将棋部に入部
高校に入学した時は将棋を続けることはあまり考えておらず、むしろ中学時代とは違う部活動をやりたいと思っていた。しかし入学して間もない頃、中学時代からの先輩であった古田さんから「おう、よく来た。お前はもう将棋部に入部したことになってるから。理屈抜きだから。」と言われた。中学時代の将棋部のモチベーションの低さが自分の頭の中に色濃く残っていたので、「ほんとに入部するかどうかはよく考えよう」と思ったが、とりあえず寺田とともに将棋部の部室の場所を顧問の松じいに聞きに行ったのを覚えている。将棋部の部室は恐ろしく狭く、そして汚かった。部室の入り口に貼ってあったレポート用紙に「初心者歓迎、経験者優遇」という文字からは何故か哀愁が漂っていた。
自分が在籍していた1年A組には将棋経験者が固まっており、結果的に1年生7人中6人がA組ということで1年A組は異様な雰囲気が漂っていたクラスであったように思う。
(1)高校選手権埼玉県大会(5月)
@個人戦(1996年5月18日)
貴重な高校時代を将棋部にどっぷり浸かって過ごすきっかけになったのは5月の高校選手権(埼玉県大会)だった。個人戦の結果は川越高校の澤村さんに敗れベスト16に終わった。今考えれば全然冴えない成績だったが、これまで卓球においても将棋においても都道府県大会で上位入賞などしたことのなかった自分にとっては感動すら覚えるものであった。ちなみにこのとき個人戦で優勝したのは主将古田さんであった。何でも準決勝でマネージャーの宇野さんに1手詰みを逃してもらっての大逆転勝利だったらしく、得意の怪しいぼやき(試合中に使うあたりが反則という感じが否めない)が功を奏したらしい。
A団体戦(1996年5月19日)
古田さんが個人戦で優勝してしまったため、翌日の団体戦は古田さん抜きで戦わなければならなかった。高校選手権県大会個人戦優勝者が団体戦に出場できない理由は、個人戦・団体戦とも全国大会が同時に行われるためであるが、結果的に古田さんが団体戦に出られなくなったことで、Aチームの最後の枠に自分が入ることになったのは幸運だった。結局団体戦のメンバーは
Aチーム:小松さん(3年)・宇野さん(3年)・私(1年)
Cチーム:香山さん(3年)・寺田(1年)・松浦(1年)
となった。団体戦当日にメンバーが6人しか集まらず、3チーム登録していたものの、1チームは棄権せざるを得なかった。Bチームを棄権チームとしたのは、Bチームが優勝候補の一角である川越高校Aのすぐ近くのブロックに入っていたためである。Cチームも強豪浦和高校Aのすぐ近くに入っていたので微妙ではあったが、前年優勝校の川越Aを避けてCチームで出場したのは当然の決断だったともいえる。
トーナメント表を眺めているうちに誰かが「うちのAチーム対Cチームで準決勝か・・・。それまではお互い頑張らないといけないな」と言っていた。その時は半分冗談みたいなつもりだったのだろうが、やがてそれは現実のものとなる。
さて1回戦はAチームは前年度準優勝の実績によりシード。待っている間Cチームの奮闘振りを応援することに。実力六級の香山さんが1回戦でなぜか四間飛車を採用して大優勢になる。その場面を目撃した我々Aチームのメンバー+古田さんの4人は「一体何が起こったんだ?」と笑いが止まらなかった。自分の真横で香山さんが優勢になっているとは知らない寺田・松浦は「自分が負けたらチームも終わり」との強いプレッシャーを感じて、良い意味で緊張感を保って将棋を指していたことだろう。数分後香山さんが謎の自陣飛車を放ち(▲6八飛がいる状態で▲6六飛打)、△7七銀と打たれて優勢が吹っ飛んでしまい、以下負け・・・という微笑ましい光景もあったが、寺田・松浦はしっかりと勝ちきり初戦は2−1勝ち。
2回戦からはAチームも出場。シードということもあって、準決勝までは強豪校と当たらなかったおかげで、全部3−0勝ちと危なげなく勝ち進んでいた。その一方でCチームは香山さんが持ち前のツキのなさを発揮して全敗ロードまっしぐらで、寺田・松浦のプレッシャーは相当なものだったに違いないが、逆にいい緊張感を保って二人とも勝ち続ける。準々決勝の対浦和高校Aは金井氏(3年)・粉川氏(2年)・上野氏(2年)と穴がなく、今考えても0−3負けのヴィジョンしか見えないが、寺田・松浦は対戦相手が強豪と知らないまま試合に臨んでいた。相手の主力金井氏に香山さんが当たるというラッキーもあり、寺田ー上野戦で寺田勝ち、松浦ー粉川戦では松浦が時間切れ勝ちを収め、何と強豪浦和高校Aチームを2−1で破って準決勝進出。
いよいよAチーム対Cチームの直接対決となった準決勝。当たりははっきりは覚えていないが、自分の相手は松浦だった。将棋は松浦得意の四間飛車対私の4枚銀冠となった。4枚銀冠が組めるあたり、当時の松浦の序盤の駒組みが無策すぎた感じも否めないが(今ではあんなにあっさりは組ませてもらえない)、序盤のリードを保って何とか勝ち。小松さん・宇野さんも勝ち、何とこれで初戦から準決勝までAチームは全て3−0勝ちで決勝進出!
決勝の相手は昨年優勝校の川越高校Aチームで相手にとって不足はない。川越高校Aはエース澤村さんを筆頭にまとまったチームである。Aチームの中では当時は自分が一番弱かったこともあって、澤村さんには自分が当て馬として当たればチームは相当勝ちやすくなる。決勝のオーダー表交換の前に古田さんがなぜか「澤村は3将で出てくる気がする」と言って自分を3将にした。結果的にこのオーダーが的中し、自分は澤村さんに相矢倉で圧敗したものの、小松さん・宇野さんが勝って2−1勝ちで優勝。
結果的には小松さん・宇野さんが全勝だったため、自分がいてもいなくてもチームは優勝だったが(笑)、自分としては初めての県大会という大舞台でいきなり優勝することができ、素直に嬉しかったし、非常に貴重な経験をさせてもらったと思っている。
なお、Cチームは3位決定戦で惜しくも破れ、4位だったが、あの香山さんが表彰式で賞状を受け取るシーンは今でも忘れられない(笑)。それにしても当時の寺田・松浦の実力も一級くらいだったわけだから、一級・一級・六級の3人で県大会4位は奇跡的な記録だったのかもしれない。
埼玉県大会が終わった翌々日の埼玉新聞に名前・顔写真入りで記事が掲載されたのは驚いたし、非常に刺激的だった。自分としてはそれまで新聞に掲載されたことはなかったので、高校の県大会のようなローカルな出来事を結構大きく取り上げて記事にしていただけることはとてもありがたいことだと思い、この時からローカル新聞のファンになった。この日埼玉新聞に掲載されたことは将棋部内だけでなくクラスとかでも結構話題にしてもらったり、気がついたら教員室に新聞記事の切り抜きが張られていたり、知らない先生からも話しかけられたり・・・とにかく何もかもが新鮮な出来事だった。この高校選手権を経験してからは、すっかり将棋中心の高校生活となっていった。
(2)高校将棋竜王戦埼玉県大会(6月)
高校選手権ではこれ以上ない結果だったが、やはりまだまだ実力不足だったようで、ベスト32で小見氏(小松原高)相手に相振り飛車で敗れ、平凡な成績に終わる。なお優勝は古田さん。
(3)高校将棋選手権全国大会(8月)
いきなりこのような大舞台を経験させてもらえることになった。場所は北海道江別市。札幌から電車で10分ほどの所にある。往復航空券・宿泊費は埼玉新聞社の負担だったか、とにかく個人負担は食費+お土産代くらいのもので、おまけに7月には全国大会出場者(将棋に限らず、茶道・書道など高校文化連盟に所属している団体)が壮行会に招待されるなど、すごい待遇で非常に衝撃的だった。壮行会の日は普通に学校があった平日だったが、公欠扱いで壮行会に参加した。マネージャーの宇野さんが「埼玉県代表として全国大会で暴れまわってきます!」と力強く宣言していたのが強く印象に残っている。
抽選の結果、個人戦代表の古田さんも団体戦のチームも運よく1回戦はシード。自分の実力は当時アマ二段くらいだったので、全国大会でどれくらい通用するのかは非常に不安であったが、「個人戦の代表は弱い都道府県でも最低アマチュア四段クラスはあるが、団体戦は当然ながら若干レベルが下がるので、お前でも普通に勝てる相手はいるぞ」とのアドバイスをいただき、自信が持てたような気がしてリラックスできた。そのおかげか2回戦は伊勢高(三重)に3−0勝ちと快勝。好スタートを切ることができた。しかし3回戦の旭川東高(北海道)には0−3負け。全国大会という貴重な舞台だったからこそ、悔しさも大きかったが、ベスト16まで勝ち進むことができ、良い経験になった。
個人戦の方は古田さんがベスト8まで勝ち進み、優勝候補の天野氏(大阪)と当たる。優劣不明の大熱戦の末、古田さん無念の投了。どこが悪手だったか分からないほどの接戦で、自分もああいう将棋を指せたらいいなと思った。
この全国大会は純粋に将棋の勉強にもなったが、楽しい観光旅行という意味も大きく、真夏の北海道は涼しくて食べ物も美味しく、高校時代の最高の思い出であった。来年は必ず松浦・寺田と出場したいなと強く思った。
(4)高校将棋王位戦埼玉県大会(10月)
これまた実力不足だったようで、私はベスト64で高橋君(春日部)の四間飛車相手にいい所なく敗れる。なお、優勝は古田さん、準優勝は小松さんとワンツーフィニッシュを決める!
(5)高校将棋王将戦埼玉県大会(11月)
そろそろベスト8くらいに入賞したいと思っていたが、ベスト8未経験者の最大の難関はシード選手に勝たなければならないこと。しかしこの王将戦は幸運なことにシード選手の一人が期末試験やら何やらでエントリーされておらず、抽選の結果自分がシード選手となっていた。くじ運とはいえ、こういうチャンスを逃してはいけない。その思いが通じてか、何とか6位入賞を果たす。
この大会は、主将古田さんが県大会4冠達成(全大会優勝)がかかっており、大いに注目されたが、古田さんは決勝で竹澤氏(所沢西高)に圧敗してしまった。
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