昭和14年 1939 久三郎27歳;志ん29歳
長女誕生。昭和16年 1941 久三郎29歳;志ん31歳
当時の瀬間家は給与も内地(日本国内)の倍近い、七拾二円(群馬の巡査の月給が参拾九円)であった。超裕福である。
現地では数百坪の敷地の庭付き一戸建てに住み、庭にはテニスコートがあり、満人(中国人)のメイドを使っていただけでなく、執事に運転手、テニスの球拾い係まで雇っていたという。
昭和19年 1944 久三郎32歳;志ん34歳長男秋男誕生。小さい頃から体が弱かったため、二歳のとき改名した。
こういうことはよく行われてたんだろうか。
ちなみに「20歳まで生きられない」と診断された「元・秋男」氏、今も元気である。
満州で久三郎は勲章を二度受章している。
また夜学「法政学院」にて法律を勉強し、二年間で卒業した。この年大東亜戦争(太平洋戦争)勃発。
次女誕生。この頃より日本の敗色が濃くなる。