車遍歴 1

いままで乗ってきた車達です。記憶を頼りの備忘録です。
自己陶酔気味ですので、ご注意ください。
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パジェロ 1983〜1984
エテルナラムダ 2000 1981〜1983

三菱コルト1100 1970〜1974(おそらく)
アコード 1800ELX 1979〜1981(おそらく)
ブルーバードU 1800SSS 1974〜1979(おそらく)

我が家の最初の車は中古のブルーバードの410。たしか小学生のころでした。
写真がありません。

410の次は、なんと新車で三菱コルトの1100。先々代のコルト800や先代の
1000は、そこそこの人気でしたが、1100は今ひとつでした。
当時中学生の私は、自宅の敷地内でこのコルト1100でクラッチミートを勉強した
のでした。(といってもせいぜい2〜3メートルくらいの走行距離でしたけど)
改めて写真を見ると、フロントはダブルウィッシュボーンのような・・・

ヘッドレストは後付けオプション、運転者以外は危険な状態で乗ってたんですね。

今から思えばそれほど車内が広い車では無いのでしょうが、
CIVICから始まったホンダのデザインが進化していて、
また、当時にしては遊びの少ない妙にクイックなステアリングが
ヨーロッパの雰囲気を演出していました。

思えばこの頃からダートを走る病気が始まっていたかも。

また、CVCCの特性からか、一旦エンジンが温まった後の再始動ではエンジンが
なかなかかからなかったのを覚えています。

それでも、エアコン、パワステ、パワーウィンドと3種の神器がそろっていて、
いたく感動したものです。また、このアコードが、我が家の初めてアルミホイールを
履いた車となりました。
父を説得して新車で購入したアコード。

CVCC+無断変速機でスムーズなのは良かったのですが、アンダーパワー。
キックダウンが無いので、パワーが欲しいときはスターレンジからLoレンジへ
シフトするのですが、Loレンジが80km/hくらいまでしか使えず、高速の
追い越しではちょっと怖いときもありました。

ほとんどノーマルで乗っていましたが、補助灯だけ
シビエのものをつけました。実はこれ、ウインチベッドの
取り付け穴にぴったりで、そのままねじ込むだけで
装着できたものです。

鉄のホイールは想像通り重く、一度パンクしましたが
交換したタイヤを背中に背負わせてあげるのが重くて
体力の無い自分を呪ったものです。
プレイドライブ誌と並行して知人から紹介されて
読み始めたのが4×4マガジンでした。

別冊の「三菱パジェロ特集号」を読んだのが運の尽き。
初代パジェロを購入してしまいました。
いまでも特集号の最後の言葉、「われに追いつくグラマン
無し」を覚えています。(別に戦争マニアではありません
ので誤解の無いようお願いいたします。)

家族には、なんでトラックなんかと言われましたが、
三菱→三菱なので下取りも良く、父も諦めた目で見て
いました。

それでもPD Rallyには行っていました。
KS(関東精機)のトリップメータを、鉄板のインパネに
穴を開けてケーブル通して装着してました。

乗っているうちに、サスペンションが見た目ほどダートや
オフロードに向いていないと分かってきました。

買う前にきちんと勉強しないと駄目ですね。
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この車に乗り出した頃から、友人に誘われて
プレイドライブ誌のPD Rallyに行くようになり、
この車では和歌山まで行った思い出があります。
(成績は計算ミスで失格でしたが・・・)

左の写真は千葉、富津でのPD Rallyのひとコマ。

今ではあまり見かけなくなった、ヘッドライトワイパーが
付いています。

就職してから最初の車が三菱のエテルナラムダ。
この頃はターボ車が流行りだした頃でした。

ターボ車が欲しかった私は、いろいろ画策したのですが、
まだ父がたまに運転していたので、ATが必須ということで
この車になりました。
シグマじゃないのは、知り合いの紹介先がカープラザ店
だったからです。

グレード名を忘れてしまいましたが、たしかGSRとか
なんとかだったような・・・

さすがに2Lターボなのでパワーはありました。また、ホイールこそ鉄
でしたが、タイヤはアドバンHFという奢ったものでした。

ステアリングは一部がウッドだったと思います。ここらあたりも時代を
感じます。


私が免許を取ったときの車は、父の買った中古のブルーバードU(610型)。
SUツインキャブのL18型 SSSセダン3ATでした。写真が無いので、当時の
新聞広告で失礼します。
510も併売していたのを、この広告を見て思い出しました。

実は購入当初、片方のキャブが閉じた状態で、900ccの車と化していました。
整備工場の方に指摘されたのですが、その時の整備工場が当時の角筈にあった
阪納さんという工場。
勝手な想像ですが、調整をしていただいたり、SUツインの特性などを教えて
いただいた若旦那が、あのブガッティで有名な、故 阪納 誠一さんではないかと・・・。
めずらしいお名前という理由だけなのですが・・・
間違っていたらごめんなさい。

610はクーラーも無く、夏は人間に厳しかったのですが、エンジンもカウンター
フロー(排気系の上に吸気系がある)だったためか、ATなのによくエンストしました。
ガラス周囲のモールとボディーが金属同士で接触していたので錆の進行が早く、
我が家の車はトランクがお風呂状態になったりしてました。
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