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第3日目: 2000年9月19日(火)
3日目の午前中の全体会議のこのセッションは、世界の被災者団体や支援団体が勢ぞろいといった趣で、現場からの報告が続き、圧巻でした。 @フェルナンダ・ギアナージさんが、ブラジル・アスベスト曝露者協会(ABREA)の設立から現在の取り組みにいたる経過を発表しました。オザスコにはスイス資本のエターニトの工場があり、ブラジルのアスベスト工業の中心地として、1940年から1993年まで操業していました。製造されていたのは波型スレート板やアスベストセメント管、プランターなど多種多様です。それぞれの製品をプロジェクターで説明していましたが、日本よりも製品の種類が多いように感じられました。その後、ダイナマイトで建物を解体し、跡地はアメリカ資本のウォルマートという大きなショッピングセンターに変わっています。オザスコのエターニトのアスベスト工場で働いていた労働者を中心に、1994年にABREAが結成されました。多くの労働者が病気になっていて、970人のアスベスト肺の労働者、悪性中皮腫の患者33例が把握されているとのことでした。 A番目に、古谷が、日本の状況を数字や年代を交え、輸入状況、厚生省の最近の年間600人の中皮腫発生と労働省の認定数の相異、石綿対策全国連絡会議の運動の経過とアスベスト規制の状態、建材にクリソタイルの使用が続くことを包括的に発表しました(写真)(発表文は別添)。 後に会場で出会った多くの方から日本の現状が良くわかったとお褒めをいただきました。 オーストラリアは、アスベスト問題をめぐる状況や補償制度等が州ごとに多様であるということで、B東側シドニーのアスベスト疾患基金(ADF)と、Cクリソタイルの大鉱山(ウイットヌーム)があった西端パースのアスベスト疾患協会(ADS)からの発表がありました。両者の違いはよく把握できなかったのですが、その活動は、横須賀のじん肺・アスベスト被災者救済基金や日本各地での経験と非常によく似た面があり、示唆に富むものでした。 シドニーがあるニューサウスウエールズ州では、珪肺は減少してきているものの、肺がん、石綿肺は増加し続け、年々倍増とでもいえそうな激増ぶりで、やはり建設労働者が増えています(2020年がピークと予想されています)。オリンピック会場近くのビルからアスベストが飛散していることが、地元のメディアでは大問題になったということです。ADFは、フルタイムの看護士やカウンセラーも配置して被災者や家族のケアに力を入れ、ピクニックやクリスマス・パーティなどの相互交流の機会をつくっています。 ウイットヌーム鉱山では、人口6千人の地域で301例の中皮腫、296例の肺がん、611例の石綿肺、930例のじん肺が報告されているとのことです。ADSは、被災者・家族のサポートや行政への働きかけ等を行うとともに、ある法律事務所と組んで被災者に有利な多数の判例を作り出し、また、医学的調査研究に財政援助することを含めある病院のスタッフたちと緊密な連携をとっていることが患者の専門的治療へのアクセスを容易にしています。 Dオープニングで市長が挨拶したイタリアのカサーレモンフェラート市の被災者は、「工場内外の被災の状況」を報告しました。 Eオランダ・アスベスト被災者協会の創設メンバーで、国会議員でもある弁護士は、オランダは最大で1980年に15万トンのアスベストを輸入し、悪性中皮腫の患者が1970年代は年間70人、1990年代には年間300人に増加した、2030年には1,000人くらいに増加するだろうとのこと。1980年代から反対運動が盛んになり、1993年に製造が禁止されました。エターニト社は、オーストリア、スイス、オランダ、ブラジルの4グループがあったが、オランダでは東部で1930年代から生産しており、40億ドルで会社を売却した。被害者に対し、ドイツのがん基金が寄付してくれたという話でしたが、民事損害賠償請求が現在600件係争中で、補償をめぐる問題点や取り組みについても報告しました。 F旧ユーゴスラビア北部のスロヴェニアのアスベスト被災者協会からは、颯爽とした疫学者の女医が発表。スロヴェニアはオーストリアの南の小さな国で、イタリア資本の2つのアスベスト・セメント工場をはじめ50のアスベスト工場があり、1947-1994年の47年間で、約48万トン製造した。1982年に反対運動が起きた。非政府組織で小学校やカトリックの教区が活動している。工場の負担で除染作業をした。21例の悪性中皮腫と61人の肺がん患者がみつかっている。政府はアスベスト対策のために法規制を行っている。アスベスト使用の建物からアスベストを撤去する作業を行うこと、アスベスト・セメント製品の製造禁止、医療的なフォローを行っている。 スロヴェニアでは現在、過去35年間のアスベスト使用状況の情報収集作業を進めている。その内容はアスベスト製品の生産量、アスベストの使用量、廃棄物の取り扱いなどの調査。また、約5%の小学校で、アスベスト・セメントの屋根があった。地域では、アスベスト・セメント管を使用していた。発がんのデータやアスベストに曝露した労働者の健康状態、アスベスト廃棄物の行方についても調べているとのこと。スロヴェニアはEU(ヨーロッパ連合)加盟をめざしているため、アスベストの使用禁止をはじめ、かなり徹底したアスベスト対策を行っているようです。話を聞いて、小国であり、アスベスト工場の数が少ないことなど、対策が取りやすい面もあるように感じました。 Gアメリカの「白い肺協会」は、「1979年設立、アメリカの規制でメキシコや他の国へ工場が移るのではしょうがない、アスベストの危険の子ども達への教育が重要」と発言しました。 これらの報告から導き出される共通の課題は、ローリー・カザンアレンさんのまとめを借りれば、以下のようなことになります。 ・ 地方および全国的なメディアとの緊密な連携の必要性 ・ 様々な組織を横断したサポートの重要性―例えば、労働組合、労働安全衛生団体、法律事務所、大学学部、政党等々 ・ 医学研究者および弁護士などのアドバイザーとの緊密な、個人的な関係の重要性 ・ 最小の費用で最大の成果を生むための(被災者)個々人および家族の参加・関与(深刻な財政不足を訴えたのはわずかでしたが、これはすべての組織にとっての共通の問題です!) ・ 一般の人々の関心を高め、アスベスト禁止法令のための政府への働きかけ、危険なテクノロジーの第一世界から第三世界への移転を防止し、世界的禁止を求めるキャンペーンの必要性、が認識されました。 ・ 発言者たちは何度も、圧倒的なようにみえる反対に直面していても、ギブアップしない断固たる決意が、目標を達成するための闘争の中で最も重要なことだと述べました。 H続いて、世界中のアスベスト禁止活動家のバイブルとも言ってよい『アスベスト: 医学的・法的側面』の著者であるアメリカのバリー・キャッスルマンさんが、「科学者の組織の操作」と題して、IPCS(国際化学物質安全性評価計画)等の国際的科学機関がアスベスト産業に有利な報告だけをするように、カナダ政府やアスベスト産業がどのようなことをやってきたかを明らかにしました。
このラウンドテーブルは、コーディネーターのEliezer Joao de Souza氏とともに、この世界会議の立役者、フェルナンダ・ギアナージさんが実質的に運営しました。ラウンドテーブルが開かれたオザスコ市民シアターは、オザスコ、リオデジャネイロ、サンパウロ、イタピラ、サンカエタノドスルなどブラジル各地から100人(?)程度のアスベスト被災者が集まりました。このラウンドテーブルはすべてポルトガル語で運営され、現地でお世話になった宮坂さんに通訳していただきました。 ふたりの被災者からのプレゼンテーションがありました。ふたりともオザスコ市のエターニト社で働いていた労働者で、ひとりはアスベスト被害の補償の裁判中で、複数の病院でアスベストによる健康被害であると認定されたにもかかわらず、裁判所が企業(エターニト社)と結託(?)し、アスベスト被害であることを認めようとしないという自分の事例を報告しました。近々判決が出るとのことでしたが、敗訴は確実だということで、この会議で自分の事例を紹介し、裁判所が企業と結びついているというブラジルの特殊な事情(?)を訴えていました。 もうひとりの報告は深刻な報告でした。アスベストによる被害で片方の肺を切除し、余命1年ほどであると医師に告げられている方で、淡々と自分の状況を報告している姿は悲しみに満ちていました。気持ちを奮い立たせながら、もうこのようなことがあってはならないと訴え、フェルナンダ女史に感謝の気持ちを表していました。フェルナンダさんはこの世界会議のために、ブラジル全土からアスベスト被災者を一人ひとり探し出し、自ら連絡をとり、参加を呼びかけたということです。むしろ、彼らのために、この世界会議をフェルナンダさんは開催したのだろうと思われました。アスベスト全廃のためのフェルナンダさんの意気込みと、被災者の役割の大きさをあらためて感じました。 次に、彼らをサポートしている弁護士からの現状報告がありました。ブラジルではアスベスト関連の病気にかかると職を失う。少しでも働けるうちは、「働けているではないか」という理由で補償されない。被災者にしても、一般の人たちにしてもアスベスト関連の病気をよく理解していない。ブラジル内のほとんどの医大でアスベストについての講義が行われることはなかったが、大きな大学では最近講義が行われるようになった。との現状を説明し、緊急の課題として、行政、議会が補償についての法令を作るべきであり、医師と弁護士とが組んで具体的なはっきりした立場を取るべきだと決意を述べました。 その後、ステージ上の席に運営委員のひとりとして座っていたフェルナンダさん(写真)がなにやら静かに話し出しました。彼女の話は徐々に熱を帯び、独特のハスキーな太い声が途切れなく市民シアターに満ちていきました。彼女は席を立ち上がり、やがて舞台をマイクを持ったまま歩き回り、手を振り体全体で訴えを続けました。彼女の訴えの15分か20分、もしくはもっと長い間であったかもしれませんが、その間シアターは静まり返って、最初母親にしかられているかのようであったABREA(ブラジルアスベスト曝露者協会)のメンバーは、やがて彼女の訴えに勇気を得、決意を新たにしていく様子が伝わってくるようでした。彼女がこの運動、会議の中心であるとともに、被災者一人ひとりの精神的な支えであることを感じさせる一幕でした。
60-70名が参加。まず、ブラジルのCUT、Forca Sindicalやチリ等のナショナル・センターの代表が報告(南米各国の労働組合ナショナル・センターがアスベスト全面禁止を要求するに至る経過も報告されたのかもしれませんが、遅れたのとイヤホンから通訳される英語を十分理解できませんでした)。 続いて、イギリスGMB労働組合(前日の全体会議@の発表者)とカナダ自動車労働組合の代表の報告。カナダでは、鉱山労組などがアスベスト禁止に反対で、ナショナルセンターとしてアスベスト禁止を表明できないでいると聞いていますが、カナダからの労働組合の参加に連帯を込めて歓迎されました。 国際建設・林産労働組合連盟(IFBWW)国際安全衛生プログラムのコーディネーターFiona Murieさんからは、IFBWWの取り組みの経過から、国際自由労連(ICFTU)がアスベスト禁止を求める国際キャンペーンに乗り出したことまで報告され、このミーティングで出された議論はICFTUにおける今後の方針論議に必ず反映させると力強く発言しました。アスベスト問題に対処する労働組合としての原則はきわめてクリアで、@禁止(ban)、A(既存のアスベストへの)規制強化(regulation)、Bよい実践例(good practice)、異なる分野および国際的なネットワーキングを強化していく必要があると強調していたのが印象的でした。なお、会議には、最終日の全体会議Eで「早期にアスベストを禁止した後の北欧の経験」というテーマで発表したノルディック建設・林産労働組合連盟(NFBWW)の代表(デンマーク)をはじめ、欧米だけでなく、フィリピン、マレーシアを含めて、IFBWW加盟の世界の労働組合の代表が多数参加していました。 国際的な労働安全衛生の情報誌「Hazards/Workers’ Health International Newsletter」の編集者で、国際ジャーナリスト労連(IFJ)の安全衛生担当者でもあるRory O’Neillさん(イギリス)は、最終日の全体会議Dでも「公正な移行: 雇用喪失ではなく安全な労働というテーマで発表していますが、伝統的な発想では、アスベスト禁止=雇用喪失・対・雇用確保という問題の立て方をされる場合が多いが、新しい積極的アプローチを追求する必要がある。それは、雇用の創出、変化を生み出すことだと訴えました。 その後、会場から多くの発言・討論が行われました。やはりインドやマレーシア等からは厳しい雇用情勢からの危惧が表明され、労働組合としてこの問題に対する方針を明確にすることが重要であると思いました。また、ICFTUの国際的キャンペーンが本格的に展開される来年に向けた方針として、(国際的なアスベスト製品の)ボイコットやアスベスト被災者の組織化を労働組合が積極的に支援・協力していくことなどが考えられているようです。参加者名簿を作成して今後も情報交換を進めていくことが確認されました。ある参加者は、「これは、目的を真に達成するために、労働組合運動家たちが国際的なネットワークを形成することができることを示した傑出した実例である。労働組合の指導部と一般組合員が一緒になって、この重要問題の現実的な解決策を議論した」と評しています。 なお、このミーティングのまとめとして、労働組合参加者の宣言が作成されることになり、この最終版が後日送られてきましたので、前頁からの囲みで紹介します。
参加者: Drs. Ubiratan de Paulo Santos、Hermano Albuquerque Castro(ブラジル)、Prof. Benoit Nemery(ベルギー)、Dr. Yuji Natori、Shigeharu Nakachi(日本)、Dr. Domyung Paek(韓国)、Dr. T. Jayabalan(マレーシア)、Dr. Metoda Dodic-Fikfak(スロヴェニア)、Dr. Gurnham Basran(イギリス)、Drs. Steven Markowitz、Christine Oliver、Jorroid Abraham(アメリカ) 韓国のPaek氏やブラジルの医師が、胸部レントゲン写真だけでなく高分解CTの有用性を発表していました。胸部レントゲン写真では見えない胸膜肥厚斑等が見える点や医師間の判断差の少ない点で納得しつつ、どのくらい利用できる施設があるのか、初期のCT診断基準の統一の難しさを考えさせられました。
「補償」をめぐる発表は、国ごとの補償や訴訟のシステムを一度話を聞いただけで理解できるわけもなく、ローリー・カザンアレンさんのレポートもお借りして報告しますが、なお疑問の点は多いと思います。 ABREAと連携しているブラジルの弁護士Leonardo Amaranteは、被災労働者が補償を獲得するうえで直面している困難について説明しました。(どこの国でも同じですが)曝露から発症までの潜伏期間が長いために、多くの者がその間に重要な書類を捨ててしまっているということが、深刻な問題を生じさせている。現在300件が裁判所で係争中である、サンゴバンの子会社でアスベストを運搬していたトラック運転手の遺族に250,000US$を認めた下級裁判所の画期的な判決が上級審で支持されそうだとのことでした。 アメリカのDianna Lyonsは、颯爽とした女性弁護士で、環境問題の法律家の世界的ネットワークであるE-Lawのメンバーでもあり、世界会議の他の場面でも何度か発言しています。アメリカ国外から、アメリカで製造物責任訴訟を提起する可能性や問題点について発表したようですが、残念ながら詳細は聞き取れませんでした。 フランスのアスベスト疾患に対する補償システムの一部は1919年にまでさかのぼることができます。フランスのアスベスト被災者の全国組織であるANDEVAとこれに協力する弁護士たちは、シェルブールの中皮腫患者であるMichel Drouetがフランス海軍在勤中の職業曝露によるものとして政府の委員会から163,000$を受け取ったことなど、最近のいくつかのテストケースで勝利を収めてきています。他の成功例としては、被告企業を「抗弁できない過ち(inexcusable fault)」により有罪とした評決もあります。この評決は、裁判所が認容した補償額の倍以上でした。ANDEVAのメンバーが「抗弁できない過ち」によって提訴した200件以上の請求が成功しています。それと比べると、家庭内や環境の汚染に関する民事訴訟の方はそれよりはうまくいっていないとのことでした。 多くの国の場合と同様、オランダにおける民事訴訟の遅れも中皮腫被災者を不利にしています。補償手続を簡素化するために、アスベスト被災者機関(IAV)が今年の初めに設立された。このイニシアティブは、オランダアスベスト被災者委員会の長年の働きかけとキャンペーンの成果であるとのこと。30年間の時効期間内に曝露を受けた使用者/保険者を特定できる中皮腫患者のみが、4か月以内に請求を処理することを目的としたIAVに請求を行うことができる。IAVに請求を行うためには、請求者は民事訴訟を提起する権利を放棄しなければならない。IAVに請求することのできない中皮腫被災者は、全国的な補償体系を運営する全国アスベスト機関(GAI)に請求を行うことができる。IAVによる平均裁定額が90,000-100,000ギルダー(45,000-50,000$)なのに対してGAIは35,000ギルダー(17,700$)というように、両者から手に入れることのできる補償のレベルには大きな食い違いがある。それに比べて、民事訴訟による補償はおおよそ135,000ギルダー(68,000$)。IAVもGAIも、石綿肺や肺がんは補償していない。1999年に、元喫煙者の損害を認容する評決が出されて、アスベスト関連肺がん被災者の訴訟の見通しが改善された。この決定が出されて意向、被告企業や保険会社はこれらの請求について以前よりも和解しようという意向を示している、などということでした。 オーストラリアの東端パースから1500km離れたところにあるウィットヌーム鉱山では、1943年頃からクロシドライトを採掘していました。1966年に千人以上の労働者が被害を訴えた。1970年代になって、被害が深刻になったが、法規制は10年遅れた。1977年に裁判で、初めて被害が認められた。80年代も裁判闘争が続いた。1988年には、悪性中皮腫が裁判で初めて認められた。被害が認められるまで、あきらめず、ロビー活動やマスコミへの働きかけを行ったことが、補償を勝ち得た原因であると指摘されました。 南アフリカの行政官であるDr. Andrey Banyiniは、アスベスト被災者が求めるレベルの補償を政府の制度が実現できていないという訴えました。鉱山労働者の中には、けい肺、じん肺、アスベスト関連疾患、悪性中皮腫の被害者がいる。被害に対する補償については白人、カラード、アフリカ人の間に差別が存在する(黒人は白人の10分の1程度)。鉱山を経営者が撤退し、イギリスに逃げたため、補償を求めて、デモやロビー活動を行ったが、ロンドンの法廷で裁判を行うことを認められるまで、3年かかったとのことでした。 イギリスのアスベスト多国籍企業グループであったケープ社(Cape plc.)に対する損害賠償請求で3,000名の南アフリカのアスベスト被災者の代理人を務めているロンドンの弁護士Richard Meeranは、2000年7月20日のイギリス上院の裁定によって、この訴訟をイギリスの裁判所で進めることができることになったと説明しました。この問題は「南アフリカの司法権の方が圧倒的に利害を有する」としたBuckley判事の意見(1999年6月)は、5名の法官議員によって無効とされ、この訴訟が南アフリカの司法権に差し戻されることになれば、「原告たちは、この請求を公正に審理するために不可欠な専門的な代理人や専門家による証言を獲得することができなくなってしまうだろう」と結論づけたものです。 もうひとつのイギリスのアスベスト多国籍企業ターナー&ニューアル(T&N)のアスベスト工場の近くに住んでいて曝露し、中皮腫に罹患した女性(後述のJune Hancock)による訴訟は、環境曝露に関する画期的な事例です。アメリカでは裁判所が企業に強制的に資料を提出させ、それを証拠とできるので、アメリカで入手した資料をイギリスの裁判で活用して勝訴したとのことでした。 午後の全体会議は、「職場の被災者: 沈黙を打ち破れ」という本の本会議向けの特別版の出版の報告で締めくくられました。この日の日程の最後は、ファミリア・ネグリチュード・プラス100% COHABによる楽しいパフォーマンスの後、シアターのロビーにおいて、オザスコ金属労働組合の主催によるカクテル・パーティーが、会議参加者、ゲスト、前述の本に登場した被災者たちが参加して行われました。私たちはこれには参加せず、韓国、香港の参加者と夕食を共にしました。ソウル大学副教授のパク・ドンミョンさんからは、日本海軍によって開発された韓国のアスベスト鉱山の話など興味深いお話をうかがい、香港工業傷亡権益会(ARIAV)のチャン・カンホンさんとはアジアでのキャンペーンの可能性等についても話し合いました。 続く |