)。そのドイツ語も聞いていると、ああなつかしい南部訛りが!でもバイエリッシュとちょっと違うし、オーストリアとかスイスとかの人ではないらしいので、「もしかしたらシュヴァーベン??」と、胸が躍ってしまった。
(解説:シュヴァーベン地方とは、ドイツ南西部に位置する地域で、ベンツでおなじみシュトゥットガルトや、私が住んでいたチュービンゲンなどが含まれる。「イッヒ」を「イッシ」、「ポスト」を「ポシュト」と発音するなどのほか、イントネーションに特有の抑揚がある。ちなみに農作物がよく採れ工業も発達し豊かなくせに、田舎くさくよく働くなどのところから、ドイツではちょっとバカにされる存在。)
彼らは水田を見ては感激して写真を撮り、駅で坊主を見つけては「あの日本人はヘンな服を着ている!」とみんなで眺め、ホームの子供にはにこやかに手を振って子供を凍りつかせていた。平和な人たちである。

鳥羽でレンタカーを借りて白浜へ。今回始めてカーナビというのを操作してみたが、いや〜〜使えない!古い機種だったのかもしれないが、あのインターフェースはなんとかならんのか。
途中串本にて夕食。お寿司を食べた。海なし県に育ったせいで、「海を見ると無条件に感激する」「やたら刺身が好き」などの弱点を持つわたしだが、「新鮮なので身が引き締まっている」というのはこういうことか、とこのとき初めて知った。まぐろのおいしいこと!かつおのおいしいこと!

白浜のホテルは広くてよかった。「ホテル川久」の眺めがすごく場違いでよろし。
次の日、朝から「南方熊楠資料館」へ。空いているかと思いきや、案外人がいる。みんな、そんなに熊楠ファンか??展示は、例のキャラメルの箱だとかヘンな形のきのこだとか、結局なにものなのかよく把握できなかった粘菌だとか、学術的なものが中心だった。やはり「熊楠の日常」とか「熊楠のゲロの吐き方」とかは、展示に向いてないか〜。屋上から眺める海はとてもきれいだった。さすが「白浜」。浜辺まで海が青くて透き通っているなんて、本州じゃあほかに見られる場所があるんだろうか?

昼前に熊野詣。熊野詣って少なくとも「熊野三山」を制覇しなきゃ、と思っていたのだが、どうスケジュールを組んでもちょっと難しいので、熊野本宮だけで勘弁してもらう。神様が一杯いて、なんかありがたそうだった。おみくじを引いてみる(二人ともおみくじ大好きである)。いつぞやの初詣で「半吉」などという、「そんなのありかよ」な札をひいたことすらある相方は、相変わらずの運の悪さで「小吉」。彼は怒って急いで縛っていた。私はというと、引いた棒は「1番」、当然「大吉」。どんなもんだい!

伊勢に戻り、夕方ぎりぎりであったが、伊勢神宮参拝。こんなに古いお宮ばかり回ったので、きっとよいことがあるだろうと思う。それにしても伊勢神宮はお宮まで遠すぎる。

二泊目は鳥羽にて。今度は旅館だったが、大きな旅館だったので、団体さんがいっぱいでびっくりした。夕食は魚三昧。「もう、当分魚はいいです」というくらい食べられて、満足。季節外れで無理かなと思ってた伊勢えびのお刺身も食べられたし、あわびも食べたし。
温泉なので、露天風呂にも入ってみたが(この旅館は内風呂と露天が別の階にある)中に「瓶風呂」という、陶器の、瓶(かめ)の形のお風呂があり、さっそく挑戦してみた。ちょうど一人用の大きさなのだが、入ってみると、なんだか自分が「たこ」になっていて、お風呂は「たこつぼ」みたいに思えてきて、複雑な気分になった。

最終日は再び伊勢にいき、前日は営業終了していた、内宮まわりの「おはらい町」を散策。「おかげ横丁」も見たが、ハイカラな喫茶店があったりして面白い。中にある「おかげ座」は、600円も取るので「高いぞ!」と思っていたが、中のジオラマが凝っていて、説明もわかりやすくてとても勉強になった。花街の様子の再現は、大学でさんざんやった「遊郭の勉強」が功を奏して?「おまかせを」状態。それにしても、「おはらい町」のみなさんはボランティアで旅人にいろんなモノを提供していたのね(あとで御師からお金をもらえるとはいえ)。遠いところを来て、嬉しかっただろうなあ〜当時の人。
そして、今の内宮の参道は明治以降ああなったので、それまでは橋を渡った向こう側、お宮の近くまでは(多分正確には参道ではなく)馬や籠でも行けたそうである。明治政府、ありがたくしすぎ。
伊勢名物の「萬金丹」なる胃薬と、おなじみ「赤福」をお土産に買う。お昼はてこね寿司と伊勢うどんのセットを食べたが、どちらもイマイチ。短期間で舌が肥えたらしい。

あちらの地方の人の気性なのか、わたしが太っていて顔が丸く、にこにこしているせいなのか、どこへ行っても、最初ちょっと冷たそうに見える人もみんな親切で、よくしてくれたので、非常に楽しかった。特に白浜には、また行きたい。

2001/5/11

再び、二週間くらい間があいてしまった。どうも、世間がGWだと、自分の気分までGWになってしまうようだ。すみません。
このGWは、散々であった。まず、前半はものもらい。人生で初ものもらいが、なぜ今年。なぜGW。目薬だけで治ってよかった。後半は元気になっていたのだが、よりによって5日(上りのピークの日)、相方が軽井沢にドライブに行くと言い出し、付き合ってしまったらあら大変。軽井沢ICを下りた瞬間から渋滞。しかも山道だから逃げ場がない。数キロ進むのに3時間くらい耐えたが(なかなか我慢強かったと思う)、どうにも進展がないので、Uターンして引き返した。その後、白根などを回って、高速に乗らずに帰ろうと思ったら、主要国道も渋滞に次ぐ渋滞で(当たり前?)家に着くのに8時間くらい車に乗ってしまった。もう車は当分いいです。

話は変わって、すでに一昨年くらいの話だが、「この指とまれ」という有名サイトに登録したら、二年間だけ通っていた小学校でのクラスメイト、それも親友だった子を発見。2?年ぶりの再会となった。ここから発展し、現在そのクラスメイトも数人に広がり、MLをするほどの発展を見せたのだが、そのメンバーのお母さんのネットワークから、現在アメリカ在住のクラスメイトの消息が分かり、しかもこのGWに一時帰国する、というので、急遽メンバーで集まって、彼を囲んだ。その人は小学校時代からフィギュアをやっていて、その後(私は知らなかったのだが)ものすごい成績をおさめた選手だったのだが、今も会社員として、バリバリ活躍しているらしい。普段聞けない話がいろいろ聞けて、素直に感動してしまった。
わたしは小学校を四つ変わったのだが、この二年間だけ東京の小学校に通ったものの、あとはずっと群馬だった。そういう地域性の違いもあるのだろうが、小学校も、中学も、今でいうDQNばっかりで、特にいじめられたとかいうのではないのだが、楽しい学校ではなかった。少なくとも積極的に会いたい、または会ったら楽しいだろうとは思えない。だから、この、小学校のクラスメイトとの集まりが、予想外に楽しくて、とてもとても嬉しかった。これからも大切にしていきたい仲間だと思う。(しかしその他のメンバー捜索は難航している)

前々回、衰えた、と書いた祖母は、その後足を痛め(骨折したのではないか、という話だったのだが実際はしていなかったらしい)のをきっかけに急速に衰え、とうとう寝たきりになってしまった。それまでは特に問題なく食べられていた食事も、いきなり嚥下困難となり、流動食をやっと口にする程度だそうである。昨日介護認定が下りた(それまでも母たち子供は認定してもらいたかったのだが、祖父が強固に反対していたそうである)そうだが、なんと要介護五級だとか。最高ランクではないか。ショックだ。こうなったら早く帰省して見舞いたいのだが、なかなか用事がたてこんでまとまった時間がとれず、こちらが都合のいいときは、母親が「マスターズの大会前だからダメ」などと言ったりする。

GW中におきた浅草の女子短大生刺殺事件(またの名を「レッサーパンダ殺人事件」)の犯人がつかまった。前科のある元塗装工。週刊文春にも載っていたが、レッサーパンダの帽子を被った男の写真はわりと早くからネット上に流れていた。それが犯人だったかは今画像が見られないので確認できないのだが、あとで公開された似顔絵とか、体格がよく似ていたように思う。誰が流したのだろう、不気味だ。
しかしちょっと間抜けなのは、彼が今後「平成の犯罪史」などで取り上げられる際に、ずっと「レッサーパンダの男」と呼ばれるのは間違いないということだ。昨日のニュースでも「レッサーパンダ男逮捕」という見出しを出している局があったし。
まあこれはつかまってめでたしめでたしだが、まだ(こちらのほうが近所でイヤだ)世田谷一家殺害事件も進展がないし、八王子の「笑いながら近寄ってきて殺す」の駅員刺殺事件も未解決。そして青森の武富士放火事件。つかまったけれど、三軒茶屋の会社員ぼこぼこ殴り殺し事件。「なんでそうなるのか?」という、犯行の論理一貫性がないので、非常に不気味である。道を歩いているだけで、レッサーパンダの帽子にびっくりするだけで、殺されてしまうなんて、防ぎようがない。

2001/4/25

忙しい一週間だった。
まずは土曜日、両親が、森さんに招ばれた、とかで上京。なんでも首相主催の「桜を観る会」だそうである。
しかし、いまさら「森」。いまさら「桜」。なにもかもが完全に「タイミングを逸した」行事であった。まあ、人のことだからいいけど。ちなみに母親の今年の目標は「マスターズ世界大会出場」だそうである(!)。

日曜日は、大阪に住んでいる友人が、仕事で上京したので、こちらに住んでいる友人とともに一緒に食事。とても楽しかった。彼女は気性がさっぱりしていて、考え方もフェアで、でも繊細なところもある、そういうところがとても私は好きである。早くこっちへ転勤にならないかなあ〜、などと勝手なことを考えたり。

そして火曜日は萬斎さんの狂言であった。今年の目玉公演(と勝手にわたしが思っている)の一つ、シェイクスピア劇の翻案の「まちがいの狂言」である。感想は「狂言」のページに書いたので、省略するが、とにかくおもしろかった。狂言は堅苦しい、とか思っている人も、普通の小劇場の公演だと思って一度観てみてほしい。とにかく萬斎さんの演出家としての才能に脱帽。しかも演技者としてもすばらしい。こういう人が同学年だと思うと、とても励みになる。
黒い装束(狂言装束ではない)でうにゃうにゃと登場するのは、「イギリス留学時代、まわりにはいろんな言葉が飛び交っているので、耳に入っては来るが頭に入ってこない。そういう経験を表現してみた」とのこと。わたしもドイツに住んでいた時代、同じ経験をしているので、あるときふっと、ある単語(「日本人は」だったり「だるま(私の名前)」だったりする)だけが聞き取れる瞬間、それまでの、自分は徹底的に異邦人なのだという孤独感(なにしろ、あからさまに外見が違いすぎる。あんなに自分の肌や髪の色を「汚い」と思ったことはない)などなど、痛いほど同調できた。そして、そういう感性をもっている萬斎さんを、とても素敵だと思った。
公演のあと、ポストトークというのがあり、ホールの館長と、萬斎・石田幸雄両師が鼎談。萬斎さん、ずいぶん痩せたように見える。「陰陽師」疲れか。そして首には(多分)晴明紋のペンダントが。
ところで、今年、「万作の会」は「目玉公演」目白押し。夏には「電光掲示」が全国ツアーだし、10月は「陰陽師」公開、11月には、昨日もらったチラシによると、茂山千五郎家との競演で新作「羅生門」をするらしい。しかも次の週には萬斎さんの娘のデビューもある「野村万作古稀記念公演」である「万作を観る会」。ちなみに11月のこの二つの公演、両方S席で見ようとすると、チケット代金はなんと21000円!!……なんとお金のかかる趣味を見つけてしまったものか。バイトしよう、バイト。

2001/4/13

先週の日曜日、軽井沢に行ってきた。
以前、「クラシックホテルに泊まるぞシリーズ」(という旅行を敢行しているのだが、まだまだ制覇までの道は遠い)で行った万平ホテルから「昭和初期のランチを再現してます」という案内が来たのだ(27日まで)。「混んでいるだろうなあ〜」と、例のロードスターに乗って行ってみると、すすすいている。しかも、寒い。雪が残っている!恐るべし、軽井沢。とまあ、こんな感じだった。で、ランチ。わたしはハヤシライスを食べた(ノスタルジック洋食系といえば、やっぱこれでしょう!)。おいしいのだけど、感動するほどでもない。あんまり昔ぽくもない。う〜ん……もうちょっと、頑張れ!という感じだった。
その後、アウトレットモールで買い物。かわいいバッグが3900円でゲットできた!しかしそのようなことをわたしがしている隙に、相方はシャツ二枚8000円を買っていた……。

いつもそうである。相方と一緒に買い物に行くと、わたしの買った額の倍は買っている。たまにはわたしだけが「どんどん買いなよ〜」といわれ、ほくほくと買ってしまうこともあるのだが、そんなときは要注意。自分は別の場所で、しっかりしっかりもっと高いものを定価で買っている。これってどうよ?!

おととい、俳優の伊藤英明さんが、マジックマッシュルームを食べて中毒になったとかで、救急車で運ばれた、という騒ぎをやっていた。中毒になって助けを求めるくらいだから、常用していたのではなく、好奇心だったのだろうけれど、こういった類のスキャンダルはダーティなイメージとしてその後もついてまわっちゃうので、要注意である。個人的には、この人のこの騒ぎで映画『陰陽師』の撮影が遅れたりするのは、ひっじょーに萬斎さんに迷惑だろうと心配するばかりである(彼の今年の予定から考えて、多分ぎりぎりのスケジュールのはずだから)。

今日、『千年の恋』という映画の制作発表の話題を取り上げていた。「源氏物語」の映画化だそうである。今年は平安イヤーなのかな?
光源氏が天海祐希なのはいいと思うのだけれど、桐壺更衣が高島礼子なのは納得がいかない。いびり殺される役ではないか。彼女では、途中で復讐しに相手方に乗り込んでいきそうな気がする。その他、いちいち納得がいかない配役ばかり。『陰陽師』のときも、そう書いた気がするが、源氏物語への思い入れといえば、陰陽師の比ではなない。なにしろ私と紫式部の付き合いは、小学校入学くらいからなのだから(ただし、坊主めくりレベルで、のことだが)!
そういえば、高校時代には「源氏物語ごっこ」もやった。クラスの仲良しで、それぞれの女性になりきり、交換日記だかなんだかやった気がする(なにしろ女子高だったので、人材には事欠かないのである)。わたしは、若紫の役。「なんだよ〜おいしいところをもっていきやがって!」と思わないで欲しい。これは「紫の上」ではなくて「若紫」というところがポイントなのだ。当時わたしは、いわゆる「尼そぎ」つまりおかっぱ頭。そのころ習った「源氏」の、若紫登場シーン(「すずめの子を、犬君が逃がしつる〜」ってところ)と頭が同じだったのだ。あとは、体型精神年齢ともに幼かったという、ただそれだけ。クラスでもちょっと変わった子は、自ら「六条御息所」を志願したり、優等生で通っていた子は「朝顔の君」だったり、と結構いろんなキャラが集まって、おもしろかった。
でも、「末摘花」はいなかったなあ……

わたしが小さいときから坊主めくりを楽しんだ、百人一首は、母方の祖父母の家にある。紫式部という人の正体を教えてくれたのも、祖母だった。彼らの人生は、上記ページに詳しいので省略するが、その祖母が、最近すっかり衰えたらしい。私が最後に会ったのは一年前なのだが、随分精神力がなくなって、眠っていることも多いとか、歩くのが大変だとか。祖母の老いは随分前から意識してはいたのだが、実際にそうなってみると、恐らく彼女の趣味嗜好をもっとも受け継いだのは(なぜか子供を越えて)私だろうと思うだけに、一際悲しい。時間を見つけて会いに行こうと思う。

2001/4/6

化粧品を変えた。美白に凝っているのだが、プラセンタがこわくなったのと、100円化粧品が効かなくなってきたからである。買ったものは以下の通り。
・ロゼット洗顔パスタ
・うぐいすの粉
・オードムーゲ
・ちふれMC-2ホワイトニングスキンローション
・花梨の化粧水
ずいぶん奮発してしまったが、おかげでざらざらしていた肌が治って非常にうれしい。この年代の肌荒れはシャレにならないのである。ついでに、相方にも実験台になってもらったところ、肌がつるつるになっている!本人も「油ぎらなくなってよかった」とご満悦。さすが「悦に入る男」

友人と足マッサージに行き、胃腸が弱っていることを指摘される。そうかも。しかし、足マッサージというのは、初体験だったのだが、とにかくくすぐったい。痛いよりもくすぐったい。あまり笑ったので、「通常より強くさせていただきました」と墓穴を掘ってしまった。とほほ。

さっき、ホットニュースが入ってきた。近所に、相方の行きつけのとんこつラーメン屋があったのだが、ある日突然つぶれてしまったのだ。相方のなげきようもひどく、「生きがいを失った」とすらいうありさまだった。ところが、未確認情報ではあるが、場所を移して再開するらしい、とのこと。移転先もうちから近いので、相方がさぞや喜ぶだろうと話すのが楽しみである。

2001/3/30

おとといは友達と讃岐うどんを食べに行った。わたしは讃岐は初体験だったのだが、「うどんてこんなにうまいのね〜〜」と感激。ともすれば陥りがちな、関東人の「うどんへの軽視」(それでもわたしは群馬出身なので、うどんは身近なほうである)にガツンと一撃を与えてくれる味。やみつきになりそうだ。
そして今日は別の友達と足のマッサージ(これも初めて)とラーメンを食べに行く予定。

日曜日に「ふるさと日本のことば」が最終回だった。最終回は東京。興味深く見た。
東京語は、大きく「江戸弁」と「山の手ことば」にわかれる。それで思い出したことが一つ……
わたしは、日本語の文法を大学で専攻したのだが、そのきっかけになったのは、小学校三年のときに見たクイズ番組である。それは、四人のパネラーが問題にたいして「もっともらしい」自説を述べ、どの解答が正しいかを選ぶ、というものだった。それにパネラーとして出演していたのが、金田一春彦氏だった。彼は、やわらかな声で綺麗なことばを話していた。どの問題も、彼が答えたものが正しいという風に聞こえたものだ。
翻って、自分は「荒っぽい」で有名な群馬弁。おまけに「地声がでかい」というのが少々コンプレックスになりつつもあった。金田一氏の正体が国語学者であるというのを知って、「こういう勉強をすればわたしも『小さい声でやわらかいしゃべり方』ができるようになるんだ〜」と少々短絡的な考えをもったとしても、そこは小学生。お許しいただきたい。
時は流れ、結局やりたいことは変わらないまま、大学進学を迎えた。金田一氏のいる大学に行かなかったのは、そのときに一番やりたい、と思っていた「現代語の文法、できればコンピュータと関連させて」というのができるか確信がなかったからだ。たまたま、わたしの興味のある分野が「まんま」できて、しかも国語学を売りにしている大学が見つかり、そちらに行くことにした。
さて、いよいよ国語学の初授業。当時その大学の「日本文学科」でも、国語学の先生は厳しいことで有名であった。しかし、日本語をコンピュータに解析させる分野においての第一人者。楽しみに先生が教室にやってくるのを待った。

……先生は「声が大きくちゃっきちゃきの荒い言葉」を話した……

今から思うと、金田一氏は典型的な「山の手出身」、わたしの教わった先生は「江戸っ子」(正確には三代続いてないので、「江戸っ子」ではない)で、べらんめえ、な文化の人だったのだ。「あちゃー」と思ったがもう遅い。おかげさまで、江戸っ子で厳しい先生にみっちりしごかれて大学をやっと卒業した。そして当然わたしの言葉づかいも声の大きさもまったく変わることはなかったのだった。

先週書いた『陰陽師』の制作発表が、Yahooで動画として見られることを知った。 こちらである。思ったとおり、萬斎さん、長々としゃべっている。そういえば彼は、ゆっくりとした口調で、長々と話す癖がある。解説つきの狂言を見に行くと、必ずといっていいほど時間オーバーする。この動画でも、みごと出演者、監督、原作者などの中で一番長く話している。きっと、普段もおしゃべりなのだろう。でも、彼の言葉は正しく選ばれていて、その内容について深く思索したことがいつも伺えるし、しか仕事柄か、日本語が大変美しいので、聞いていても苦にならない。そういう言葉づかいが出来る人を、本当にうらやましく思う。やはり後から勉強したのでは、身にならない部分も多いのだ(以前、『世界ウルルン滞在記』で、和泉元彌さんが今ではめったに使わない、でも非常に正しい待遇表現(敬語)を使ったのを見て、感動したこともある)。

さきほど、私たちの世代にはなつかしいアニメ『世界はじめて物語』の21世紀版をやっていたので見た。おねえさんは私のころの「岡まゆみ」さんではなく(ちなみに初代おねえさんは「うつみ宮土理」だったそうである。う〜〜ん…)茂森あゆみさんだった。モグタン、なつかしい!ちょっと短くなった気がするのは、気のせいだろうか。内容は、変わらずコンパクトにまとまっていて面白かった(興味のある題材だったせいもある)。絵が、あゆみおねえさんだけアニメ絵(あごがない、目が大きすぎる)だったのが気になったが、まあ許容範囲だろう。テーマは、「携帯電話」「ハンバーガー」「ハムスター」「ロボット」の四本。

2001/3/24

前回と同じとっかかりで申し訳ないが、やっと「陰陽師」の制作発表が行われた。この日を楽しみに、スポーツ新聞やらワイドショーやらチェックしたのだが、新聞の方は写真なし、と白黒のちっちゃいものの二つ。ワイドショーはフジと日テレ全滅であった。よく調べたらTBSがお金出しているのね。というわけで、二時からのTBSでやっとチェック。
萬斎、かっこよすぎ。晴明に似すぎ。
ふと考えてみたら、「晴明は野村萬斎で」って企画した人はきっと、おととしの「子午線の祀り」を観たんじゃないだろうか。あのときの平知盛役(見るべきほどのものは見つ、でおなじみ)は晴明に似た白塗りだったし、貴族でしかも武将で、若くて凛としていたから。
それにしても、ここのところ、この「陰陽師」騒ぎに加えて、ANAのCMも復活しちゃったし、萬斎をテレビで見る機会が多い。これ以上わたしを惚れさせてどうする?という感じである。

他にも、「ビジネスジャンプ」に掲載されていた『ホームズ』(久保田眞ニ作)という、ホームズもののパスティーシュが出たり、NHKでもおなじみ、イギリスはグラナダTV制作の『シャーロック・ホームズの冒険』がDVDボックスになったり(しかもビデオと違って日本語の吹き替えも選択できる!)、SMAPはベストを出すし、キリンジはリミックスアルバムを発売するというし、当然狂言の公演も多数控えているし、で、私にとってはお金を使う途ばかりが増えていく今日この頃である。
この上小沢健二が活動を開始したりなんかしたら、目も当てられない。……破産してもいいから、これだけはぜひ実現してほしい(^○^)。

石坂浩二と離婚した(させられた、といったほうがいいのかもしれない)浅丘ルリ子に再婚話が持ち上がっているそうである。相手は「マブチモーター」でおなじみ、マブチ会長。78歳だとか。
この会長、数年前に「ダ・ヴィンチ」で再婚相手を公募していた。もんのすご〜い豪邸の写真とともに。一応、匿名ではあったが(ただし、その後すぐにワイドショーが後追いをしてしまい、身元が割れたと記憶している)。条件も書いてあるのだが、やれ「40代まで」だの「背がそれほど高くなく(具体的数値失念)細身」だの「苦労したバツイチ」だの、やたら条件が多かった。
読んだほうの感想としては「いくら会社を経営してようが、豪邸があろうが、ジジイはジジイだろ、もうちょっと分をわきまえたらどうか」であった。(筋から離れるが、当時これに応募してダメだった人たちっていたのだろうか?いたなら彼女らの来歴も知りたい!)
そんな彼が数年たち、いま女優と再婚話。
浅丘ルリ子といえば、今は単なる(キモチわるいほどに)細い、テレビにあまり出ない女優であるが、子役時代から一貫してスターの地位にあり、たしか「主役以外の仕事は受けない」とかいううわさのある人である。
そんな人が、78歳ジジイと。ワイドショーが言うように「玉の輿」に思えないのは、気のせいだろうか。

それとは別だが、こんな相談が先日新聞に載っていた。「自分は70代男性である。以前心筋梗塞をわずらい、以後発作の恐怖と共に過ごしているのだが、60代女性と恋愛関係になってしまった。一週間に一度は関係をもってしまう。こんなに関係を持って、発作は起きないだろうか」という相談である。
いや〜、高齢者の精神活動の内容は私には計り知ることができないのだが、それにしても、70代と60代の恋愛。なんかものすごい生臭いモノを感じてしまう。

マブチ会長も、同じような感情を浅丘ルリ子に持っているのだろうか……ルリ子、もしかしたら、ピンチ?

2001/3/16

日記のくせに一ヶ月おいちゃったよ〜!

先月末は友人に会う行事が殺到、今月始めはいとこの結婚式で、なんだかあわただしかった。一段落したら今度は体調を崩す。せっかく春なのだから、がんばらなくては!

掲示板にも書いたが、「陰陽師」の予告編が映画館で流れ始めたようである。今朝ちらっとテレビでみたが、SFX使いまくり。かなり派手で幻想的な映像だった。せっかく萬斎さんを使うのだから、もうちょっと重厚な、彼の芸が生きる演出にしてほしかったのだが……。しかし、萬斎さんのたたづまいはなんかオーラがすごくて、まさに晴明!という感じだった。う〜ん、期待してしまう。

友人のために画像を探したところから、ドイツのテディベアメーカーやショップを検索することとなったのだが、なんだかおもしろかった。
ドイツの企業のHPは、凝っているものが多く、通販ができたり、ただで壁紙やスクリーンセーバーがダウンロードできたりする。以前、住んでいた場所の近所のビールメーカーのスクリーンセーバーを落として使っていたのだが、ビールには縁がないので、このたびテディベアメーカーのそれをダウンロードした。壁紙は「ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト」のテディベアで、スクリーンセーバーはさまざまなテディベアが出てくるもの。くまの出来がいいので、見ていて飽きない。
そんな作業のさなか、ドイツ在住時代にテディベアを買った、お店のHPを発見。そこのショップは、単なる田舎のお店なのに、ものすごく充実していて、シュタイフの限定モノなど、ないものはないんじゃないか、と思うくらいだった。ここの店長は、青年といってもいいくらいの、若い感じの男性で、ドイツ人らしからぬ、非常にやさしい風体をしている。いつぞや、春に訪れたときなど「花粉症なんだよ〜」と鼻をめちゃめちゃかんでいた。その彼もトップページから写真で登場していて、なんだかすごくなつかしくなった。このショップでも通販が可能。(bruno bear
こことは別なのだが、シュタイフのHPに行ってみて「日本限定」のテディを検索してみた。日本のマーケットはかなり魅力的らしく、シュタイフ社はずいぶん日本限定商品を出しているのだが、こんなものを発見。

「金太郎」

テディベアが金太郎の前掛けをして、熊に乗っている。ん?
一応断っておくが、金太郎も熊なのだ。しかし、乗っているのも、熊。 くまがくまに乗ってどうする?

こんなくだらないツッコミをして喜ぶ春のいちにち。(すごいまとめだ!)

2001/2/13

昨日、おとといと、衛星放送で「ドイツ統一の舞台裏」というドラマが放映された。ドイツZDFの製作で、東西ドイツの統一までの動きを、再現ドラマ・当事者のインタビュー・実際のニュース映像で描いたものである。

なにしろ当時、その後ドイツに住むはめになる、なんてまったく知らない私は、「いきなり東西統一」という印象をもってはいたが、どういう流れでこうなったのか、興味もなければ知識ももっていなかった。そういう意味では「ほほお」と勉強になった。

とりあえずドイツ語で見てしまったので、実は内容の半分くらいしか理解していないのだが、東ドイツでは、秘密警察が見張っていて、デモにも参加できなくて、だまって撮影をしてはいけなくて、と、とても「現代」に見えない生活だったことが驚きだった。日本じゃあバブルまっさかりである。当時の東の人々は毎日がものすごい変化だったのだろう、と想像した。

おもしろかったのは再現ドラマの部分。主要人物は俳優が演じているのだが、これが結構似ているのだ。ゴルバチョフはちゃんとはげているし(さすがにあざはないので、メイクで描いてある!)、コールはでっかくて太っている。声までそっくりだ。ドイツの俳優の幅の広さ(と技術の高さ)に驚いた。ちなみに、ちょっと偏見が入っているかな、と思ったのは、外国の要人で、ゴルバチョフは、実際よりも愚鈍そうな俳優がやっている。サッチャーは、実際よりもきつそうな「意地悪ババア」といった感じの俳優がやっている。ミッテランはきざったらしい。たぶん、ドイツ人から見る当時の要人は、こういうイメージだったのだろう。

ゴルバチョフの「ペレストロイカ」と、世の中の趨勢で、東西ドイツの行き来を自由にせざるを得なくなり、やがて統一へと向かうのだが、ヨーロッパもソ連(当時)も、ドイツの統一には反対していた。戦前の強大なドイツが再現されるのを恐れるためである。ミッテラン(俳優)やサッチャー(俳優)が再現ドラマで言うには「戦勝国がどこか、忘れているみたいね」。国のありかたを変えるには、四カ国協定(第二次大戦時に結ばれたもの)との兼ね合いがあって(このあたり、詳しくないのでよくわからない)すぐにどうこうできるわけではなかったらしいのだが、驚いたのは、やっぱりいまだに第二次大戦を引きずっていること。日本がそうなのは、肌で感じているが、勝ったほうの人たちもそう思っているのは、なんか感覚として「いつまでも〜〜〜いいかげんにしてよね〜〜〜」という気がする。ちなみに、ドイツが反省の意を表して、たくさん賠償を払ったり、さまざまな補償をしたりしているのは、周知のとおりである。

この、ミッテランとサッチャーの会話(再現ドラマ)で、「(東西)ドイツの勝手にはさせないわ」というせりふがあった。再現ドラマの部分には字幕が出るので、こう字幕にでていたのだが、実際は、サッチャーは、このせりふの前に「アジアにおける日本(が勝手にふるまっている)みたいに」と言っていたのである。
NHKでは、この部分の訳をあえて(たぶん、あえて、だと思う)しなかったのだ。
こういうところこそ、きちんと訳さなくてはダメなのではないか?ヨーロッパが日本をどう思っているか、アメリカがどう思っているか、日本はそれに対してどう考えるべきなのか、ということを、情報を勝手に取捨選択されては、正しく判断できない。
ちなみに、上記せりふは、サッチャーが実際に言ったのか、それとも、ドイツ人(製作者)がそう思っているのかどうかは、わからない。

2001/2/7

いきなりであるが、今日は母親の誕生日。我が家では、子供がみな独立した今でも、家族の誕生日にはそれぞれ電話をかけ、電話口で「Happy Birthday」を歌わなくてはならない、という変な習慣がある。今日はまだ歌っていない。まづい。

先週の日曜日、国立劇場に文楽を見に行った。狂言には凝っている私だが(それゆえに)ほかの伝統芸能には手が回らず、歌舞伎さえ見たことがない。当然、文楽も初めてである。大学の授業でやった「人形浄瑠璃の歴史と概要」のレベルで見に行った。

国立劇場では、イヤホンガイドを貸し出してくれる。これも初体験。狂言には、イヤホンガイドはないのだ。最初は聞こうと思っていたのだが、耳に合わない(私は耳の穴が小さいらしく、大抵のイヤホンは耳に合わない)のと、鑑賞に集中したかったので、途中でやめてしまった。

演目は近松作「国姓爺合戦」。有名な作品である。日本に流されていた中国人の息子が、 中国の王を倒すべく、乗り込んでくる、という内容。

どうしても、狂言と比較してみてしまう。こちらからすれば、どちらも「昔の芸能」なことにあまり変わりがないのだが、成立した年代によって、こんなに違うものなんだ、というのが正直な感想。たとえば、

・狂言は大道具、小道具がほとんどなく、衣装も質素だが、文楽は大道具に凝り、衣装も絢爛豪華。
・狂言はほとんど「ショートコント」に近く、筋もそれほどしっかりとなければ、特定の人物もほとんどでてこないが、文楽はしっかりした脚本にもとづいた「劇」である。
といった具合。

今回見た演目には、たいした理由もなく主人公の妹と母親が自害する場面があり、今の日本人にも通じる「情」のようなもの(泣かせどころ、というのか)を感じた。これに限らず、全体的に登場人物が情におぼれがちで、脚本のサービス過多、というのか、ちょっとべたべたしたものを感じた。

狂言は、道具から衣装から、登場人物の名前にいたるまで、余計な修飾を殺ぎ落として殺ぎ落としてできあがったようなところがある。だから、見るものがその背後にあるものを想像して見なければならない。狂言を鑑賞しているときは、その「余白の美」を楽しんでいるようなところがある。日本文化にはあんまり詳しくないが、これが「わびさび」に近いものなのかな、とも思う。室町文化の特徴なのだろうか。

翻って、文楽は、非常にエンターテイメント性を重視した芸能である。筋も衣装も道具も、悪くいえば大衆迎合的というのか、お客さんを楽しませるようにできあがっている。修飾をつけて飾って飾って豪華になったといった感じである。これが「元禄文化」なんだなあ、と思った。

あるいは狂言の類と文楽では、当時の観客層が違っていたというのもあるかもしれない。ともあれ、伝統芸能、ひいては日本文化の奥の深さの片鱗をちょっと知って、とても勉強になった。ほかのジャンルにも挑戦してみたい。

2001/1/21

前日の雪で朝から雪かき。にしても、その後でかけてわかったのだが、お店なのに「店の前の雪かき」ができてないところが結構ある。こういうの、昔は「常識」だったはずだ。なんで「自分さえよければいい」になってしまったんだろう。実際、雪かきをしてないことで迷惑を蒙るのは自分たちの店だろうに。

そんなわけで、雪が溶けたと車で出かけたのだが、帰りに首都高で滑って壁に激突!「ああもう死ぬのか〜」と一瞬あきらめたが、よくわれに返ってみると、相方ともども無事だった。

壁にぶつかったときに、後続の車が突っ込んできたら、これしきではすまなかったと思うのだが、直前が事故渋滞で、誰もスピードを出していなかったことが幸いしたらしい。本当にラッキーだった、とほっとした。

にしても、どうも毎年一月は健康上に問題が出ることが多い。今年も波乱の予感…

「知ってるつもり?!」を見ていての話。取り上げられていたのは「味の三平」の大宮守人(味噌ラーメン創始者)と「花森安治(暮しの手帳主筆)」であった。花森がラーメン店取材後「変な馴れ合いになり公平性を欠く」とその店には二度と行かなかったこと、戦中は「大政翼賛会」の宣伝部にいて「ほしがりません勝つまでは」というコピーを生み出すなどしたが、戦後は戦争反対を叫んだ、というエピソードを見て、出演者は感動していたが、どうかと思う。

「戦中も戦後も一生懸命仕事をした」というのは、たしかにひとつの見方であるけれども、返せば自分の思想がなくて、その場の仕事を長いヴィジョンなくこなしていたに過ぎない。これはそれほどほめられたことじゃないと思う。

また、ラーメン店のエピソード、「プロなんだなあ」という見方もできるけれど、今の雑誌の読者からすると、「お店や服など商品の取材はちょうちん記事になるのは普通。むしろそれらの情報から何をどう判断するか、というのが記事の読み方」だという気がする。それを、自分の考えをかたくなにニュートラルにして記事を書く、というのは、ある意味で、読者の見識を信用していない、ということではないだろうか。

この人の生き方は、うがった見方をすれば「愚鈍な大衆を、自分の文筆によって啓蒙する」というスタンスから逃れられなかったものだと思う。戦前の知識人はこういった人たちが多かったと聞くが、今それを取り上げられても、感動することはできない気がする。むしろ、「発信側」の人間がそんな馬鹿な考えをもつ世の中に戻ってほしくない、

鳥取の赤ちゃん連れ去り事件の犯人は「29歳独身女」だった。

なんだ、また「不妊治療中の女性」の犯行か?と思っていた世の中の大多数に反し、不倫相手に「赤ちゃんができたの」と言いたいがための犯行。とほほ〜〜〜

この女性、「家族8人で県営住宅(3DK)」とか、「不倫ばっかり」とか、突っ込みどころはいろいろあるのだが、なんといってもインパクトがあるのはその顔だろう。テレビを見ていたら、男性への迫り方や声、しゃべり方まで想像できてしまうような感じ。たぶん、「〜しちゃだめなのう?」とかん高く、本人は甘えているつもり(でもはたから見ていると押し付けがましい)の話し方なんだろう。言い訳も多いと見た。しかしなにより問題なのは、そんなことを想像して鳥肌を立てている自分だな。と思うばかりだ。なんて、ひねくれているかも。

2001/1/9

自分の中での仕事始め。風邪はまだよくならない。

年末に起きた一家殺人事件の犯人がきていたシャツが、わたしもよく行くショッピングビル(という言い方が無難、か)に入っているお店で買われたものと判明。ちょっと身近すぎてうんざりである。

それにしても、この殺人といい、「点滴に筋弛緩剤を混入し何人も殺したのかもしれない」事件といい、不気味である。イギリスでも、医者が患者を何人も殺して(何百人かもしれない、とのこと)捕まっているが、こういうの流行りなんだろうか。点滴くらいで殺されてはたまらない。

ところで、初夢以降、やたらと夢を見た。それも内容は謎。

・初夢…母校の先生(直接教わってはいない、という設定)がなくなり、葬儀に参列する(いきなり!)
・1/3…自分に直径4センチの膀胱ガンが発見され、手術をすることになる(をいをい)
・1/4…何かの式典に出席、隣の席の渡辺謙に口説かれる(なぜ?)
・1/7…爆笑問題の太田とわたしは同じ不良グループに所属している。が、実はわたしは不良ではなく、「太田も本当は不良じゃないな」と思っている。太田もそう感じているようだ(どういうこと?)

どなたか、夢判断に詳しい方、診断してみてほしい。

 

2001/1/4

あけましておめでとうございます。ことしも本HPをよろしくお願いいたしますm(__)m。

いやいや、無事に新世紀である。今年は帰省も短めにしたので、のんびりした正月のはずだったのだが、年末に風邪をもらってしまい、寝正月になってしまった。

ところで、お正月のテレビというのは、なぜあのようにつまらないのだろう。スポーツ嫌いのせいもあるが、あの、マラソンやらサッカーやらの中継とか、古いタイプのお笑いの人が出てくるばかりの番組(異様に時間が長い)には辟易である。年末にはおもしろくてビデオに録った番組もあったので、年をまたいでの変わりようにはがっかり。はやく平常の番組になってほしい。

年末の特番には「20世紀回顧モノ」が多い、と喜んでいたのだが、実際に見てみると20世紀といっても戦後ばっかり。なぜ「日露戦争」とか「第一次大戦」とかをやってくれないのだろう。なかなか見る機会がないので、見たいのはそっちなのに。

今年から「10年日記」をつけることにした。日記をつける習慣がないので、どこまで続くか不安であるが、とりあえず十年後にほくそえむことを期待してつけることにしよう。

 

2000/12/25

クリスマスも終わってほっ。我が家は相方のおかげで、「鳥+ケーキ(いちごの乗ったの)+ろうそく+シャンパン(ドイツ語でいう「ゼクト」)」というのがイブの夕食のルールである。7〜8年前は、これに「聖書を読む」が追加されてたので、まだ今はいいほうか。(ちなみに信者ではない)

 

私たちの世代はみんな、1999年の7月に、よくわからないが「恐怖の大王が降ってきて」死ぬ、と思っていた。だから、21世紀まで生きられるというのが、なんかすごく不思議である。

 

数日前、「安楽椅子探偵の聖夜」というドラマをやっていた(朝日放送(テレビ朝日))。その日のドラマでは「出題編」を放送し、視聴者から犯人や推理プロットの解答を募る。正答者のうち一名に100万円、というもの(本日の深夜(正確には明日)が「解答編」放送日である)。おもしろいので、さっそく応募してみた。まあ、答えの正否はもうすぐわかることなので、いいのだが、気になったことが一つ。このドラマ「消えたテディベア」というのがサブタイトルである通り、テディベアが犯罪の鍵を握っている。で、設定では、このテディベアは「20世紀初頭、アメリカ製。セオドア・ルーズベルトが狩りで助けた小熊を忠実に再現したテディベアのレプリカ」ということになっている!が!

出ていたのは、どう見ても「推定5000〜10000円。外側も中綿も化学繊維」の、でかいだけの「くまのぬいぐるみ」だった。

わたしの中では、「テディベア」というのは、手足や首が動かなくては「テディベア」ではない、というのが前提になっている(ドイツの老舗のシュタイフやハーマン、イギリスのメリーソートなど、みなそうである)。しかも、今世紀初頭の製品のレプリカなのだから、当然「モヘア(天然のやぎの毛)、中は木毛(木のこまかいけずりかすのようなもの)」でなければならない。もちろん「目はガラス製」。レプリカとはいえ、限定品なので、あの大きさ(1.3mくらい)ならば数十万円といったところだ。あんなくったりした「くまのぬいぐるみ」、どこが「20世紀初頭アメリカ製」なのか?予算の都合だろうが、だれもつっこまなかったのか?

テディベア好き∩ミステリーマニアって、世の中に存在しないのか?

 

今朝は「おかあさんといっしょ」のうたのおにいさんが、覚醒剤疑惑だとかで、会見を開いている模様が放送されていた。あのおにいさん、33歳だそうで、到底「おにいさん」とは言えない風貌である(前回の「37歳」おにいさんもそうだったが)。そして不健康そうな顔色(でも黒い)、無理な笑顔、などなど、あやしい要素は満点である。どうでもいいことだが、なぜ会見に友人(何者?)を同席させる?なぜ「ストーカー」に金を貸す?あの会見スタイル、見ているほうは、同性愛疑惑のほうは増幅させることはあれ、解消することはないと思うのだが。

だいたい、「うたのおねえさん」は音大生で、「たいそうのおにいさん」(弘道おにいさん主婦に大人気!)は体育大系なのに、「うたのおにいさん」だけが二代続けてなんかあやしい経歴である。「うたのおにいさん」というのは、なり手のない職業なのだろうか。そういえば、「アニメ界のアニキ」こと、水木一郎も、「うたのおにいさん」をしていたことがあるんだっけ。売れない歌手のブレイクポイントになっているのかなあ、「うたのおにいさん」……

 

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