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9月17-20日、ブラジルのアスベスト製品製造業のメッカであったオザスコ市(サンパウロの西隣に位置する工業都市)において、「世界アスベスト会議―過去、現在、未来」が開催されました。 五大陸のすべて35か国以上から、300名をこえる人々が参加。日本からも石綿対策全国連絡会議の代表として、古谷杉郎事務局長(全国労働安全衛生センター連絡会議事務局長)と永倉冬史事務局次長(アスベスト根絶ネットワーク代表)、名取雄司医師(同運営委員、労働者住民医療機関連絡会議)、環境監視研究所(大阪)の中地重晴さんの4名が参加してきました(産業医科大学の東敏昭教授(作業病態学)ほかひとりも参加されています)。 会議は、ブラジル・アスベスト曝露者協会(ABREA)、アスベスト禁止ネットワーク(BAN)、アスベスト禁止国際事務局(IBAS)(後のふたつはアスベスト禁止をめざす国際的なNGO・個人のネットワーク)の主催、アメリカの労働環境保健学会(SOEH)の共催で開催されました。オザスコ市長が名誉議長、同市の衛生局長が議長、労働監督官でABREAの設立に尽力し、ラテンアメリカ・アスベスト禁止ネットワークのコーディネーターでもあるフェルナンダ・ギアナージさんが副議長を務めました。 オザスコ市、オザスコ市衛生局、保健省―労働衛生コーディネーター(COSAT)、マウントサイナイ病院/クィーンズ・カレッジ(アメリカ)、国際自由労連(ICFTU)、国際建設・林産労働組合連盟(IFBWW)、CUT、Forca Sindical、CGTという国際自由労連加盟のブラジルの3つの労働組合のナショナル・センター、カナダ自動車労働組合(CAW)、ファミリア・ネグリチュード・プロジェクト(後述)等が後援しました。 ブラジルは、インドや日本等にアスベストを輸出する一方で、自らも生産量の70%を国内で使用しています。ブラジルのアスベストの半分以上が、エターニト(スイス)やサンゴバン(フランス)などのヨーロッパの多国籍企業がつくった共同企業体によって採掘されています。オザスコは、過去長期間にわたって、ブラジルのアスベスト・セメント産業の中心地でした。50年以上操業を続けたエターニトのオザスコ工場では、スレート板等の建材や車両用ブレーキ・システム等のアスベスト製品が製造されてきました。現在、この工場の跡地にはウォルマートの巨大なショッピング・センターが建っています(次頁写真右下参照)。
オザスコの街ですぐに気がつくことは、オザスコ駅の駅舎や工場の建物をはじめ、近代的なマンションからスラムの掘っ立て小屋まで、いたるところに波型スレート板が目につくことでした(写真参照)。これは、サンパウロ市内でも同様です。オザスコでは、家族のなかにアスベスト関連疾患にかかったものが誰もいないというものはいないとのことでした。ABREAの本部もオザスコ市に置かれています。 この世界会議は、科学者、アスベスト疾患被災者、労働者、市民、政府当局者等々、様々な立場の人々が一堂に会し、しかも、アスベストの輸出国と輸入国、いわゆる先進国と開発途上国、すでにアスベストを禁止している国と禁止していない国の代表が顔をそろえて、アスベスト問題の過去と現在を検証し、未来に向けた共通の解決策を探ろうという、初めての画期的な試みでした。 世界的なアスベスト被害の実状と問題点とともに、とりわけアスベスト産業が規制の強化を妨げる一方で規制の少ない国へと生産や消費の場をシフトさせてきている中で、世界的なアスベスト全面禁止こそが唯一の解決の道であること、それと同時に、禁止は問題解決の第一歩であってその後にも共通して解決していかなければならないこと、などが明らかにされたと思います。 会議の正式な報告は年内にもCDで届けられる予定です。この報告は、参加者の個人報告やその後届けられた情報に基づく限られたもので、正確さを欠く部分もあるかもしれないことをお断りしておきます。 現在、会議の主催者から、次頁に示すような「オザスコ宣言(案)」を本世界会議の結論および勧告とするという提案がなされており、参加者の承諾・署名を求められているところで、正式な「宣言」もおってもたらされることになっています。 また、「ブリティッシュ・アスベスト・ニューズレター」の編集者であるローリー・カザンアレンさんは、今回の世界会議を通して知ることができた新たな進展として、以下のことをあげています。
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