懐かしのレーシングカー:My Dear Old Racing Cars

トヨタ 2000GT

TOYOTA 2000GT

*TOYOTA 2000GT 資料館*

TOYOTA2000GT

01 トヨタ初のプロトタイプスポーツカーが、1957年(昭和32年)に発表されました。この頃から、トヨタ社内では、スポーツカー開発に対して興味を持っていたのではないでしょうか。それまでの日本の車は、トラック、乗用車等の実用車ばかりでした。この車は、2シーターで当時のデザイナーの夢を具現化したものです。バブル状のキャノピーを持っているのが特徴で、後に発売されるTOYOTA2000GTも、ルーフ中央に幅の拾い打ち込みビードが走っており、バブル形状のなごりを感じさせます。また、フロント・リアのフェンダーも膨らんだ曲線で構成されていて、2000GTに通じるものがあります。この車が、TOYOTA2000GTのルーツではないのでしょうか。でも、まだ時期尚早だったのでしょう。この車から、生産者に繋がることはありませんでした。

08 1962年(昭和37年)には、トヨペットXが東京モーターショーに出品されました。2ドアクーペのスタイルは、すぐにでも発売できそうなくらい完成したものでしたが、未だ、実用車の匂いを濃く残しています。自動車社会も成熟してきており、そろそろ、スポーツカーの出現を感じさせるものでした。

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翌年、1963年(昭和38年)には、東京モーターショーでコロナスポーツが発表され、ますます、スポーツカーの出現に期待が持たれました。また、この年には、第一回日本グランプリが開催され、ベレG(べレットGT)やスカイラインGTが発売されるなど、社会自体がスポーツカーを受け入れる土壌が出来上がったといってもいいでしょう。

その頃から、トヨタ社内でも、2000GTの開発が進められたといいます。

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プロトタイプ、エクステリアモデル製作

04 開発記号『280A』の名で開発が進められた2000GTは、1号車から14号車まで試作され、その間、ジャガーEタイプ、ポルシェ911、ロータスエランなどが購入され研究されました。

1965年秋の東京モーターショーには、TOYOTA2000GTの名でプロトタイプが発表されました。そのスタイリングは洗練されたもので、私は、世界一美しいマシンだと思います。シャシーに採用されたX型バックボーン・タイプのフレームにはロータスエランの、ロングノーズ、ショートデッキ、極端に立ったフロントピラー等にはジャガーEタイプの影が見られます。スタイリングは、バランスがよく、ヨーロッパのそれらよりも洗練されたデザインだと言ってもいいのではないでしょうか。

よく見ると、リトラクタブルのヘッドライトカバーの形状が違っていたり(生産車はおむすび型ですが、プロトタイプはロータスエランタイプの前円後方形)、一見、ヘッドライトに見えるフォグランプのカバーの形状に角があったり違ってるところもありますが、ほぼ、生産車の形状を実現しています。

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07 プロトタイプは、数台作られ、1965年第3回日本グランプリ、鈴鹿1000kmや速度記録に挑戦しました。日本GPでは、2位、3位に、鈴鹿1000kmでは優勝しています。速度記録挑戦では、3つの世界記録と10の排気量別国際記録を樹立しました。それらの挑戦でテストを繰り返した2000GTは、グランドツーリスモとして自信を持って発売されることになりました。その自信の一端が価格にも現れていました。ヨーロッパのスポーツカー・GTカーにも負けない性能を有しているのだから、それらと同等の価格で販売するということが決まり、当時としては破格の値段238万円という高価な車でした。後に発売されたフェアレディーZが98万円というのと比べると、いかに高価な車だったかが伺えます。そのため、生産台数が340台と少ないのも納得できます。225台が国内販売に、残り115台が輸出およびレースに使用されました。

 世界記録排気量別国際記録
10000マイル206.18km/h206.18km/h
72時間206.02km/h 
10000km 203.98km/h
48時間 203.80km/h
5000km 206.29km/h
24時間 206.23km/h
2000マイル 207.48km/h
12時間 208.79km/h
2000km 209.45km/h
1000マイル 209.65km/h
1500km206.04km/h 
6時間 210.42km/h