・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(P-34/76)
1968年1月4日〜5月18日技術研修で欧州滞在。 西独Suttutgart郊外の機械メーカーにて研修中に
週末土・日曜日を含め5日間のイースター休暇を利用しパリに3泊の小旅行。Metro(地下鉄)も利用し
足の向くまま早春のパリを散策しました。 モンマルトルからピガール広場を散策し午後5時頃徒歩で
マドレーヌ寺院近くの宿へ帰宅途中道に迷い2時間半夕闇の迫る街をさまよいました。苦い思い出です。
40数年前の思い出の写真をデジタル技術を駆使し復活しました。 一部汚れのある点はご容赦下さい。
1968年3月26〜29日 パリ小旅行 | |
(01/30) マドレーヌ寺院(礼拝堂)をバックに |
(02/30) シャンゼリゼー通りの脇道にて |
パリの宿は寺院に近いMadeleine Hausmann。 StuttgartのJAL旅行案内所から予約を入れる。 宿のマダムは東京滞在経験有り、日本語も 流暢でパリの見所を的確に教えてくれました。 今も健在かどうか? この通りの写真左側は OysterBar等建ち並ぶ手ごろな食堂街です。 |
薄いコートに着変え春の訪れを喜ぶ人々。 道幅70mの大通りから南側(セーヌ側)に斜めに 入ったモンテニュー通りの光景。フィルム売り場で パリジャンヌがおめかしチェック。この時期夜は 寒さを感じましたが有名店がひしめくこの一角は 銀座の並木通りの様な華やかな雰囲気でした。 |
(03/30) 旧オペラ座前のスナップ |
(04/30) コンコルド広場のオベリスクをバックに |
旧オペラ座通りは古いパリの風情を残し老舗が 集中しております。資生堂、三越、JAL等日本 企業やいくつかの日本料理店もの地区に進出 しています。新オペラ座はフランス革命の発端 となったバスチーュ広場に建設工事中でした。 オペラ通り→ルーブル美術館→リブォリ通り →バスチーユ広場と約5Kmを徒歩散策。 |
凱旋門のあるエトワール広場から東に3Km コンコルド広場まで延びるシャンゼリゼー 通りはパリ観光の中心地です。コンコルド 広場のシンボル、エジプトルクソール神殿 より移設したオベリスクを背景に、頭の上に 薄すらとそびえるのはエッフェル塔です。 |
(05/30)ノートルダム寺院 |
(06/30) リュクサーンブル公園にて |
シテ島の東端に在り、2019年補修工事中の失火 で焼け落ちたツインドーム構造の寺院は復旧工事が 進んでいるとの事。修復工事は過去への再現に 留まらず21世紀のシンボル、創造性を盛り込んだ 未来への掛け橋となる復活を期待しています。 隣のサンルイ島から見た寺院正面ファサードを バックにした私のスナップ写真を添付しました。 |
最終日4日目セーヌ川左岸学生街カルチェ ラタン地区散策。パリ・ソルボンヌ大学に近い 広いリュクサーンブル公園で一服。公園脇を 東西に延びるサンジェルマン大通りは本屋や カフェが集まっていますが教会を超え20分 ほど歩くとホテルや高級店の集中する 繁華街となり街の雰囲気が一変します。 |
(07/30) アンバリッドをバックに |
(08/30) モンマルトルのサクレ・クール寺院 |
死後50年流刑地セントヘレナより帰還した ナポレオンの遺骸を教会の吹き抜け地下に 安置し無名戦士のお墓にもなっています。 アンバリッド内部1Fのパイプオルガンを備えた 荘厳な祭壇の雰囲気はここをクリック |
3日目の午後モンマルトル散策。 宿のマドレーヌ・オスマンから直線で4km位 の距離ですが帰りは暗くなり道に迷い2時間半 掛かりました。カフェで休憩し道を聞いても 解りにくい英語で地図だけが頼りでした |