昭和20年 1945 33歳
大東亜戦争(太平洋戦争)・日中戦争終結。
久三郎は、戦犯として捕らえられる。
すでに社会主義国となり日本との戦争に勝っていた中国では、管理的な地位にある日本人はみな、追われていたのだった。ましてや久三郎は巡査である。現地中国人に対し虐待をした、と疑われたのだろう。
逮捕後、久三郎はシベリアの抑留所へ送られることになった。あの、たくさんの人が強制労働と劣悪な環境で亡くなり、今でも問題になっている「シベリア抑留」である。さあ、どうする?!
久三郎はシベリア行きの列車に押し込められる。貨物列車のようなもので、中はぎゅうぎゅうだったという。
しかし、そんなことでやすやすとシベリアに連れていかれるような我らが久三郎ではなかった!
なにしろ「旅行に行きたいから台湾従軍を志願した男」である。
「シベリアに連れて行かれたら殺される。どうせ死ぬなら……」と四人の仲間と共に走っている列車から脱出したのだ!
しかし敵?も脱走する者を見逃すほど甘くない。なんと列車の上に監視兵が銃を構えて立っていた!
一緒に逃げたうち二人は列車の上にいた兵隊に射殺されてしまう。が、久三郎ともう一人の仲間は脱出に成功!
ここで、ハリウッド映画なら「インディ・ジョーンズのテーマ」かなんかカッコよく流してほしいところだが、残念ながら現実の昭和20年。射殺された人も「売れない役者・エキストラ出演」ではなくて、家族もある日本人が本当に射殺されたのだった。
その後中国大陸の広大な草原を野宿しながら徒歩で移動。昔の人は本当に足腰つよい。
途中仲間が怪我をして動けなくなった。おそらく相当の遣り取りが二人の間に交わされたと思われるが、とにかくこの後、この仲間と別れた。その後この方がどうなったのか久三郎も知らない。無事に辿り着いてくれればよかったが……
後は一人で大連(満州の都市。志んら家族が住んでいたところ)までたどり着く。結局何日歩きとおしたか自分でもよく覚えていないらしい。結局何日歩きとおしたか自分でもよく覚えていないらしい。
しかし久三郎は「脱走犯」。官憲に追われている身である。
すぐに自宅には戻れず、知り合いの中国人の家に匿ってもらい夜だけ物売りに変装して家族に会いに行ったという。
なぜ「物売り」だったかというと、笠をかぶったり、大きな荷物を背負ったり、手ぬぐいを顔に巻いたり、と、顔がもっとも判別しにくい扮装だったらしいのだ。
ちなみに自宅を訪ねるときも、ちゃんと物売りの口上を述べたとのことである。わが祖父ながら、マルチタレントなヤツである。
志んはというと、その間三人の幼子をかかえながら行方不明の夫を待ちつづけ、家を守り通した。