〜静岡県の行政評価について考える〜

    独りよがりのトップレベル
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独りよがりのトップレベル(続)


静岡県の審議会等のうち、一般に公開されいてるのはごくわずかだ。 公開といっても会議の1日か2日前にインターネットにのる程度で、中には傍聴ができると書いていないものもある。

そのような中で、県では現在、審議会等の会議の公開の指針を作る作業が進められている。県知事選をひかえて、もしかしたら早急に、この指針は発表されることになるのかもしれない。

会議の公開の指針ができれば、現在のような状況は改善されるのだろうか。

そういうことはないだろう。
静岡県の審議会等について、実態は誰にも把握されていない。
県のホームページにのっている審議会等は、現在あるものや過去にあったものの一部に過ぎない。

この他に、各部や各室が、要綱に基づたり、内部の決裁や委託調査によってさまざまな審議会等をつくっていて、不定期のもの、臨時のもの、1年限りのものなど、さまざまな形態のものができあがっている。県全体としてどのような実態になっているのか、人事室や情報公開室も把握できていないのである。

そこでは、同じ人がいくつも委員を兼任しているのだが、全体像が把握されていないから問題が表面化することはない。結果として、ごく限定された一部の人たちが、県が作り出していくその時々の政策を、全体として第三者的な結論に取りまとめ、世間に送り出している。

ごく一部の人たちのごく限られた参加、追認的な参加によって県政が動いている。そういうシステムが出来上がっているのだ。

石川知事が、静岡県が行財政改革で全国のトップクラスになったと言ったとき、どういう内容の行財政改革を頭に描いていたのか私にはわからない。

現在、審議会等の改革の問題は、人事室の担当者の中だけで細々とした検討が続けられているに過ぎない。石川知事が、ずっと以前から政策の意思形成過程を公開すると言い続けながら、今もなおこのような実態であり続けている事実を、私たちはどう受け止めるべきなのだろうか。

表向きとはいえ、少なからず第三者的な機能を与えられているのだから、審議会や委員会等の運営を私たちに見えるような形にしない限り、政策決定のプロセスは透明にはならない。

だが、このような審議会や委員会は、実際には、県がつくった方針を追認するために設立されているから、今のままの形で県民の目にさらすことはできない。このようなプロセスを変えていくことが、会議の公開という形で求められているのである。

ではそれができるのかということだ。

県が作った政策を、一部の県民が追認するという今までの行政のすすめ方では、もうこれ以上前には進めなくなっている。本当の意味での県民参加がすすめられなければ、これ以上の行政改革というものは実際には無理なのである。

現在の状況を行財政改革で全国でもトップクラスと言っている状況で、それが可能なのかどうか、そのことが問題になるのだ。

2001.7.21 (つづく)


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