会のシンボルボルマーク

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地域の紹介

長野市

 長野県の県都で、人口は387412人、世帯数は154322戸です(2431日)。

 県庁所在地としては全国で最も標高が高いところにあります。

 善光寺の門前町として知られ、7年に一度、御開帳はが行われます。平成21年は673万人が訪れました。次の御開帳は平成27年です。

 1998年に冬季オリンピックが長野で開かれましたが、開閉会式やスケート競技は長野市で開催され、世界中の人が来長しました。

 名物は「信州そば」です。戸隠や善光寺界隈にそば店が軒を連ねています。


古里地区

 長野市内32地区のうちの一つで、長野市の東北部に位置しています。

 上駒沢、下駒沢、金箱、富竹、三才、西三才、新町、第二団地の8つの区からなっており、人口は13942(6771人、女7171)、世帯数は5425(以上24年3月1日現在)です。大きな商店街や工場等はなく、豊かな自然に囲まれた住宅地で、長野市の中心地にほど近い場所にあるベッドタウンといえます。

 新幹線が地区内を縦断する形で走っており、橋梁の上を走る新幹線を間近に見ることができます。歩いて2分ほどの「見晴らしの丘」展望台からは、180度のパノラマで新幹線の疾走をとらえられます。

 長野市民病院、長野県身体者リハビリテーションセンター、長野県障害者福祉センターサンアップルなどの全市的・全県的な福祉施設をはじめ、老人保健施設や障害者の支援施設がたくさんあり、「福祉の地域」となっています。また近隣に長野市立長野高校、国立長野工業高等専門学校、清泉女学院大学・短大などの教育施設があり、「文教の地域」でもあります。

 駅から歩いて5~6分の所に、各種施設を備えた「スポーツレクリエーションパーク」を建設中(平成25年度竣工予定)で、ここに縄文時代から弥生・古墳時代の住居あとが発見されました。「籠沢遺跡」として貴重な文化財になっています。

 特産品はリンゴです。戦前の養蚕に代って戦後は稲作と共に果樹栽培(リンゴ)が農家の生活を支えてきました。

 平成22年の古里住民自治協議会本格スタートにあたり、シンボルマークをつくりました。全国から222点の作品が寄せられ、地区住民全員を対象にした投票によって愛らしいシンボルマークが選定されました。多くの地区住民の意思によって決めた誇れるシンボルマークです。


三才駅

 昭和3318日に開業し、当初は無人の停車場でした。

 信越線と飯山線の2路線が走っています。信越線は電車で架線を利用していますが、飯山線はディーゼル車です。飯山線は車両数が少なく、ワンマン運転です。

 営業時間は7時半から18時までで、途中昼休みがあって窓口は一時閉ります。JR関連会社に業務委託されており、管理の管轄は長野駅長です。

 一日の乗車人員は約1500(降車客数含まず)で、近隣の学校に通う学生の利用が多くなっています。

 上り方面の北長野駅までは約5分、長野駅までは約10分です。下り方面の豊野駅までは約5分の所要時間です。信越線と飯山線のダイヤは、長野駅での接続の関係で接近しており、10分間隔のときともあれば、50分もあいてしまうときもありますので、列車利用の方は注意が必要です。

 平成26年度に新幹線が金沢まで開通するのにともない、並行在来線は信濃鉄道が管理運営するようになります。三才駅も信濃鉄道の所管となる予定です。三才駅と北長野駅との間に、もう一つ駅を設置してほしいとの住民の声があり、長野市がその方向で検討を進めています。


「さんさい」の地名と歴史

 「三才(さんさい)」の地名の由来は「三才山(みさやま)」、諏訪神社に付随(ふずい)する「御射山社(みさやましゃ)」の存在に起因(きいん)すると言われています。

 かつて、この地は三才南北田子(みなみきたたこ)地籍と若槻地区の田子とが一つの郷(ごう)になっていて、「諏訪社(すわしゃ)・御射山社(みさやましゃ)」を産土神(うぶすながみ)としていました。その呼び名が変形して「三才(さんさい)」の地名になったようです。

 また、JR三才駅の北方に古墳時代中期の「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」(この地を支配していた有力者の墓)があり、その手前には7世紀ころ(奈良平安時代)の官道(かんどう)(越後(えちご)へ通じる東山道(とうさんどう)〈支道〉)の宿場がありました。美濃(みの)・尾張(おわり)方面、そして日本海側を結ぶ文化と物資の中継地でした。

 馬5頭と人足を置くように定められ、役人がここに宿泊し、「多古(たこ)の駅(うまや)」と呼ばれていました。
 
つまり、この地は古来から農耕を営む村落があり、その後も重要な交通の要所として栄えてきたわけです。

 今日では全国に通じる鉄道の「三才駅」が、その役割を継承していると言えます。


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