〜静岡県の行政評価について考える〜

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そういえば、行政評価委員会にはいろいろな出来事があった。
ついでに書いておこう。

昨年1月に開かれた第1回目の会合の時は、開催したのを知ったのが2日後くらいだった。公開すると書かれていなかったから、傍聴できるかどうかわからなかった。あわてて連絡をしたら、傍聴希望者が1人いて委員会で傍聴を認めたという。一般の県民かどうかはわからない。

県のホームページの審議会等に載せられていなかったので、それに加えてほしいこと、傍聴ができると書いてほしいこと、もう少し早く開催日時の発表をしてほしいことを頼んだ。

2回目の委員会では「会議は公開で行います(傍聴可)」と書いてあったが、発表されたのはわずか2日前だった。

それでも傍聴はできた。傍聴者は1人だけだった。

委員会は午後5時から6時半くらいまで行われた。
会議終了の挨拶が済んで片付けを始めたが、みんながなかなか帰ろうとしない。最後まで見届けたい気持ちもあってのろのろしていたら、担当の職員が近づいてきた。

「このあと委員の方たちはお食事をされるので、傍聴者の人はお帰りください。」・・・見るとカチャカチャと音がして、弁当が運ばれてきていた。

驚いて片付けて部屋を出た。そこで担当者に聞いた。

食事しながら話合いが続くのなら傍聴を認める意味がなくなるのではないか、6時半終了の会議でどうして夕食が出されるのか、食事代はいくらか、委員の報酬はいくらか、職員の食事は公費か、なぜ業務棚卸表の内容についての話し合いに終始しているのか、委員の選任はどのように行ったのか、県民の意見を反映させる機会を作ってくれないかなどなど、会議室の通路での立ち話だった。

私が県庁を出た7時過ぎ、委員の人たちも食事を終えて帰って行った。
なぜそのまま解散しなかったのか、客観的な評価というのなら、会議の後、出された弁当を食べておかしいと思わない人に委員になってほしくないと思った。

第3回目、開催のお知らせは5日前だった。
傍聴者はやはり1人だった。

会議が終わると、今度はみんながどんどん部屋を出て行った。
お弁当は止めにしてくれたのかと思っていたら、「委員の方たちは別室にお食事のご用意がしてありますので、別室の方にお移りください」という声が聞こえた。

「なぜ別の部屋に移ることにしたのか」と担当者に尋ねたら、「会議に使っている部屋はできるだけ飲食しない方がいいことになっているということがわかったからだ」と言った。信じられなかった。

3回目のとき、会議の途中、話合っている内容がよくわからない。
委員が見ている資料が傍聴者の資料の中にないことがわかった。終わってから担当者に資料がほしいこと、コピーしたいので貸してほしいと言った。そうしたら、公文書の開示請求をしてくれと言われた。

室長に電話して、なぜ当日渡された資料が委員と傍聴者で違うのか聞いた。傍聴している人は、何の資料を見て話をしているのかわからないから、話合いに加われないと。

室長は、その場にいて聞いていることが傍聴だと言った。どの程度資料を渡すかということは議論になるところだとも言った。いろいろと話をして、結局送ってくれることになった。よほど厚い資料かと思ったらわずかA4で8枚だった。こんなことなら会議のあとで渡してくれればよかったのにと思った。

4回目「会議は公開で行います」とあったが、発表は2日前だった。
ホームページに載るのは前日になる。それでも前日の夜にわかったので傍聴はできた。

これが最終回になる。傍聴者は私以外に5人いた。
2人は県の関係者、3人が沖縄県からきた視察の人だった。沖縄県は、静岡県とともに、北大路教授の指導のもとに業務棚卸表を使っている県だ。どのような話し合いが行われているのか視察にきたのだろう。沖縄県民のために、この委員会だけを見に来たわけでないように祈った。

会議が終わって、北大路教授が挨拶をした。
「本日は沖縄県からわざわざ見に来てくださった方たちがいます。遠路はるばる傍聴にお越しくださりありがとうございました」こんなふうな内容だった。

私は1回目こそ間に合わなかったものの、他はすべて傍聴した。新聞記者の人がいびきをかいて隣の記者に起こされていた時でさえ、初めから終りまで熱心にメモをとった。沖縄県からの視察の人たちのすぐ隣に座っていた。一瞬、私にも「熱心に傍聴してくださりありがとうございました」と言ってくれそうな気がしたが、そうはならなかった。

私は追い出されるほうだったから。一般県民とはこういうものなのだ。

それでも沖縄県から来た人たちに、沖縄県の会議の公開の指針がいつ出るのか聞くことができた。行政改革の内容についても少しだけ聞いた。 3人で丁寧に教えてくれた。他の県の人は親切なんだ。

でも時間がなかったからゆっくりはしゃべれなかった。みんなが別室で食事をしようとして、来賓が出てくるのを待っていたから。私が引き止めて話をしていたから、みんなが迷惑そうにしていた。

逃げるようにして帰った。
楽しい思い出か悲しい思い出かわからない。

  〜終り〜  2001.7.27 


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