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私がさすらいのドリブラーを好きになったわけ

 私のご贔屓選手のひとり、永井秀樹選手。彼は、Jリーグ開幕以来、ほぼ毎年のように所属チームが変わっている。人呼んで『さすらいのドリブラー』(笑)
 国見高校卒業後、国士舘大学に入学。3年連続優勝に貢献しながら、バルセロナ五輪予選で敗退したことをきっかけに、大学を休学(のち中退)。読売クラブ(ヴェルディ川崎)に入る。当時の読売は、日本鋼管のファンである私にとっては、「強すぎて嫌い」なチームであり、かなり複雑な気持ちになったものだ。
 が、不幸にも鋼管はJリーグ入りしなかったため、とりあえず千葉県のチーム(ジェフ)と、永井さんがいるチームを応援しようと決めた。のだが、大ブームに腰が引けて、この頃の記憶はあまりない。
 で、永井さんはといえば、ラモスやビスマルクの代役としてしか使われず、95年には、Jリーグ入りを目指す福岡ブルックス(現アビスパ福岡)にレンタル移籍。JFLで優勝し、見事J昇格に貢献。3万人とも言われるファンの残留嘆願署名を振り切って、ヴェルディに復帰・・・と思ったら、96年は清水エスパルスへ。ここでもタイトルにあと一歩届かなかったチームを、ナビスコカップで優勝に導く。この頃から優勝請負人とか言われ出したりして。またまたファンの署名を袖にして(苦笑)「(加藤)久さんのために」とか言ってヴェルディに戻る。が、結局久さんはシーズン中に解雇され、永井さんの出番も減った。
 (これはまたどっかにレンタルかな〜)と思っていたら、去年は横浜フリューゲルスに完全移籍。(やっと落ち着くかも)って思って、本人も「このチームに骨を埋めるつもりで」みたいなことを言っていたのだが・・・。
 所属チームの消滅、ということでまたしても移籍することになった今年。今まで永井さんの所属チームは、ジェフの次に応援してきたので、今年はF・マリノス(・・・)を応援することになってしまった。まさか自分がニッサンを応援する日がくるとは思いもしなかったね。(個々の選手は嫌いじゃないけど、チームとしてはいまいちね〜。ファンの方には申し訳ないけど)まあ、どの所属チームでも1年で結果を出している彼ならば、今年もきっとやってくれるはず。

で、本題。
 私が永井さんをはじめて見たのは、第65回全国高校サッカー選手権大会、1回戦、のはずだが・・・実はその試合では相手の市船の某選手に気をとられていたため、彼を見た記憶がない。その年の決勝戦も出てたと思うんだけど。覚えてないな〜。
 というわけで、好きになったきっかけの試合はその次の年。2年連続同カードとなった決勝戦。当然、国見を応援していた私が見たものは・・・決勝点につながった一本のタテパスだった。当時のサッカーマガジン選手権速報号では<23分、左サイドで永井が巧みなタテパスを二宮に送り>と紹介されたプレー。
 それは、まだまだサッカーを見始めて間もない私に、強烈な印象を与えた。
「うっわ〜」
と思ってしばし呆然としたあと、「あ、点が入ってる」と気付いたくらいに。その時は<国見の16番>としか記憶してなくて、永井さんという名前を知ったのは、多分高校サッカーハイライトで、だと思う。ちなみに当時の私は選手を背番号で呼んでいた。(国見の11番、15番、16番・市船の3番など)←その年のお気に入り選手。
 次の年は怪我の影響もあって、ベストプレーは見られなかったけれど、結局今に至るまでJリーガーで一番好きな選手の座を占めているのは、やっぱりあのプレーがあったから、だと思う。
 そーいえば、先月発売されたフリューゲルスのメモリアルブックで、永井さんと(三浦)アツが対談していたけど、なかなか面白かった。特に永井さんが「小さい頃からドリブルとスルーパスだけで、シュートはない」と言って、アツが「今も同じ」と言っていたのが笑えた。去年はこの2人と原田(国見卒)の3人が揃って同じチームにいたんだけどな〜。う〜ん、つくづく惜しい。

<1999.04.10記>

【追記】2002.03.21

 最近の永井選手は怪我が多い。30歳を超え、あと何年現役を続けられるかも分からないけれど。少しでも長く、現役選手としての永井さんを見ていられるよう、願うこの頃。

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