毎月の提言
2006年は、首都圏精神医療連携データベース(http://www.psyhp.net/)の編集長業務が忙しくなりました。しばらくお休みにします。

2005年大晦日   リストラ・民営化とメンタルヘルス資源の衰退
        〜「グロバライゼーション」はアメリカナイゼーションとジャパナイゼーションの2軸構成

2005年12月    パラリンピックについて〜精神障碍者の参加が近い

2005年11月   童話「モモ」に見る過重労働問題〜時間は蓄積できないこと。

2005年10月   書籍「99歳の精神科医の挑戦」(秋元波留夫著)のこと


2005年9月   真夏の選挙戦に思う

2005年8月  自殺と自殺ネット:疾病性と事件性



2005年7月  職場健診での胸部レントゲン廃止と医療界の「55年体制」

2005年6月  若貴問題と家族的因子
(専門家向けの内容になりました。この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/にのみ掲載しました)。

2005年5月  尼崎脱線事故に思うこと〜世代間技術伝承の難しさ

2005年4月 新入学生の精神科健診に臨んで思うこと
           
2005年3月 ライブドア対フジテレビ、その世代間葛藤 

2005年2月 医療と安全(専門家向けの内容になりました。この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/にのみ掲載しました)。

2005年1月 新年を迎えて「自然災害と、それを誘発、拡大する人間災害」

2004年大晦日 職業と差別(新聞配達員そして郵便配達員と治安問題)

      〜企業内の精神科問題は治安問題と関係している。民営化は治安悪化を誘発か?

2004年12月 企業戦士のメンタルヘルス

2004年11月 知識主義の時代

2004年10月 日本における「監禁拉致−『ダッポク』」(企業社会における)のこと

2004年 9月 パリーグ球団の「集約化」と精神科問題

2004年 8月統合か、分離か。会社の大幅な改革により従業員の精神科新規受診は10倍以上になる      が、対策は考えられているのか?
2004年 7月

2005年大晦日

リストラ・民営化とメンタルヘルス資源の衰退

 〜「グロバライゼーション」はアメリカナイゼーションとジャパナイゼーションの2軸構成

一般社会では出生率の記録的低下や老齢人口率の高まり、そして学校や企業社会では勤勉や勤労を忌避するニート人口の増加と話題になり、将来の日本のあり方に暗雲が立ち込めるニュースが続いている。企業社会、学校社会では、引き続きリストラや民営化という縮小論が続いている。その連続としてニート族の増加があるのであろう。

企業や学校の社会では、実用性や即効性が求められ、金銭に換算してのコスト計算が主流である。年間や四半期などの短期間での評価が行われる。企業は人間に同じく、今の評価方法では肉体の評価は出来ても精神面の評価は難しいということであろう。身長や体重は評価できても、精神面の評価は出来ないのであろう。

企業やその企業の株式の評価に四半期ごとの短時間の評価を行うことは肉体の評価のためだけであろうか。肉体というわかりやすいものばかりか、それを通じての精神面の評価することが最終目的であろう。「精神は健全な肉体に宿る(べきである)」という言葉があるように、肉体の評価を通じて精神状態を推測しているのであろう。では、その推測方法はどのようなものがいいのであろうか。豊かになって肉体が育った現代日本では次は精神状態のチェックであろう。昔だったら、貧困の精神主義であろうが、豊かになった現代日本では精神の評価が最終評価になる。

企業における精神状態の評価は以下のとおりである。具体的には、

1)定期的に人事異動が行われているか。

人事異動は総合職から専門職が評価される時代にはマイナスの物と見られる。しかし、その機能は精神衛生資源として評価されるものである。何時でも何処でも社員はうまく行くものばかりであろうか。一度や二度の挫折は付き物である。立ち直るためのシステムでもある。ある民営化された企業では、民営化直前まで赤字企業ということで7年間は人事異動なしであった。そのために社員の精神状態の悪化、忠誠心loyaltyの低下は計り知れないものがあった。関連会社に置き去りになって既に7年間が過ぎ、心身とも疲弊して心理的に腐っている社員もいた。民営化により人事異動が定期的に行われるようになった。忠誠心の向上が見られた。それが民営化の効果と誤解された。どの企業でも、どんな社員にも起こりうる不幸にも適応が図れなかった状態にリセットの機会を提供するのが人事異動である。企業にこの資源が無くては精神衛生の向上は図れない。民営化という職場規模の縮小化により、それまでの人事異動システムは機能しなくなる。蛸壺となった職場にはもっと精神衛生に有効な代わりのシステムを作ることが必要であろう。そのために精神科システムのEAP(被雇用者支援プログラム)であろうか。蛸壺化した職場に見合った精神科システムの構築が必要であろう。

2)企業に学校や美術館、図書館などの文化施設があるのか。

それがあっても人事異動システムの中で活用されているのかが問題であろう。歴史としては過剰適応状態の社員の異動先として活用されていた。何時からかリストラ対象として真っ先にリストアップされるようになったのであろうか。1985年の電電公社民営化や1987年の国鉄の民営化では電波学園や鉄道学校が真っ先に廃校になった。民営化推進運動の圧力によりスケープゴートとして提供されたのであろう。また、企業内部でも評価されなくなっていたのであろう。その原因のひとつは人事異動システムの中に組み込まれなくなって有効利用されなくなったためでもあろう。

3)年休取得率、産休取得率、空席率について問題はないか。年休取得が低い企業は人員配置に無理がある。退職や人事異動の後に空席が埋められていないことである。

4)男女差別の問題。社会的弱者とされている女性や障碍者への救済が行われているかであろう。

5)障碍者雇用の問題。労働基準法に守られた雇用率に達していない企業は問題であろう。外部からの雇用ばかりか、内部発生事例(在職中発病・障碍。なお障碍内容は精神障碍が圧倒的に多いので早く障害者一元化を急ぎ障害者枠への参入する必要がある)ついても再雇用をしているのか。

以上が筆者の思いつく指標である。上記を総括すると、企業の精神衛生資源として最も大事なものは人事異動システムということであろう。それを受ける施設として文化的、教育的なものがある。そのシステムの運営が適正に行われているかどうかの指標が、年休や産休の取得率、女性や障碍者の雇用率であろう。

先日、公務員社会での指標が提出されていた。障碍者の雇用では金融庁が最悪ということであった。そのときの新聞記事は以下のようなものである。

「金融庁の障害者雇用率が法定雇用率を大きく下回り、2年連続で厚生労働省から是正を求める勧告を受けていたことが(12月)14日、明らかになった。厚労省の調査によると、今年6月1日現在、金融庁が雇用している障害者は4人、障害者雇用率は0・32%で、国の機関の法定雇用率(2・1%)を達成するには21人が不足している計算。ほかに国の機関では、警察庁が雇用率1・61%で8人の不足となっている以外は、おおむね法定雇用率を達成しており、金融庁の低さが際立っている。金融庁は昨年の調査でも雇用率0・27%で厚労省から勧告を受けていたが、その後一人の増員もなかったため、再び勧告を受けたという。

この記事は金融庁のクローズアップが印象的である。これは偽装耐震マンション・ホテル事件に匹敵する。イーホームズのレベル、それより総研のレベルの重罪、あるいはまだ摘発対象に上がっていない省庁レベルか。すなわち、この機関は、直接にも間接にも、金融関係の民間員でも公務員でも金融関係であれば全ての人々に、精神衛生の上で大きな脅威を与えている。金融庁が職場に入ったとなると、担当者のストレスは大きなものとなる。そしてその駐留は数ヶ月に及び、医務室に繋がれる犠牲者が次々に出る(疾患としては成人病の悪化や恐怖症と抑うつが混合した適応障碍の発病である)。この機関は平成10年に金融監督庁として大蔵省から分離された新しい機関である。新しいが故に諸般の法律を遵守しているのかと思われていた。しかし現実は逆であった。監督する機関として外に厳しいのが、内部には甘かったということであろうか。これは大きな問題である。違法性を持つ機関がグローバル・スタンダードという金科玉条で色々な機関を罰しているのである。しかし、この数値(つまり、1250人の総職員で、4人の障害者雇用。0.32%の雇用だが、新たな雇用努力を1年間怠っていた。)を見ると、この機関が主張するするグローバルさに疑問を呈さざるが得ない。最近の著作(大野)では日本の成功(ジャパナイゼーション)で欧米の考え方が変わり、労働現場にて従来の垂直的管理システム(労働者管理システム)に水平的管理(職場管理)が強まっているという。その著書では、垂直の管理をアメリカナイゼーションと呼び、水平の管理をジャパナイゼーションと呼ぶ。先の障害者差別は金融庁を代表とするアメリカゼーション主義は本物がどうか疑問を呈するものになる。アダムスミスの「神の見えざる手」での市場主義を標榜する機関が神でなく世間の目による排除主義に陥っていた。それは似非アメリカ主義であろう。神の目で見るのでなく、世間の目による障害者差別を行っていたのである。

以上、「グロバライゼーション」というハリケーンが吹きあらぶれている日本社会ではある。しかし、純粋の「グロバライゼーション」はなく世界いたるところで和洋折衷化しているのである。「グロバライゼーション」はどこまでがアメリカ主義なのか、どこまでが日本主義なのかを二軸で見ることが必要であろう。前者は一神教の宗教を歴史とする「神の目」主義では、障碍や弱者などがあっても神の前に平等であること、つまり機会的平等主義が徹底されることであろう。後者では思いやりや助け合いなどの配慮主義であろう。日本でも、西洋でも先の二軸の管理で職場のメンタルは悪化しているのである。その打開の端緒は「グロバライゼーション」脅威から発生した混乱を解きほぐすことからであろう。

参考文献:大野正和著「まなざしに管理される職場」青弓社、2005

付記:精神障碍を障碍者の枠に早急に入れることが必要であろう。昔と違い、ソフトな時代という現代では最も発生しやすいのは精神障碍である。金融庁でも身体障碍をイメージした旧来の障害者像を持っているために職員の補充が困難であったかもしれない。精神障碍という身近な障碍者像であれば法定雇用率は楽々突破していたかもしれない。これは冗談でなく、どの職場でも共通する深刻な問題である。

へのリンク2005年12月

「パラリンピックについて〜精神障碍者の参加が近い」

冬季オリンピックが2月にイタリアのトリノに行われる。そのための選考会が目白押しである。女子フィギュア・スケートでは、金メダルを狙える有望な選手が15歳であり、年齢制限のために残念ながら出場できない。そのことがマスコミ報道で盛んである。その年齢制限は医学的見地から9年前に出来たという。日本は年齢制限規則に賛成の投票を行っていた。そのこともあって年齢制限の撤廃は難しいという。それは健常者のオリンピック大会の話である。

障碍者が参加するものはパラリンピックである。パラリンピック(Paralympic)は、もう一つの(Parallel)+オリンピック(Olympic)のことである。歴史としては1948年のロンドンオリンピック大会に始まる。英国王立ストーク・マンデビル病院の医師、ルードウィッヒ・グットマン博士が脊髄損傷による車いす患者の治療・訓練の一環としてスポーツを取り入れたことを契機とする。16名(男子14名・女子2名)の車いす患者(英国退役軍人)によるアーチェリー大会を開催した。これがパラリンピックの原点である。ロンドン・オリンピックの開会式の日に病院内でスポーツ大会を開催した。その大会は脊髄損傷患者で車椅子大会であった。1952年に国際大会となって、国際ストーク・マンデビル大会といわれた。そして1960年のローマ大会からはオリンピック開催都市で開かれるようになった。その当時は対麻痺者のオリンピック(Paraplegic Olympic)という意味であった。その後、1985年に、もう一つのオリンピックであるパラリンピック(paralympic)と定義変更を行っている。1988年のソウル大会はオリンピック組織委員会がオリンピックとパラリンピックを連動させたはじめての大会であった。しかし、知的障碍者や聴力障碍者は含まれていなかった。その翌年(1989年)にIPC(国際パラリンピック委員会)が設立された。また2000年のシドニー大会以降はIOCとの連携により「オリンピック開催国は、オリンピック終了後、引き続いてパラリンピックを開催しなければならない」という条項が明文化された。今回のトリノ大会でもオリンピック大会に引き続き開催される。そこではアルペン、ノルディック、アイス・スレッジ・ホッケー、車椅子カーリングの4競技がある。なお、夏大会は19競技がある。http://www.jsad.or.jp/

障碍者の一元化によって、知的、身体そして精神、それぞれの障碍者のスポーツも一緒に開催されるようになる。日本でも試みはすでに行われている。先ごろ岡山で開かれた障碍者スポーツ大会では精神障碍者のバレーボール大会が行われた。精神障碍者作業所のチーム対象の地区大会が行われ、そこで優勝したチームが全国大会に出場する。そこではトーナメント方式で試合が行われる。精神障碍者の参加は歴史的に新しいために他の障碍に比べて個人への支給額が少なく、自前の資金で参加するという。他の障碍では自己負担とならない大会参加への旅費や宿泊費は精神障碍では参加者の自分持ちである。唯一負担なかったのは競技場内での飲食費とであった。このような参加者への支給金の違いは下部組織の充実度の差もあろうし、公的補助金の差でもあろう。

来年から身体、知的そして精神のそれぞれの障碍者が医療や福祉の面で均一化される。たとえば医療上の自己負担は10%に統一されるという。しかし、精神科医療は障碍者本人が受診に医療機関を訪ねるが、その時に支払う自己負担分に適応される。しかし、他の障害については、医療機関への受診が自力で出来ない場合が多く、ヘルパー支給や訪問看護などの障碍者のいる場所への医療支給という形をとるのであろう。福祉の部分は老人の介護保険のような形態であろうか。それに医療給付が付く二階建て構造になっているのであろう。よって、その額は精神障碍に比べてはるかに大きいであろう。そのために大きな既得権を持った障碍者の反対運動は国会や霞ヶ関の官庁街で大きく行われた。あいにくの雨天の日に行われこともあり、車椅子に乗った障碍者は雨に打たれての行進であった。そのことで多くの人が体調を乱した。入院した人もいるという。身体や知的障碍ではそのような大きな反対運動があったのに、精神障碍者では大きな反対運動は聞かれない。やはり下部組織や補助金の差であろうか。既得権というものが少ないのであろう。

しかし、パラリンピックが歴史的に第二次世界大戦という社会的事件が原因で障碍を持った人の競技から始まったものである。現在社会では精神障碍の多くを占めつつあるものが過労社会の犠牲者、あるいは国際的な貿易戦争や経済戦争の負傷者であることから精神障碍者の参加資格は大いにあるのであろう。現代の精神障碍は傷痍軍人並みにもっと国家的な支援を行わなくてはいけないのだろう。パラリンピックなどの障碍大会へも参加をもっと進めることが必要であろう。しかし、その競技内容としてどのようなものが相応しいか。健常者と同じものとなれば、過剰にプロ化が進んでいる一般オリンピックへの警鐘となるであろう。本来のオリンピックが表現すべきアマチュア精神が取り戻せるかもしれない。一般オリンピックからの転向組が現れるかもしれない。ドーピングまでして金メダルを行う選手たちはパラリンピックに転入されることになろうか。いろいろな連想が出来ます。皆さんはどうお考えになりますか?

注:「障碍者」という表記について:本来の表記方法です。当用漢字に「碍」が無いために「害」が当て字に使われてきた。本文では本来の表記に戻しました。「碍」は「障」と同じ意味で、さまたげやさえぎるといった意味である。「害」は殺害という使い方で代表的である。じゃまする、命をとめるといった意味である。

2005年11月
童話「モモ」に見る過重労働問題

「モモ」は童話作家ミヒャエル・エンデの有名な作品で、時間泥棒を退治した不思議な少女の話である。時間泥棒は時間貯蓄銀行を組織する集団である。マインドコントロールによって人々に対して時間の倹約を至上主義とさせ、忙しい生活に送らせる。モモはそれが人生を無味乾燥にすると直感する。しかし、大人たちはそれを自覚できない。時間を超越する亀カシオペイア、その飼い主であるマイスター・ホラ(時間の創造主)との三者が協力しあって大人たちや隔離された子供たちを救済する話である。

それなりに成功した評判のいい理髪師が登場する。しかし日常生活に僅かながらの不満を抱いている42歳の中年である。雨が降り嫌な灰色の日のこと、お客を待つ時間に憂鬱さを感じている。「俺の人生はこうして過ぎていくのかな。俺は生きていて何になった?死んでしまえばまるで俺なんぞ元々いなかったみたいに、人に忘れられてしまうんだ。」と考えてしまう。なんとなく立派そうな生活、贅沢な生活、たとえば週刊誌に載っているような洒落た生活を送りたい。そのような思いを漠然と持っている。「そんな暮らしをするには俺の仕事ではゆとりがなさ過ぎる。ちゃんとした暮らしは暇のある人間でないと出来ない」とも考える。

そこに灰色の紳士が現れる。彼は時間貯蓄銀行の外交員である。時間を銀行に預けるように勧誘する。まず、時間の浪費振りを指摘する。「あなたは人生を浪費している。ちゃんとした暮らしをしていれば今と全然違った人間になったであろう。あなたが必要なのは時間である。その時間は自分の時間を倹約すること。しかし、その倹約方法は食事や睡眠、仕事、老母の介護やペットの飼育、女友達と会うことまでも無駄である。それらを削ること」。駄目押しに、「今までの人生はすべて無駄である。こんなことではいけない、倹約しましょう」と言う。

そのためには、倹約した時間を時間銀行に預けること。そうすれば利子も付けてあげる。例えば一日2時間を毎日預け、そして銀行から中途に引き出さなければ5年間で同じ額だけを利子として支払う。そうすれば五年ごとに2倍になる。そして10年で4倍、15年で8倍となる。理髪屋は42歳であるから、20年前から2時間ずつ預けていたら40年経った62歳時には、倹約した2時間が256倍になっている。それは70歳までの生きるとした場合の10倍以上になる。その倹約方法は、さっさと仕事を行い、余計なことはすっかり止めてしまうこと。お客一人1時間かけることは止めて15分でやる。そのためには無駄なお喋りを止めなさい。役立たずのペットは飼わないようにしなさい。介護が必要な老母は養老院に入れるなさい。彼女に会うことは少し控えなさい。また、歌だの本だの、友人との付き合いには貴重な時間を使わないようにという。

彼は倦怠を感じた人生と違ったものになるという話を信じて、時間の倹約に専念する。仕事の効率性を上げることに専念して、そして雇い人を増やし無駄な時間を一秒も過ごさないように管理する。また「時は金なり」という標語を掲げる。その結果、金銭は大いに得るようになるが、いつも仕事に追われる生活となる。そして、仕事も家庭生活もつまらなくなる。いつもせわしくカリカリとして不機嫌になる。そのことはモモの親友にも同じことが現れる。仕事に追われてモモと会えない状態になる。モモが会いに行っても、仕事に忙しく話す時間がないのであった。個人的楽しみ、交流がない生活が連続する。

 

ここで、時間泥棒の論理に何故簡単に騙されるのかを先の理髪師の事例を通じて考える。インチキ外交員の説得の成功は彼の憂鬱に便乗してのことであろう。彼がマインドコントロールされ易い状態であったのであろう。外交員の計算は彼の現年齢の42歳、その前後20年を対象にしている。22歳から62歳までである。時間倹約を仮に22歳から行ったら、70歳に達するまでには10倍以上の時間が貯蓄されると言っている。しかし、貯蓄を開始するのは42歳の現在以降である。既に20年間は「無駄使い」の毎日であったので、総人生時間の10倍にはならないであろう。外交員は大胆にも彼の過去42年間が全て無駄であったと言い切って、時間の貯蓄はゼロと計算している。これは彼の自責性を利用しての発言であろう。しかし、時間は彼の人生そのものであるから、過去20年の修正は完全に不可能であるし、今後20年についても大幅な変更は期待できないであろう。過去のことを全くの無駄と言い切って、次の20年を考えるのは無理であろう。また、彼がせっせと倹約して貯めた時間の多くは銀行の金庫に眠るだけであった。時間泥棒一団は吸血鬼が血の価値を熟知しているのと同じく、時間の価値の大きさを人間以上に知っている。しかし、その使い道は限られている。使い道は生命を維持するために吸う時間の花を咲かせる植物から作る葉巻の原料としてだけである。その葉巻を吸って彼らは生きながらえている。なお人間は時間(の使い方)が人生そのものであることを知らない。「時間は金なり」と貨幣のように換算し計算できる錯覚を与えられて騙し取られている。その騙し取られた時間は葉巻き以外に使用法を知らずに殆どが金庫に眠っているのである。結局、奪われていた時間は元の持ち主に返されて再び有効に利用されるようになった。

この童話は色々な連想をかきたてる。時間を金銭に置き換えて計算するのは日常的である。しかし、それは個人的、相対的にしか計算されないのであろう。個人差を抜きにして時間を集めても、金庫に眠るだけであろうか。時間はあくまでも個々人のものである。時間を共有することは関係性の元で成立する。関係性抜きでも色々な人から貨幣をまとめ貯蔵することは出来るのであろうが、同じように時間を貯蓄することは難しいのであろう。関係性あっての時間であろう。天文学的な時間は物理学の時間であって人間の時間ではない。リアリティを感じる時間の無限大に天文学の時間があるのであろう。金銭の問題も同じであろうか。個人で取り扱う金銭感覚のかなたに銀行の総預金額、たとえば郵政の数字としてあげる郵貯と簡保との総額340兆円、日本の国家予算の48兆円はリアリティを脱色した数字であろう。「時は金なり時間」というように同列に話題になるものであるが、金銭についても関係性を問う必要があろう。現在、日本は金利なしの状況である。それはバブル後にメガバンク破綻したためであろう。交通量が皆無に近い地域に豪華な道路を作ってしまうなど道路行政行き詰まりに象徴される財政投融資でもリアリティや関係性をなくしたことで限界性に至ったように、銀行も同じであったろう。今後は個人レベルでのリアリティ感覚の先鋭化や関係性の構築が必要であろう。なおマネーゲームはその対極にあるもので、リアリティ、関係性を極限まで無くす行為であろう。

2005年10月

書籍「99歳の精神科医の挑戦」(秋元波留夫著)のこと

9月に発売になった書籍(岩波書店刊行)である。99歳になる精神科医は5台のパソコンを用いて執筆活動を行うばかりかインターネットも行っているという。今回の執筆された本はそのような現代的なツールをもって書き上げられたであろう。今後はドストエフスキーの作品論が予定されている。また、オウム真理教の松本智津夫に関する本の第二弾も予定されている。その現代的テーマとしては、第一弾が「AUM 科学的記録」(2002年、創造出版)であり、続くは「オウム真理教と麻原彰晃の研究」である。そのような執筆のためにデスクワークばかりで行っているのではなく、現場に出向いての精神衛生関係の啓蒙活動も続けられており白寿の年齢とは信じられないことである。

 彼は1906年(明治39年)生まれである。日野原重明先生が長寿医師の看板を一身に背負い、長寿医学が専門家になっている様相である。しかし生まれは1911年(明治44年)であるので、長寿の度合いでは彼の方が高い。しかし、両者の違いは専門の診療科目のことでなく、長寿を売り物にするかどうかであろうか。彼は自分の長寿を売り物にせず、現代的な問題へのチャレンジをしている。なお、オウム真理教問題への発言は彼が終戦直後の金沢での教授時代に接した新興宗教問題の経験があったことが裏づけになっている。天皇の人間宣言に反応して、彼に変わる現人神を自認して宗教活動した女性がいた。戦後の大きな変化についていけない人々が新たに信仰に加わり全国的な注目を得たという。相撲の双葉山や囲碁の呉名人が熱心な信奉者で側近を務めた。また憲法9条護憲、平和運動は戦前の言論弾圧、治安維持法問題などによる拘禁反応患者を松沢病院で診療したことに基づいている。それは日本共産党員の大量逮捕、不当拘禁、虐待による拘禁反応の臨床である。また、それら犠牲者の名誉回復運動にも携わっているということである。そして、デイケアや精神科作業所のモデルを武蔵療養所(現・国立精神神経センター武蔵病院)と都立松沢病院で作ったことでも有名である。その後もその運営や普及運動に関わっている現実派の運動家でもある。自分で行った臨床経験に基づいて発言や運動を先頭に立って行って実現を続けたことが長生きの素になっているのであろう。

彼の活動時期を三つに分ける。一つは戦中時代、二つ目は戦後時代、そして東大紛争時代であろう。

「戦時下時代」では不当逮捕・取り調べを受けた政治犯の精神病やアイヌのイムの研究である比較精神医学研究など時代的な取り組みを行っている。また、松沢病院に入院していた有名患者であった葦原将軍のエピソードもその時代ならではのものだろう。彼は患者仲間から支持され、またスタッフからも誇大妄想を受容されて将軍のアイデンティティを維持できた。毎年恒例の大運会では家来の患者たちを従わせての引き連れての行進があったという。そして、彼の主治医だった医師(石田長崎大初代教授)が留学先で同僚の医師をピストルによる殺人事件を起こす。そのために無期懲役の刑を外国の地で受ける。しかし、受刑中に精神病発病となり患者として松沢病院に帰ってきたこと。葦原将軍は再度主治医になるように命令したが、医師の病気は重篤であり果たせなかった。その様なエピソードは北杜夫の「楡家の人々」を連想するような牧歌的な出来事もあった。しかし、敗戦色が濃厚となってからは入院患者の食糧問題が悪化して沢山の患者が餓死したという。これは戦争が敵・味方の間で殺し合いするばかりでなく、戦局が悪化すると味方同士の殺人が起こることを直視している。

「戦後時代」では敗戦の痛手で精神的に荒廃した状態に突然出没した女性の新興宗教家について臨床的知見を得ている。文化人や有名人を信者として巻き込んだ全国的で、社会的な事件であったという。それは現代のオウム真理教問題、特に教祖の精神科問題に共通点があるという。また帝銀事件の平沢容疑者の件にも同時代者として関わっている。この事件も戦後の殺伐として時代背景の中で起こった事件である。有名な日本画家が犯人として逮捕されたが、精神科問題(コルサコフ脳症)を抱えている容疑者であった。そのために精神科医が関わった事件である。現代なら精神病のために取り調べの対象にならなかったケースであるという。なおオウム真理教の麻原の件は精神症状のために取り調べは無理であり医療の対象とのこと。

「東大紛争時代」は、1960年の安保闘争事件の前哨戦からその後1969年の安田講堂事件を最後とする。彼は1966年に退官したので、次の教授が紛争の対応に当たったのであろう。定年後は武蔵療養所の所長に着任する。また、1979年には後任者不在が2,3年続いたことで選任者であった彼が都立松沢病院の院長に就任している。

さて、1966年の大学退官後には、精神科薬物療法が台頭しつつあり、外来中心治療の先鞭として精神科リハビリやデイケア活動の基礎作りにあたっている。この頃の薬物療法はクロルプロマジンであった。他には実験的に精神病状態を作り出すLSDなど、今は非合法になっている薬物も医師に手に入ることがあった。そのような向精神薬台頭初期が1970年、つまり大阪万博開催(昭和45年)までにあった。

1970年前、特に1962年から1969年については、ビートルズの活動時期にあたる。ビートルズはジョン・レノン(1940年生まれ)とポール・マッカトニー(1942年生まれ)を中心メンバーとするとするロックグループである。1963年の世界的ヒットLP(プリーズ・プリーズ・ミー)の誕生から、1970年の解散までが主な活動期間である。最後のLPは「レッツ・イッツ・ビー」であった。また1966年6月には日本に来て武道館で5回の演奏活動を行っている。

8年に及ぶ活動の中で、活動後半の1967年にLSD内服が話題になっている。アルバム「サージェント・ぺバーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」のLucy in the Sky with DiamondsはLSDをもじっているという。A Day In the Lifeはドラッグの服用を促す曲としてBBC放送から放送禁止処分になった。その年の8月にはリバプール出身で、このグループを発掘し世界的にデビューさせたマネージャーのブライアン・エプスタインが薬物乱用で死亡している。32歳の若さであった。この当時の薬物治療は依存性や身体毒性の上で問題があった。嗜好品のアルコールや非合法な薬との差が歴然としない時代であった。芸能人の過労状況は何処も同じで、日本でもフィンガー・ファイブやピンクレディー、チェッカーズなどは過労のためにグループ解散に至っている。そのやり方は言い訳としてアメリカデビューやラスベカス公演ということにして日本での公演予定を一切キャンセルするということらしい。芸能人の過労のための薬物乱用やアルコール等の嗜好品依存も問題になろう。薬物療法については、現代は1970年前に比べて乱用により死亡は珍しい。しかし、非合法な薬物である覚醒剤や合成麻薬の問題は続き、医療界に治療を求めることもある。

彼の99年に渡る人生で、精神科医療への貢献は昭和に入ってからであり約80年近くになろう。その後半40年は精神科薬物の登場によりもたらされた精神科医療の普及・一般化である。葦原将軍のパレードを病院の庭で見るような牧歌的な風景は昔のものとなっている。その様なパラノイアは病院内より一般社会で目立ち、オウム真理教のような大きな事件を起こす時代になっている。「狂気は診察室にあるんじゃない。現場(社会)で起きているんだ!」ということでもあろう。そして精神科薬物は安全性を目指し、モノアミン仮説に基づくSSRIやSNRI,SDAが21世紀に登場している。これらの薬物はビートルズなど爆発的かつ世界的ヒットを飛ばして過労状況にある有名人、あるいはジェット・ラグを乗り越えなくてはいけない世界的に活躍する人や24時間化社会において変則勤務に追いやられている人々に投与されるのであろう。それらは非合法な薬物や嗜好品のアルコールより安全であるということで使用されるのであろう。その様な状況を80年の経験を持つ精神科医師はどう考えるのであろうか。聞いてみたいものである。

2005年9月

真夏の選挙に思う

今年の猛暑は梅雨時から始まった。昨年も猛暑だったが今年は梅雨冷えがなく、6月頃からずっと猛暑状態であった。そんな異常気象条件の中で、日本初の真夏の選挙が行われた。21世紀のグラウンド・ゼロである9.11に投票が行われ、即日開票により予測どおりに与党の大勝利であった。しかし例年になく猛暑の気象条件の中で健康上の問題、後遺症を抱えることになった選挙関係の方々は珍しくない。そのような犠牲者の皆様にお見舞い申し上げたい。医療関係者にとっては選挙運動犠牲者やその後遺症を持った患者さんを今後も診ていくことになろう。既に知人のクリニックには炎天下で選挙応援演説をして肺炎、脳出血を罹患した地方議員の話が持ち込まれていた。人口1億2千万のうち1億人は20歳以上であり、有権者でない20歳未満者は2千万しかいない。そのような老人国家で健康犠牲を強いた今回の選挙に異論、反論、オブジェクションであろうか。

さて、今回の選挙は与党の首脳部の決定というトップダウンで始められた。過去の慣例を顧みずに断行したこと、圧倒的な勝利が予測され予測どおりに完璧な勝利となったことなど、色々と驚異を覚えた方は多かったであろう。空いた口がふさがらないという驚異の表現がふさわしいのであろう。その口は選挙から1週間経っても閉じることはなく、言葉が発せられないのであろうか。なお、トップダウンについては中曽根首相時代のNTT民営化からのもので、民営化がらみでは珍しいものではない。郵政民営化選挙というネーミングからその形式になったのであろうか。また、選挙予測について、予測技術の著しい進歩が今年見られているのであろうか。コンピュータ・通信技術の貢献であろうか。そして、その予測を素直に受け入れる世間の傾向があるのか。それは勝つか負けるかで、引き分けのないデジタル的な結果をもたらす小選挙区制度に原因を求めるのか、最近の国民性の問題なのか。はたまた、国民を操縦する方法が進歩したのか。

日本国民の操縦方法の一つとして、911というイスラム教急進派の特攻隊がアメリカに鉄槌を加えた日を選んだのであろうか。与党リーダーは先の世界大戦という終末戦争にて特攻隊攻撃を許したA級戦犯が祀られる神社への参拝を信念として行っている。彼の自己破滅的な性格がそのような演出を誘発するのであろうか。失われた10年という閉塞的な社会気分に呼応しているのであろうか。ここ7年間連続して自殺者が一日100人近くを記録する国において、「ぶっ潰す」とか、「殺されても」やりきるとか、自己破滅的な言動が演出なのであろうか。ブルックナーのホルンがけたたましく吼える繰り返しのパートか、ワーグナーの楽劇が通奏低音で鳴り響いているのであろうか。

とにかく、今回の与党の大勝をもたらした小泉純一郎氏のキャラクターは再度注目されている。彼の好みの音楽はマーラーとブルックナーの作曲したものと言う。ブルックナーについて小生は未知であったので、ブルックナー演奏で日本の代表とされる朝比奈隆氏指揮、大阪フィルハーモニー交響楽団演奏のLPレコードを鑑賞した。それは椿山荘前の東京カテドラル教会を演奏会場とし録音したものである。彼の曲はシンバルやトライアングルなどの高音性の鳴り物を用いないことや、ブルックナー休止やゼクエンツ(繰り返し)など独特の手法がある。特にチューバやファゴットなどの管楽器の低音群が目立ち、それが繰り返えされるために、低音が利いたエンジンのマフラー音のようである。演奏が突如止まるブルックナー休止のために、エンジンの爆発音を連想したのであろう。ベートーヴェンやブラームス、マーラーといった聴きなれた音楽でなく、ラジオやテレビではお目にかかれないものである。軽く口ずさむようなものではない。そのような宗教的な音楽を聴きながら、小泉氏は英気を養うのであろうか。それとも劇場性の高いワーグナーのワルキューレの騎行(映画「地獄の黙示録」主題音楽)であろうか。

最終戦争の特攻隊を連想する9.11や靖国神社を「サブリミナル効果」的に用いて短期選挙戦を戦うのは有効であったかもしれない。しかし、大勝利後の政治の課題は多く、終末に誘導しない配慮、心掛けが求められる。破滅的でなく、生産的・建設的である。そのためには、スクラップ・アンド・ビルドであり、スクラップも必要と説明されるかもしれない。しかし、その両面性が重要である。片方だけが強調されもう一方が忘れられたり、その目的性を見失ったりしないように気をつけたい。

つまり、郵政民営化が郵政職員、その他関係者の雇用の維持や拡大、郵便貯金や簡易保険の合計資金340兆円が民間へ流通することで景気活性化させるという生産的な目標があるのであろう。それを忘れないことであろう。公務員削減、簡易郵便局の集約化や民業圧迫など破壊的な話題、スクラップだけで終わってもらいたくない。ビルドを忘れないで欲しいということであろう。しかし、行政は現業から手を引き、民間に払い下げをするという動きなら、世界的国家になった日本では海外企業にもチャンスがあるということであろう。そのために340兆円が海外に流出するという被害的な考えに陥ることにもある。しかし世界に流れても良いと考えることも必要な気がする。NTT民営化の時には800名の技術者がタイの電話公社に資金とともに移民したという。そのために電話においてタイと日本との結びつきは強い(http://www.ntt-west.co.jp/corporate/overseas/)。そのような形での流出も考えなくてはいけないのであろうか。郵便貯金や簡易保険の仕組みをアジアに紹介するために、資金とともに技術者や事務関係者が移民するのである。そして、民営化問題では郵政の次は国民皆保険制度(医療保険制度)であろう。これも日本に限った議論では終末的思考になるのであろう。ボーダーレスな発想にも免疫が出来なくてはいけないのだろう。アレルギーにならないように気をつけたい。

2005年8月

自殺と自殺ネット:疾病性と事件性

8月に入って、二つの大きな事件が明らかになった。衆議院議員の自殺ケースと自殺ネットで自殺志願者を集めて快楽殺人を連続していた殺人のケースである。

前者は現職の衆議院議員の自死事件である。彼は郵政公社民営化法案に賛成か反対かを表明しなくてはいけない瀬戸際の状況にあったという。党執行部は政権政党のマニフェストという民営化を筆頭に掲げているという理由から、党首は党内身内の反対の動きは沽券に関わる問題と、民営化による内紛により「殺されても」民営化を実現したいと強く主張する。しかし、所属派閥の長は反対を表明している。そのような板ばさみの状況であった。その状況の中で、派閥集会では反対の意志を表明していたものの、最終の議場では賛成票を投じた。その一貫しない言動のために非難を受けていたという。以上は、多くのマスコミ情報である。しかし、読売新聞の情報では、議員は精神科外来に年末から受診していて、自殺現場の自宅から精神科の治療薬が発見されたという。このケースは事件性と疾病性の両面から報道されている。

 後者の事件については、容疑者は相手を窒息させて苦しめながら息絶えていく様子に性的歓喜を覚える性癖が元来からあったという。それがエスカレートしていき今回の犯行に至ったという。過去に犯行歴がある人であった。その犯行にインターネットの自殺サイトとネットカフェとが加わり、自殺願望者が餌食になり、その犯行を隠蔽できるようにネットカフェを利用して無名性を高め、被害者を全国から募集することで、快楽殺人を連続的に行うことになった。被害者の遺体は遺棄されていて、犯行を隠蔽するために地中の埋められていた。自殺願望者が殺人事件に遭遇した事件である。ここでは被害者の持つ疾病性が犯人が事件性にしてしまったケースである。

いずれの話題も自殺関連問題である。自殺死亡は平成10年から連続的に年間3万人を超えている。35%の増加で年間3万人の大台に乗り、それが5年以上連続しているのは医療界では謎と言われている。なお、年間自殺死亡数は厚生統計の一つであるが、純然とした疾病性による統計でなく、事例性―事件性を含むために、交通事故死などの不慮の事故と同列の扱いの死亡統計である。癌や心臓疾患、脳血管疾患などの死亡統計と同列には扱えないものである。自殺統計における事例性・事件性の評価は難しい。統計数値の全てをうつ病・うつ状態の疾病性に原因を求められるものでなく、また全てが事件性に分類されるものでもない。統計をとる機関としては厚生統計としての厚生労働省があるばかりか、事件性に着目する立場から警察庁がある。なお、今年は「自殺死亡統計の概況 人口動態統計特殊報告」として、厚生労働省から自殺統計が6年ぶりに出ている。通算5回目の報告という。警察庁統計を参考の欄に添付してあるが、残念ながら警察庁統計とリンクしての統計集計は行われていない。なお、警察庁のものは、外国人を含み、住所地でなく発生地集計である。調査で自殺と判明されれば速やかに訂正される。しかし、厚生統計では死亡診断書の訂正報告がなければ、自殺以外の集計に回される。つまり、厚生統計では間違いがあっても訂正がされ難いということであろう。

http://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/jinkou/tokusyu/suicide04/ 厚生労働省レポート

  http://www.niph.go.jp/wadai/boushi/statistics/mokuji.html        国立保健医療科学院の報告
(以前は国立公衆衛生院といっていた機関です。そこから出ているの分析レポートです。その内容では了解レベルのことは得ることは出来ません。説明文脈レベルのものにとどまっています。)

また、事件性と疾病性とを分けて考える資料として、今年6月に初めて公開された国家公務員の死亡統計がある。この資料は国家公務員の自殺が徐々に増えている状況を周知して、その対策として職場のメンバー互いの精神保健への「気づき」を啓蒙するために作られたものである。作業にあった方々は医療関係者ということで疾病性に着目して作られたレポートである。

結果としては、1)平成15年度には、国家公務員集団78万人(うち女性16万人)で、134人の年間自殺死亡があった。2)明らかに疾病性が認められたのは44%である。3)その疾病性は74%が精神障害である。4)精神障害のうち80%はうつ病・うつ状態であった。3)20歳代、30歳代の死亡が多く、合計54人であり、自殺死亡数の40%を占めていた。

このデータの価値はこの変革が連続している時代にありながら、まだ珍しく安定を維持している集団、国家公務員を対象にしていていることである。健康に対する配慮が定期的な健診や安全委員会の定期的開催などの形でなされている。しかし、国家公務員が行う公務業務という特殊さから時間外労働・残業への法的制限(労働基準法の適応外である)がないこと、雇用保険への未加入問題(これは失業の危険性がないためであろうか。しかし、罷免、免職の危険性は高まっているので、今後必要になろう。途中退職は自己都合であり、処罰退職ということであろうか。とにかく国家公務員の世界では途中退職は想定外である)、労基法の適応対象外のために、産業医の認定は遅れている世界ではある。よって、業務上の健康配慮は民間に比べて、特に民間大企業に比べて低いかもしれない。

過去のNTT東京・電々東京の死亡統計と比較してみる。印象としては、30歳・40歳の自殺者が多いことである。この公営企業、のちに民営化した企業の健康管理対象者は4万人であり、国家公務員78万人の20分の1と少ない。しかし、電々・NTTは平均して年間40人が在職中死亡であるが、40歳以下の在職中死亡は極めてまれであったし、まして自殺による死亡は論外であった。また公社(電々東京)から民営化(NTT東京)になることで、40歳以下の交通事故など不慮の事故は激減するのである。公社の時代から労働基準法の適用はされていたのであろうから、民営化になっても民間企業と同じくこの集団を取り締まる法律は同じと考えられる。労働基準法に守られていないために、不作為のパワハラが横行して過重労働、そして過労自殺が多いと考えるのも無理であろうか。

とにかく、公務員の自殺、特に40歳未満のものは注目すべきである。事件性なのか、疾病性が強いのかもあわせて検討していく価値があろう。

追伸:30,40歳の自殺死亡の多さは非常事態を示すものである。ひょっとしたら、その部分を構成するのは自衛隊員の自殺かもしれない。この集団はイラクやインドネシアなどの寂寞とした末世と直結しており、構成各員が自傷兵器にもなる他害―殺人兵器を所有している。時代の事件性が個人の疾病性を圧倒するのか、時代の疾病性が個人の事件性を誘発するのか。終戦間近の神風特攻隊、現代のイスラム自爆テロは個人より時代や集団の狂気が圧倒した結果であろう。

この仮説はその後否定されました。自衛隊隊員は「特別国家公務員」ということで、国家公務員の要職者(首相、総長など言われる方々)と同じ法律で規定されているようです。23万人という隊員数で、郵政公社社員数25万人より少ないといわれています。先の自殺集計での国家公務員全数は78万人であり、自衛隊員は含まれていないようです。そうすると、一般国家公務員そのものが非常事態状態にあるといえます。「ヒジョーに危険」なのでしょうか。

2005年7月

職場健診での胸部レントゲン廃止と医療界の「55年体制」


 7月17日日曜版(毎日新聞)では有効性疑問のため職場健診から胸部レントゲンが廃止になるという(検討中)。職場健診の項目は厚生行政における「55年(1955年)体制」とも言われるもので、疾病構造が変化しても変更なしに続けられているものが多い。

 50年以上前には、結核が国民病とされ蔓延していた。個人の感染が集団に感染への発展に至らないために集団防衛が必要であった。そのためにレントゲン撮影と喀痰検査が徹底された。そこで職場で発見された感染者は社会防衛のために隔離されたのである。
 排菌がなくなるまで病休をとらされるか、休職の人事発令となったのである。他の疾患に比べ長期に休むことが許されて、1年長い4年間の在籍が認められたのである(NTTの勤務規定)。
 なお、「55年体制」とは政治の世界で最初に用いられた言葉で、保守政権政党(自民党)と革新野党(社会党)の二大政党政治が1955年から始まり1993年で終焉を迎えたことを語源として、政治以外でも戦後の体制が一つの時代続いたが環境の変化で終焉に達したものをも、55年体制の終焉というように拡大的に用いる。

 集団防衛としての健診項目の代表が胸部レントゲンであった。それがいつしか発病率は低いが致死率が高い疾患である非感染症、集団発生をしない疾患の代表である癌、その検診項目として胸部XPを残すことに十分な議論がされたであろうか。
 ある時から職場の健康管理センターが癌発見を目標にするようになった。それは感染症罹患率が若年層で低下したことから、次の適切な目標を設定できなかったためであろうか。ここ数年批判の的になった道路公団のようなものであろうか。将来的にも交通量増加が見込めない赤字道路網を常同的に作り続けるような愚策であろうか。

 先の毎日新聞には業界の営利保全のために胸部XP廃止を先送りしようとの動きが紹介されている。業界は死活問題という。この論理は通用しないであろう。エックス線の個人への健康被害が今後も続くこと、健診という行為で医原性に出現する健康被害には誰が責任を取るか、その保障はなされるのか。大切なのは旧態然とした業界の救済なのか、勤労者個人の健康管理なのか。
 私の患者さんの例を考える。全国紙の職員は認知症の疑いのためにCTスキャン検査指示を出された。しかし拒否し外来から突然行方不明になった。後日判明したのは、彼はエックス線恐怖症であり、入社以来30年間職場健診は一度も受けたことないという。
個人主義が徹底した職場ではエックス線の健康被害を念頭に受診拒否続けた職員は少なくなかったのであろう。健康被害を個人ばかりに及ぼし集団的利益がないレントゲン検査を惰性で続ける業界のエゴや怠慢を見抜いていたのであろう。

 胸部レントゲンをポスト結核として癌のような集団発生しないレアな疾患発見目的に転用したのは何故であろうか。レアでない発病率が高い疾患はもっと他にあると思う。
 生活習慣病と命名変更になった成人病、高血圧や糖尿病、痛風などメタボリック疾患はコモンな疾患である。同じく精神科疾患も発病率高くコモン疾患である。それらに共通するのは有病率の高さに比べて、在職中に死に至る致死率の低さであろうか。個人の死という重さに目がくらみ癌対策に走り、コモン疾患対策を怠って集団の健康維持を犠牲にしたのであろうか。
 検診車というレントゲン一式を積み込み移動する形態が健診というイメージを植えつけた。胸をさらける胸部聴診、そして胸部レントゲン健診のパターンであったが、それは結核の健診であって、過去のものであった。
 疾病構造が大変動してからは効果の少ないものである。胸部レントゲンの常同的使用はハードウエア主導の結果であろうか、業界保護のためであろうか。

 さて、「55年体制」を精神科医療に求めると統合失調症の長期入院であろう。55年頃から精神科入院施設はねずみ算式に作られ、3万ベッドが30万と瞬く間に増加した。
 しかし、最近20年は社会的入院が多いという指摘となり、昨年はその現入院者総数の4分の一(7万2千人)を退院させるという数値目標が政府により設定された。
 精神科医療界のエゴ、怠慢と指摘されているのであろうか。しかし、その一方で社会的入院の最たるものと考えられる触法患者の入院が積極的に検討され、池田小事件をきっかけに法律が制定され、国により新しい専用病棟が作られている。

 すでに東京・小平の国立精神・神経センターでは40人収容の専門病棟が完成し入院患者の到着を待つばかりと聞く。社会的入院の基準が55年体制のものと違っているのであろう。精神科における疾病構造の変化であろう。精神科の社会的入院については、公安的発想(法務省管轄)と医療的発想(厚労省管轄)の両者が交わるところであり、慎重で深みのある議論と運用が必要であろう。

2005年5月

尼崎脱線事故に思うこと〜世代間技術伝承の難しさ

車が踏み切りで立ち往生しての通勤電車の脱線を誘発したという事故報道から始まった。発生初期にはメディアばかりか鉄道会社も間違いか、憶測情報を流すという情報かく乱状態であった。加害者であった鉄道会社は置石原因説という他責的な発言を記者会見で披露する失態もあった。そのようなことから無責任体質が当該企業に見られるという展開になっている。結局は運転手がスピードオーバーしてカーブを曲がれずに脱線・転覆した事故であり、朝の通勤利用客に107人の死者を出す大災害であった

筆者は常勤の精神科医としてJR東日本に在籍したので内情をわずかに知っているのでここで話題提供したい。その延長としてJR西日本を考えることが可能であろう。

JRは日本で唯一と思われる職種別組合を持つ会社である。職場は地域別および職種別に区分けされている。運転者区、車掌区、線路区、などと職種別の職場が更に地区別に構成されている。複雑な職場構成である。職種別組合として特に有名な労働組合は、動労である。動労(正式には動力者労働組合)は運転手の組合である(なお、国労や鉄労などは地区別の編成になっているのであろう)。運転手という国家資格を有する職員は会社内では少数派でも職種別で最も団結が強い。そのために、JR東日本では1987年以降は組合間のヘゲモニー競争に打ち勝って主導権をつかんだ。労働組合が動労主体に再編成されて大きな勢力になっている。その労働組合が経営陣、そして官僚とのトロイカ体制を組み、従業員7万人の会社をお互いに監視しあって運営を行っている印象であった(JR西日本は労働組合が統一されていない印象である。責任の擦り合い構造が発生しやすのかも知れない)。また、本社の7階には動労に君臨したM氏が目を光らせていたという。そのためか新規に採用される職員は全員運転手採用である(これは私が在籍した10年前のことで、今は違っているかもしれない。その当時は年間700人の採用が行われていた)。民営化の年1987年にいたるまでに(NTT,JTに比べて2年遅れて民営化になっている)、国鉄清算事業団http://www.jnrsh.gr.jp/51honbu/001gaiyou/gaiyou.htmというものが国鉄を継承して、一連のJRが新会社登場した。国鉄の民営化は清算というニュアンスが強く、NTTJTと違う『民営化』であろう。借金まみれの鉄道事業から新しい会社を設立すること、大きな赤字ばかりか労働組合の問題も清算の大きなテーマであったろう。国労の運動員のJR採用拒否問題は今でも裁判で争われている。1000人ほどの採用拒否がある。国の最高機関が繰り返し仲裁に乗り出しても問題が解決しないのである。なお、最もラディカルといわれた動労の運動員はJRの新会社に継承されている。千葉動労はラディカルさを維持して、運休闘争をしている。

「民営化」にいたる(「清算化」と言い換えたほうがいいのかもしれない)までに、国鉄は7年間人事異動をしなかったとのこと。勿論、新規採用も無かったのである。そればかりか一部の余剰職員は取引会社の出向をしていたという。ある人はガソリンスタンドで7年間働いていたという。それまでは運転手の寝坊を見張る役を一対一で行っていたという。民営化行われて、希望の鉄道会社本体に戻り、本来の仕事ができるといっていた。しかし、現実は甘くなく、直営ホテルや直営駅ビルのガードマンになるのが目立った。朝寝坊を見張り役では専門的な技術で無いから仕方ないとも言っていた。また、OJT(現場研修)として駅のプラットホームでラーメンを作っている若い鉄道員もいた。東北から上京して独身寮に住んでいるという。生きるためには会社に隷属するしかないであろう。職員の年齢構成ピラミッドが歪であるという話題が報道で取り上げられている。民営化前の7年間(1980年から1987年まで)に新規採用をストップしていた事情のためである。そのために、現在の年齢が35歳から45歳までの職員がゼロに近いということで、運転技術の世代間伝承が出来なかったと考えられている。そのために今回の事故は起こったという考えである。

しかし、この種の採用人数の増減は民間企業には日常茶飯事という。民間企業のある職場では20年ぶりの新人が割り振られた。先輩社員がその若い社員がすぐに辞めないように最大限の配慮をして甘やかしているという。最近はそのような話題は珍しくない。よって、企業における技術や文化の伝承は容易でないのが一般的であろう。コンスタントに採用していた高度成長時代と大人数の団塊世代とがうまく噛み合って世代間の伝承力が効率的だったのが例外的であろう。三菱自動車など財閥系のブランド企業の低落はその落とし穴に原因するのであろう。

運転技術の伝承ばかりか、経営技術の継承も難しいのであろう。世代間伝承が最もうまくいっていた団塊の世代が一線を退くここ5年から10年の間に、世代間の活断層という大きな溝が動き出し、日本のいたる所で人為災害を発生させるのであろうか。身近なものとして、精神科医療ではどうであろうか?

2005年4月

新入学生の精神科健診に臨んで思うこと

春になり、ソメイヨシノは満開を迎えた。今年は寒波の影響で1週間の遅れであった。江戸時代末期から江戸の染井村から発祥し全国区になって100年余の歴史を持つ代表的な桜花だが、異常気象のために開花時期は狂いっぱなしである。今年は地球規模の異常気象に加わり、地震や津波が連続している異常「地表」の年の現れであろう。なお、染井村の地には染井墓地(東京・豊島区)がある。そこには精神科の初代教授、榊帝大教授の墓がある。

さて、例年春には大学からの健診依頼がある。精神科の健診を内科健診と一緒に行う大学からのものである。国立大学では東大から始まったであろう。30年前は新入学の半数である1500人が精神科健診の半数が対象だったのが、今は全数調査になっている。

全数調査の健診では一人当たり10分程度の面接時間を費やする。UPIテスト、バウムテストの結果を参考にして非構造化面接を行う。昨年まではSDS(欝の自己記入テスト)も実施していた。私の印象では1割の方に半年の間に再検診が必要という有所見判定になる。その内容は、学生寮に入ったものの先輩からのアルハラ(つまり、アルコール・ハラスメント)攻撃を受けて困っているという大学生特有の事例性に富むものも含む。勿論、自発性の低下や、思考障害、自殺念慮という一般精神科診察に通じる訴えもある。有所見率1割というと高いのか、低いのか。結核菌保有者の発見という大きな柱を失った学生健診であるが、今後は精神科健診が大きな柱になる可能性があることを示している。また、留学生においては、韓国、中国の抗日思想のために、精神科健診への拒否、抵抗姿勢が見られる。インドネシアやバングラディシュの方々はフレンドリーであったのとは対照的である。

そして、新入学生ばかりか、2年生以降の定期健診に精神科診察を導入している大学でも健診医師として参加している。そこでは看護師や保健師によるスクリーニングを経て精神科医にまわることで、精神科的に問題はないコントロール群がない。そのために、すぐに診断を求められるばかりか治療方針を求められる忙しさがある。一般精神科診療に近い活動になる。しかし、そこには学資に苦しみバイトで身をやつす苦学生、深夜のバイトで体内時計の撹乱による不眠や指導教官との相性が悪く留年を検討中など事例性が目立つのが大学生の健診である。疾病性が高まる前に健康相談への参加するように宣伝に留まることもある。

とにかく、今の学生は物資的に豊かである。キャンパス内の食堂には定食ものからア・ラカルト食まで20余種の見本が所狭しに並べられている。学生の衣類は色々な様相のものであり、携帯電話を持ち、メールを行っているものもいる。女子学生の姿も珍しくなく、男女間で屈託のない会話の光景も見られる。また海外の人も珍しくない。私が大学生を過ごした30年前とは隔世の感がある。電話を学生が持つことは稀であったし、インターネットは勿論なく(それは1995年くらいから始まった最新鋭のもので、爆発的ヒットである)、コピー器械もなく、青焼きの複写機やガリ版刷りの教材が一般的だった。レジメをガリ版で切って印刷機にかけて刷っていたのである。今はコピー機械にかれればあっという間にホチキスに綴じられて出てきたり、両面コピーまでスイッチでひとつでできる。大学構内の食堂ではメニュは少なく、今の5分の一くらいであった。着るものはジーンズの着たきりすずめ状態で、ベルボトムのジーンズをコーディネートした駒トラファッションと称したこともあった。総じて着衣のバリエーションは少なかった。そして女子学生数は少なく、女子大との合コン(合同ハイキングの略。今は合ハイしかないという)を行わなくては女子大学生と交際のチャンスはなかった。よって日常生活において女子学生との屈託のない会話は難しいかった。そしてキャンパス内に留学生が見ることは少なかった。今は駅前留学というキャッチコピーの様に海を越えることなくすぐ近くで海外の人に会えるのである。

このように急激に豊かな物質環境、特に情報過剰な環境に出会った大学生は、その激変に耐えられるのであろうか。地方から出てきた新入生は人酔いをすると、外出を最低限に抑えているという。大学町で育った学生は幼稚園からずっと町中で生活しており、今回希望かなって大学までずっと同じ町で過ごすことになるという。恵まれているのであろうか。豊かさ変化というものを上手に取り込んでいける学生はどのくらいいるのであろうか。激流の中に身を挺して先に進もうともがこうとする学生、そのサポートが健康管理を担当する精神科医師の勤めだろう。

2005年3月 

ライブドア対フジテレビ、世代間葛藤

ライブドア対フジ・サンケイグループ、主導権争いが話題になっている。32歳の若手社長はM&Aにより次々に会社を合併して、上場から5年余で売上高300億円の企業となった。なお、それはITバブル直後に誕生した極めて新しい会社である。片や、フジ・グループは55年体制の元で発生したマスコミ・グループであり、ラジオからテレビ、新聞というメディアを所有する。軽チャ路線などで視聴率優先を最初に打ち出し、視聴率絶対主義路線で先頭を走っていたフジ・テレビを有するグループである。

電話線を通じるITと電波を用いるメディアの対決、どのような決着になるかは衆目の関心事である。いずれも公共財をベースにしたものであるので、両者の争いにはそれぞれの会社の株主ばかりか、我々にも発言の権利があろう。また、いつごろから民間と公共との区別がついたのであろうかとも考えさせられる。公共放送というNHK、民間放送会社という民放各社、それぞれが運営資金を企業CMに頼るか、個人の視聴料に頼るかの違いがある。しかし公共電波を用いて、公共に対してアナウンスする、公共尽くめには両者の違いはない。公共放送に出来ないが、民間なら私服を肥やすことや一族郎党の私利私欲に固執することは条件なしに許されるのであろうか。両者ともに出来ないことと思う。今回の争いの決着は夫々の会社が発する「公共性」や「株主の利益」といったものが個々人の感性に響くかどうかで決まろう。個人のリアリティを揺すぶるか、空虚に聞こえるかである。(医療では、「公共性」や「患者の利益」と置き換えられるが、同じ様なことや問題が起こるのであろうか。週刊誌報道では、過去に山王病院を買い取った医師が今回は国立熱海病院や専売病院を購入するというが、類似のことなのか?両病院は○○医療福祉大学付属病院という長い名前になっている。護送船団の構造に「レバレッジ」的食い込みの戦略は類似であろう)。なお、ライブドアの株は一株300円から購入できるという。コイン価格である。片やニッポン放送は7000円を10株単位で購入(7万円)、フジテレビは一株単位購入できるが23万円と高額である。値段からすると株主としてアクセスし易さが違っている。株主であることが選挙権に相同であるとしたら、民主度に差がある。なお一株あたりの価格を下げて株を持ちやすくするのは米国企業の手法と聞く。マイクロソフトは一株25ドルで購入できるという。参政権や選挙権を株式購入による株主総会参加権利と同等と考える株主ー民主主義というものであろうか。

 このような対決がまかり通るように、日本の企業社会は曲がり角を迎えている。従業員の立場からすると、定年制、終身雇用・年功序列だったものが、成果主義や貢献度による人事制度に大きな変化している。その流れの中で管理職の急激な若返りがされている。そのスピードは速く、定年が近づいている団塊世代から一気に団塊ジュニアにバトンタッチされる勢いである。ここでもフジテレビとライブドアに見る4半世紀の時間差をジャンプした対決である。企業内で30歳前半に新規患者が集中するのはそのプレッシャーからであろうか。

 また、企業人、組織人の生き残りは難しくなっている。組織に依存した生き方は過去のものになっている。生存のための自己防衛が必要になっている。民営化が急がれている郵政公社や、国立機関が独立行政法人になるなど、組織の枠組みが緩くなっている。組織に所属することから来るアイデンティティが希薄になっている。それに代わって個人独自のアイデンティティが求められている。中年になって青少年に見られるアイデンティティ・クライシスに見舞われている人もいる。そのような状況では、中年に好発する鬱病が少なくなって、不安障害が増える。解離障害という形をとるものもあり、中にはPTSDや適応障害の診断が増えている。彼らと話すことは、君たちの問題はタイタニックに乗り合わせた人―レオ様でもいいーが座礁、沈没に巻き込まれた事件が原因、そこで発生した精神障害に相当する。これは労災申請に値するものでもある。しかし、彼らは労災申請しない。医師のほうから、これは健康保険が使えませんと宣告すべきであろうか。交通事故による怪我を自賠責保険を使わず、健康保険で済まそうとする被害者への助言と同じことをすべきであろうか。無茶な組織変革に伴う場合や事前の予防策なしで集団発生には労災適用であろうとも考えている。PTSD-適応障害好発時代に対応した発想が必要であろう。

 とにかく企業人、組織人への精神科医療は難しくなっている。

2005年1月
新年を迎えて「自然災害と、それを誘発、拡大する人間災害」

昨年は自然災害の年でした。日本縦断した台風災害、それも繰り返したこと、台風は夏から秋のものだったのが12月にまで日本近くにきたこと、そして中越地震。余震が今でも続いています。最後にはクリスマス休暇中のスマトラ沖地震―tunami(津波)。インド洋沿岸には津波の襲来が予測されていなかったこともあり、日本語由来のtunamiが世界的に有名になりました。

そんな年が暮れる大晦日に雪が降りました。暖冬と言われていたのに最後の日は雪でした。また雪景色の元旦は21年ぶりとのことです。

そこで皆さんに質問します。

21年前というと精神科医療ではなにを連想するのか?それは「事件」と呼ばれるものです。最近は思い出されなくいなった事件です。忘却の封印がなされているのでしょう。雪景色と21年ぶりという刺激語でその封印が解き放されました。

ヒントとしては、雪景色の病棟(これは当事者しか分からないでしょう)?また、精神病院のスキャンダル事件、患者への暴力―致死事件が話題になった事件、その被害者の墓を暴く検証が行われた事件、大学の精神科医局との癒着が問題になった事件、医局の関係者数名がリストとして新聞に掲載された事件、マスコミが連日の報道に対象した事件、NHKがおとり捜査ならずおとり取材を行った事件、人権擁護をアピールする弁護士が活躍した事件、処遇困難例専門病棟に関する論争を加えると?そして、精神衛生法の改正のきっかけを作った事件です。

解答は報徳会宇都宮病院事件です。

これは自然災害と対極にある人災―人間災害です。「人間まみれ」になる精神医療ですから、人災の発生危険度はきわめて高いのです。この問題の詳細は皆さん個人個人が考えなくてはいけないものです。重い問題ですので、じゅっくりと考えていきましょう。

そして、2005年は自然災害とともに人災―「人間災害」が話題になると思います。特に、自然災害を誘発する人間災害(人災)がキーワードになると思います。そして、安全性が強く問われる年になりましょう。

身近な話題を挙げます。東京においては、湾岸地帯の埋立地や工場跡地(廉価な土地でしょう)に最新鋭の高価な高層のオフィスビルやマンションが作られています。廉価な土地と高価な建物が経済的にトレードオフになり合理的な価格になったのでしょう。都心回帰というキャッチフレーズで利便性に訴えての販売攻勢が続き、商業主義一辺倒のブームになっています。これはバブル時期の不動産取引活性化現象と同じようです。しかし、その安全性はどうか?汐留のビル群が海風をさえぎり内陸の都心部の温度を上げたという指摘もあり、自然環境への影響も大きいようです。過密になっている都心から周辺部に、特に内陸の方にニュータウンを作っていった半世紀の動きは何であったか。過密が意味する危険性の自覚がそこにあったと思います。その危険性を軽減化する革新的な技術が開発されたのか?地震などの災害からビルの転倒、崩壊を軽減する技術は開発されているのでしょう。しかし、人間が過密に存在している状況で、一人一人を災害から救済する方法はハードウエア技術ほどには進んでいないと考えられます。人間個々に関するソフトウエア、特に安全性に関してのものを開発することが必要でしょう。精神科もその領域に関係しますので発言の機会が増えるでしょう。災害時のPTSD予防医療のことで更にお呼びがかかることも続くでしょう。

まとまりが悪くなりましたが、あらゆる危険度が高まっていく状況の中で2005年がより良い年に、安全性が高まるように努力していきましょう。



2004年大晦日(この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/に掲載しました。)
職業と差別(新聞配達員そして郵便配達員と治安問題)

〜企業内の精神科問題は治安問題と関係している。民営化は治安悪化を誘発か?

著者は「リングサイド・ドクター」として、郵政の民営化を観察する立場にある。具体的には郵政本社の医務室にて精神科医療を毎週行っている。そこでは、過労などで傷ついた勤労者にドクターストップの診断書を出す業務を行っていることを指す。この作業は10数年前にNTTの民営化直後に医務室勤務を担当したことから始まっている。

公社化・民営化で本社職員の業務負担は想像を超えるものであろう。盆と正月が一緒に来た忙しさという表現があるが、公社化と民営化が一緒に来たのである。約3000人が職員数である。その中で30歳前後の地方からの援軍、民営化騒動前から習慣的に本社に集められた地方郵政局の優等生たちがいる。その方々に適応障害が流行している。20年前のNTTJRの民営化では精神疾患のブレークアウトが遭った。データが公表されているNTT東京では、民営化前後で約2倍の新規健康管理登録の増加を見た。民営化直後で1000人に1.6人の新規登録となった。ここ1年間において、郵政本社での精神科疾患の新規健康管理者数はNTT東京の民営化直後より有意に高まっている。

さて、ここでは末端職員の話をしたい。郵政現場といえば外務員という名前の郵便配達員である。彼らのことを新聞マスコミの方と話した。新聞には新聞配達員がいる、その方々と同列の比較対象らしい。その単純労働が問題という。しかし、民間人と公務員との待遇の差が大きい。その優遇制度をこの社会から排除する動きが郵政の民営化にはあるのであろうか。公務員は幅広い層の方がいる。親子代々公務員という世代を超えて連綿と続く家系がある。その一方には一代限りの、辛うじて安定した境遇に達した方がいる。問題のある成育史をもち、両親の呪縛をくぐりぬけやっと静かな環境に行き着いた方々もいる。両親の下に留まった同胞は人格障害や精神病の診断が着くような家系でもある。そのような難局のもとで発病を逃れた方である。精神科につながるのは後者のほうである。ハイリスク集団である。そのような方々は公務の底辺の労働を担当している場合が多い。市役所雇用の現場労働者(粗大ごみ回収、市営道路の管理監督や公立学校の用務員、給食担当など)があろうし、郵便配達夫も入るのであろう。昔、NTT健康管理センタに勤務していたときに、精神科罹患者の部下を持つ上司に対して、部下の面倒な保護的配慮を求めるときの切り札は「治安のために必要」という言葉であった。つまり、それらの人を救済せずに退職に追い込むことは雇用を亡くした人を作り出すこと(公務員には失業保険は無い。安定した職場であるので退職した人は定年退職以外いわく付きの人である)、さらに公務員の退職者はその曰く付きのために犯罪率が高いと言うことであろうか。

アメリカで治安の悪さは急に始まったことではないだろうが、ニューヨークテロの9・11は空港の公務員を減らした結果、手荷物検査がルーズになったことが原因のひとつという話があった。その後は公務員を増やすという報道があった。日本の治安はどうなるのであろうか。底辺労働の方の犯罪は増えているのであろうか。今回奈良で起こった幼児誘拐殺人事件は携帯電話の写真メールを用いた劇場犯罪であったが、その犯人は新聞配達員という。日常的に身近に存在する労働の一つである。宅配便、新聞配達員を騙る犯罪は昔からあるが、その本人が犯罪を起こすのは21世紀型の事件であろうか。今後はゴミ回収、放送視聴料請求業務や郵便配達の方が犯罪に走らないようにするのが身近な治安維持の方策であろう。

民営化の議論は経済問題ばかりの議論でなく、治安維持の問題と関係していることも念頭において展開してもらいたいものである(2004年12月31日記)。

2004年12月(この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/に掲載したものです)
企業戦士のメンタルヘルス

企業のメンタルヘルスが話題になって久しい。125日には日比谷公園近くのビルにある労働者健康福祉機構(正式名称は長く、労働福祉事業団独立行政法人が頭につく)にて、精神科臨床医師への講習会が開かれた。そこでは労働保健の法律問題と、職場の精神科問題についての講義があった。対象は都内開業の精神科医師であった。医師会と厚労省とで職業人のメンタル問題への注意喚起をするために、それを精神科医療の現場医師に浸透させようと緊急開催されたのである(精神科を専攻する産業医不足があり、多くの受講希望者を受け入れるために5,6回に分けて来年1月まで開催される)。

話の内容は、法律の話では労働者を守る労働安全衛生法のこと、精神科医療では患者の医療を超えた問題まで抱え込むことが多いとのことであった。後者は身体疾患のような病識がないことからくるという講師の説明であったが、大きいものは精神科医療が全人的な志向性を持つからであろう。そのために現代医療で精神科に人気が集まるのであろう。

さて、労働現場はリストラ、独立法人化、民営化という組織変更で、官民ともども歴史的な大きな変動を迎えている。全てが「金融商品化」といえる時代である。金融商品化とは身近な例では土地の収益性で評価されることである。土地神話が崩壊してから注目された評価法である。商業地の評価と同じ方法で住宅地をも評価するのである。人もそのような扱いになっている。サラリーマンも主婦も同じ方法の強引な評価が行われている。収益を上げられる現場の人、それを後方で支援するスタッフとの比較が収益性というスケールで一律に評価される。不平等な評価である。それがまかり通り、後方支援のスタッフがリストラされていく。全ての人が収益性を出す現場に出ないといけない。そのために全員が戦前の一兵卒となっている。しかし、後方支援が無いので、大部隊の正規兵でなく、小隊のゲリラ兵またはテロ兵であろうか。

後方支援が正当に評価されない職場、社会では精神障害が多発する。NTTの民営化はライバル企業の無い世界での、外圧による組織変更であり自傷行為であった。そこでは気分障害疾患の有意な増加があった。20年前の1985年のことである。21世紀においては郵政の公社化と民営化(以下では公社・民営化とする)でその増加が見られている。郵政の公社・民営化では郵便以外では小包便(大型郵便)、保険、預金などライバル企業が多い。お手本になる企業やビジネスモデルが多いので、古い体制を改変しながらのキャッチアップ体制作りの民営化であろう。そこでは30歳前後の人が集中的に発病している。仕事のやり方が大きく変わるために、上の世代の指導力が低下しているためであろうか。指示待ちの従順な職員にとって大きな被害を受ける。上の世代が丸投げによって仕事が忙しくなり、お手本ないままで仕事の内容を理解できないことが大きな要因となっての発病になっている。

そこでの30歳前後集団の年間新規受診率は0.2%くらいになっている。NTTの民営化の直後では0.15%くらいであったので、それを上回っている。民営化の直前は0.08%であった。後者を組織改革の大きな変動時の前もので「平時下」とすると、前者は「戦時下」とも言える。「戦時下」では「平時下」とは違ったメンタルヘルスの対策が必要であろう。兵士の負傷と等価のものと考えるのであろう。労災の適応とすること、原則元の職場への復帰を見直すことなど負傷者対策を明確化することが必要であろう。「平時下」の対応を続けるなら企業の医務室が受診者希望者の急増でパンクするか、30歳くらいの従業員の敵前逃亡が増えるかであろう。

組織を大きく見直している企業では従業員はまさに「企業戦士」になっている。そこでのメンタルへルスは「戦時下」の考え方を考案する必要と考える。過重勤務者(月間80時間や100時間勤務者)の月々の特別検診はその布石になろうか。つまり、過重勤務検診の受診群からのうつ病発病者は労災扱いになるということである(なお、現況の労災適応基準ではうつ病は生きて適応を受けることはないという噂がある。労災の適応がないために、職場責任は明確化されず、個人責任のみを求められる。個人都合の年休や私傷扱いの病休をとりながら、医療費の負担軽減を精神保健法32条に頼るのが現況である)。

2004年11月 (この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/に掲載したものです)知識主義の時代

会計の専門家が企業の命運を決めている。公認会計事務所は経理報告の困難性を楯に経営陣に公的融資の注入や経営権の譲渡を求める。都市銀行Rや巨大スーパーDが国営銀行や再生機構の管理下となった事例がある。そこに資本主義から知識主義への変化を見るのであろうか。

知的専門家数は増え続けている。裁判官、弁護士などの法律家の世界である法曹界では、法科大学院の新設が話題である。そこを卒業することで狭き門といわれる司法試験の合格が得やすくなるという。国は受け皿として元来年間500人程度であった年間合格者を1000人、1500人と増やしている。将来は23000人まで増やすとも聞いている。この様な研修者数枠の拡大で二世など継代の有資格法律家が増えるとも言う。代々弁護士一家などが増えるとのこと。

先日華やかにオープンした国鉄本社跡地に立つ丸の内ビル群、通称「丸の内オアゾ」http://www.oazo.jp/index2.htmlには巨大な弁護士事務所があるhttp://www.mhmjapan.com/index.php。すでに200人余の弁護士を擁している。受付には3,4人の受付嬢、一人の弁護士には一名以上の秘書が配置されている。そして事務所は高層ビルの最高部分4フロアを占めている。なお、業務内容は海外弁護士業務をセールスポイントとしている。海外向けの仕事が事務所を巨大化させたのであろう。今後も毎年50人の新人弁護士を採用するとのこと。

さて、このような専門知識が珍重される時代はどんなものであろうか。地方には弁護士が独りもいない県もあるという。そのために中央の弁護士会から弁護士を派遣することがなされている。無医村の過疎地に医師を当番制で派遣するようなものであろう。そのような過疎と都市部の過密とがコントラストに共在する。

都市型と農村型の共在、または対立。この構図は国レベルの選挙で、都市部では無党派層の取り込みが勝敗を分け、農村部では地縁血縁などのコネクションで優劣が決まることを連想する。しかし、そこに横たわる大きな問題は当選に必要な得票数の違いに見られること。つまり人口偏在の問題である、「一票あたりの重み」が違っていることであろう。集団が大きくなれば地縁血縁などの結びつきは選挙勝敗因子として相対的に小さくなる。その代わりに政党の公約=マニフェストなどの情報が大きな因子になってゆく。そのような変化を無党派層の増加というのであろう。

今後も知識や情報を尊重する傾向は高まっていくであろう。それが地縁・血縁という従来尊重された結びつきを相対的に低下させるのであろう。それはナショナリズムからグローバリズムに向かうというのであろう。無名性が蔓延する無党派時代というのであろう。そこには教条主義、理論主義などの杓子定規に、荒削りに理論や方法論を適応する他ために発生するギクシャクさが問題になるのであろう。R銀行やDスーパーマーケットの大きな方向転換はそんな現象であろうか。

さて、精神科問題でもそのような現象が発生するか。今年から全国的にスーパーローテイトの研修制度が始まった。知識主義傾向から精神科を選択する医師が今後も増加するとの予想があり、現況の精神科クリニックの首都圏偏在と同じく都市部に精神科医師が集中するか。また精神科医師200人余を擁する精神科専門医療機関が誕生するのであろうか。そこではDSMEBMなどの診断・治療基準が偏重されるであろうか。その方向性は精神医療の改善、特にユーザーサイドの福利厚生、予後改善に役立つかで評価されるべきであろう。

2004年10月 日本における「監禁拉致−『ダッポク』」(企業社会における)のこと(この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/に掲載したものです)

企業の不祥事は続いている。企業会計の変更(ビッグバン)の影響が大きいのであろう。監査法人が企業に最後通告をしている。スーパー・マーケットを本業とするD社の方向転換は監査法人のよる決算報告書作成拒否にある。監査法人の動きが企業の命運を決めているとマスコミ報道があった。その延長線上に公営企業の民営化があろうか。グロバライゼーションに載らないものは存在まかりならない、であろうか。
さて、病者、弱者の存在はどうであろうか。基準に載らないものはダメであろうか。企業の経営方針によって構成者に不適応の問題が生じる。その内容が精神科問題の場合がある。そのために病者になったものはどうなるのであろうか。
勝者と敗者が明確、分断されるのであろうか。
右肩上がりという日本の高度成長時代、右にならえの「グロバル」日本(右は東対岸の国のことか)。
天安門事件直前に北京を訪ねたことがある。人民公社という職場を中心に運営された社会であった。人民公社という職場が職員やその家族を束ねる。職員の被扶養者―家族、家庭が下位に位置する。病者は職員の被扶養者であるので、職場の保健センターの世話になる。所属する職場が提供する資源、そのうちの医療資源が病者の命運を決める。食糧も所属職場からの配給であるので家族もそうである。人民公社が食糧関係のものであれば食糧にふんだんにありつけるであろう。映画制作会社なら映画チケットでもその関係のことに話題が事欠かないであろう。文化的ではある。しかし食べ物とは縁がない。また、人口の3%を占めるエリート集団である中国共産党員は職場社会の頂点に立ち色々な特典を得るのであろう。医療は官僚街際の高級医療機関が提供する。それは紫禁城前の海南地区にあるとのことだった。そのような職場至上社会であった。しかし、職場が経営困難になると、構成職員が生活に困る、そして公社の手がける商売ものに手を着ける状況が出てくるのであろうか。そのために職場間の連携に歪ができ、市場形成が出来なくなってアノミーな状態に陥るのであろう。また失業者の出現も聞かれるようになっていた。そこではホームレスと同等の存在であろう。

精神病院の訪問も行った。400床を持つ安定病院であった。安定とは精神科にぴったりの名前である。期待して由来を聞くと、安定門の近くにあるということからの命名で、それ以上のものではないという。ソウル・オリンピック中継をテレビで見ている女性患者集団がいた。静かに見ている。全員がお揃いの白い病衣を着用している。男性病棟は見せてもらえなかった。病棟運営の特徴は3ヵ月毎の患者入れ替えが定期的に行われていることである。各職場(人民公社)から送られてくるという。それまでは各職場の保健管理チームが管理しているという。体験入院のようなものであろう。ここの入院適応では真の重症者は除外されるのであろう。なお北京では精神科で大きなところは2箇所しかない。この安定病院と人民軍の病院である。合計で500ベッドとのことである。精神医療は入院施設中心には行われていなかった。
 公営企業を中心とする社会はそんなものであろうか。そのような社会を民営化するのである。末端に位置する病者,弱者は大きな試練を受けるのであろう。小さい社会で保護されたものが、その社会の破綻によってどうなるのであろうか。お手本にしている合衆国ではどうなっているのであろうか。
 公営企業の民営化は閉塞化している職場社会における底辺の人々の救出を考えて行う必要であろう。新たに底辺に落ちていく不適応者が加わっている。閉鎖社会の袋小路に引きこもる受動的な被害者対策が必要であろう。なお、企業社会の「ダッポク者」は能動的な救済願望者群である。医療を通じて救済を求めるものがいる。今後も企業社会の底辺に棲む病者、弱者の処遇に関心を持ち続けて行きたい。

次回は日本の公営企業における『ダッポク者』に触れたい

2004年9月 パリーグ球団の「集約化」と精神科問題(この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/に掲載したものです)

「集約化」はお役所の用語ではマイナス評価を意味する。合理化もトートロジーであり、俗に言う切捨てということを意味するらしい。

経営・事務系スタッフと現場系スタッフの葛藤は職場で起こりがちである。病院職場でも例外でなかろう。特に筆者の専門特化した病院での勤務経験から、その葛藤は、葛藤以前のレベル「すれ違い」であった。管理本体から送られてきても3年間の短い期間の「腰掛」で立ち去っていく管理者が慣習であった。それが専門特化、特に精神科医療を専門とする病院ではすれ違いの度合いは大きいのであろう。管理者自身に関係ない疾患、精神疾患は自分の罹患しない「対岸」のものであり、御するもの、植民地管理という発想であろう。精神科での医師も患者も「対岸」の存在である。管理側にとっては「集約化」の評価を判定したいのであろうが、世の中での精神科需要からそれが出来ない忸怩たるものがあったろう。それが総合病院では違っている風景であろうし、管理側に関係あると錯覚に基づいて自覚認知されている癌や心臓を専門とする病院では違っているであろう。身近な知り合いを管理する病院に入院の紹介したりして医師など現場系スタッフと密接な関係になっていることもあろう。

今回、野球プロ・リーグで起こっている集約化騒ぎは専門特化した(特に精神科医療)医療職場で起こっているものとアナロジーのようである。専門分化している精神医療では管理者と現場のスタッフの連携が緊密でなくてはいけないであろう。そのための工夫としては経営・管理者に精神科医療の経験者が入っていなくてはいけないであろう。

今回、プロ野球の選手会長は現役バリバリの一流選手であるのに、その交渉相手の方々が一流の経営者であろうか、プロ野球の現場から上がってきた方であろうか。経営―現場との不協和音が聞かれる職場では職業歴、活動歴などで明らかな違いがあろう。すれ違いの者同士が交渉の席に着くところのようである。

筆者の精神医療での現場遍歴では、逓信系(NTT,郵政)の職場では管理者の長に労働・厚生部門出身者か、技術畑出身かで交互にポストに就けていた。鉄道系(JR東日本)では専門職の代表である労働組合の専従の方が経営参加していた。しかし前者では現場系に直結しているべき労働組合が御用組合であるために、不協和音は聞かれやすい体質であろう。その結果は経営の大変動が起こると従業者の精神疾患の発生が増えることになる。後者では不協和音は、労働組合が職種別に組織されているために、労働組合間で発生しやすい。しかし、従業員の精神疾患発生率の増加は少ない。

プロ野球の騒動は労使間のすれ違いに基づくものが多く、現場系職員(プロ選手を含め)の精神疾患発生は増えるであろう。翻って労使間の協調は精神科疾患の発生を抑えることでもあり、協調体制を作るように通常から努力することは職場の精神科医療の課題でもある。才能豊かな、頂点に立つべき野球選手に精神科関係の不幸な事故が無いことを祈るばかりである。

2004年8月「統合か、分離か。会社の大幅な改革により従業員の精神科新規受診は10倍以上になるが、対策は考えられているのか?」(この文章は「首都圏精神科医療連携データベース」http://www.psyhp.net/に掲載したものです)

オリックスとバファローズのチーム統合が話題になっている。経営難が原因という。この種は実業界が先行している。金融業界や薬剤メーカでは話題か事欠かない。最近はUFJと東京三菱銀行、そして海外メーカに続いてY製薬とF製薬であろう。

これらの話に共通しているのは、企業の従業員には事前に告げられていないことという。プロ野球でも、現場のプレイヤーには事前に話が無く進められているとのこと。このことは現場で日々仕事に勤しんでいる人々にとって大きな危機感をもたらす。経営陣からの裏切りと感じ、集団存続と個人存在の危機、アイデンティティ・クライシスの中年層においての大発生になる。このアイデンティティ云々は30年前には若年層で話題になったものである。最近は中年層にも及ぶ。アイデンティティは個人の存在に関する問題であり、中高年に次なる大きな危機が訪れている。それも「背中のほう」から訪れている。これまでは、中年層では組織論理優先を特徴とする過剰適応が問題になっていたが、今後は組織論理を忌避する組織アレルギーが加わる。好発する鬱病・気分障害スペクトラムばかりか若年層好発の統合失調症の発生も考えなくていけないであろう。

以下に、このような状況が発生した歴史を考えてみる。

日本における電報・電話を代表とする通信部門が海外業者にオープンになったのが1985年(昭和60年)である。公的機関の解体であり、鎖国状態だった業種の開放である。江戸―明治の開国に続く、昭和の「開国」といえよう。

その後も業種別「開国」が連続している。特に国策として行政から守られていたもの、鎖国化されたものほどラディカルな開国がなされている。野球では近鉄とオリックスの合併より、その先にある重大な問題であえるセリーグとパリーグの統合である。同じく、金融界は「護送船団」と揶揄されながらも固く保護されていたのである。UFJと三菱の合併は民間金融のことであり、より大きな問題は郵便貯金、簡易保険の開放・開国である。さらには国立大学や国立病院の「開国」もある。郵便でも大学でも、職員は国家公務員のアイデンティティが失われるのである。この喪失体験は個人にとって大切な所有物、経済的損失や人間関係のレベルのものでなく、自己の存在価値への保証問題である。存在の根幹に及ぶものである。

公的機関が民営化することで精神科患者の新規発生数は高まる。電電公社東京でのデータでは、民営前の平穏時には健康管理対象者4万人で毎年新規患者は40人であったものが、民営化により約300人から500人に至ったという。10倍前後の増加である。その要因は集約化による地元の勤務場所が都市部に移り首都圏で特異的な通勤地獄を体験せざるを得なくなり通勤困難症状を発生させたこと、大きな事務所にワンフロア100人前後のたくさんの人を集めたために職場での役割が不明確となるなど職場の人間関係が疎遠になったこと。現場部門を下請けに回したことで、下請企業との対応という慣れない仕事に対応できなくなったこと。電報部門の廃止のために、先端のコンピュータ部門や顧客対応の窓口部門に回されて不適応となった大勢の電報担当者。例を挙げれば枚挙をいとわない。結局、若年層でも中年層でも精神科疾患の新規発生率が高い数値にいたったのである。また、会社の一角に附設されていた精神科診療部門はそのアウトブレークに対応できなくなり廃止に至った。新規受診が100人に一人の異常な高値であったことは広報に記録されないまま、直営病院に診療部門は移行・吸収された。
 企業集団の統合/分離に伴う問題は、精神科疾患の発生が高まる。平穏時の10倍の高値に至る。このアウトブレークのこと、その対策はいかなるものか、合併、分離に急ぐ経営陣に考えがあるのか聞きたい。既に、K首相に狙い撃ちされて民営化を求められている公的機関の本社では職員2000人中メンタル問題での長期病休者(1ヶ月以上の連続病休)は50人(2.5%、4人に一人)に及んでいる。今後も増え続けるであろう。これを阻止する名案はあるのであろうか。


2004年7月
新年度が始まって2ヶ月以上経ちました。新しい職場や学校での生活が一つの区切り目を迎えていると思います。その中で、ミスマッチの就職や就学に悩んで精神状態を悪くしている方が見られます。まじめな方々に限ってその状態を悪化させているのではないでしょうか。当院では、そのような方々の福利厚生制度を利用した改善策の検討、忠告(特に、病休のアドバイス、辞表の書き方)、治療を行っています。ご相談ください。

 辞表の書き方について:病休のままに退職する場合は「病気療養のために」との言葉が必要です。また、辞職の日にも出席扱いにならないように気をつけるべきです。長年の習慣で、出席のはんこは押さないでください。傷病手当金請求の権利が消失することがあります。病気退職で傷病手当金を請求するためには4日以上病休が続いていなくてはいけないからです。

 「一身上の都合」という文言は健康人の自己都合退職に用いられるものです。失業給付をもらいながら職安(ハローワーク)通いが出来る体力・気力の方々の場合です。退職時に病気が考えられる人は医師に診察を受けて診断を受けてください。
 「一身上の都合」と間違えてお書きになった方は急ぎ訂正をしてください。病気退職の場合は給付は失業給付でなく、傷病手当金の給付になります。お間違いないように!

◎勤務者は、義務で月々公的保険料を積み立てています。苦しいことです。その苦労のおかげで請求する権利を得ています。義務と権利の関係ですので、遠慮なく請求をご検討ください。


2004年6月
新年度が始まって2ヶ月以上経ちました。新しい職場や学校での生活が一つの区切り目を迎えていると思います。その中で、ミスマッチの就職や就学に悩んで精神状態を悪くしている方が見られます。まじめな方々ではその状態を更に悪化させているようです。当院では、そのような方々の福利厚生制度を利用した改善策の検討(特に、病休のアドバイス)、治療を行っています。ご相談ください。

2004年4月

大都市勤労者における大きなメンタル問題に「通勤時障害」があります。勤務者に多く見られる、過敏性大腸症候群、電車恐怖症、出社恐怖症、強迫的早朝始業者、通勤自動車頻用者、高速道路使用不能者などを含む上位の事例性概念です。交通機関被害の救済面もあり、当院で詳細検討中です。ご相談ください。

2003年8月
当医院はSSRI(気分調整剤)治験の指定医院となっています。うつ状態・うつ病の治療依頼の方を対象にしています。当院に割り当てられた定員枠は残り少なくなっています。
その臨床試験(治験)について詳細な情報を知りたい方はこちらのHPをご覧ください。

2003年7月
うつ病(単極型)は,働きながら治すことが原則です。
当院では、職場の産業医との連携を行いながら、治療を進めます。ご相談ください。
また、公共交通機関利用障害症状(いわゆる、交通障害)の合併を、当医院の治療対象にしています。障害者手帳申請や、交通機関への働きかけを検討中です。ご相談ください.。

2003年5月
組織の呪縛と自殺願望について 50歳以上の方は、長く勤務されている組織から離れることで自殺願望が改善します。その離れ方、辞職の仕方についてアドバイスします。現在、世界的にSARSの話題が盛んです。しかし、日本独自の問題は自殺者数の高さです。一日100人の自殺既遂者がいるのです。WHO,マスコミにも取り上げられない問題ですので、個人レベルで検討するしかないのです。

2003年4月
会社都合退職と病気都合退職について
リストラとなれば、会社都合退職を検討しなくてはいけません。しかし、病気をもつ方で、退職直後にハローワークでの求人活動を行えない病状であれば、病気療養のための退職を選ぶべきです。その際は失業保険の手当金支給でなく、傷病手当金の支給になります。


2003年3月

若年者の引きこもり事例は、医学的には統合失調症の疾病診断が付く場合が多いと考えられます。早期に予防的な対応が必要です。70年代の歴史的な大量の入院(施設主義)を繰り返さないように、外来中心の医療機関と連携

2004年6月
新年度が始まって2ヶ月以上経ちました。新しい職場や学校での生活が一つの区切り目を迎えていると思います。その中で、ミスマッチの就職や就学に悩んで精神状態を悪くしている方が見られます。まじめな方々ではその状態を更に悪化させているようです。当院では、そのような方々の福利厚生制度を利用した改善策の検討(特に、病休のアドバイス)、治療を行っています。ご相談ください。

2004年4月

大都市勤労者における大きなメンタル問題に「通勤時障害」があります。勤務者に多く見られる、過敏性大腸症候群、電車恐怖症、出社恐怖症、強迫的早朝始業者、通勤自動車頻用者、高速道路使用不能者などを含む上位の事例性概念です。交通機関被害の救済面もあり、当院で詳細検討中です。ご相談ください。

2003年8月
当医院はSSRI(気分調整剤)治験の指定医院となっています。うつ状態・うつ病の治療依頼の方を対象にしています。当院に割り当てられた定員枠は残り少なくなっています。
その臨床試験(治験)について詳細な情報を知りたい方はこちらのHPをご覧ください。

2003年7月
うつ病(単極型)は,働きながら治すことが原則です。
当院では、職場の産業医との連携を行いながら、治療を進めます。ご相談ください。
また、公共交通機関利用障害症状(いわゆる、交通障害)の合併を、当医院の治療対象にしています。障害者手帳申請や、交通機関への働きかけを検討中です。ご相談ください.。

2003年5月
組織の呪縛と自殺願望について 50歳以上の方は、長く勤務されている組織から離れることで自殺願望が改善します。その離れ方、辞職の仕方についてアドバイスします。現在、世界的にSARSの話題が盛んです。しかし、日本独自の問題は自殺者数の高さです。一日100人の自殺既遂者がいるのです。WHO,マスコミにも取り上げられない問題ですので、個人レベルで検討するしかないのです。

2003年4月
会社都合退職と病気都合退職について
リストラとなれば、会社都合退職を検討しなくてはいけません。しかし、病気をもつ方で、退職直後にハローワークでの求人活動を行えない病状であれば、病気療養のための退職を選ぶべきです。その際は失業保険の手当金支給でなく、傷病手当金の支給になります。


2003年3月

若年者の引きこもり事例は、医学的には統合失調症の疾病診断が付く場合が多いと考えられます。早期に予防的な対応が必要です。70年代の歴史的な大量の入院(施設主義)を繰り返さないように、外来中心の医療機関と連携するのがふさわしいと考えます。