"鎌倉散策"・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・.(.P−67/76)

第7ページは関東の運慶仏を訪ねて横須賀市葉山の浄楽寺と伊豆韮山の願成就院参拝の
記録です。 浄楽寺は個人参拝の予約を入れ仏像彫刻家と二人でじっくり重文の阿弥陀三尊、
不動明王、毘沙門天を参拝致しました。 願成就院はクラブツーリズムの伊豆に残る平安・鎌倉の
仏像傑作選を尋ねるテーマ旅に参加し新国宝の阿弥陀如来、不動明王、毘沙門天を参拝しました。
関東の運慶仏はこの他には称名寺光明院の大威徳明王が確認されていますがこの像は破損が
ひどく跨った水牛は失なわれていますが迫力のある顔立ちで運慶仏の特徴を表わしております。

2011年10月13日浄楽寺、13年9月15日願成就院参詣

(37/42) 浄楽寺阿弥陀三尊像 (ネットコピーより)

(38/42) 浄楽寺阿弥陀三尊の収蔵庫をバックに
和田義盛の依頼で運慶が弟子10人と共に
文治元年(1189年)製作した阿弥陀三尊像。
中央本尊は像高141cm(半丈六仏)で肉付の良い
重量感のある仏様。両脇時の観音・勢至菩薩と
共に目鼻立ちのすっきりした運慶仏です。重文。
左の阿弥陀三尊像と毘沙門天・不動明王像を
祀る防火構造の収蔵庫。これら5体の仏像は
以前は国宝であったが文化財保護法の改正で
見直され重文となった。1959年毘沙門天胎内
から銘札が発見され運慶仏と確認されました。
 
(39/42) 浄楽寺 不動明王像 (ネットコピーより)
 
(40/42) 願成就院阿弥陀堂をバックに
3尊像の右に配置されている不動明王。口を
への字に曲げて目をカット開いた童子の怒りの
形相はすざましく体全体から怒りの炎を発して
いるかの様な力強さを感じる。左に配置の
毘沙門天と共に写実的で動きのある運慶仏です。
北条氏の氏寺であり執権時政が頼朝の
奥州藤原氏の討伐を祈願し1189年建設。
時政は頼朝の名代として守護地頭の設置許可
を得る為上洛し、奈良仏師であった運慶もこの
直後鎌倉に下り頼朝に拝謁したと考えられます。

(41/42)願成就院の阿弥陀如来坐像寺発行絵葉書コピー)

(42/42) 願成就院阿弥陀堂に入る参拝者
右側の毘沙門天、左側に不動明王を従え
不動明王の脇侍の二人の童子と共に5体が
新国宝。阿弥陀如来は堂々として圧倒的的な
力強さを感じ、衣文の彫りも深い初期の運慶仏。
印相は指を前に突き出した珍しい来迎印です。
この日は台風18号が接近し早朝激しい雨。
幸いバスが三島に近づく頃は雨も止み青空が
見える好天になった。普段の行いが良かった
ものか?それとも運慶仏が遠路はるばるの
参拝者を歓迎してくれたものか不明?

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