◇2002「天使の泉」ホテル べラヴィ−タ | ◇2002多摩「天使の泉」 | ◇2002東京「天使の泉」 |
芦野 宏 |
日本シャンソン協会 会長 石井好子 希望をもって迎えた二十一世紀は幕あけから きびしいものになりました。 その中で最も尊い事は人のために尽す事だと思います。 |
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清水康子さんのたゆまぬ努力のおかげで続いているチャリテ ィーコンサート「天使の泉」の存在は私達を明るくさせます。 今回、ベテランの大木康子さん出演は心強いことです。 この清らかな会に、沢山の方々がご賛同下さいます事を願って おります |
日本シャンソン館 館長 芦野 宏 渋川市下郷1277の1 |
音楽評論家・作詞家 湯川れい子 小児ガンで苦しんでいる子供さんは勿論のこと。 そのご家族の苦しみ辛さは、想像を絶するものがあります。 しかも、環境の悪化によって、小さな患者さんたちがドンドン増えているという悲しい報告も耳にしています。 どんな形であれ、少しでも、ひとつでもお役に立てることがあれば、それは同じ人間として生きていく上での喜びであり、心の灯火となることでしょう。 みんな、みんな、頑張らないで、頑張って!! |
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写真家 関口照生 |
"Vive Yasuko" 今回のヨーロッパへの旅立ちも、やはりパリ滞在を組みこんでいる。 三十数年前にはじめてパリを訪れて以来のパリファンの一人である。 当時、と云うより、1950年代なかばから、60年代にかけて銀座を中心にシャンソンが流行っていた。その詩の多くは愛であり、人生であり、そして舞台はパリであった。 パリの屋根の下で若者は夢を語り、なやみを分かちあう。 そして“パリ祭”(ル・カトルス・ジュイェ=7月14日革命記念日を「パリ祭」と訳したのは名訳であるが)では、花あふれるおしゃれな街で歌を口ずさみ、皆手を取合って踊っている素晴らしくロマンチック(今では死語であろう)なイメージを抱かせてくれた。 そんなシャンソンを清水康子さんがやはり数十年にわたり唄っている。 僕と出会った頃の康子さんは、シャンソンを口ずさむ“うら若き乙女”(これも死語である)と云うより活発なお嬢さんであった。 |
"Vive Yasuko" "L'amour eternel" | |
聖路加国際病院 小児科部長 細谷亮太 先日「がんの子供を守る会」の特別講演会に、ノートルダム修道院の渡辺和子先生をお招きして「雨の日には、雨の中を」というテーマでお話をしていただきました。百名以上の方がお集まりいただきました。 |
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日本が太平洋戦争へ一直線に進み始める直前に起こった2.26事件で、時の重臣達と同じく命を落とされた渡辺錠太郎教育総監が先生のお父様です。お布団をならべて休んでおられたお父上が襲撃され、小学生だった先生の目の前で絶命なさるという苛酷な体験を通じて今日の先生があることが、素直に納得できてしまうようなお話でした。
お子様を亡くされたご両親が、会場にはかなりの数いらした様でした。少しでも心が安らかになられたらと、お祈りしながら私も傾聴しておりました。
小児がんが治るようになったとは云え、まだ残念な結果に終る子どもたちが相当数いるのです。 もっとも私が医者になりたての頃、小児がんは全くの「不治の病」でした。たまたま見つけられた固形腫瘍のきわめて早期のものの、そのまた一部が命びろいするような、そんな時代でした。 情報もゆっくり伝わってきていました。海の向こうの研究者たちが、小児がんは治るのだという確信を持ち始めていたのに、日本ではそんなことを口にする医者はいなかったのです。 あれからたった四半世紀で、この分野のコンセプトはがらっと変わりました。治る時代になったのです。まだ治らない子どもたちをどう治すかが、さしせまった問題になってきました。 そして、治った子どもたちのことを本気で考えてくれるこの世の中になってこそ、私たちの未来が開けてくるのです。 今日、皆さんがこのチャリティーコンサートにお出かけいただいたことに関係者の一人として心からお礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。 |
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●細谷 亮太先生のプロフィール●聖路加国際病院小児科部長 細谷 亮太(ほそや・りょうた) 1948年山形県生まれ。1972年東北大学医学部卒業。 1972年〜76年 聖路加国際病院小児科勤務。 1977年〜80年テキサス大学MDアンダーソン病院癌研究所小児科にクリニカルフェローとして勤務。 1980年〜聖路加国際病院小児科に復職。1994年〜同小児科部長 。 【著 書】 「川の見える病院から」(岩崎書店)、 柳田邦男氏との対談「雲のむこうに虹がある」(ほるぶ出版)、など多数。 【訳 書】「チャーリーブラウンなぜなんだい?」(岩崎書店)、 「君と白血病」(医学書院)など多数 。 |
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山口ダンススタジオ 主宰 山口信次 清水康子さんに社交ダンスを教えた事がきっかけとなり、シャンソンにふれることにができ、人との出逢いの素晴らしさを実感させていただくことになりました。それ以来、蔭ながら応援させていただいております。 私が教えている社交ダンスはひとりでは踊れません。 二人がペァーとなり、リードとフォローをしながら共に助け合い、協力しながら呼吸を合わせて踊らなければなりません。私は社交ダンスはコミュニケーションの一つであり、相手を思い遣る心が必要だと思ってまいりました。その「お互いに助け合い、思い遣る心の大切さ、そして命の大切さ」を、清水康子「ひとつ」の会から改めて教えられたような気が致しました。 |
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最近、近所に住む中学2年生の男の子が小児ガンで短い人生を閉じました。もし、私の3歳の双子の娘だったら……と思うと他人事ではないような気が致します。私たちは、この出逢いを大切にし、これからも応援し続けて行きたいと考えております。清水康子「ひとつ」の会の益々のご発展と、「天使の泉」チャリティーコンサートが、小児ガンに苦しむ子供たちとそのご家族の皆様を支える大きな力となりますよう心からお祈り申し上げます。 |