鳥取県東部(千代川の河口)鳥取砂丘より南方(中国山地)へ25kmぼど入った所に位置します
自然がいっぱい 緑がいっぱい 水がきれい 空気がきれいな 静かな村です
代表的な景勝地・三滝渓・があります。2004,11,01鳥取市と合併(〒680-1234)

鳥取県鳥取市河原町北村(とっとりけんとっとりしかわはらちょうきたむら)

三滝コース 高山コース

北 村 (きたむら)
時代をずっと下った江戸時代の寛文年間(1661~1672)には、57か村として、
加茂荘・土師郷・大江郷・船岡郷・佐貫郷・岩田庄・曳田郷となっている。
これが今日の町村編成の基礎となっている。

曳田郷十一ヵ村・寛文年間(1661~1672)
曳田村・天神原村・中井村・鹿野村・本鹿村・小河内村・神馬村・牛戸村・湯谷村・小畑村・弓河内村(北村)
曳田郷十二ヵ村・寛政七年(1795)
曳田村・天神原村・中井村・鹿野村・本鹿村・小河内村・神馬村・牛戸村・湯谷村・小畑村・弓河内村・北村

北村は弓河内の枝村である。
北村氏より命名されたのであろうか。北村氏は越前より来たと言われるが真 偽は不明。
方角からいうと曳田谷の北の村ではなく西に当たる。大字の地域が広く土居が奥ほど小さく散在している。
しもから、北村、広瀬、田中、上村(かんぶら)、三軒屋、河原畑、河北(こうげた)、落河内、杣小屋である。
字は多く百十八もある。広瀬は、川辺にあり、広い瀬があったと思われる。
田中は田の中、カンブラは上の村のなまりではなかろうか。河原畑は字のとおり、河原にできた畑、
河原をひらいてつくった畑の意で河北も文字通り、河の北にある土居だからであろう。
落ガ河内は落ちて来たのではなく、遠近(おちこち)のオチで
河内より越し(越ち?)てきたものの村ではなかろうか。
鳥取市明治谷あるいは鹿野町(鷲峰)の河内より移住し、遠い河内と称したとも考えられる。
杣小屋は杣(そま)に入って木地屋(きじや)をする所の意で、木地屋の人の命名か。
里の人の名付けたものであろう。木地という地名は各地にあり同様の仕事をしているようだ。

西 郷 (さいごう)
郡区町村制編制法実施のはじめ、郡の町村を単位とし、区域の広狭により、一町村又は、
三、四か町村を一区域として戸長役場を設置したが明治十六年その設置区域を拡張して
十数ヵ町村を連合して新に戸長を任命した。
第一連合は河原村外十四ヵ村・第ニ連合は曳田村外十六ヵ村であった。
明治二十二年に市制町村制の配布をみた。これによって連合区制は廃され、ふたつの連合区は
新たに次の八ヵ村区に区画されたのである。三保村、久長村、国英村、佐貫村、曳田村、
五総村(中井・本鹿・小河内・神馬・牛戸)、明治村(湯谷・小畑・弓河内・北村)とし
大正四年四月に明治・五総は合併して西郷村と称した。

河原町北村 (かわはらちょうきたむら)
合併促進法施行の昭和二十八年十月一日より失効日の昭和三十一年九月三十日までの合併の
状況をみると、二十九年度十三件(国英村・河原町・八上村・散岐村・西郷村の合併を含む)

河原町史より

鳥取市河原町北村 (とっとりしかわはらちょうきたむら)
平成16年11月1日 鳥取市と合併 鳥取市河原町北村(とっとりしかわはらちょうきたむら)

H.19.12.31現在 住民基本台帳人口・世帯数117.人口376人
平成16年3月  1日現在・北村の戸数121戸・人口・412人・男183人・女229人、
平成17年2月28日現在・北村の戸数118戸・人口・392人・男177人・女215人、
そのうち70才以上は122人(男47女75)、(H17,3)高齢化は進んでいます。
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