COP3と原発

京都会議が残した政策−原発20基のからくりを許したもの−



 京都会議の直前、CO2の削減値におおかたの関心が集まっているさなか、政府は、原子力発電所約20基の増設分を見込んだエネルギー供給をもとにした国内対策の方針を打ち出していた。

 同じ頃に開かれていたボン会合で、日本政府は温暖化防止策として原子力の利用を持ち出し、各国から一斉に反発を受けてすぐに撤回していた。自国の経済への影響を懸念して温暖化防止に積極的でなかったアメリカでも、厳しい国際的な批判のさなかですら、原子力発電をCO2削減のための対策として取り上げようはしていなかったという。

 なぜ日本だけが、20基もの原発増設を、温暖化防止のための対策の基礎に据えることができたのか。

 狭い国土にはすでに50基以上のも原子力発電所が乱立し、地震による原発事故の危険性を指摘する声もしだいに高まってきている。大量の原発増設を基礎とする対策があからさまに示されているのに、大きな反発を受けることもなくそれが受け入れられた形になったのはなぜなのか。地球温暖化防止と原発推進が結びついた背景について考えてみた。


<一人歩きする報告書>

 11月14日、橋本首相から要請を受けた「地球温暖化問題への国内対策に関する関係審議会合同会議(以下、合同会議と言う)」(注1)は、国内の地球温暖化対策の基本的方向についての報告書を提出した。この報告書はわずか10数ページの、具体性を欠いた理念的な方向を示したものであったが、その中で、平成6年に閣議決定されていた「石油代替エネルギーの供給目標」(注2)に基づき、今後約20基の原子力発電所の増設に相当する原子力の導入を基礎とする方針が確認された。

 この合同会議は、温暖化問題に関連する9つの審議会の代表18名からなり、それに先立つことわずか2ヶ月あまり前の8月27日に、第一回目の会合がはじめて開かれたばかりであった。その間、挨拶や各省庁からの説明が大部分で十分な発言の時間さえもないほんの2時間ほどの会議を5回と、数名の委員しか出席しなかった形だけの2回のヒアリングを経てこの報告書はまとめられていた。あらかじめ作られていた報告書の骨子を、形式的にまとめ上げただけとしか見えないようなしろものであった。

 しかしこの報告書の末尾には、その中で示された基本的方向を踏まえて今後の対策に取り組むことと、それぞれの審議会で2010年及びそれ以降にむけた政策の具体化に着手するものとすることが決められていた。

 今年3月に中央環境審議会から出された「今後の地球温暖化対策の在り方について」の中間答申でも、この報告書の末尾の部分が引用され、これを踏まえた審議が行われてきたと述べられている。同じ頃国会に提出された省エネ法案についての通産省の説明の中でも、この合同会議の報告を受けて取り組んだということが、まずはじめに書かれている。満足な審議すら経ずに作成されれたほんの10数ページの報告書が、合同会議という形だけの話し合いの場を経て、21世紀を見通す国の基本方針に早変わりしていた。

 その中で示された原発20基の増設という政府の基本方針は、一般的には実現の見込みすらない「空想的」政策として受け止められている。しかし、そのような「空想的」にしか見えない政策を、実現可能と考えて、そのために努力しようという意思決定がなされていることは紛れもない現実なのである。

 京都会議のわずか1日後の12月12日、通産省は省議決定で、今後、総合的な温暖化対策を実施することを決め、その中の対策として「非化石エネルギーの開発・導入の一層の促進」を重点において、安全の確保と国民の合意を前提にして「原子力立地の一層の促進を図る」ことを決めた。中央環境審議会の中間答申の前提となった「中間とりまとめ」でも合同会議の報告書が前提にされ、原子力への転換による電力供給について検討すべきではないかという提案がされている。それについて寄せられた意見の中には、この合同会議の中で原子力の導入を基本とした対策が示されていることをあげ、数値目標達成のための原子力推進が不可欠であるという主張も出されている。


<審議委員の果たす役割>

 現在、環境庁が中心となって温暖化防止法の検討が進められているというが、その中核となるべき「省エネ法」は、すでに改正案が通産省で作られ、国会に提出されている。この法案に温暖化防止の文字はないという。

 通産省と環境庁の対立関係は京都会議の準備段階から公然と見て取れ、それが温暖化防止のための政策の限界になっている。このことは我が国の縦割り行政の弊害を示す例としてたびたび批判されている。しかし、環境庁が通産省の動きに徹底的に対立して行くのかと言えばそうではなく、環境庁は一見反対する姿勢を示しながらも、結局は通産省の政策を黙認するかっこうになり、結果的に業界の意向を容認してしまう。このことが原発20基の増設という国内政策を生み出した背景の一つでもあるし、原因物質の規制に踏み込めないために有害物質対策が全くすすまないなど、我が国の環境行政の遅れを生み出す元凶になっている。

 その原因の一つには、合同会議や審議会などの委員の人選の問題がある。

 今回の場合でも、合同会議や中央環境審議会を構成している委員の多くは、同時に、通産省の審議会の委員を兼ねていたり、通産省所管の公益法人の理事や研究員になっている。そのような地球環境問題やエネルギー問題に関連した法人や研究機関は、電力会社をはじめ、電気メーカーや金融業界など我が国の経済界をリードする人たちによって運営され、そこから財政的な支援を受けている。

 企業から多額の支援を受けて研究などを行っている人が、審議委員として環境行政の意思決定に参加しているのである。表向きの対立関係とは裏腹に、審議会レベルでは、環境庁は通産省や業界と協調関係を取りながら環境行政を進めている。審議委員はその接着剤のようなはたらきをしている。入り口は二つに分かれているように見えても、中に入れば渾然一体となって、政府と業界とが協力して国の行政に取り組むようにできているのである。その結果、環境行政は名ばかりのものになり、通産主導の環境行政が強硬に押し進められてゆく。そこには民主主義の入り込む場所はない。 

 原発20基という政策がいとも簡単に認められたことを見てもわかるように、原子力行政において国民の安全が重視されているわけではない。

 規制緩和という社会的要請による電力需給の自由化の波を受けて、高い電力料金の原因になっている原子力発電への風当たりはますます強まっている。しかし、CO2の削減義務が厳しいものであればあるほど、政府は国内の経済発展を至上命令として、エネルギーを今以上に使いながらCO2を削減する方法を模索する。その結果、エネルギーの安定供給という経済界からの絶対的な要請を背景に、巨大な利得を生む原発依存という政策がしゃにむに強行されて行く。温暖化防止という地球環境問題の解決のためという、今まで以上に強い動機づけを与えられて、原発建設が推進される。一方で国民から集められた巨額の税収を湯水のようにまき散らし、同時に国民の生命と安全を犠牲にしながら。


<もう一つの抜け道>

 京都会議の前の昨年10月に通産省が出した「COP3に向けたCO2削減対策」を見ると、原発増設による削減相当分を入れなければ、CO2の排出量は95年比でも数%上昇することになっている。原発20基分の増設を見込めば、CO2の排出量を1990年レベルに抑えることができるという。通産省はこれについて「2010年のエネルギー消費量が90年比で増大してもCO2排出量は安定化する理由」の中で、CO2を削減してもエネルギーは今まで以上に使える、その理由は原子力発電所の増設分などがあるからだと説明している。通産省は当初から、CO2の削減とエネルギーの使用量の増加を両立させることしか考えていなかったわけである。

 日本は、経済力を維持し国際競争力を低下させることなく、なおかつCO2の削減をするという現実的には矛盾する政策のつじつま合わせのために、その方便として原子力に依存する方法を採った。こうすれば、我が国は経済発展を犠牲にすることもなくCO2の削減に対処することができ、地球環境問題という重要な外交問題の舞台で、自分たちは負担を背負うことなくともかくは国際的な体裁を保つことができる。

 オランダや北欧諸国では、価格上昇を招き国際的な競争力を失う可能性があることは承知の上で、国内外からの抵抗を受けながら、炭素税やエネルギー税などの税率の引き上げを検討している。多くの先進諸国にとって、CO2削減という温暖化防止問題は、経済界を中心に内部の摩擦と対立を引き起こしながら、国民全体の痛みを伴ったぎりぎりの選択になっている。それを避けようとして、一方では、排出権取引など数々の抜け穴を作ることに腐心する動きが出され、他方では、逆に、温暖化防止の要請を需要拡大や技術革新の契機とした、新たな経済発展と結びつけるための地道な努力が続けられているのである。温暖化防止という問題は、環境面からの要請と企業の経済活動の自由との板挟みの中で出発しなければならない問題である。その中で何とかして答えを見いだそうとすることが地球環境問題に取り組むということなのである。本来、「持続的な発展」という目標は多かれ少なかれそのような意味を持つ。

 しかし、我が国は原発依存という政策を基礎とすることによって、CO2の削減のために引きおこされなければならなかった経済界との摩擦や対立を回避し、本来なら経済発展の可能性と引き替えでなければならなかったCO2削減の義務を巧みにかわしてしまった。言い換えれば、原発推進という政策によって、我が国は正面から温暖化防止問題と取り組む必要性をなくしてしまったのだ。政府は巧みにそのトリックをやってのけた。それをある意味では私たちが許したのである。

 

<私たちの側の問題>

 原子力発電を基礎とする方針については、報道でも既成事実として取り上げられるくらいでほとんど問題にされることはなかった。国民のほとんどがこの方針を是認しているかのように見えた。その方がより真実に近かったのかもしれない。

 しかし、温暖化防止という大きな目標に向かって自国のエゴをむき出しにすることをやめ、利害対立を乗り越えて何とか京都会議の成功を勝ち得ようとしていた時、自分たちの国だけの問題である、国内対策としての原子力依存の是非を取り上げるべきではないという判断も働いた。

 温暖化防止に取り組む我が国の代表的なNGOとして認められていた「気候フォーラム」は、「10の主張」で原子力発電は代替エネルギーにはなりえないとしていたが、政府が約20基の原発増設を基礎とした国内対策を提示していることを事実として認めながら、それに対して直接的な反対をしようとはしなかった。京都会議の結果を受けて、今年1月26日に出した国内対策についての意見の中にも、原子力発電の増設を国内対策の基礎とすることに反対する記述はなかった。気候フォーラムが京都会議において果たした役割は多大なものであり、特に原発に反対するグループと推進派をうまくまとめ上げて京都会議の成功に結びつけたことは画期的だった。しかし、そのことが結果的に原発反対の意見を吸収した役割を果たすことにつながらなかったのか、活動のための資金の多くの部分を公的な支援や企業から得たことが何らかの足かせにはならなかったのか、今後も問われていくことになるだろう。(*注3)

 いずれにしても、意見の対立が全くと言っていいほど表面に出てこなかったことが、かえってこの問題の複雑さと難しさを表わすことになった。

 中央環境審議会の中間答申では、地球の温暖化問題は「まさに人類の生存基盤に関わる最も重要な環境問題の一つである」としている。温暖化問題をこのようにとらえるとすれば、私たちはこの問題を解決するためにどこまで譲歩するべきなのだろうか。事態の深刻さと問題の重要性を、行政も私たちも十分に理解しているというわけではない。原発増設政策という問題と正面から向き合った時、初めて温暖化問題は私たちにとって現実の問題となる。その意味では私たちはまだ本当のスタートは切っていないのである。



    ** 注 **
    注1:合同会議とは次のページにあります−
    注2:平成6年閣議決定「石油代替エネルギーの供給目標」
    注3:(参考)気候フォーラムの財務報告

       (*気候フォーラムについては気候フォーラムへの手紙を参照して下さい。)


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