将棋関係(慶應名人戦の歴史)

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 歴代慶應名人戦の歴史  参考記録
 

 2025年2月の熱海合宿にて、歴代慶應名人の話題が上がったので、私の方で記憶・記録を確認して書き出ししてみた。さすがに自分が参加する以前の記録は分からなかったため、昔の記録で不明の箇所は先輩方に確認し、2013年度だけは後輩に確認して作成している。今回2025年の荒木君の優勝で第40期という節目の慶應名人が決まった。表を見てみると、そうそうたる顔ぶれが並んでいて、貴重な記録だなと改めて感じた。一部、どうしても記録がなく、先輩方のご記憶もない箇所は不明のままとなってしまったが、その点はご容赦いただきたい。この作業にご協力いただいた皆様に深く感謝申しあげたい。
 私自身は1997年度以降、合宿に参加しなかったのは2013年度だけで、その他は毎回合宿には参加している。その中で、慶應名人戦に参加した年、していない年、それぞれありますが、年齢が上がって勝率も徐々に低下しつつあるものの、今後も可能な範囲で参加したいと思っている。
ちなみに斎藤さん(昭和48年卒)に教わったが、「慶應名人戦」という名称になる前の陣屋合宿のトーナメントでは久保田さん(昭和46年卒)が3連覇されていたそうだ。
 
 以下は完全に私の主観・記憶に基づいた回顧録となる。他の方々からは様々なご意見が多々飛び交うことが予想されるが、客観性のある事実と主観とが混在したものと思っていただければと思う(笑)。
 
1997年度

 私自身は1997年度の陣屋合宿から参加した記憶がある。まだ当時高校2年生であったが、中学時代からの先輩であった古田さんに誘われて、高校生でただ一人参加させていただいたことを覚えてる。折角の機会なので同期も誘ったものの、結局同期は参加せず、私だけ良い経験だと思って迷わず参加した気がする。
 行きの小田急線でたまたま島先生と同じ車両に乗ったことに気づいたが、初対面でいきなり話しかけることができず、島先生の後にこっそりついて陣屋旅館まで辿り着いた記憶がある。島先生がNHK将棋講座の講師をされた「島朗のハイテク研究室」を私は小学校3年生の頃に毎週観て育ったので、島先生が慶應とご縁があったことを知って驚いた。
 初めての陣屋合宿であったが、当時の私は棋力が大幅に不足しており、当時大学生だった高橋さん・任田さん・古田さん・岩本さんに練習将棋を挑んで、1勝12敗だったような気がする。あまりにも勝てなさすぎて、大学生との棋力差に驚いた印象がある。(1局だけ緩めていただいたのは任田さんだったかと思う。)
 この時の慶應名人は、今も社団戦で同じチームで戦っている高橋さんが獲得されていた。準優勝は片岡さん(昭和32年卒)で、2人の年齢差43歳というのは歴代で最大だったようだ。今のように合宿が2月開催ではなく4月開催だったので、合宿2日目に大学生の方々は関東の個人戦の会場に向かわれていた。私は試合がなく帰って寝るだけであったが、寝不足で試合に出られた方は大変だったと思う。

1998年度

 1998年度の陣屋合宿では坂本さんが慶應名人を獲得されているが、この時は決勝戦の対局直後に坂本さんが「決勝に名局なし」と言われ、大爆笑の渦となったことを覚えている。棋譜の内容は覚えていないが、セリフからみて酷いポカがあったと推察する。私の朧げな記憶で「任田さんだったかな?」と思って本人に確認したところ、「覚えていない」という回答であったが、証拠の葉書が発掘され、事実認定された(笑)。この年から2月開催に変わったように思う。

1999年度

 1999年度は大学1年の時であったが、印象的すぎる出来事があったので、あれこれよく覚えている。1999年12月のOB・現役の慶應名人戦本戦の時には、その少し前にリーグ戦で久々に優勝して、王座戦を直前に控えた時期であった。現役枠は8名であったが、何故か主将の任田さん・前主将の北川さんが現役代表で出場されておらず、当時1回生ながら葛山君・私が出場させてもらえることになり、いずれも初戦敗退であった。葛山君が村中さんに敗れた相穴熊戦の感想戦で、藤原大王が「村中強ぇなぁ」を連呼していた。それだけならば印象的とは言えないが、何といっても印象的だったのはここからである。
 この1999年12月のOB・現役の慶應名人戦本戦で決勝進出を決めたのが、藤原大王(平成8年卒)と関向さん(平成10年卒)であった。当然、2000年2月の陣屋合宿ではこの2人が決勝戦を戦うはずであったが、直前になって当時の主将任田さんと前主将の北川さんの2人が「自分達はOB・現役の慶應名人戦本戦に出場していないので、準決勝からやらせてもらいたい」と言い出したのである。「OB・現役の慶應名人戦本戦に出場していない人間が準決勝シードなどあり得ない」と、普通ならば既に決勝進出している藤原大王・関向さんから門前払いを喰らいそうなものだ。
ところが、何と藤原大王も関向さんもこの申出を受け入れて、陣屋合宿初日の夕飯前に準決勝が行われ、藤原大王VS北川さん、関向さんVS任田さんという組み合わせとなった。北川さんは1999年夏頃から大躍進が続き、東日本大会準優勝・夏合宿慶應名人・秋季関東学生名人・秋季リーグ戦優勝・王座戦優勝など、大活躍されていたが、藤原大王は絶好調北川さん相手に貫録の勝利。もう一方の関向さんVS任田さんの将棋は任田さんがしなる手つきで関向さんに激しく攻めかかったものの、終盤で関向さんに絶妙の寄せが出て、こちらも貫録の勝利。蓋を開ければ不可解な準決勝シードなど全く存在しなかったかのように、当初の予定通り夕食後の決勝戦は藤原大王VS関向さんとなった。
 決勝戦は関向さんの振り飛車対藤原大王の居飛車となり、藤原大王が会心の指し回しで駒得が拡大して圧勝。意外にも藤原大王はこれが初の慶應名人獲得であった。
 その後何年も経ってから藤原大王・関向さんのお二人に、この時何故不可解な準決勝の申出を受け入れたのかお聞きしたところ、「結局決勝のカードは変わらないことが分かっていたため」と仰っていたのも印象的であった(笑)。余程自信がないとこの判断はできないであろうと思った。これがこの年の慶應名人戦で最も印象的だった出来事である。

2000年度

 2000年度はまたもや藤原大王が決勝に進出、もう片方の山は北川さんとなった。私は準決勝で北川さんの中飛車穴熊に圧敗した記憶がある。決勝は相居飛車の将棋で藤原大王が欲張って▲3四飛と横歩を取ったため、△4四角とされて飛車が2六に戻れなくなり、作戦負けに陥ったものの、終盤藤原大王がうまく凌いで貫録の2連覇となった。

2001年度

 2001年度はOB1年目の任田さんと大学1年生になったばかりの小関君というカードになった。決勝戦が始まる前に任田さんが小関君に日本酒をガンガン勧め、お互いお酒が入りまくった状態で決勝戦を迎えました。記録係が斎藤(健)君、秒読みを私が担当したような気がする。将棋は相矢倉で中盤早々任田さんに見落としがあり、小関君の右桂と任田さんの守りの金が交換になり、大広間で爆笑が起こったが、任田さんが手にした桂馬を△9四桂と反撃に用いて激しい攻め合いとなり、大熱戦となった。最後は気がつきにくい▲3三金以下の詰みを秒読みの中で発見して、小関君が89手で寄り切った。感想戦で任田さんが小関君にこの詰みが読み筋だったのか、と聞いたのが印象的であった。

2002年度

 2002年度は小林さんと菊地君という現役同士のカードになり、中盤で小林さんの攻めが突き刺さって終わったかに見えた将棋が、菊地君の怪しい粘りであわや逆転か、というところまでもつれ、「あの将棋がこうなるとは恐ろしい」と島先生が驚かれていたのが印象的であった。(結果は小林さんが土俵際で踏ん張って勝ち。)

2003年度

 2003年度は高橋さんと小関君というカードになった。この年は島先生が合宿を欠席された関係で、解説・聞き手をどうするか、が問題となったが、結局小林さんが解説、私が聞き手を務めることになった。相矢倉の将棋で、小林さんの解説に何度も私が疑問を投げかけたような記憶があるが(笑)、島先生の素晴らしくためになる解説とは違い、小林さんと私の適当な大盤解説はあまり皆聞いていなかったような印象があった苦笑)。将棋は終始難しい攻防が続いたが、終盤で高橋さんが小関玉をうまく寄せ切って2回目の優勝を果たされた。

2004年度

 2004年度には私が奇跡的に慶應名人となったが、この第21期慶應名人戦までは夕食会場の大広間の壇上で決勝戦を行い、同じ大広間の反対側で大盤解説会が行われていた。棋譜は記録係がマイクで読み上げ、その声を聞きながら大盤解説会が進行していくというスタイルであった。大盤解説の島先生はマイクなしなので、決勝戦の対局者には島先生の大盤解説が聞こえない、ということにしていたはずであったが、実際には対局当事者にも記録係にも丸聞こえの環境であった(笑)。
私は目の前の対局の読みに没頭することなく、島先生の解説を聞きながら対局しており、対戦相手の佐藤(厚)さんが投了する一手と思い込んで読みを打ち切ったところで、確率2分の1の大罠が飛んできて、島先生の大盤解説のおかげで事の重大さに気がつき、辛うじて落とし穴に落ちずに済んだ。改めて島先生の大盤解説のおかげの優勝だったなと感謝している(笑)。このホームページで振り返った記載にも、この決勝戦を「別の手を指すべきだった、と後悔する場面が一度もない会心譜」と記載していたが、AI解析すると、AIの最善手との一致率は僅かに44%と示され愕然。一応悪手・疑問手は0%だったので、自分なりには頑張ったはずだったが、AIから見れば最善手ではない手が結構あったようである。

2005年度

 2005年度は再び藤原大王VS関向さんのゴールデンカードとなり、この年から対局室と大盤解説会場が別部屋となったように記憶している。慶應将棋第9号に私が載せた2004年度の慶應名人戦優勝記に、対局当事者から島先生の解説が丸聞こえだったことを記載したせいで、それが問題視されてスタイルが変更になったのかな、等と思ったりしていた(笑)。別部屋で進行する関係上、棋譜の伝達担当を置く必要が生じ、当時は紙に記録してこまめに伝達してもらっていた。この改善によって対局当事者は島先生の解説を聞きながら指すことができなくなった。
 この対決は藤原大王の四間飛車に関向さんの居飛車穴熊となり、穴熊の遠さを活かして関向さんがリベンジを果たし、初の慶應名人を獲得された。

2006年度

ここからは日記があるので、日記から転記することとする。

2006年11月25日(土)

今日は午後から慶應名人戦OB予選に出場した。いつもは6人くらいしか集まらず、レベルもそれほど高くないのだが、今日は違った。12人参加していたこともあるが、参加者のレベルがいつになく高く、厳しいものであった。

1回戦の相手は前回の慶應名人関向さん。自分も一応前々回の慶應名人ではあるが、実力差は歴然。胸を借りるつもりで挑んだ。中盤関向さんのやや強引な構想を咎めてペースを掴むが、何故かチェスクロックの音が聞こえず時間が切れそうになる。一度は間一髪で着手に間に合ったものの、数手後には本当に時間が切れてしまった。局面はまだまだ難しく、正確に指せばこちらが勝てるかもしれない将棋で、もったいないことをした。公式戦で秒読みありの将棋では初めての時間切れ。ただただ情けない限りだった。

2回戦は大窪さんと。かなり年輩の方であり、さすがに勝たなければいけないと思っていた。ところが必勝のはずの将棋をまくられてしまい、気がついたら必敗形になっていた。あと数手で本当に負けるところだったが、秒読みに追われた大窪さんが寄せを間違えてくれたおかげで、入玉に成功、最後も寄せをもたついたものの、何とか勝つことができた。

1勝1敗で迎えた3回戦は滝澤さん。わざわざ新潟から出向いてOB予選に出場されていた。タッキーさんとは過去1−1で、いずれも大熱戦だったので、今日も大熱戦になるだろうと思っていた。戦形はタッキーさんの5筋位取り中飛車対私の糸谷流右玉。まだまだこの戦形を指し慣れていないことが仇となり、作戦負けから敗勢に陥る。最終盤にタッキーさんの寄せがややぬるく、逆転しかけていたが、唯一の勝負手順を逃してしまい、完敗。

・・・と振り返ってみると、レベルが高かったことは間違いないのだが、負けた理由はただ一つ。自分が弱かったからにほかならない。1局目に関しては、切れ負け将棋ならともかく、秒読みがついている将棋で時間切れなどもってのほかだし、3局目も逆転の可能性が残されていたにもかかわらず、諦めてしまうなど、集中力・勝利への執念がまるで欠けていた。今日は猛反省しなくてはいけないだろう。

今日予選通過をしたのは、藤原大王、関向さん、斉藤優の3人。補欠で田村さん・滝澤さんといったところ。実は小関も参加していたが、2連敗であっさり予選落ちしていた。また久々に古田さんが参加の意思表示をしていたが、予想通り試合会場には現れなかった(爆)。

2006年12月3日(日)

 今日は午後から慶應名人戦OB予選の2日目。初日に不甲斐ない内容で予選落ちしてしまったので、今日は頑張ろうと思っていた。今日の予選通過枠は2名。しかししかし。今日はたまたま参加者が佐藤厚さんと私の2名しかいなかった関係で、無条件で予選通過となった。

佐藤厚さんとは一昨年の慶應名人戦の決勝で勝っているが、昨年のOB予選では負かされており、気を引き締めて臨むことにした。戦形は私の矢倉対佐藤さんの右四間速攻。中盤優勢になる順を逃して局面を収めてしまい、気がつけば作戦負けに陥った。指す手に窮したので、手を渡したら佐藤さんに疑問の構想が出て、こちらにも楽しみが出てきた。その後お互いに疑問手を何度も指した気がするが、最後は佐藤さんが勝負手を逃し続け、圧勝。

無事に慶應名人戦の本戦出場が決まってほっとした。なお、今日同時に行われていた現役の選抜トーナメントの方は、準決勝で一ツ橋に4−3勝ち、決勝で明治に4−3勝ちし、見事王座戦出場を決めたようだ。他大の戦力を考えればもっと大勝ちしてほしいところではあるが、何はともあれ王座戦出場が決まって良かったと思う。
再来週の慶應名人戦本戦にはOBの予選通過者に加えて現役も参加してくる。本戦が楽しみになってきた。

2006年12月17日(日)

 今回の慶應名人戦は今にして思えば、久々の決勝進出の大チャンスだった。それは自分のいたブロックを見ればの話だが、結果は1回戦敗退。現役の天野君の四間飛車に私の右玉。最近糸谷流右玉(対振り飛車右玉)にはまっており、丁度良い機会と思って採用したが、終盤逆転負け。当たり前のことだが将棋はやはり終盤がものを言う。

結局私に勝った天野君が決勝に残った。もう一方の山はというと、こちらは激戦区。佐藤厚さん・藤原大王・関向さん・小関といった慶應名人経験者が偏っており、その他にも現役エースの森本君・関東学生名人の井元君など。この鬼ブロックを勝ち上がったのは藤原大王。2月の陣屋での合宿で決勝戦が行われる。

今日で今年の試合シーズンも一段落。アマチュア王将戦や藤沢名人戦など色々と試合に出場してきたが、今年は終盤力の不足がいつも以上に目立ってしまい、大した結果が出せなかったので、来年はもっと頑張ろうと思った。

2007年2月10日(土)

 今日は待ちに待った陣屋合宿。高校2年の時から参加して、今回で何と11回目である。

ドライブしたい気分だったので、車で行ったのだが、これが大失敗。3連休の頭ということで東名高速が大渋滞で、1時間ちょっとで着くかなと思っていたところを、2時間もかかってしまった。

夕飯まではひたすら将棋を指しまくった。夕飯では毎年恒例の餅つきがあったので、迷わず参加した。基本的には現役が中心になってやるべきものなので、餅つきはそろそろ引退した方が良いのかなと、ふと思ったりもした。

夕飯後は慶應名人戦の決勝戦。藤原大王の調子が中々上がらず、現役の天野君が優勝するのかといった予想もされていたが、藤原大王の飛車先不付準急戦(△6四銀と出て急戦を見せてから玉を囲い直す作戦)がすばらしい構想で、天野君に全く力を発揮させずに圧勝。見事な内容で、観戦していたこちらも非常に勉強になった。


2007年10月27日(土)

今日は慶應名人戦OB予選の初日。仕事の疲れがたまっていたせいか、寝坊をしてしまい、新橋の将棋道場にはぎりぎりの到着だったが、どうにか間に合った。今日の参加者は松浦さん、梅澤さん、田村さん、前慶應名人の関向さん、元慶應名人の佐藤厚さん、私の6人。このうち3名は予選通過、1人補欠ということになった。

1回戦は田村さん(平成9年卒)と。自分が現役2年で田村さんが院生の頃、一度部内リーグで負けている。久々の対戦でリベンジする気満々だったが・・・。

戦形は田村さんの矢倉対私の矢倉中飛車。一度試してみたいと思っていた速攻をしてみたが、意外に難しかったようでこちらの攻めがうまく通らなかった。終盤で私の玉に5手詰みが発生したものの、お互い気づかずというアクシデントがあったのはさておき、必至をかけられたはずのこちらの玉が絶妙の手順で逃れることができた。その後正確に指せば勝っていたはずの将棋を、より手堅くと思って指した手が相手の攻めを加速するだけの大悪手となり、逆転負け。途中のしのぎでパワーを発揮しただけにもったいないことをした。
なお、1回戦で前回の慶應名人関向さんは佐藤厚さんに負けていた。

2回戦は松浦さんと。かなりの年輩の方で、何年卒かはよく知らないのだが、現役の頃から何局か対局したことがあった。戦形は相矢倉でこちらだけ一方的に盛り上がる展開となり、圧勝。
田村さんは佐藤厚さんをくだして2連勝していた。

いよいよ肝の3回戦。1−1で松浦さん・関向さん・佐藤厚さん・私の4人が並んでおり、関向さんを引いたら厳しいなと思っていたところ、自分の相手は梅澤さんに。梅澤さんの居飛車穴熊に対し、藤井システムから仕掛けたところで梅澤さんがまさかの投了。まだ投了する局面ではなかったが、既に集中力が切れていたらしい。ということで3回戦は労せず勝つことができた。

その他の結果は、佐藤厚さんが松浦さんに勝ち、田村さんが関向さんに圧勝していた。

ということで、3連勝の田村さん、2−1の佐藤厚さんと私の合計3名が予選通過となった。どうみても関向さんが一番強いはずだったが、今日は関向さんはやる気がなかったのだろうか。あまり気合が入っていないようにしか見えなかった。

何はともあれ予選通過してほっとした。これでOB予選の二日目には出場しなくても本戦に出られる。OB予選二日目はマグロ名人戦とバッティングしていただけに、今日予選通過したのは大きかったと思う。


2007年12月16日(日)

今日は慶應名人戦の本戦の日。昨日も将棋の調整をほとんどしなかったので、今日はあまり自信がなかったが・・・。

朝昼兼用でラーメンでも食べに行こうかと思ったが、家を出る時間が遅くなってしまい、回転寿司数皿で適当に腹八分目に抑え、新橋将棋道場へ。会場に着くと現役や高校生・中学生達が来ていた。そして予選を通過したOBの姿もあった。OB予選初日通過者(田村さん・佐藤厚さん・私)は知っていたが、どうやら二日目を通過したのは関向さん・ケンローさん・斎藤優の3人らしい(過去慶應名人戦優勝回数最多の藤原大王が何と予選落ち!)。


1回戦:対川上(現役4年)

抽選の結果、1回戦は同期の川上と。トーナメント表を見てみると、関向さん・ケンローさん・斎藤優などの強敵は皆自分と反対側のブロックに入っており、正直ツキを感じた。通常、初戦はOB対現役となるはずであるが、何故か同期川上と。・・・といっても川上は大学を卒業して就職後、再び大学に入り直したということで、形式上はOB対現役という構図。

先手の私の▲7六歩に対し、川上は△3二飛。正直目を疑った。「そんな手が成立するのか?」しかし少し読んでみると、意外に先手が簡単には優勢にはならない。持ち時間20分秒読み30秒という短い将棋の中で、3手目に長考するのもどうかと思い、川上の罠を避けて普通に駒組みを進めることにした。どうやら川上はこの戦形をかなり研究していたらしく、罠にハマらずに済んで本当に良かった。結局川上の石田流対私の玉頭位取りに落ち着いた。中盤、川上が玉を徹底的に固めに行く構想を見せてきたため、こちらは飛車をいじめる方針に。これで川上が非常に息苦しい展開となり、川上の方から暴発してきたが、さすがに無理だったようで、最後は圧勝。
その他の結果は、井元(現役4年)−田村さんで井元君勝ち、天野(現役3年)−ケンローさんで天野君勝ちと、現役勢が頑張っていた。


準々決勝:対藤原君(中等部3年)

準々決勝は中学生対決を制した藤原君(中等部3年)。強そうな名前だが(笑)、さすがに中等部の後輩に負けるわけにはいかないと思っていた。戦形は藤原君の中飛車対私の左美濃。中盤、藤原君が一手早く仕掛けていれば十分成立していたはずだったが、こちらが仕掛けを封じたところで強引に仕掛けてしまったため、あっという間に大差になり、最後は全駒勝ち。

その他の結果は、佐藤厚さんー井元戦で佐藤厚さんが右四間速攻で圧勝、斎藤優ー天野戦で斎藤優が圧勝。関向さんも勝ちあがり、ベスト4の時点で現役は全滅してしまっていた。王座戦を目前に控えている時期なだけに、現役にはもう少し頑張ってほしい気もしたが、やむなしといったところか。森本君・小澤君といった現役強豪が参加していればもっと結果は違っていたであろうが。


準決勝:対佐藤厚さん

準決勝の組み合わせは私VS佐藤厚さん、斎藤優VS関向さん。佐藤さんとは社団戦で一緒のチームで今期戦ったのだが、自分より27も年上なのによくあれだけの棋力を維持されているなと思う。私自身も一生将棋を続けていこうと思っているが、どれだけ棋力を維持できるのだろうか・・・。30年後の自分など、全く想像がつかない。

さて、戦形は佐藤さんの矢倉対私の右玉。一昨年2月の陣屋での慶應名人戦決勝の時と同じ戦形である。その時は快勝させていただいたが、今日は展開が全く違った。何故か後手の私から積極的に局面を打開しに無理気味な仕掛けをしてしまった。当然のごとく佐藤さんに咎められ、苦しい展開に。だが佐藤さんも右玉独特のスルスルと逃げ出す私の玉に手を焼いていたようで、意外と局面は難しかったようだ。終盤、佐藤さんが攻防の一着を逃し、受けに回ってこられた。秒読みに追われ、攻めの拠点に置いた桂が勝着となり、最後はぴったりの即詰みに討ち取ることが出来た。久々に難解な終盤戦を制し、3年ぶりの慶應名人戦決勝進出が決定!!!

もう一方の準決勝は関向さんが斎藤優相手に貫禄を示し、来年2月の陣屋での決勝戦は関向さんVS私となった。決勝戦まであと2ヶ月あるが、関向さん相手にどんな作戦を使えば自分の力が発揮できるのか、まだイメージすらつかない。棋風的に関向さんはあまり得意なタイプではないのだが、陣屋での決勝戦は合宿参加者全員が見守る中、そして島先生に解説していただけるという大舞台。結果がどうなるかは分からないが、精一杯自分の力を出して、いい将棋を指せればと思う。「将棋を楽しむこと」「陣屋での決勝という桧舞台で戦えること」を大切に思って頑張ろうと思う。

2008年2月16日(土)

1997年4月、当時高校2年生だった頃から大学将棋研究会の陣屋合宿に参加し、今年で12年連続12回目の参加となった。午後3時ごろに陣屋に到着する予定が、1時間ほど出発が遅れた関係で、午後4時過ぎに陣屋に到着した。夕飯までの間、藤原大王と練習将棋を指した。わずか2局であったが、非常に中身の濃い熱戦で、良い調整になった・・・はずだった。

夕飯時、毎年恒例の餅つきに参加した。餅つきもたしか12年連続だったと思うが、3年前餅つきでリフレッシュして慶應名人戦決勝に臨み、優勝することができたので、今回もゲンを担ぐ意味で迷わず餅つきに参加した。

今年は島八段が前日のB級1組順位戦で渡辺竜王に敗れ、B級2組降級が決定したこともあって、決勝戦の解説を島先生にやっていただくことができなかった。個人的にも非常に残念だったが、それ以上に島八段の降級は辛いことであった。来年度はまた頑張ってB級1組へ、そしてA級へと復活を祈っている。

さて、いよいよ関向さんVS私の慶應名人戦決勝が行われた。例年のように対局・大盤解説会が同じ大広間で行われることはなく、今回は特別対局室で対局を行い、大広間で大盤解説会を行った。対局者としては、余計な解説が聞こえてこないのはありがたい限りである。解説は島先生にやっていただくことができなかったため、元主将の斎藤優と現主将の鈴木君の二人で行われた。開始早々相矢倉となったため、斎藤優は解説役が務まらないと判断してか、小関に解説役をバトンタッチしていたらしい。戦形を理由に解説者が変わるのは前代未聞と思われる(笑)。個人的に相矢倉になったのは予想外で、関向さんの力戦振り飛車ばかりを予想していた。相矢倉ならば自分の土俵だろうと思って自信満々に指していたのだが、中盤仕掛けようと思ったところで関向さんが変化をしてこられた。よくありそうであまりない形になったためか、戸惑ってしまい、先手番らしい攻める展開に踏み込むことができず、途中から受け一方になってしまい、最後一瞬盛り返した場面もあったが、元々が悪すぎたため、結局圧敗。

歴代の慶應名人戦決勝は名局が少ないと言われているが、ここ4、5年は名勝負が続いていた。「久々に慶應名人戦らしい拙戦だね」と酷評を先輩方からいただき、かなりブルーになった。また、小関から「非常に解説に困りました。勝負所がなかったので・・・」と言われ、ただただ苦笑するしかなかった。決勝進出を決めて以来約2か月、自分なりに調整をしてきたつもりであったが、関向さんとの実力差がもろに表れてしまった格好で、非常に残念な結果だったが、やむを得なかったかもしれない。

準優勝の賞品は島八段直筆サイン入りTシャツ。島先生はそもそも自分のサイン入りグッズというものをあまり好まれないそうなのだが、それだけに貴重な代物ではある。洗濯するとサインが消えてしまうようなので、着ることはできなさそうだが、記念に飾っておこうと思う。決勝戦の出来があまりにも悪かったので、精神的ダメージはかなり大きかったのだが、何人かの方から「準優勝でも立派な成績だから落ち込む必要はない」と言っていただいた。冷静に考えればごもっともな話であるが、圧敗した直後だけは中々そうも思えないのが現実。一日たった今、ようやく少しずつそう思え始めた気がしている。

2008年2月17日(日)

前日の慶應名人戦決勝のダメージが大きかったが、後輩の就職活動相談に乗ったり、練習将棋を指したりして、少しずつ気持を切り替えるよう心がけることにした。今年は5時間も睡眠を取った(普通に考えれば寝不足だが、例年陣屋ではほとんど寝ていない)こともあり、体力的に若干余裕があったのか、朝食後、寺田とドライブに行くことに。特に目的があったわけでもなかったが、久々に江ノ島方面に繰り出してみた。途中高校時代からの友人で藤沢市民の河田君を召喚し、3人で昼食を食べに行った。バイキングの味はいまいちだったような気もするが、3人で他愛もない話をするだけでもいい気分転換になった。帰りがけにゲーセンのUFOキャッチャーでお菓子をゲットし、帰宅。

・・・何をやったのかよく分からなかったが、久々の長距離ドライブも悪くないなと思った。家に帰ったらさすがに疲労がたまっていたようで爆睡してしまった。夕食後決勝戦の棋譜を並べようとしたが、珍しく(?)途中から並ばない。嫌なことは忘れようとでもしているのだろうか(苦笑)。記録係に棋譜をとってもらっていたので、後輩に頼めば棋譜はわかるのだが、そこまでする気力もなかったので、勝負手を逃し以下圧敗ということでPCに保存しておいた。

過去自分が出場した慶應名人戦を振り返ってみると、

    年度        学年       成績
1998年度     高校3年生   本戦1回戦敗退
2000年度     大学2年生      3位
2002年度     大学4年生      3位
2004年度   社会人2年目      優勝
2005年度   社会人3年目    本戦1回戦敗退
2006年度   社会人4年目    本戦1回戦敗退
2007年度   社会人5年目       準優勝

・・・たしかにこう見てみると、今年よりも落ち込むべき年(?)は他にたくさんあるはずで、今年それほど落ち込む話ではないのかもしれない。精神的ダメージが大きいのは、みんなが見ている前で恥ずかしい将棋を指して圧敗したというだけのことなのだろう。自分の実力が足りなかった事実は重く受け止めなければならないが、将棋が好きという点は今も変わらない。少しずつ気持を落ち着かせて、試合が近づいてきたらまたモチベーションを高めていければと思う。

体力的にはともかく、精神的には疲労がかなりたまっている。明日から仕事だが、ちょっと心配である。今日はゆっくり休むことにしよう。


2009年2月15日(日)

この土日、年に一度の陣屋合宿に行ってきた。激務のため参加できなくなるかと思われたが、無事に参加することができて本当によかった。

大阪から鶴巻温泉への交通の便は若干不便な気はしたものの、それでも3時間強で到着できた。

夕飯ではいつもの餅つきイベントに今年も参加した。餅つきも皆勤賞なのだが、今年でOB6年目ということもあり、どこかで区切りをつけて現役中心に任せようと思っているが・・・。20代のうちは参加しようか・・・。今年の夕飯は例年の和食一本から、若干洋食チックなものが盛り込まれていたように思う。純和風旅館とはいえ、若干目新しさを出そうとしていたのだろうか。

さて、夕飯後はメインイベントである慶應名人戦決勝戦。昨年は決勝の檜舞台まで勝ち残ることができたものの、万座の前で関向さんに圧敗し大恥をかいてしまったが、今回はOB予選に出場しなかったので、ある意味気楽な観衆に。決勝戦のカードは藤原大王(H8年卒)VS天野君(現役4回生)となった。意外にも戦形は相矢倉となり、藤原大王らしからぬ不出来な序盤で天野君が勝勢までいくが、最後の最後で間違えてしまい、藤原大王の大逆転勝ち。結果、藤原大王は1999年度・2000年度・2005年度に続き、4回目の慶應名人獲得となった。歴代慶應名人戦の優勝回数最多記録を1つ更新され、藤原大王の強さ・太さ(?)には驚くばかり。OBになっても衰えることがないのはなぜだろう・・・。特に今回藤原大王はOB予選・本線で関向さん・森本といったS級クラスをしばいており、価値の高い優勝だったと思う。

慶應名人戦の後は、現役からの強い要望により、OBVS現役の団体戦。8人制という異例の団体戦だったが、結果を全部は把握できていない。とりあえず、慶應名人を獲ったばかりの藤原大王が、関東新人王の谷本君に圧敗していたことだけを記しておくことにしよう。

団体戦も終了し、後はフリータイム。現役の人を中心に将棋を指したが、特に印象に残っているのは谷本君との2局。1局は谷本君のゴキゲン中飛車対私の玉頭位取り。機敏に動かれて圧敗かに見えたが、序盤の駒組みで大きくリードしていたこtもあり、玉頭からの反撃が厳しく、最後は少しヒヨったものの、勝つことができた。
もう1局は谷本君の先手矢倉に対し、私は得意の急戦矢倉。定跡書通りにこちらが優勢になったはず・・・だったが、谷本君の角損の猛攻に対応を誤り、必勝と思い込んでいたはずの局面からまさかの大逆転負け。定跡書の結論の先までしっかり理解していないと痛い目にあうということを思い知らされた。

・・・練習将棋を終え、既に夜中3時くらいだったと思うが、何故かここから麻雀を打つことに。何気に数年ぶりの麻雀で本当に久しぶりだった。結果は最後の最後でトップから転落してしまったが、たまに麻雀をするのは中々面白くて、よかった。

・・・そんなこんなで超寝不足になったが、それも例年通り。朝8時には普通に起きて朝食、その後露天風呂でリラックス。こんな贅沢なひと時を過ごせるのも、年に1回の陣屋合宿の魅力の1つ。来年・再来年と陣屋合宿に参加し続けることができるのかどうか、全く分からないが、できる限り参加したいと思っている。

チェックアウト後、前主将の野口君と将棋を指しまくっていたら、危うく新幹線に乗り遅れるところだったが、何とか間に合った。

普段は色々とストレスがたまっている分、この土日は思いっきり羽を伸ばすことができた。肉体的には不健康な生活だったかもしれないが、精神的にはリフレッシュできたことが何よりも大きい。明日からまた仕事だが、1つ1つクリアしていきたいと思う。


2009年12月13日(日)

今日は慶應名人戦OB予選2日目+本戦の日。ということで参加してきたのだが、結果は思うように奮わなかった。

OB予選2日目はかつてないほど変則的な形式で行われた。OBが12人参加して予選通過者は5人という半端な人数にせざるを得なかったためである。

1回戦は元慶應名人の小林さんと。得意の右玉から位を取ってペースをつかみ、猛攻を仕掛けて大優勢になったのだが、決め手の飛車引きが見えず、これを逃してからは形勢が混沌としてしまい、最後は逆転負け。途中まではいい内容だっただけに惜しい将棋だった。

2回戦はまたもや元慶應名人の坂本さんと。かつて自分が慶應名人になった年に、OB予選で対戦して負かされた記憶がある。今日はとことん当たりがきついようで、くじ運のなさは現役時代から変わらない・・・。坂本さんとの将棋は、相矢倉模様と思いきや、坂本さんが陽動振飛車にしてこられたため、居飛車穴熊でガチガチに固め、松尾流穴熊が組み上がった時点では作戦勝ちだっただろう。そこから坂本さんの構想に疑問があって、一方的に仕掛けて優勢となり、最後は圧勝。久々にいい内容で勝ち切ることができた。

1勝1敗となり、変則的ではあるが、本戦の0回戦という形で本戦へ。時間の余裕もなく、昼食休憩抜きでしかも初手から1手30秒未満という早指しに。相手は斎藤優。得意の左玉から馬を作って駒得となり、必勝形になったのだが、最後の最後で大頓死を喰らって大逆転負け。この将棋も内容は非常によかっただけに、終盤力のなさを痛感させられてしまった。

今回は結局斎藤優と田村さんが決勝まで勝ち残った。

・・・というわけで、陣屋の決勝戦まで勝ち残る・・・という目標には遠く及ばず終了。内容は3局とも悪くなかっただけに、終盤力をもっと鍛えなくては・・・と思い知らされた。終盤力を鍛える、というのは中々大変なことで、ちょっと将棋から離れただけでも急激に衰えるリスクがある一方で、強くなるのはそう簡単ではない。詰将棋を解いたり、プロの棋譜並べを欠かさず続けていて、やっとキープできるかどうか、という感じだろう。

この一週間、「一から将棋を鍛え直す」と決めて取り組んだ結果、復活に向けての手応えはある程度つかむことができたように思うが、もっともっと努力しなければ、いい結果を残すことは難しい。やり方は間違っていないと思うので、後は継続すること。頑張れば7月のアマ名の頃以上には戻せると思うので、焦らず頑張っていきたいと思う。


2010年2月21日(日)

昨日から一泊、毎年恒例の陣屋合宿(慶應将研のOB・現役合同合宿)に行ってきた。昨年は大阪からの参加だったので、遠距離異動で中々大変だったが、今年は車でわずか30分。移動距離は非常に楽になったことはいうまでもない。

今回で13年連続13回目の参加となる。高校2年の時から大学生・OBに混じって参加し、今年に至るわけだが、今回は参加者がやや少なかったように思う。現役が10数名しか参加していなかったため、と思われるが、OB陣も随分少なかった。夕食の際、例年大広間で年次順に3列並ぶのだが、昨年いよいよ真ん中の列になり、自分もそういう歳になったのか、とブルーに感じていた。ところが、今回は参加者が少なかったためか、夕飯の座席は2列で現役が少なかったこともあり、あまりそういう感じはしなかった(笑)。

今年から夕飯の餅つきへの参加もやめることにした。本当は今年が20代最後ということもあって、今回まで参加しようと思っていたのだが、餅つき参加者が予想以上に多かったため、そろそろ現役達に任せようかと考え、餅つきには参加しなかった。

夕飯後は、慶應名人戦決勝戦。過去自分も2度この舞台に立ったことがあるが、今回は観戦者の立場だったので、非常に気楽であった。カードは田村さん(平成9年卒)VS斎藤優(平成18年卒)。予想通り斎藤優の四間飛車対田村さんの居飛車持久戦となったが、田村さんが中盤見事な構想で仕掛けて一時は大差かと思われた。終盤斎藤優も追い込み、あわや逆転か、と思わせたが、「内心放心状態」と謙虚なコメントを残しつつも冷静に対処した田村さんが勝ち、第26代慶應名人の座を獲得した。居飛車の仕掛けから終盤まで非常に勉強になる将棋だったと思う。田村さん、お見事でした。

慶應名人戦決勝後は、いつものように練習将棋。藤原代王・小林さん・O関・エース森本等と指したが、久々の将棋で非常に楽しかった。
当たり前のことかもしれないが、「将棋を楽しむ気持ち」だけは忘れないようにしたいと思っている。勝っている時は簡単なことのようでも、中々勝てない時期が続いたりすると、忘れがちになる。今回の陣屋合宿に参加して改めて「将棋の楽しさ」を感じることができたのはとても良かったと思う。

毎度のこととはいえ、陣屋合宿に参加すると、一晩中将棋を指していることもあって、今回も寝不足に陥り、寮に帰ると爆睡してしまった。明日からは仕事なので、あまり無理をしすぎないように、今日はゆっくり休むことにしよう。


2010年12月4日(土)

 今日は慶應名人戦OB予選初日。朝早くに歯医者での治療を済ませ、そのまま新橋の道場へ直行。何気にちょっと遅刻しそうだったが、何とか1分前にたどり着いた。今日の参加者は、松浦さん・笹岡さん・佐藤厚さん・藤原大王・寺尾さん・小林さん・スズケン・私の8人。幹事のO関は12日(日)の本戦に参加できないため、幹事に徹していた。今日は8人中3人が予選通過。幹事のO関の判断で、4局行って3勝以上すれば予選通過、ということになった。展開次第では2勝2敗での予選通過という目もわずかながらあった。

1回戦:対笹岡さん

1回戦は笹岡さんと。三間飛車で来られたため、得意の左玉を使用すると、左玉からもっとも遠い右辺で戦いが開始となる理想的な展開になり、最後は圧勝。やはり左玉は組むことさえできれば相当優秀な戦法と思う。
周りを見てみると、佐藤厚さんは順当に寺尾さんに勝ち。しかし、何と藤原大王が松浦さん相手にまさかの大頓死。そして小林さんはスズケン相手に序盤の駒組みではやや作戦勝ちと思われたが、あっという間に銀桂損となり、最後はスズケンが手堅くまとめて圧勝。波乱を感じさせるスタートとなった。


2回戦:対スズケン

2回戦はスズケンと。社団戦のチームメイトでもあるが、さすがに自分の方に分があるはず・・・と思っていた。がしかししかし。将棋はスズケンの序盤の駒組みがうまく、こちらが作戦負けに陥ってしまう。それでも作戦負けを悟られないように強気に攻撃姿勢を貫いていたら、段々と難しくなり、終盤ははっきり勝っていた・・・が、詰みと思って踏み込んだ順が、実は1枚足りないという寒い展開で大逆転負け。さすがにこういう負け方をすると、あとの試合にも影響が出かねない。特に、藤原大王や小林さんが既に負けている中で、自分が白星街道をまっすぐ進めなかったことは、必然的にこの後対戦が避けられないことを意味しており、痛い黒星を喫したと思っていた。


3回戦:対松浦さん

3回戦の相手は松浦さんと。2回戦でのスズケンに敗戦した後をひきずらないように・・・とは思うものの、気持ちが焦っていた感は否定できなかった。松浦さんの三間飛車に左玉を採用するも、強引な駒組みがたたって序盤早々に苦しくしてしまった。銀損に陥りそうになったため、苦し紛れに暴れて動いて行ったら、意外と大変だったようで、最後は詰まない玉を詰まして勝ち。かなり冷や汗で内容の悪い勝ちだったように思う。
その他の結果は、スズケンが佐藤厚さんまでも倒し、3−0で予選通過を確定させていた。1−1同士の藤原大王ー小林戦は大王の無策四間飛車に小林さんが居飛車穴熊で圧勝。どうも今年の大王は調子が非常に悪いようだ。


4回戦:対小林さん

いよいよ予選通過をかけた大一番。ここで小林さんとは当たりたくなかった、というのが正直なところ。というのも、現役時代にレーティング戦では一度も勝たせてもらえなかった相手だからだ。しかも小林さんの注文で、苦手な横歩取りまたは相掛かりに誘導されてしまい、一気にど作戦負けに。しかし中盤、小林さんの放った角の打ち場所が悪く、それを的確に咎めて徐々にもつれはじめ、最後は小林さんの攻めが完切れとなり、受け切り勝ち。危ない将棋であったがどうにか勝つことができ、3−1で予選通過となった。

結局、今日は佐藤厚さん・スズケン・私の3人が3−1で予選通過となった。スズケンは3−0で予選通過が確定した後、最後の4回戦でここまで白星のなかった寺尾さんに何故か圧敗していた(笑)。随分気の抜けた真似をしてくれたものだ・・・と思いつつも、スズケンに負けた借りは来週の慶應名人戦本戦で返すことにして、今日の予選が終了となった。


夕飯を新橋の道場近くの餃子の王将でとり、小林さん・O関・スズケンと他愛もない話で盛り上がった。

2010年12月12日(日)

 今日は慶應名人戦本戦の日。いい結果を残せると思っていたのだが・・・。結果は何と1回戦で現役の原嶋君に大逆転負けを喫し、1回戦敗退。相矢倉で必勝と思っていたはずの将棋からの大逆転負けで、ショックも大きかった。

2011年2月20日(日)

先ほど陣屋合宿から帰ってきた。今年で14年連続14回目の参加となる。今年は陣屋のリニューアルもあり、内装が大きく変わっていた。夕飯もいつもの座布団形式から椅子形式に様変わりし、メニューにも若干の変更が見られた。正確には料金体系等も変更があったようだ。

さて、夕飯後は慶應名人戦決勝。OBエース森本対現役の準レギュラー(?)原嶋君の対戦は、予想通り森本の三間飛車対原嶋君の居飛車穴熊となり、中盤面白い構想を見せた原嶋君だったが、終盤見事な寄せを見せて森本が圧勝。やはり森本は強かった。

その後、これも恒例になりつつある(?)OB対現役の対抗戦。今年は13対13という大人数での対抗戦となった。どうやら現役が全員参加ということだったようだ。OB側は歴代のレギュラー陣がメインなので、現役は毎年厳しい戦いとなっている。関向さんは一泊せずに帰られる関係で、対抗戦には不参加だったものの、「OB側ノルマは10勝」と檄を飛ばしていた。自分の相手は3回生の谷村君となり、谷村君の三間飛車に対し、得意の左玉で対抗した。途中やや強引な構想もあって、咎められたらかなり危なかったような気がするが、谷村君に見送ってもらい、最後は一方的に攻めまくって圧勝。

その他の結果は、小林さん・小澤君の2人が負けたものの、残りは全部OB勝ちで、結局OBの11−2。

その後、今年度主将の谷本君や前慶應名人の田村さん等と練習将棋を指したりして、久々に将棋三昧の1日を堪能することができた。


2011年12月10日(土)

 今週も凄まじい忙しさで、寝不足も続き、体調コントロールだけでもかなり大変だった。それだけに今日の慶應名人戦OB予選は調整する時間もなかったが、とにかくいい将棋を指すことだけを心掛けたいと思っていた。今日のメンバーは佐藤厚さん・藤原大王・田村さん・山口さん・寺尾さん・O関・スズケン・私の8人。通常ならば初日で予選通過できるのは3名のはずが、今回はわずかに2名しか予選通過できない、という厳しい状況であった。

1回戦:対佐藤厚さん

 1回戦は佐藤厚さんと。佐藤さんが急戦矢倉で来られたため、こちらは中央を手厚く構える作戦に。序盤はやや作戦勝ちだと思っていたが、読みになかった端攻めが思いの外厳しく、一転して形勢はやや苦しめだったと思う。一気に殺到される順もあって、潰されてもおかしくなかったが、見逃してもらい、逆転に成功。最後は佐藤さんの時間が切れて終了。途中危ない場面もあったが、手厚く指したのが功を奏した形になった。この1回戦は持ち時間20分秒読み30秒での対局だったが、同時に行われた田村さんースズケンの将棋が無駄に(?)長引いてしまい、2回戦以降は持ち時間10分秒読み30秒という早指しに変更となった。


2回戦:対藤原大王

 2回戦は藤原大王と。得意の米長急戦を試みて序盤はやや作戦勝ちになるも、その後攻めあぐねてしまい、最後はしっかり負かされてしまった。自分の土俵と思っている戦形で負けるとダメージもでかいが、まだまだ改良の余地はありそうだと思った。


3回戦:対スズケン

 3回戦はスズケンと。スズケンが銀矢倉と趣向を凝らしてきたが、こちらは序盤の駒組みで大きな勘違いをしてしまい、作戦失敗と思っていた。しょうがないので、自分の玉頭から仕掛けを敢行してみたのだが、結果的にはこの決断が良かったのかもしれない。一歩間違えれば空中分解してしまいそうであったが、際どくこらえて、最後はスズケン玉をきっちり詰まして勝ち。序盤の勘違いだけは大きな反省材料といえる将棋だったが、中盤からの辛抱はまずまずの内容だったと思う。
 ここまでで藤原大王が3−0で単独トップ、2−1で田村さん・O関・私の3人が追いかけることになった。

4回戦:対田村さん

 4回戦は田村さんと。またも得意の米長急戦矢倉を試みるが、今回は作戦失敗で序盤は不利に。中盤、右玉に組み直した後、こちらの左金が活用できる展開になって盛り返したが、終盤、角の逃げ場所を間違えてしまい、そこからははっきり負けになってしまった。この将棋は序盤から根本的に軌道修正すべきと思ったので、次回のOB予選2日目までには対策を考えてみようと思う。


・・・ということで、今日は残念ながら2−2と平凡な結果に終わってしまい、初日での予選通過はならなかった。まだOB予選2日目のチャンスも残っているので、気を取り直して2日目も頑張りたいと思う。

2011年12月18日(日)

今日は慶應名人戦OB予選2日目に参加してきた。先週、予選初日での通過ができなかったため、今日の2日目も参加することになったのだが、今日は関向さん・森本が新たに加わり、先週自分と同じく予選通過できなかったO関・スズケンも来ていた。このメンバーで予選通過が今日は4人。厳しい戦いになることは分かっていた。

1回戦:対O関

 予選1回戦は何と志木高からの後輩であるO関。学生時代の部内戦ではO関に勝ち越しており、既に格付を済ませ終わっていたと思っており、当分当たらないと勝手に決めていたのだが(笑)、今日は運悪く当たってしまった。予選の初戦としては正直当たりたくなかったがやむを得ない。戦形はO関の矢倉対私の右玉。O関がスカな仕掛けをしてきたため、序盤はこちらのペースだった。しかし、端攻めから攻勢に出て優勢を意識したものの、実際には大して戦果があがっておらず、むしろ負担になってしまった。終盤、この端攻めを見事に逆用されてしまい、負けてしまった。学生時代の直接対決で勝ち越していた貯金も、今日の負けで吹っ飛んでしまった。

そして、2回戦は・・・。人数が奇数だった関係で不戦勝。結局1勝1敗となってしまい、今日も予選通過ならず。O関は2回戦で関向さんに負けて、同じく1−1となったが、奴は抽選で太く6分の1の当たりを引いて予選通過。相変わらず太さだけは人一倍強いようだ(笑)。


・・・とこれだけ書くと味気ないので、本戦の様子も少々。本戦1回戦では現役の谷本君が藤原大王を破る金星。
 続いて2回戦ではスズケンが関向さんに難解な将棋を競り勝ち、高校生の丸川君が何とエース森本に勝ち。戦前の予想を覆す・・・といったら失礼かもしれないが、この結果を予想していた人はいなかっただろう。
 準決勝では丸川君が森本に勝った勢いで谷本君も撃破し、高校生ながら決勝進出の快挙達成。反対側の山では田村さんがスズケンの雁木相手に苦戦っぽく見えたのだが、どうやら形勢は難解だったらしく、最後は実力を発揮して勝ち切っていた。

・・・ということで、来年2月の陣屋合宿での決勝カードは田村さん対丸川君という組み合わせになった。田村さんはさすがの一言。丸川君は高校新人戦の神奈川県代表とのことだが、森本に勝ったのは見事というほかない。個人的にはもう少し頑張りたかったが、今日は実力不足で仕方なし。また気を取り直して次の機会に頑張りたいと思う。

2012年2月19日(日)

先ほど陣屋合宿から帰ってきた。今回で15年連続15回目の参加となる。今年も慶應名人戦決勝には進出できなかったこともあって、非常に気楽に構えていた。昨日は夕飯まで次期日吉代表の小薗江君や井元と将棋を指していた。

 夕飯後はいよいよ慶應名人戦決勝。2度目の慶應名人の座を目指す田村さん対現役高校2年生で関東チャンピオンの丸川君というカード。今回、島先生がいらっしゃらなかったため、解説はエース森本、聞き手は昨年度主将の浅井君という形で進められた。戦型は田村さんの矢倉対丸川君の右四間飛車となり、丸川君の攻めが細いかと思われたが、相手の角の利きを通す危険な1手が田村さんに出て、そこからは猛烈な攻め合いに。最後は田村さんの猛追を丸川君がかわして、初の高校生慶應名人の誕生となった。

 慶應名人戦の後は、近年恒例となりつつある、現役ーOBの対抗戦。昨年に引き続きOBの圧勝かと思われたが、副将〜五将戦の上位カードを立て続けに落としてしまい、OBの6−4勝ち。自分も五将戦で浅井君にありえない凡ミスを連発し、負けようのないはずの将棋を大逆転負け。改めて終盤の大切さを痛感した。

 その後も色々な人と練習将棋を指したが、勝率は5割ちょっと。今回は全般的に終盤にヨレる将棋が多く、反省点も多かったと思っている。次の試合までにはまだ少し時間があるので、しっかりと足元を見据えて一から鍛え直したいと思う。


2012年12月16日(日)

今日は慶應名人戦のOB予選2日目・本戦が一日で行われる日。先週のOB予選初日は、翌日が試験であったため、欠席したので、2日目からの参戦となった。午前中がOB予選、午後が本戦ということで丸一日かかることから、今回の選挙の投票は昨日に期日前投票で済ませてきた。今日のOB予選はエース森本、はるばる九州から来た井元をはじめ、5回の最多優勝記録を持つ藤原大王、慶應名人経験のある佐藤厚さん・田村さん等々16人。この中から5人しか通過できないため、いつも通り厳しい戦いになると思っていた。いつもは午前中の予選は二局しか指せなかったのだが、今日は何としても三局指すように、との指示があり、20分切れ負けでのOB予選となった。

予選1回戦:対佐藤厚さん

予選1回戦は佐藤厚さんと。佐藤さんとは陣屋での慶應名人戦のが初手合いで、その後何度か対戦し、スコア的にはいい勝負だったと思うが、ここ最近負けが続き、嫌な流れになっているのが気がかり。佐藤さんとの将棋は佐藤さんの▲2六歩に対し、相掛かりを受けて立つことに。かつては全く指さなかった相掛かり・横歩取りも最近取り入れ、戦法に幅を持たせるよう心掛けている。佐藤さんがひねり飛車模様にしてきたが、こちらが8六の飛車を引かずに駒組を続けたところ、佐藤さんが▲2五飛〜▲8五飛とぶつけてこられ、お互い駒組みも不十分なところでいきなり飛車交換となった。こちらの陣形の方が飛車の打ち込みに弱い形であったため、自陣飛車を放ち、「桂の高跳び歩の餌食」とばかり桂を取りに言ったところ、佐藤さんが狭いところに飛車を打ち込んで来られた。厳密には少々無理気味の攻めだったと思うのだが、中盤、こちらの飛車をと金で取らせる位置を1路敵陣寄りにしたのがまずかったようで、9三のと金をあっという間に相手陣に引きつけられてしまった。この大損が響き、結局9三のと金は最後には5八まで引きつけられる始末。それでも終盤はかなり難解だったが、切れ負けらしく、お互い相手玉の詰みを逃し、最後の最後で間違えた私の負け。内容的にも荒れた将棋となってしまったが、切れ負け将棋なだけにやむを得なかったか。それにしても8段目までと金を引きつけられたのは、大学1年の慶應名人戦6回戦の滝澤さんとの将棋以来だっただろうか。あぁいう使い方はさせてはいけないと反省。


予選2回戦:対松浦さん

予選2回戦は大先輩の松浦さん。またもや後手番となり、横歩取りに誘導しようとしたところ、松浦さんから角交換され、私の角換わり腰掛銀対松浦さんの早繰り銀となった。中盤、先にミスをしたのは私の方で、それも結構致命的な見落としだったように思う。途中から「どうやって粘るか」ということばかり考えるような将棋にしてしまい、中盤での軽率な1手に後悔していたが、とりあえず相手の見える手だけを消しているうちに相手にもミスが出て最後は辛勝。中盤の見落としで一気に負けにしたかに見えた将棋だったが、実戦的には意外と難しかったのは幸運だったかもしれない。


予選3回戦:太田君(H24卒)

予選3回戦はこの春に卒業したばかりの太田君と。近年のOBは顔と名前が一致しない人もぽつぽつ出始めている。自分の記憶が正しければ、多分太田君と将棋を指したのも初めでではなかったかと思う。その太田君との将棋は相矢倉となり、こちらが先手番らしく積極的に金銀を盛り上げていくうちに徐々に駒得が広がり、快勝。苦戦続きだったが、どうにか2勝1敗となった。ところが・・・。

3連勝で堂々の予選通過となったのは、エース森本と佐賀からやってきた井元の2人。続いて2勝1敗ながらソルコフの差で予選通過が決まったのが佐藤厚さんと原嶋君。自分はというと、藤原大王・田村さんと並び、2勝1敗、ソルコフも4で同率となった。このままではOB予選通過者の最後の1枠が決まらず、結局3人でじゃんけんをすることとなり、田村さんが通過。まあ今日は初戦で負けたのでまったく文句は言えないが、やはり慶應名人戦の厳しさを感じた瞬間ではあった。

結局予選落ちとなってしまい、その後は藤原大王・田村さんと午前中の将棋の感想戦をしていたが、いずれも難解な終盤戦となっていて中々勉強になった。

今日の慶應名人戦の本戦では森本と現役エース浅井君の二人が決勝に勝ち残った。2月の決勝戦での好勝負に期待したい。

2013年2月17日(日)

昨日から毎年恒例の陣屋合宿に行ってきた。高校2年の時から16年連続16回目の参加となる。今回は合宿明けに関東レーティング選手権が控えているので、いつもの気楽な参加というよりは、関東レーティング選手権に向けてしっかり調整したいと思っていた。

午後3時ごろに陣屋に到着、夕飯まではいつものように練習将棋を指していた。夕飯の時には島先生とお話しさせていただくことができ、非常に嬉しかった。特に、島先生が私のアマ名人戦の全国大会に出場したことをご存知で、島先生の方からその話をしてくださったのはとても光栄だった。

夕飯後は慶應名人戦決勝戦。今年の決勝カードは森本VS浅井君。下馬評では森本持ちの声が多かったが、浅井君は森本得意の三間飛車に居飛車穴熊で対抗し、うまく戦機を掴んだ。中盤、森本に大きな誤算があり、終盤の入口時点で解説の島先生が「これはもう浅井君が勝ちました」と断言されていたが、それくらいの大差で居飛車穴熊が必勝形になった。終盤、森本は粘りようのないはずの将棋を巧妙に粘り続け、一瞬難しくなったかと思った瞬間もあったのだが、浅井君は終始落ち着いていたようで、やや危ない手順を選んだ感はあったものの、森本の猛烈な追い込みをしっかりとかわして浅井君の優勝が決まった。今回、現役の慶應名人誕生は本当に久しぶりという気がした。近年OBの優勝が続いていただけに、浅井君の優勝をきっかけに(?)現役の更なる奮起を期待したいと思う。この決勝戦は島九段と鈴木女流二段の名解説で大いに盛り上がった。

慶應名人戦の後は、これまた近年恒例のOB対現役の団体戦。14人対14人という大人数なだけに、毎年OBが圧倒的に有利であったのだが、今回は私が次期代表の小薗江君に敗れたのをはじめ、藤原大王・田村さん・スズケンなど、社団戦メンバーが次々と敗れてしまい、OBは8−6で辛うじて勝利。私の将棋は玉頭位取りからペースを握っていたつもりだったのだが、どうやら形勢はかなり微妙だったようで、振り飛車側の方が分かりやすい手順が多く、実際には居飛車がかなり大変だったようだ。大局観の悪さが響いた一局となってしまった。

その後、練習将棋を何局か指したが、関東レーティング選手権に向けて昨夜は早めに寝ることに・・・したつもりだった。しかし・・・。今回は8人部屋だったのだが、先に寝ていたO関のいびきがうるさく、しばらく寝られなかった。そこに追い打ちをかけるように、後から部屋に入ってきたはずの小林さんのいびきが鳴り響き、結局寝付いたのは明け方4時半頃だっただろうか。朝食はいつもの通り8時だったので、昨夜は試合直前にもかかわらず、かなりの寝不足となってしまった。


朝食後も練習将棋を指した後、いよいよ蒲田の道場へ向かった。今日は8人の予定だったが、1人不参加となった方がいらっしゃった関係で、7人となり、この中から1名がレーティング選手権の全国大会に出場できる。1回戦の将棋は相手の中飛車対私の玉頭位取りに。過去何局も経験のある形だったので、序盤は飛ばし気味に進めることができた。中盤、ややペースを掴んだつもりだったのだが、感想戦で検討した結果、かなり危ない変化もあった。本譜は相手の攻めが切れ模様となり、最後は玉頭から攻め倒して快勝。

2回戦は強豪小林康広さんと。これまでにも小林さんとは何度も対戦しているが、まだ1回しか勝ったことがなく、今日も厳しい戦いになると思っていた。戦型は小林さんの注文で角換わり腰掛銀となり、こちらの陣形の不備を突かれていっきに劣勢に陥ってしまった。桂得こそ果たしたものの、陣形が悪すぎて形勢はかなり苦しかった。早めに左辺の自陣を見捨てて玉を右側に逃げだすことにしたのが功を奏したようで、終盤は難解な将棋になった。その後、強引ながらも玉頭から殺到して勝ち筋に入ったはずだったが、明快な決め手を逃し、無念の逆転負け。必死の食い付きが功を奏してスーパー大チャンスが訪れただけに、この勝ちを逃したのは本当にもったいなかった。結局、小林さんが決勝もそのまま勝って小林さんがレーティング選手権全国大会の出場権を獲得された。


・・・ということで、この土日は盛り沢山の週末であったが、力及ばず関東レーティング選手権は準決勝で敗退となってしまった。この後はしばらく大きな大会の予定はないので、またしっかりと勉強し直して、4月以降の大会に備えたいと思う。


2013年度

2013年度は私が合宿に参加していなかった唯一の年で、詳細は把握していないが、森本君が崎玉君を破って2回目の優勝を果たしている。


2014年12月14日(日)

今日は慶應名人戦のOB予選2日目&本戦の日。午前中、試合会場に着くと、幹事のO関がいたが、O関はOB予選初日に4人中2人通過の枠に入り、本戦からのスタートらしい。例年予選初日に参加できれば、初日の方が参加者が少なく、予選通過しやすいので、自分もなるべく予選初日に参加するようにしていたが、今年は所用で参加できず、2日目からの参加となった。2日目はOB18人中6人が予選通過とのこと。周りを見てみると、田村さん・ケンローさん・葛山・スズケンなど、社団戦のチームメイトが概ね揃っていて、やはりOB予選2日目は中々大変だと思っていた。

予選1回戦:対埼玉君(H24年卒)

 予選1回戦は埼玉君と。対戦するのは初めてだったかと思う。将棋は埼玉君の向飛車対私の飯島流引き角戦法。序盤、埼玉君に機敏に動かれてしまい、こちらだけが居玉で戦わざるを得ず、辛い展開となった。どうにか戦いを収めて玉を囲いたいと思っていたが、囲う暇すらも与えてもらえず、苦しい形勢のまま終盤戦に突入。終盤の入口で埼玉君が竜を見切って寄せに来たのが指しすぎで、一気に攻めが細くなってしまい、何とか逆転に成功。最後は手堅くまとめて逆転勝ち。苦しい内容ではあったが、どうにか白星スタートとなった。


予選2回戦:対葛山

 予選2回戦の相手は大学時代の同期葛山。実は葛山とは平成最強やアマ王将東京予選で対戦しそうになったのだが、平成最強では私が庄司氏に敗れ、その後葛山も庄司氏に敗れた。アマ王将東京予選ではお互い勝てば直接対決というところでお互い敗退し、因縁の対決は実現しなかった。まさかここで葛山と当たるとは・・・。
 葛山との将棋は、こちらが急戦矢倉を仕掛けていったが、「元気よく攻める」ということばかり考えて暴発してしまい、無理攻めを的確に咎められ、途中からは一方的な内容で圧敗。こちらが暴発したのは間違いなかったが、それにしても葛山の構想は見事だったと思う。


予選3回戦:対藤田君

 予選3回戦は藤田君と。2回戦で葛山に負けて後がなくなったため、かなりのプレッシャーを感じていた。2勝1敗になったとしても、そのうちの一部しか本戦に進めないことは明らかであったが、とにかく目の前の一戦を勝たなければ始まらない。藤田君との将棋は相矢倉からこちらが先攻したものの、藤田君も手厚く受けて来られ、難解な終盤戦を迎えた。途中いくつか嫌な順が頭に浮かんだが、藤田君に見逃してもらい、最後は入玉しかけた藤田君の玉を押し戻して、何とか攻め切って制勝。大変な将棋であったことは間違いないが、何とか2勝1敗で滑り込むことができた。


本戦1回戦:対佐野君(現役3年)

 予選3連勝はケンローさんと葛山の2人。2勝1敗が7人となり、このうち4人がOB予選通過となる。7人中4人に入るかどうか、の抽選の結果、私は何とか予選通過のくじを引き当てることに成功。1回戦の相手は現役理工学部3年の佐野君に決まった。
 佐野君との将棋は、佐野君の三間飛車穴熊対私の銀冠。序盤、少々危険な駒組みをしてしまい、的確に咎められたら作戦負けに陥りそうな瞬間が一瞬あったが、見送ってもらい、まずは一安心。その後、佐野君が角道を開けた手が致命傷となり、こちらの仕掛けが炸裂し、最後は全駒勝ち。
 この1回戦ではO関が現役の佐藤君に圧敗していたが、その他は概ねOB陣が現役をねじ伏せていた。現役はこの秋に関東のA級リーグ戦から降級するなど、辛いシーズンであったが、来期は是非とも頑張ってほしいと思う。


準々決勝:対埼玉君(H24年卒)

 準々決勝は再び埼玉君と。予選1回戦の将棋が危なかったので、今度こそはこちらのペースで将棋を指そうと思っていた。戦形は私の左玉対埼玉君の向飛車となり、左玉にすんなり組ませまいと、埼玉君が強引に玉頭の歩を飛車でかすめ取ってきた。このまま無事に飛車に生還させまいと、飛車を攻めたのが好判断で、中盤はさすがに優勢だったかと思う。ところが、その後細かったはずの相手の攻めが徐々につながりはじめ、雲行きが怪しくなる。終盤、相手玉を寄せ損ない、やむなく入玉を目指すべく、方針転換を図った。直後に入玉を阻止する順があったのだが、埼玉君がこれを逃し、入玉に成功。逆に埼玉君も入玉を目指すべく脱走を試みたが、ギリギリのところで押し戻して制勝。危ない将棋だったが、どうにか勝つことができた。
 この準々決勝では、葛山ー丸川戦(現役2年)という好カードがあり、高校時代に現役大学生・OBをなぎ倒して慶應名人に輝いたことのある丸川君が葛山(慶應名人経験なし)相手に王者の貫録を見せつけるか・・・と思って丸川君を応援していたのだが、葛山は自分の淡い期待を裏切ってしっかりと勝ち切っていた(笑)。


準決勝:対葛山

 いよいよ今日の最終戦である準決勝はまたもや葛山と。現役時代、葛山とは同期だっただけに対戦数も多く3勝5敗だったが、OBになってからも藤沢名人戦で敗れ、今日の予選でも敗れてしまい、3勝7敗。途中までは3勝1敗とリードしていたはずが、そこからまさかの6連敗を喫し、さすがにそろそろ勝ちたいと思っていた。しかし・・・。
 戦形は相矢倉から後手番の葛山が中央を手厚く構えて来られたため、こちらは玉頭方面から盛り上がって対抗した。しかし、先手のこちらの方が玉が薄く、まとめづらい形になってしまった。終盤1回だけチャンスがあったようにも感じたが、やはり逆転にまでは至っていなかったようで、最後は手堅く押し切られてまたもや圧敗。大学2年からの連敗は7にまで伸びてしまった。
 もう一方の準決勝はケンローさんが竹下君相手にまさかの敗北を喫したようで、2月の陣屋での決勝は葛山ー竹下戦に決まった。

 今日は個人的には将棋の内容も悪く、葛山に予選・本戦と往復ビンタを喰らうなど、反省の多い1日ではあったが、ベスト4まで勝ち残ることができたのも平成19年度の準優勝以来7年ぶりであり、ベストコンディションとはほど遠い中、頑張った方ではあるかと思う。

 今年も残りあと僅か。疲れを溜めないように今日はゆっくり休みたいと思う。

2015年2月15日(日)

この週末は年に一度の陣屋合宿に行ってきた。昨年は諸事情で参加できなかったため、高校時代からの連続参加記録が途切れてしまったものの、今回で17回目の参加となる。

午後3時過ぎに陣屋に到着し、夕飯まではひたすら練習将棋を指して楽しんでいた。夕飯後は同期葛山と平成24年卒の竹下君との慶應名人戦決勝戦。戦前の下馬評では葛山有利だったためか、観戦者の多くは竹下君を応援していた。しかし、大方の期待を裏切り(?)、葛山は竹下君の四間飛車穴熊を粉砕し、最後は圧勝。大変残念な結果となった(笑)。

その後はOB対現役の対抗戦。私の対戦相手は、昨年末の慶應名人戦でO関に圧勝した佐藤君。戦型は佐藤君の中飛車左穴熊対、私の向飛車穴熊となり、中盤は佐藤君の巧みな指し回しで苦しくなった。終盤、佐藤君が飛車切りの猛攻を仕掛けたのがやりすぎで、形勢逆転となった。佐藤君の攻めが一気に細くなり、これは余せると思っていた。ところが・・・。こちらが何もしなければ相手に寄せの手が生じなかったが、自陣に手を入れる方法も難しく、スカな受けで大損した直後、最悪のタイミングで寄せ合いに行ってしまい、佐藤君の細い攻めがつながり、逆転負け。
 結局OBの15勝3敗とOBが圧倒する中、自分と小林さんが負けという寒い結果に終わってしまった。

毎年、陣屋合宿では夜遅くまで将棋を指し続けることもあって、寝不足に陥る傾向にあるのだが、今年はそれに加えて同部屋の山崎の鼾攻撃でロクに寝ることができず、極度の睡眠不足となった。帰宅してからはさすがに爆睡。明日からは普通に仕事もあるので、疲れを溜めないようにしたい。


2015年12月23日(日)

PCの調子が悪く、日記更新が遅れてしまったが、ようやく復帰した。
さて、今日は慶應名人戦に参加してきた。OB・現役が集まる大会であり、昨年はベスト4まで勝ち進んだものの、同期葛山に予選・本戦と往復ビンタを喰らうという惨憺たる有様で、他にも埼玉君に負けそうになったり、かなり大変だった記憶がある。今回こそはもう少しまともな結果を残したいと思っていたが・・・。今日は午前中にOB予選が行われ、16人中8人がOB予選通過となる。県大会やアマ名のような、2勝通過2敗失格という分かりやすいシステム。午前中に3局が必要ということで、持ち時間は10分切れたら秒読み30秒というルールで行われた。


予選1回戦:対原嶋君(平成24年卒)

 予選1回戦は原嶋君と。過去の慶應名人戦で凄まじい大逆転負けを喫した苦い記憶があり、気を引き締めて臨むことに。戦形は原嶋君の矢倉対私の急戦矢倉。研究していた手順通りに進み、社団戦の中村圭吾戦の序盤を更に改良したのが功を奏したか、作戦勝ちに。その後原嶋君がしびれを切らして無理攻めをしてきたため、こちらの反撃が厳しくなり、最後は圧勝。非常に良い内容で好スタートを切ることができた。
 葛山は長谷川君との将棋で寝坊明けの影響もあってか、寒い内容の将棋を指していたが、最後はしっかりと逆転勝ち。だらしない将棋だな、とは思ったが、それでも勝ち切るあたりは流石の一言。


予選2回戦:対竹下君(平成24年卒)
 
 またもや平成24年卒の竹下君と。彼は今年の2月に陣屋での葛山との決勝に敗れており、前慶應準名人である。社団戦のひよけんチームと対戦した際、竹下君と対戦しており、その時は優勢だったはずの将棋をまくられ、一時はこちらの玉に即詰みが生じていた。幸い、これを逃してもらい、最後の敗着は竹下君が投了したこと(諦めずに逆王手で指し続ければ危なかった)という何とも寒い内容で勝ったこともあり、今日は内容も含めて落ち着いて指そうと思っていたのだが・・・。
 戦型は竹下君の三間飛車対私の居飛車穴熊。中盤の入口で雑な仕掛けをしてしまい、それでも銀得したあたりはやや優勢かと思っていたのだが、銀得のために中途半端な位置に飛車を手放しており、大変な形勢だった。その後、自陣に金を埋めて頑張れば指せるはずのところ、強引に攻める手を選んでしまい、竹下君の反撃が厳しく、逆転負け。内容的にもイマイチな内容で1敗を喫してしまった。


予選3回戦:対市原君(平成24年卒?)

 予選通過をかけた一戦は市原君と。初手合いで棋風も分からず、とりあえず飯島流引き角戦法を採用したら、序盤開始早々で危険な瞬間が生じた。一応これを逃してもらい、何とか千日手で逃げ切って先後入替で指し直しに。指し直し局はこちらの右玉対相手の矢倉となり、難しい変化が多かったが、少しずつ喰い付いて攻めることに成功し、最後は指運の勝利。内容的に納得はできなかったが、どうにか予選落ちは免れた。


本戦1回戦:対佐野君(現役4回生)

 葛山とスーパーで買った激安おにぎりで昼食を済ませ、抽選の結果、本戦1回戦は昨年に引き続き現役の佐野君に決まった。前回慶應名人である葛山は反対側の山に。佐野君との将棋は佐野君の三間飛車対私の左美濃となり、佐野君に中盤3手ほど疑問手が重なったこともあり、これを咎めて最後は快勝。相手にミスがあったから勝てたような将棋ではあったが、作戦としては全然使えないものであったな、と反省。


本戦2回戦:対丸川君(現役3回生、主将)

 続く本戦2回戦は現役主将の丸川君と。初手合いであったが、振り飛車を多用しているイメージがあり、得意の左玉を採用しようとしたが、右四間で来られたため、矢倉で対抗することに。対右四間はどちらかといえば得意な方だと思っていたのだが、この将棋は丸川君が局後に言ったように「受け切るのは大変」という評価が正しかったようで、致命的な悪手を指したつもりもないが、一方的に攻められ、受け切れずに圧敗。仕掛けられて以降の構想がイマイチだったか。あんなに簡単に攻め潰されるとは思っておらず、びっくりしたが、とにかくこの将棋は完敗であった。


・・・ということで、今回の慶應名人戦はベスト8で終了。一方、前回慶應名人の葛山はまたもや決勝進出。もう一方の決勝進出者は丸川君となり、年明けの陣屋合宿で決勝戦が行われる。下馬評的には葛山有利かと思われるが、是非とも自分に勝った丸川君に頑張ってほしいと思う。

2016年2月21日(日)

この週末は毎年恒例の陣屋合宿に参加してきた。高校2年生の頃から参加しており、欠席したのはわずかに1回のみ。年に一度、将棋研究会のOB・現役が集まっての合宿は非常に楽しみにしている行事である。普段の大会に比べ、気楽な行事でもあり、また仕事も忙しくてロクに将棋の調整をする暇もなかったため、事前にできた調整といえばせいぜい陣屋に向かう道中での棋譜並べくらいだったか。
 今回「最後の陣屋合宿」と書いたのは、諸事情で来年からは別の宿での合宿となることが決まったためである。個人的には20年近く参加していただけに、陣屋合宿が終わってしまうのは残念であったが、それだけに今回は例年とは違い、皆それぞれ思うところがあったのではないだろうか。

 陣屋到着後、早速練習将棋をすることに。3期下の阿部と将棋を久々に指したが、阿部も久々の将棋だったのか、以前のような振り穴の冴えが見られなかったこともあり、銀冠穴熊から捌き切って、こちらだけ手つかずでの圧勝。続いて社団戦のチームメイトである田村さんと指したが、こちらは相矢倉から得意の急戦矢倉で対抗したところ、田村さんの作戦が少々危険だったこともあって、一方的に攻めまくることができ、またもや快勝。直前の調整がほとんどできていなかった割にはまずまずの内容だったように思う。

 その後夕飯は大広間で宴会となったが、さすがに今年は最後の陣屋合宿というだけあって、OBの参加者が例年より多かったと思われる。OBが約90人、現役18人というのは、近年では最多だったのではないだろうか。大広間のスペースの関係上、大広間にはOBのみ、現役はその横のレストラン側と、会場が2つに分かれることになった。
 夕飯後には慶應名人戦決勝戦の葛山(平成15年卒)VS丸川君(現役3回生)が予定されていた。先月、アマ名人戦の全国大会にいち早く埼玉県代表としての出場を決めた葛山が下馬評で有利だったが、好勝負を期待しつつ、同期である葛山に失礼のないようにという意味合いもこめて、葛山には何度かお酒を勧めておいた(笑)。また、丸川君からも葛山にお酒を勧めるよう働きかけておいた(笑)。あまりお酒を勧めすぎると、今度は下馬評が一気に覆って対局開始時点で丸川君が必勝という状況になってもそれはそれでまずいので、ある意味適度なバランスだったと思う。

 夕飯後はいよいよ慶應名人戦決勝戦。近年は解説が島先生、聞き手が女流プロという形式で行われているのだが、今年は参加人数が多かったこともあって、解説会場を2つに分け、片方は森下先生が解説、聞き手が室谷女流となり、もう片方は島先生が解説ということになった。女流の参加は室谷さんのみだったため、島先生の解説には我々の誰かが聞き手を務める必要があり、外野からのヤジ(?)の影響もあって葛山の同期である自分が僭越ながら聞き手を務めさせていただくことに。日頃葛山には私の将棋を酷評されていることもあり、ここは色々な葛山ネタを吹き込んでおこうかと思ったのだが、それ以前にあまり慣れない聞き手役を務めることに神経を遣ったためか、あまりネタ攻めができなかった(笑)。今回、聞き手役を務めてみて感じたのは、聴衆の立場と目線も違い、指し手の見え方も随分違うということである。その一方で「こういう手はどうでしょうか」と意見をお聞きしたい、と思った時に一番聞きやすい立場でもあるので、いくつか質問をして島先生のご意見を聞くことができたのは貴重な機会だった。島先生の解説に更なる質問をしたところ、それなりの手だったらしく、後で島先生から「私がこう解説したところ、一蹴されてしまいました。」と言われた時は恐縮してしまったが、とにかく島先生の解説は非常に分かりやすく、読みのスピードも非常に速くて、大変勉強になった。

 さて、その決勝戦であるが、戦型は変則的な相矢倉となり、中盤葛山が優勢になる順がいくつかあったように思われ、島先生もそのように解説されていたが、葛山がそれらの手順を見送ったこともあり、途中からは一気に丸川君に形勢が傾いた。終盤、丸川君が勝勢になったものの、ちょっと格好つけすぎな寄せに出てしまい、葛山が攻防の自陣飛車を放ったあたりから徐々に怪しくなり、最後は丸川君無念の投了。途中からは葛山がボコボコになり、ツッコミ所満載という面白い将棋だっただけに、丸川君が最後の着地に失敗したのはもったいなかった。

 そんなこんなで結局葛山が今回も優勝という結果に終わった後は、これまた近年恒例のOB対現役の団体戦。ここ数年、OBが現役を圧倒することが多い中、小林さんと私は現役相手に何度か負けたりしていたこともあって、齋藤優がそれをネタに声高に口撃してきた。相変わらずだな、と思いつつも、とにかく自分の将棋に集中するしかない。注目は誰が昨年主将の丸川君に当たるか、というところだったが、葛山は決勝戦で対戦したばかりで、私も12月に対戦したばかり。いくつか意見が出た末に結局丸川君には小林さんが当たることに。自分の相手は大谷君(3回生)で、秋のA級リーグ戦で5勝1敗だったとのことで、葛山が無駄にテンションを上げ、私の負けを期待していた(笑)。その葛山も現役の佐藤君と対戦。葛山曰く、佐藤君には以前負けたこともあるらしい。
 その大谷君との将棋は、大谷君の中飛車対私の玉頭位取りとなり、玉のコビンを狙った角打ちから玉頭を制圧し、圧勝。近年、このOB対現役の対抗戦でポコポコ負けていたこともあって、久々に勝ったような気がしたが、内容はまずまずだったように思う。葛山も佐藤君の横歩取り△4五角戦法相手にうまく攻めをいなして快勝。小林さんも丸川君に快勝していた。
 概ねOBが勝ちか、と思っていたが、対戦前から強気な発言を繰り返していた齋藤優が是石君(現役4回生)に負け。自分はこの将棋の終盤を見ていなかったのだが、葛山が「お互い相手玉に詰みのある局面でお互い逃し続けていて、どちらが先に即詰みに気がつくか、と思っていたら、先に是石君が気がついた」とこの将棋を酷評していた(笑)。
 その他の結果は何とすべてOBが勝ち、結局OB対現役の結果は17−1(齋藤優負け)。齋藤優の負けは面白いネタで良かったが、ここまで現役が負けてしまったところをみると、もっと頑張ってほしいとも思った。

 OB対現役の団体戦も終わり、後は練習将棋に。藤原大王に教わったが、私やO関あたりは完敗。葛山だけは大王に勝っていたが、大王は相変わらず強い。名古屋勤務となってから社団戦に出ていただけない状況が続いていたが、関東に戻って来られたそうで、今年の社団戦は藤原大王にも是非参戦していただきたいと思う。

 結局夜中の3時半まで将棋を指して、その後はすぐに寝ようと思ったのだが、某氏のいびきで全然寝付けず、昨夜はほとんどロクに寝られなかった。朝食後、何局か葛山と将棋を指したが、何度か優勢になった将棋をことごとく終盤の着地失敗で落としてしまった。葛山は結局この合宿中11勝0敗だったらしく、自分以外にもO関はじめ、何度か負けの将棋があったはずだが、残念ながら合宿中葛山に土をつけることは誰もできなかった。
 その後昼には帰宅したが、寝不足が響き、夜まで爆睡してしまった。

 今回で陣屋合宿が最後かと思うと、残念な気持ちもあるが、来年はまた別の場所で合宿が行われる予定であり、今後もOB・現役の交流が深められる楽しい場となることを願っている。


2016年12月18日(日)

今日は慶應名人戦に参加してきた。昨年はOB陣の参加が少なかったが、今年はOBが20人参加と非常に多く、この中から8人が予選通過となる。藤原大王・葛山・O関・斎藤優といった社団戦のチームメイトもここでは敵同士の個人戦。同期の葛山が慶應名人戦2連覇中ということもあり、葛山をいかにかわせるか、などと考えていた。

1回戦:原嶋君

 1回戦は原嶋君と。そういえば昨年も原嶋君と1回戦で当たった気が・・・。去年は自分の後手急戦矢倉が炸裂して快勝することができたが、今日の将棋はがっぷり四つの相矢倉となり、やや作戦勝ちかと思われたところから、こちらに攻め損ないがあって攻めが細くなってしまった。終盤、受けに徹されればどうしようもなかったところ、原嶋君に致命的な受け損ないがあり、逆転勝ち。内容はイマイチであったが、どうにか白星スタートとなった。
 この1回戦では葛山ーO関戦という重量級対決があり、


2回戦:斎藤優

 2回戦は齋藤優と。齋藤優との対戦はかなり久々である。過去、自分が慶應名人を獲った際には本戦1回戦で当たったことがあったが、それはもう12年も前のこと。その時の将棋はこちらの序盤の構想が悪く、駒がぶつかる前に投了を意識するほど大差となってしまった記憶がある。
 今日の将棋はこちらの右四間飛車から玉頭を手厚く構える将棋にしたところ、齋藤優は飛車を8筋に振り直して攻めてきた。その後、齋藤優に一失あって一時は優勢になったが、その直後にこちらが悪手をさしてしまい、優勢は一気に吹き飛んでしまった。終盤、難しい勝負が続き、チャンスもあったかと思われるが、こちらが短兵急な攻めをして急かされてしまい、駒を渡しすぎて受けが利かなくなり、負け。葛山からは、「またもやコンピュータの候補手に全く上がらないような悪手」と酷評されたが、指し手が難しい局面だったこともあり、自分の実力では正着を指すことができずやむなし。


3回戦:栗田さん

 3回戦は大先輩の栗田さんと。右玉に構えたところ、棒銀で突進して来られたが、無理攻めをうまく咎めて快勝。どうにか2勝1敗となったが、2連勝が5人、2勝1敗が5人となり、2勝1敗5人のうち3人が抽選で予選通過というところ、ハズレ籤を引いてしまい、予選通過ならず。予選通過できなかったのはいつ以来だろうか。

 慶應名人戦本戦では、O関が現役の丸川君に全駒負けを食らい、葛山が藤原大王に中飛車で制勝するも、準決勝で齋藤優に相振り飛車で負け。結局、決勝に残ったのは齋藤優と現役の丸川君の2人。来年の合宿での決勝戦はどうなるか。

2017年2月19日(日)

この土日は毎年恒例のOB・現役が集う合宿。昨年まではタイトル戦等で有名な陣屋旅館で行われていたが、諸般の事情により、今年は杉の宿で行われることに。場所が遠くなった点はデメリットかと思いきや、踊り子号で行けば約50分と思いの外短時間で湯河原に到着できることが分かり、迷わず踊り子号で向かうことに。偶然にも横浜駅で現役4年の丸川君に会って、踊り子号で色々と話をすることができた。
 杉の宿に到着後はその丸川君と練習将棋を指した。丸川君得意の角換わりに誘導され、難解な中盤を経て終盤は一気に負けモードに突入した。しかし最終盤で丸川君に致命的な見落としがあり、際どくしのいで辛勝。丸川君はこの後慶應名人戦決勝を控えており、個人的には丸川君を応援していたこともあって、この辛勝が斎藤優の援護射撃にならなければ良いと思っていた。

 夕食後はいよいよ慶應名人戦決勝。丸川君は高校時代に慶應名人戦優勝経験があり、既に社団戦の将研チームのレギュラー資格を持っているのに対し、齋藤優は優勝経験がなく、斎藤優が社団戦レギュラーの資格を得られるかどうか、という点でも注目したいと思っていた。将棋は丸川君の注文で一風変わった相振り飛車となり、序盤は丸川君がまずまずの展開かと思われたが、中盤から斎藤優がパワーを発揮し、丸川君は一目散に入玉を目指した。この入玉の間に丸川君は金銀4枚すべて取られるという大きな犠牲をはらって何とか入玉。終盤は丸川君の玉に一瞬即詰みが生じていたが、齋藤優がこれを逃し、203手の大熱戦の末、丸川君が見事2回目の慶應名人の座に輝いた。丸川君にはこれから社団戦のレギュラーとしても頑張ってほしいと思う。

 慶應名人戦の後は、現役対OBの団体戦。昨年は18人ずつの団体戦であったが、今回は現役の人数が少なかったこともあって、9人ずつの団体戦となった。自分の将棋は角換わりから近年注目されている速攻を見せられ、局面を収めるためにこちらだけ一方的に角を手放す展開となった。それでも相手の仕掛けを封じていたので、後手番でもあり、千日手辞さずという姿勢で臨めば良かったらしいが、こちらは千日手にする気など毛頭なく、後手番ながら積極的に攻めて行こうとした。対局後、葛山からは「わざわざ積極的に後手から打開する将棋ではない。意味が分からない」といつも通り酷評されたが(苦笑)、この打開で徐々に形勢を損ねてしまい、終盤で正確に指されたら負けそうだったところ、何と時間切れ勝ち。小林さんからは「時間切れ勝ちとするのはOBとして大人気ない」と手厳しいコメントも頂戴したが、それはさておき(笑)、将棋の内容として反省すべき点は多かった。感想戦では序盤を中心に検討が続いたが、もう少し深く研究しておく必要があると感じた。時間を見つけて研究してみたいと思う。

 杉の宿は夕食も豪勢だったし、夜食・朝食も含め、非常に美味しかった。料金的にも割安感があり、満足度も高く、OB陣にはかなり好評だったようだ。来年以降も杉の宿で合宿が行われるようであれば、是非参加したいと思う。

 そういえば、いつも通り私の将棋を酷評していた葛山だったが、酷評した行いが良くなかったのか(笑)、風邪が悪化して今朝には38℃近い高熱が出ていた。元々将棋合宿では寝不足に陥りやすい面もあり、体力的に元気でないと参加するのは大変なのだが、昨日の時点で結構な風邪を引いていたところ、無理をした影響もあったのかもしれない。かくいう自分も先ほど帰宅したが、現役時代ほどではないものの、やはり若干の寝不足感は残っており、今日はゆっくり休みたいと思う。


2018年2月18日(日)

土曜日からは杉の宿合宿。昨年から杉の宿に宿泊先を変えて行われている合宿であるが、今年は例年より遅めの夕方5時少し前に杉の宿に到着。道中では携帯中継で朝日オープン選手権を観戦していた。午前中の藤井聡太五段VS羽生竜王の将棋は大注目の一戦で、歴史に残る名勝負だったように思う。素人目には中々指せない手がいくつも見受けられた気がしたが、全体的に藤井聡太五段が押し気味に進めて最後は快勝。続く決勝戦では広瀬八段相手に角換わりから積極的に攻めまくって、またもや快勝。中学生とは思えない完成度の高い将棋で、全棋士参加の棋戦で優勝という快挙。これにより六段昇段も決まった。1年半前に三段だったとは思えないハイペースの快進撃で、将棋界はこれから益々将棋熱が過熱していくと思われ、今後も非常に楽しみである。

杉の宿到着後は葛山よりこのブログにおける葛山登場率の高さに着目した発言があった。自分としては以前のように毎日ブログを書くこともしなくなり、週1回ペースのスローペースでのブログ更新にとどまっているので、頻繁に葛山の話題を書いている認識は皆無であったが、当事者の意識は全く違っていたようである。

夕食の際に島先生とお話をすることができ、とても光栄であった。私は島先生の将棋講座を見て育ったこともあり、今回は当時の島先生の将棋講座への感謝の気持ちをお伝えすることができて良かった。
そして夕食後は慶應名人戦決勝戦が行われ、藤原大王VS森本という好カードとなり、森本の三間飛車を藤原大王が粉々に粉砕し、圧勝。森本の指し手が素直すぎた感が否めないが、藤原大王の強さばかりが目立った決勝戦であった。

その後は現役対OBの団体戦。ここ最近、公式戦で全く勝てていなかったこともあって、出場を辞退しようと思ったのだが、幹事のO関の一声により対局することに。将棋は高橋君の右玉にこちらは菊水矢倉で対抗。中盤で高橋君の機敏な手順を全く見落としており、一気に敗勢に。その後高橋君の疑問手もあって終盤は逆転しかけていたような気がしたが、正確に指すことができず、最後は高橋君の見事な寄せを喰らって負け。近年OB側で負ける人は少ない傾向にあり、今回OBで負けたのは自分だけなのかと思っていたら、慶應名人を獲ったばかりの藤原大王・田村さん・O関も負けたらしく、OBが6−4で勝ちと、ここ最近では現役が最も善戦した結果となった。

自分自身もすっかり勝ち方を忘れたかのように負けまくっていたが、団体戦終了後の10秒将棋でO関と指した将棋あたりからようやく勝ち方を思い出し始めた。当たり前ではあるが、やはり将棋は勝たなければストレスが溜まるので、きちんと結果が出せるよう精進したいと思う。

そうそう、今回葛山は夜中麻雀で随分と負けたらしく、珍しく「麻雀クソゲー」とのぼやきを連発していたのが印象的であった。余程麻雀の負けが悔しかったのか、その後麻雀以外の競技で麻雀の負けを取り戻そうと黒い交渉を持ちかけるシーンも散見されたが、そもそも夜中麻雀をせずに早寝早起きをして支部名人戦埼玉県大会に参加しておくのが冷静だったはず、と思ったのは自分だけだろうか(笑)。


2018年12月16日(日)

今日は慶應名人戦に参加してきた。朝、試合会場に着くと、歴代の慶應名人獲得者の名前が載った一覧表があった。今回で第35期慶應名人戦となるが、獲得数最多は藤原大王の5回で、次いで坂本さんが3回、2回優勝者が8人・・・となっている。自分はというと、平成16年度に1回優勝経験があるが、近年はぱっとしない成績が続いている。今日は久々に気合十分のはずだったが・・・。

OB予選1回戦は浅井君と。最近研究を重ねた某戦形で、一時は誰が見ても必勝というほどの大差がついていたのだが、ここから凄まじい逆噴射を見せてしまい、大逆転負け。いつもならば「必勝を意識する大局観が誤り」と誰かから酷評されるところだが、今日は周りから「あの将棋を負けたのか?」と言われてしまう始末。中盤で研究以上の成果があげられた将棋だっただけに、もったいないことをした。

続くOB予選2回戦は抜け番で不戦勝。人数が奇数人だったためであるが、直前の大逆転負けから頭を冷やすには丁度良い休憩だった。

そしてOB予選3回戦は叶多さんと。矢倉中飛車から一方的に攻めまくって、この将棋も大優勢を意識したが、叶多さんが局面を複雑化して来られ、いつの間にか雲行きが怪しくなってしまった。詳しく調べれば逆転していたようにも思うが、この将棋は終盤で自玉の不詰みを読み切って何とか勝ち切ることができた。

どうにか予選2勝1敗で通過、といいたいところであったが、今日はOB予選通過者が7人と決まっており、2勝1敗の中から抽選で予選通過・敗退が決まる。確率は2分の1だったが、予想通りハズレ籤を引いて予選敗退。自分の最も多いパターンに陥ってしまった。過去、2勝1敗で抽選落ちというのが一番多いパターンという気がしているが、過去の日記を見返すと、2014年・2015年あたりは予選通過している時もあり、こればかりは運。ただし、今日は予選1回戦で必勝の将棋を勝てなかったことが最大の敗因であろう。

本戦の方は、自分に勝った浅井君が見事決勝進出。反対のブロックではO関に勝った一方井君(現役)が決勝進出。2月の合宿で慶應名人が決まるが、今回は果たしてどちらが勝つであろうか。

2019年2月17日(日)

先日、とある知人と話す機会があったのだが、このブログの話題を出されてびっくり。最近はめっきりブログの更新頻度も減って週1以下となり、ブログ更新に注ぐエネルギーが減りつつあるが、それでもブログを読んでくれている人はいるようで、毎日のヒット数はそれほど変動していない。当初より完全に自分の趣味で書いているブログだが、未だに時々ブログへの反響を直接口頭でいただくことがある。今後もできる範囲で続けていければと思う。

さて、この土日は杉の宿合宿に行ってきた。杉の宿へ向かう道中、朝日オープンの準決勝・決勝を携帯中継で観戦していたが、藤井聡太七段は準決勝・決勝とも強い内容で快勝。決勝の渡辺明棋王が絶好調だっただけに、今回は藤井聡太七段といえどかなり大変だと思っていたが、圧巻の指し回しで見事2連覇達成。年間最高勝率の記録更新の可能性もあり、今後も様々な記録更新の可能性があり、目が離せない。

 夕食後は慶應名人戦決勝。OBの浅井君対現役の一方井君との対戦となったが、戦型はゴキゲン中飛車穴熊対居飛車穴熊となり、一方井君が浅井君の駒組の不備を機敏に咎め、仕掛けから大優勢となる。終盤、浅井君も追い込んで一瞬面白くなったかと思う瞬間もあったが、一方井君が浅井君の猛追を振り切り、結果的には完勝。丸川君以来の現役優勝で幕を閉じた。

 その後は毎年恒例のOB対現役の対抗戦。そろそろOB代表で出るのも世代交代したいと思っており、出場を辞退したが、O関から「毎年恒例行事ですから」と言われ、今回も出場することに。一部の人間からは私が現役に負けることが毎年恒例行事なので今年も期待に応えるように、とネタにされつつあるようで、困ったものだ(苦笑)。
 対抗戦は今年日吉代表を務める込田君と対戦。将棋は込田君の三間飛車穴熊対私の左玉。自分好みの戦形だったが、どうも自分から仕掛けたのがまずかったらしく、込田君にうまく喰いつかれ、完敗。この将棋の最大の敗因は大局観の悪さにあったようだ。込田君は今年2回生になるそうだが、歴代の将研メンバーがそうであったように、基本的には強くなりやすいのは2回生までで、3回生以降はゼミやら研究室やらで忙しくなり、将棋に割く時間も徐々に限られてくる。今年日吉代表として、またレギュラーとして頑張ってほしいと思う。

 その後、何局か練習将棋を指し、夜1時過ぎには寝ることに。これまで陣屋合宿では完徹をはじめ、寝不足だったことが多かったが、7時間も寝たのは過去最長だったかもしれない。最近は仕事の帰りが遅いこともあって、合宿に行く前から「しっかり休む」ことを意識していた。
 
 帰りは田村さんとスーパービュー踊り子で東京へ。行きの便では踊り子号がない時間帯だったようで乗れなかったが、帰りはうまく踊り子号に乗れてスムーズに帰ることができた。帰宅後は爆睡。昨夜は十分な睡眠をとったはずだったが、それでも疲れは取れていなかったようだ。

さて、毎週日曜夜は「3年A組」を楽しみにしている。今放送されているTVドラマの中では一番面白いと思う。各回の至るところで先の展開を示すヒントが散りばめられており、知人と展開を予想して楽しんでいる。ストーリーも大分佳境に入ってきており、最終回まで目が離せない。


2019年12月15日(日)

今日は慶應名人戦に参加してきた。この慶應名人戦も随分長いことOB予選を通過していないな、と思って日記を読み返してみると、2015年にOB予選を通過して以来、予選突破すらできていないことに気がついた。まぁその意味で今日は気楽に参加しようと思っていた。今日はOBが12名しか参加なく、このうち8名が予選通過ということで、いつもよりは予選の負担が少ない展開に。予選1回戦で勝った6人は無条件で通過、1回戦で負けた6人のうち、2回戦で勝った3人から2人を抽選で選ぶということになった。

1回戦で高崎さんと対戦。相矢倉から難解な攻め合いの将棋になり、こちらが先に入玉を果たしたが、高崎さんも入玉しに来られ、点数勝負では危ないか、と思っていたところ、ギリギリのところで何とか相手玉を捕まえることができた。正確には高崎さんの玉は寄らない手順が発生しており、負けそうな変化もあっただけにラッキーな拾い勝ちで、4年ぶりの予選通過が決まった。
この予選1回戦では田村さんVS優というカードがあり、田村さんが貫録勝ち。優も2回戦では勝ち、予選通過となった。

いつもは予選3回戦まで行って昼飯休憩がせわしないことが多いのだが、今回は昼飯休憩時間が随分長くとることができた。

本戦は現役VSOBの構図となる恒例のトーナメント。自分の相手は1回生のホープ白井君。アマ名人戦の全国大会に何度も出場しており、中学時代にも全国優勝を果たすなどの実績があり、1回生ながら白井君の方が格上なのは明らか。気楽に指せればと思っていた。将棋は相矢倉からこちらは矢倉中飛車を選択したのだが、白井君の駒組が疑問であっさり作戦勝ち模様となる。しかし、暴れるしかない白井君の猛攻にこちらが何度も対処を誤り、最後は圧敗。読み抜け・誤算が何度もあり、途中からまともな将棋を指せなかったのが残念。

・・・ということで、久々に本戦に出場できたもののあっさり1回戦で土俵を割った。結局決勝進出を果たしたのは、次期主将の斎藤君と最近絶好調の崎玉君。来年の杉の宿合宿での決勝はどうなるであろうか・・・。
この慶應名人戦にて、私自身の今年の将棋大会は終了。詳しい戦績は大晦日に振り返ることにするが、昨年よりはマシな結果を残せたように思う。今後も引き続き精進あるのみ。


2020年2月16日(日)

この土日は恒例の杉の宿合宿に行って来た。2016年までは陣屋で行っていた合宿だが、2017年より杉の宿で行うことになり、今回で4回目の杉の宿合宿となった。平日の残業がかなり厳しい状況で疲労もピークに達しており、将棋の調子も本調子とは程遠い状態だったが、今回も慶應名人戦決勝に勝ち残ることはできず、気楽に参加して気分転換しようと思っていた。

杉の宿に到着後、夕飯までの間はO関・田村さんとそれぞれ2局ずつ指し、いずれも怪勝。内容的にもあまり良い内容とは言い難い感じであったが、勝つ感覚を取り戻しつつあり、モチベーションは少しずつ上昇。
夕飯後はいつものように慶應名人戦決勝。今回は現役主将の斎藤君とOBの崎玉君との対戦。前評判は元奨励会の斎藤君ノリの声が多かったが、崎玉君が序盤から積極的に動き、ペースを掴んでいた。中盤で馬が消されてしまい、6手損だけが響いて主張するところがなくなったかに見えたが、そこから崎玉君の銀損の猛攻が思いの外厳しく、島先生の大盤解説は大いに盛り上がった。しかしここから斎藤君が驚異の粘りを見せる。誰もが受ける手を選択するところ、「ここで受けないのか?」と皆を驚かせる手を何度も指し、これに崎玉君も動揺したか、ミスを連発してしまい、斎藤君が手堅くまとめて逆転勝ち。見事第36代慶應名人に輝いた。

その後も恒例のOB対現役の対抗戦。今回は社団戦レギュラー陣の合宿参加率が悪かったこともあって、OB陣は面子がやや薄めであり、昨年パワーアップした現役有利と思われた。私はまたもや「切られ役」(当て馬?)として、慶應名人となった斎藤主将と対戦。中盤で斎藤君にミスが出て、こちらが優勢になったと思ったのだが、その後駒損ながら拠点を活かした斎藤君の猛攻をくらってしまい、逆転負け。今年も現役の弾みをつけるための切られ役としての役割を果たす結果となった(苦笑)。

翌朝、朝食後に思いがけず島先生から「対局しましょう」という大変ありがたいお話をいただき、将棋を教えていただくこととなった。こんな貴重な機会は中々ないので、自分の中で最近最も気になっている戦形で教わるべきであったのだが、振り駒の結果後手番となり、一番教わりたかった作戦が使えず。それだけならまだしも、序盤早々でこちらに危険な1手があったようで、島先生に機敏に咎められてしまい、大ピンチに陥った。折角教わっているのに何で開始早々苦しくなっているのだろう・・・と呆れていたが、貴重な機会だったので簡単に諦めるわけにもいかず、苦しいながらも勝負手を捻り出したところ、少し差が縮まり、全然ダメそうに見えた将棋が大分面白くなったように感じた。それでも島先生の指し手は冷静で逆転には至っておらず、最後は島先生の放った遠見の角打ちが決め手で完敗。それにしても序盤何気なく指した18手目が敗着になるとは・・・。島先生曰はく、昔はこの手(18手目)が敗着にはならなかったが、今はAIの影響で、隙あらばどんな中途半端な駒組からでも仕掛けられるリスクが高まり、厳しい時代になった、というお話があった。改めて自分の軽率な序盤の1手を反省するとともに、不思議と「また将棋を頑張ろう!」というモチベーションが高まった。たった1局であったが、島先生に直接教わる貴重な機会で大変勉強になり、得たものは大きかったと思う。次の大会までしばらく時間があるので、また鍛え直して頑張りたいと思う。

帰りはクリリンの車でO関・櫻井・阿部・私の4人を湯河原駅まで送ってもらい、ダッシュでお土産を買って何とか10:38の踊り子号に間に合った。

さて、今夜はいよいよ「頭取野崎修平」の最終回。結末はどうなるであろうか・・・。


2020年度

2020年度は新型コロナウイルスの影響で杉の宿合宿は中止となり、それどころか慶應名人戦のOB・現役合同のトーナメントも中止となった。


2022年2月20日(日)

今日は久々の将棋大会。といっても慶應の現役・OBが集う内輪での慶應名人戦に参加してきた。コロナ禍で未だに新規感染者数が高止まりしている現状において、参加して良いものか、直前まで悩んだが、去年・一昨年と開催できなかったこともあり、今年は参加することにした。今日の参加OBは11名。いつもならば中学生・高校生も参加があるところ、今日は中学生・高校生の参加がなく、本戦出場が現役8名・OB8名ということだったので、OB11名のうち8名が予選通過となる。ここまで予選通過確率が高い予選は過去初めてだったのではないだろうか。11名中8名ともなると、予選落ちの方が少ないので、ある意味プレッシャーもあった。

1回戦:対稲垣さん(S58年卒)

1回戦は稲垣さんと。序盤開始早々、独特の駒組をされ、びっくりした。これに対してこちらの駒組が危険すぎたのか、10手くらいでいきなり歩損を余儀なくされてしまった。何たることか・・・。と頭を悩ませつつも、悟られないように平然と指していたら、稲垣さんもいきなりの歩得で調子が狂ったのだろう。まだ歩が切れている筋が1つもないのに持ち駒の歩を打ってしまい、二歩となり、反則勝ちを拾った。傍目には二歩を打った稲垣さんが一方的にミスをしてしまったように見えた将棋も、実は出だしでやらかしたのは自分の方で、冷や汗をかいた将棋だった。あまり見たことがない駒組だったので戸惑ったが、次に同じ轍を踏まないよう注意しなければ・・・。

1回戦の好カードは関川さんVS斎藤優で、関川さんの時間が切れるというハプニングを斎藤優が容認したところ、その後の将棋は関川さんが完勝となった。


2回戦:対高崎さん(S54年卒)

続く2回戦は高崎さんと対戦。戦形は高崎さんの矢倉対私の右玉。中盤、こちらが後手番ながら積極的にポイントを稼ぎに少々強引な手作りに行った。結果的にはやや無理気味だったが、何とかこれを通し、終盤もかなり難しい勝負だったが、どうにかギリギリ詰ますことができ制勝。またもや結構ラッキーな拾い勝ちだったかもしれない。何はともあれ2連勝で無事に予選通過となった。
O関も柏原さんにラッキーな逆転勝ちで2連勝通過となった。

斎藤優は3回戦で稲垣さんとの怪しい終盤戦で逆転したかと思った矢先の再逆転だったようで、1勝2敗となったが、最後の確率2分の1の当たり枠が転がり込んできて、予選通過となった。


本戦1回戦:北川君(現役1回生)

午後から本戦スタート。1回戦は現役1回生の北川君と対戦。将棋は私が向飛車に構えたところ、北川君は中飛車に構えてきた。てっきり中飛車左穴熊かと思っていたが、エルモ囲いに構えて来られた。いつもならば左玉も視野に入れるところだったが、相手が6筋から攻めようとする構想を見せられたため、自玉の真上が戦場になってはもたないと判断し、玉は右へ囲うことに。中盤、北川君がペースを握りかけていたが、手厚く構えたはずの金を繰り出して攻めてきた手がまずかったようで、こちらの飛車が一方的に成り込める展開となり、最後は快勝。途中まで少し息苦しい将棋だったが、うまく辛抱できたように思う。

O関は萩田君(現役6回生?)相手に優勢だったはずの局面で何と時間切れ負け。O関が勝っていればO関が次の対戦相手となるはずだったが、このアクシデントにより、準々決勝の相手は萩田君に決まった。


準々決勝:萩田君(現役6回生)

準々決勝はO関に時間切れ勝ちを収めた萩田君と対戦。戦形は萩田君の三間飛車対私の左玉。中盤、萩田君の仕掛けがいかにも単調で無理っぽい感じがしたのだが、徹底的に受け切ろうとしたのが良くなかったか、その後軽妙な歩垂らしに対し、受け切るつもりで僻地に銀を投入した手がまずかったようで、ここで形勢を損ねた。更にその後、我慢する順があったが、元々悪いと思っていなかった大局観の悪さが響き、バーストしてしまい、最後は大差で圧敗。途中まではペースを握っていた将棋だっただけに、2回ほど大局観の乱れによる悪手を指してしまったことが悔やまれる。

・・・ということで、今回はベスト8で敗退となった。萩田君はこの後も準決勝で藤井君に勝ち、決勝まで勝ち残ったが、学生王将斎藤玲緒君が貫録の勝利で、今回の慶應名人は2019年に続き、斎藤玲緒君が連覇となった。


今日は鳥取から東京に出向していた斎藤健一も途中参加してくれたので、久々に話ができた。そもそも将研のメンバーと直接会うこと自体が2年ぶりという状況だったので、久々に話ができたことが何よりの収穫だった。
気がつけば斎藤玲緒君ももう4年生で卒業間近ということで、将研三田会チームに加わるよう、スカウトしておいた。白井君・藤井君も今年には4年生になるということで、いつの間にかこの2人も最上級生となる。月日が経つのは早いものだと改めて思った。


2023年2月11日(土)

今日は慶應名人戦に参加してきた。昨年はベスト8に終わったので、今年は久々に見せ場を作りたいと思っていたが・・・。

1回戦でH26年卒の西野君の四間飛車で少々無理気味な動きをされ、徐々にこちらが駒得から優位を拡大したはずだったが、終盤で即詰みを逃して受け損なうという致命的なミスを犯し、逆転負け。幸先悪いスタートとなった。

続く2回戦でS61年卒の関川さんには相矢倉から手厚く指し、最後は入玉を決めて快勝。途中食いつかれそうな順もあった気はするが、この将棋は全体的にうまく指せたと思う。

3回戦でH24年卒の崎玉君の角交換振り飛車相手に序盤から苦戦。一方的に飛車先を突破されそうになり、苦し紛れに玉頭から食らいついたら、崎玉君が対処を誤り、一時は必勝形になった。ところが、明快な決め手を逃し、入玉を目指して入玉できるはずが、崎玉君に機敏な反撃を食らって怪しい空気が漂い始め、最後は受け損ないもあって、逆転負け。

・・・ということで1勝2敗で予選敗退。優も1勝2敗で予選敗退、O関・田村さんも予選1回戦で黒星スタートだったが、その後は2連勝で予選通過していた。

今回は予選敗退後、残って指し続けずに帰宅したため、本戦の結果は把握しておらず。しばらく将棋大会もないが、今日のような不甲斐ない将棋を指していてはいけないと反省。また鍛え直して次の大会に臨みたいと思う。


2023年12月16日(日)

今日は慶應名人戦に参加してきた。前回は予選落ちと冴えない結果に終わったので、今回は良い結果を出したいとは思っていたものの、今年の戦績はすこぶる奮わない状況だったこともあり、まったく自信はなかった。

 今日はO関が仕事で来れず、優が子供の体調不良で来れず・・・と近い世代の人間がほとんどいなかった。まずはOB予選だが14人中9人が通過とのこと。当初は2勝通過2敗失格で1勝2敗の誰かが抽選で予選通過としようか、といった話を市川君を中心にしていた。

予選1回戦:対高崎さん(S54年卒)

 今日の初戦は高崎さんと。前々回の慶應名人戦でも対戦している。その時は高崎さんの矢倉に私が右玉で対抗したのだが、今日は相矢倉となった。中盤、難しい攻め合いながら徐々に高崎さんにペースを握られてしまった。途中結構苦しいかなと思った場面もあったのだが、終盤高崎さんに少し緩手が出て、反撃に転じることができ、辛うじて逆転勝ち。結構危ない将棋で拾えたのはラッキーだったかもしれない。


予選2回戦:対崎玉君(H24年卒)

 予選2回戦は崎玉君と対戦。崎玉君とは対戦し始めの頃は勝てたが、最近はこってりしばかれることが多くなっていたので、用心して挑むことに。
将棋は崎玉君の角交換型四間飛車対私の居飛車。序盤開始早々、私に危険な1手が出て、崎玉君が機敏に咎めてきた。1歩損を回避しようとすると、かえって形勢が悪化しそうだったため、1歩損を甘受して辛抱した。少し持ち直したかなと思ったところで崎玉君が飛車交換を挑んで来られ、捌き合いで苦しい展開になってしまった。その後、金損もしてはっきりダメにしたなと思っていたが、そこから崎玉君が乱れに乱れた。徐々に崎玉君の攻めが細くなり、逆転に成功。最後は万に一つも負けないように手堅く指して制勝。途中はかなり苦しい将棋だったが、辛抱が実って、無事2連勝で予選通過となった。

 2連勝での予選通過は私の他、稲垣さん・田口君・太刀岡君の3人。
私の将棋が167手と長引きすぎたため、予選3局目をやる時間がなくなり、急遽1勝1敗組が抽選で予選通過者を決めることとなり、1勝1敗の6人のうち、予選通過できない憂き目にあったのは光内君。


本戦1回戦:対北川君(現役3回生)

 昼食を崎玉君・竹下君(H24年卒)、市川君(H25年卒)と餃子屋で取り、午後の本戦へ。抽選の結果、本戦1回戦は北川君に決まった。北川君とは前々回の慶應名人戦でも対戦している。
 北川君との将棋は北川君の中飛車対私の居飛車となり、序盤から北川君が機敏に動いてきた。一方的に居飛車の桂香を取られる展開となり、忙しくなったが、こちらも馬を作って反撃に転じたのが良かったようで、徐々に中央から抑え込むことに成功し、最後は受けなしに追い込んで制勝。途中までは北川君がうまく指していたように思われ、こちらの構想が悪かったかもしれない。後で研究してみようと思う。


準々決勝:対平林君(現役3回生)

 準々決勝は3回生の平林君と対戦。1回戦で太刀岡君を破っての準々決勝進出だった。平林君との将棋は平林君の村田システム対私の右玉。あまり見たことのない力戦模様となったが、中盤で平林君にうまく指され、軽妙な桂の成捨ての見落としもあり、苦しくなったかと思っていた。実戦的にはこちらの反撃も結構相手には嫌な感じだったようで、難解な終盤戦だったように思う。
終盤、こちらの玉も薄くてヒヤヒヤしながら指していたが、どうにか相手の攻めを凌ぎ切って制勝。この将棋も苦し紛れに攻め合ったのが功を奏したような感じで、ラッキーな拾い勝ちだったかもしれない。
反対側の山では崎玉君が順当に勝ち上がっていた。決勝までは当たらないものの、崎玉君は勝ち上がってくるだろうと思っていた。


準決勝:対嶋村君(現役1回生)

 今日の最後の対局は現役1回生の嶋村君と。後で聞いたところによると、24レーティングが2900もあるらしく、実はかなりの格上だったようだ。対局中は全然知らなかったので、なりに指していたが、事前に知っていたら少しピヨピヨしていたかもしれない。
 嶋村君との将棋は角換わりからこちらが後手番右玉ながら積極的に攻めかかる積極策を取り、ペースを掴んだ。中盤、ニョキニョキと銀を中央へ繰り出し、角をたたき込む強引な攻めをしたのが良かったようで、はっきり優勢になった。ところが、その後嶋村君の反撃もあって楽にはならず、終盤ようやくはっきり勝ちになったところで、私の凌ぎ方がまずかった。最後は頓死したかと思うような冷や汗タラタラのへっぽこ終盤を見せてしまったが、最後の最後で唯一詰まない手順が残っており、辛勝。もっと安全に勝つ勝ち方がいくつもあっただけに、終盤の弱さを露呈してしまったが、どうにか勝つことができ、2007年度以来の16年ぶり決勝進出。来年の合宿での決勝戦まで少し時間があるので、また鍛え直して、良い将棋が指せればと思う。

なお、反対側のブロックでは崎玉君が現役1回生の鈴木君に敗れ、決勝戦の相手は鈴木君に決まった。

・・・ということで、参加する際は全然予想していなかった久々の決勝進出が決まった。これまで決勝進出は2回あり、決勝戦は1勝1敗。優勝した時は良い将棋が指せて気持ち良かったが、決勝戦で圧敗した際はしばらく精神的に落ち込むほどダメージが大きかった。皆が観ている目の前で圧敗というのだけは避けたいところ。とにかく良い将棋が指せるように精進したいと思う。

2024年2月18日(日)

昨日・今日と将研三田会の合宿に行って来た。いよいよ待ちに待った慶應名人戦決勝戦も行われる。今年はコロナ禍明け後の初合宿で、ホテルも初めての場所だった。幹事の方々は運営等本当に大変だったと思われ、本当にお疲れさまでした。

昨日は14時のマイクロバスでホテルに向かい、チェックインできるまでの間、丹羽さんと将棋を指して調整した。早指しでの適当指しを好まず、じっくり時間をかけて読みを深める丹羽さんとの将棋は毎度のことながら本当に勉強になる。

今回は夕食前にミーティングという場を設けて事務連絡等も含めて説明があった。その後は夕食バイキング。非常に会場が広く、どこに何のメニューがあるのか、全体把握も中々大変なバイキングだった。夕食後に決勝戦を控えていたこともあって、周りの人はがっつり食べていたところ、自分は食べすぎ注意して決勝戦に臨んだ。

決勝戦の対局会場が11階、島九段・小山四段の大盤解説会場が3階と非常に離れており、連絡も取りづらく、対局開始して良いか判断に迷ったため、20時対局予定が19時半開始に前倒しになったはずが、結局19:50分頃対局開始となった。
将棋は私が普通に矢倉に組んだところ、鈴木君が腰掛け銀から仕掛けてきた。対局中はすぐに気がつかなかったが、どうも仕掛けられたところで将棋が終わっていたようで、仕掛けられてしばらくしてから事の重大性に気がついたものの、時すでに遅し。どうにもならなくなっていた。
終盤、何回か鈴木君にやや甘いかなと思う手が出たものの、形勢がもつれるには至らず、終始こちらが苦しい展開のまま最後もきっちり寄せ切られ、完敗。
大ポカで負けたりするとみっともない、というプレッシャーもあったが、大ポカこししなかったものの、根本的に序盤の構想が破綻して即死した、という感じで全く自分らしい将棋を指すことができなかったのは残念だった。まぁそれだけ鈴木君がよく研究しており、現代将棋の怖さともいえる将棋だったように思う。島九段・小山四段の大盤解説という素晴らしい檜舞台だっただけに、もう少しまともな内容で熱戦にしたかったが、こればかりは実力不足でやむなし。
今回は同世代の友人・知人からも応援メッセージを沢山いただいており、期待に応えられなかったのが悔やまれるが、決勝戦終了後も暖かいメッセージをいくつもいただいたおかげで、メンタルダメージも大分軽減されたように思う。応援してくださった方々に深く感謝いたします。

さて、決勝戦終了後は恒例のOB・現役対抗戦かと思いきや、現役がたった4名しか参加しなかったため、今回は対抗戦は行われなかった。その後は10秒将棋を中心に練習将棋を楽しんだが、丹羽さんとだけは持ち時間・秒読みありの長めの将棋を指し、対局後もみっちり感想戦をやった。この将棋は後でAI解析もしてみようと思う。

夜は決勝戦の敗北ダメージに加え、O関からの轟音で中々寝られず、今朝はかなりの寝不足状態だったが、どうにか朝食前には起きることができた。
昨夜夕飯を軽めに済ませたこともあり、今朝の朝食バイキングはがっつり食べた。その後は幸運にも島先生からお声かけいただき、個別指導対局を受ける機会に恵まれた。
島先生との将棋は、島先生の雁木対私の右玉。中盤まではこちらの構想・主張が通ってまずまずの将棋かなと思ったが、中盤で島先生が玉側の銀を攻めに使う手順を見落としてしまい、そこからは一気に形勢が傾いて、最後は圧敗。中盤の見落としで将棋が終わってしまったのが残念だったが、感想戦も含めて非常に丁寧に教えていただき、深く感謝。

また、その後島先生とO関との将棋も観戦し、こちらも感想戦で非常に勉強になった他、島先生の公式戦解説や私のアマ大会の棋譜を見ていただいた上でのご指摘含め、本当に勉強になった。AI解析していても、細かい数値変動からは根本的な敗因が読み取れないこともあり、そうした点をご指摘いただいて初めて中盤の指し方の問題点がよく分かった。

収穫の大きかった合宿も終了。このまま帰宅するのももったいない、ということで、その後は踊り子号で河津まで移動し、河津桜祭りに行って来た。すごい人の数で、こんなにも大人気スポットなのか、と改めて賑わいぶりに圧倒されたが、河津桜の方も満開で満足度は高かった。お昼を食べるお店も激混みでとても入れそうになく、寿司弁当を買って軽く済ませることに。
花見も手短に終えて、帰りは踊り子号を予約していなかったため、立ち席特急券で我慢。新幹線もこだまの指定席がほぼ完売で自由席となったが、こちらは何とか自由席に座ることができた。花見の所要時間が読めず、行きの特急しか予約していなかったため、帰りが中々大変だったので、今後は人気スポットの帰り便はしっかり予約しなくては・・・と痛感させられた。

何だかんだ、色々あった土日であったが、全体的にはとても収穫が多く、非日常を満喫できたように思う。決勝戦の敗戦は実力不足以外の何物でもないが、これに懲りず、また一から鍛え直して、今後のアマ大会でも見せ場を作れるよう頑張りたいと思う。


2024年12月15日(日)

今日は慶應名人戦OB予選+本戦の日。昨年は運よく決勝まで勝ち残ることができたが、今年は現役がオール学生選手権で20年ぶりの全国優勝をしていることもあって、厳しい戦いになると思っていた。今日は参加者16名の予定が2名不参加となったため、昨年同様14名参加となった。16名であればうち8名通過ということで、2勝通過2敗失格の分かりやすい予選システムだったのだが、14名中8名が通過ということで少し変則システムとなった。今日も持ち時間は10分、切れたら30秒の秒読みというルールで行われた。
 OB予選は年々参加メンバーが入れ替わってきつつある印象で、近い世代だと自分とO関くらいか。むしろひよ研メンバーの方が多くなりつつある。


OB予選1回戦:対坂田君(令和4年卒)

 今日の初戦は若手OBの坂田君と対戦。将棋は坂田君の三間飛車対私の右四間飛車。手厚く抑え込もうとしたところで坂田君の猛反撃に遭い、いつの間にか食いつかれて、一時は敗勢だった(というかこちらの玉に詰みが生じていた)のだが坂田君に見逃してもらい、最後は大逆転勝ち。冷や汗タラタラの終盤戦だったが、何とか白星スタートを切ることができた。
 このOB予選1回戦では佐藤厚ーO関戦という好カードがあり、O関が佐藤さんに力なく敗れていた。


OB予選2回戦:対太刀岡君(令和3年卒)

 続く予選2回戦はまたもや若手OBの太刀岡君と対戦。戦形は四間飛車穴熊対右四間飛車となり、この将棋もこちらが手厚く抑え込もうとしたところをうまく反撃され、相手ペースになってしまった。こちらは駒損ながら相手玉を薄くしてチャンスを伺っていたところ、太刀岡君が攻めあぐねて、こちらだけと金が活躍する展開となり、辛抱が実って最後は快勝。少し苦しめの将棋だったが、辛抱強く指せたのが良かったと思う。

 無事に2連勝で予選通過することができた。他に2連勝での予選通過は佐藤厚さん・崎玉君・長谷川君・私の4名。予選3回戦を戦う必要がなくなったので、崎玉君・長谷川君と近くの中華料理屋でゆっくり昼食を取った。
 O関は1勝1敗で予選3回戦太刀岡君と対戦し、太刀岡君の四間飛車穴熊に作戦負けっぽかった気がするが、太く勝って2勝1敗で予選通過していた。


本戦1回戦:対森君(理工学部2年)

 本戦1回戦は理工学部2年の森君と対戦。抽選の結果、自分とは反対側の山に現役のエース陣が多く集中していたので、籤運は悪くなかったはず。後は自分の力を発揮するしかないが・・・。
戦形は三間飛車対右四間飛車となり、またもや似たような将棋となった。中盤で森君の攻めが息切れ模様となり、終盤も少し難しいところはあったが、全体的にうまくまとめて快勝することができた。これでベスト8。
 O関は現役4年の平林君に敗れていた。


本戦準々決勝:対西野君(平成26年卒)

 準々決勝は予選敗退していたはずの西野君と対戦。(西野君は予選1勝2敗で予選落ちしたはずだったのだが、現役が8名集まらず、やむを得ずOBからもう1名ということで、西野君が予選通過となった。)
 西野君との対戦は2023年2月以来で、その時は逆転負けしたこともあって、今日は用心して対戦に臨んだ。
 戦形は西野君の四間飛車対私の右四間飛車。何故か今日は成り行き上全局このような戦形になったのだが、序盤は作戦勝ち模様だと思っていた。
このまま手厚く抑え込んで勝つはずであったが、当然ながら西野君が反発して抑え込み返しに来られた。それでもずっと悪いと思っていなかったのだが、終盤、駒を補充しようと守りに手を入れたのが緩手でチャンスを逸し、西野君に受けの好手が出て寄らなくなってしまい、最後はしっかりと負かされた。

・・・ということで、今回は残念ながら決勝に勝ち残ることはできず、ベスト8で撃沈。2月に慶應名人となった現役2年の鈴木君もベスト8で荒木君(」現役1年に敗れた。

結局、決勝戦に勝ち残ったのはエース堀内君(1年)と荒木君(1年)というフレッシュな顔合わせに。準決勝の堀内ー平林戦を観戦していたのだが、平林君はあと少しで堀内君に勝つ寸前まで行っていただけに、もったいなかったように思う。堀内君の粘り強さが光った1局でもあった。現役の特に若手が強い慶應は来年以降も楽しみである。

帰宅後いつものようにAI解析して、反省すべき点を振り返ってみたが、やはり敗れた将棋は実力不足としか言いようがない。また次の大会に備えて地道に頑張りたいと思う。

2025年2月16日(日)

昨日から将研三田会の熱海合宿に行って来た。昨年は慶應名人戦決勝戦に勝ち残ったために、合宿で決勝戦を指す檜舞台で緊張感があったが、今回は決勝に勝ち残ることができず、ベスト8で撃沈したこともあり、観戦者として気楽に参加する予定であった。
 熱海駅に到着する直前、目薬を持参するのを忘れたことに気づき、駅前を少し散策したが、ドラッグストアを見つけることができず、ふと駅ビルに戻ったら駅ビルの2階に普通にドラッグストアがあって助かった。

 ホテルに到着してからは、いつもならば何局も将棋を指しまくるところであったが、今回現在書き途中の原稿について図面の添付の仕方含め、色々と確認したりしているうちに夕方のミーティングとなり、その後夕食へ。昨年は決勝戦の対局を控えていたためにバイキングも控え目にしたが、今回は翌日三島の鰻が待っているということでまたもやバイキングを控えまくってしまった。夕食直後から空腹感がつのっていた。

 夕食後は慶應名人戦決勝戦。今年は堀内君VS荒木君という現役1年生同士のフレッシュなカードとなった。将棋は荒木君得意の三間飛車に堀内君が居飛車穴熊で対抗したが、荒木君が序盤から積極的な指し回しでリードを奪う。終盤、何度か堀内君に強靭な受けが出て、攻め切るのは大変かなと思ったが、終始荒木君は攻めの手を緩めず、堀内玉を寄せ切って結果的には荒木君の会心譜となった。
 
 慶應名人戦決勝の後は、恒例の現役対OBの団体戦。O関から事前にOB代表で出るように言われたが、今年は現役が非常に強いこともあって、OB側の苦戦が予想された。O関の陰謀(?)もあって、自分の相手は慶應名人になったばかりの荒木君に決まった。
 荒木君との将棋は荒木君のゴキゲン中飛車対私の玉頭位取り。中盤、荒木君に見落としがあって、こちらが優勢になったかと思いきや、暴れるしかなくなった荒木君が猛攻を仕掛けてきた。余せるだろうと思った荒木君の攻めが思いの外うるさく、こちらは受けに適さない大駒しかなく、受けきれずに最後は圧敗。対局直後に真後ろでAI解析しながら観戦していた阿部に評価値等を見せられ、実は全然自分が優勢ではなかったと知って愕然。まぁあまり精度の高いAIではないだろうと思ったので、先ほど帰宅してから改めてAI解析したら、荒木君の攻めがうるさいと思われた局面でも実は結構攻めが細かったことが判明。
こちらが優勢だったわけでもなく、荒木君が優勢だったというわけでもなく、思ったよりも難しい形勢が続いていたようだ。力強い受けの手が見えていればまだまだ頑張れたのだろうが、受けの力が足りなかったという他ない。

 他の結果はOB上位陣が悉く現役上位陣にボロボロにされ、辛うじて下位陣でOBが少し勝った結果、OBからみて4勝9敗となった。かつてはOB対現役の対抗戦はどうしてもOB有利になる傾向にあって、現役に負けたOBは1晩ネタにされていじられる、という時代もあったが、もうそれは過去の話。今の現役の強さを強烈に見せつけられた結果となった。

 その後は田村さんと練習将棋を指した後、O関が部屋に戻ってくる前に早く寝ようということで、同じ部屋の先輩方とO関対策で一致していた。
 皆早く寝てO関の鼾にやられないようにしたつもりが、自分は深夜1時の消灯後も全然寝られず、結局O関の鼾にやられ、昨年と同様の被害を受けることに(苦笑)。

 そんなこんなで朝は寝不足だったが、何とか6時半には起きて、無事に朝飯に向かった。昼に三島の鰻が控えているため、朝食も控えめに抑えた。
 その後はO関と何局か練習将棋を指し、合宿終了となった。

 そこからは徒歩で熱海駅まで向かい、三島へ移動。三島から三島広小路駅まで1駅移動して、念願の鰻屋(桜家)へ。桜家の鰻重(2匹)は鰻が2段も敷き詰められた豪勢な鰻重で、バナナマンのせっかくぐるめで放送された際、非常に美味しそうだったので、昨年からずっと楽しみにしてきた。迷うことなく鰻重(2匹)を注文したのだが、食べてみて改めてその美味しさに感動!ところが食べているうちに明らかにボリュームに圧倒され、段々胃に負担がかかっていることに気づいた。結局鰻とうまきは食べきったものの、少しご飯だけ残す羽目に。
 食べ終わってからはもう完全に胃がやられている感じで、しばらく食べ物は見たくない状態に陥ったので、そこからはひたすらレク。三島大社→三島スカイウォークと観光名所巡りを続けているうちに、ようやくソフトクリームを食べる元気が戻ってきた。ソフトクリームもかなりヘビーな感じで食べるのが大変だったが、非常に濃厚なソフトクリームで美味しかった。

 帰りは三島から新幹線だが、少し予定より早く帰ろうとこだまの便を変更しようとするも、思いの外こだまの予約が埋まっていて、便変更に苦労した。去年はそこまでこだまの帰りの便なんて苦労しなかったのに・・・と今年の三島・熱海観光熱の凄さをここでも痛感。

 何とか先ほど帰宅してAI解析も終了。明日からはまた普通に仕事だが、疲れを溜めないように今日はゆっくり休もうと思う。



歴代慶應名人戦の歴史

(以下、敬称略)

期  年度
(和暦)
 年度
(西暦)
 優勝者 卒業年次  対戦当時 準優勝者 卒業年次  対戦当時
 1  昭和59年 1984年 佐藤 昭和51年 OB 藤平 昭和63年 大学生
2  昭和60年 1985年 久保田 昭和46年 OB 中井 昭和61年 大学生
3  昭和61年 1986年 柏原 昭和56年 OB 高村  昭和47年 OB
 4 昭和62年 1987年 玉置 昭和60年 OB 久保田 昭和46年 OB
 5 昭和63年 1988年 佐藤 昭和51年 OB      
 6  平成元年 1989年 上村 昭和49年 OB 玉置  昭和60年 OB
 7  平成2年 1990年 坂本 昭和56年 OB 佐藤 昭和51年 OB
 8  平成3年 1991年 佐藤 平成元年 OB 勝山 平成8年 大学生
 9  平成4年 1992年 丹羽 平成6年 大学生      
 10 平成5年 1993年 丹羽 平成6年 大学生      
 11  平成6年 1994年 坂本 昭和56年 OB 勝山 平成8年 大学生
 12  平成7年 1995年 村中 平成8年 大学生 岩本 平成13年 高校生
 13  平成8年 1996年 久保田 昭和46年 OB 玉置 昭和60年 OB
 14 平成9年 1997年 高橋 平成11年 大学生 片岡 昭和32年 OB
 15  平成10年 1998年 坂本 昭和56年 OB 任田 平成13年 大学生 
 16  平成11年 1999年 藤原 平成8年 OB 関向 平成10年 OB
 17  平成12年 2000年 藤原 平成8年 OB 北川 平成13年 大学生
 18  平成13年 2001年 小関 平成17年 大学生 任田 平成13年 OB
 19  平成14年 2002年 小林 平成16年 大学生 菊地 平成16年 大学生 
 20  平成15年 2003年 高橋 平成11年 OB 小関 平成17年 大学生 
 21  平成16年 2004年 永井 平成15年 OB 佐藤 昭和51年 OB
 22  平成17年 2005年 関向 平成10年 OB 藤原 平成8年 OB
 23  平成18年 2006年 藤原 平成8年 OB 天野 平成22年 大学生 
 24  平成19年 2007年 関向 平成10年 OB 永井 平成15年 OB
 25  平成20年 2008年 藤原 平成8年 OB 天野 平成22年 大学生
 26  平成21年 2009年 田村 平成9年 OB 斎藤 平成18年 OB
 27  平成22年 2010年 森本 平成20年 OB 原嶋 平成24年 大学生
 28 平成23年 2011年 丸川 平成29年 高校生 田村 平成9年 OB
 29 平成24年 2012年 浅井 平成27年 大学生 森本 平成20年 OB
 30 平成25年 2013年 森本 平成20年 OB 崎玉 平成24年 OB
 31 平成26年 2014年 葛山 平成16年 OB 竹下 平成24年 OB
 32 平成27年 2015年 葛山 平成16年 OB 丸川 平成29年 大学生
 33 平成28年 2016年 丸川 平成29年 大学生 斎藤 平成18年 OB
 34 平成29年 2017年 藤原 平成8年 OB 森本 平成20年 OB
 35 平成30年 2018年 一方井 令和4年 大学生 浅井 平成27年 OB
 36  令和元年 2019年 齋藤 令和4年 大学生 崎玉 平成24年 OB
中止 令和2年 2020年 新型コロナウイルスのため中止 新型コロナウイルスのため中止
 37 令和3年 2021年 齋藤 令和4年 大学生 萩田   大学生 
 38 令和4年 2022年 白井 令和5年 大学生 小関 平成17年 OB
 39 令和5年 2023年 鈴木   大学生 永井 平成15年 OB
 40 令和6年 2024年 荒木   大学生 堀内   大学生 




【参考記録】
@ 慶應名人戦最多獲得記録:通算5期(藤原大王)
慶應名人戦には何期獲得すると永世称号という規定がないが、後付でそのような規定を設けて、藤原大王は「永世慶應名人」ということで良いのかなと個人的には思っている。プロの永世称号はタイトルによって通算5期、連続5期、通算10期など、規定が色々あるが、通算5期でもこの条件に該当する人は藤原大王以外には当分現れないであろう。
というのも2025年現在、他には4期獲得者もいない状況で、他の追随を許さない圧倒的な成績である。ちなみに、コロナ禍に入る前までは、慶應名人戦の優勝賞品は優勝回数にかかわらず毎回左馬の置駒であり、藤原大王に確認したところ、家に左馬の置駒は本当に5個あるそうで、嵩張って大変そうだなと思った。もしも永世慶應名人の記念品をお渡しすることになった場合には、記念品は、藤原大王が愛してやまない左馬の置駒が唯一無二の最善手であろう(笑)。
なお、2位は通算3期獲得された坂本さん。
A 決勝進出最多記録:通算6回(藤原大王)
→これも藤原大王が最多記録である。6回決勝進出され、うち5回優勝は勝負強さも光っている気がする。2位は通算4回(うち2回優勝)の佐藤(厚)さん、森本君。
B 最年少慶應名人獲得記録:高校2年生(丸川君)
→この記録も今後当分は破られない気がする。最年少決勝進出者としては、第12期岩本さんも塾高2年生であった。
C 最年長慶應名人獲得記録:大学卒業後26年(久保田さん)
→優勝時の年齢まで確認できていないが、大学卒業後26年なので、間違いないと思われる。年齢が上がるにつれて、優勝するのはより大変になるので、この記録には敬意を表したいと思う。
D 最年長慶應名人戦決勝進出:大学卒業後41年(片岡さん)
→これは本当に凄い記録。準優勝者の名前が中々確認できず、苦戦したが、卒業後41年も経っての決勝進出は今後破れる人が現れる気がしない。
2位はたまたま私が優勝した時の対戦相手だった佐藤厚さんが51歳で昭和51年卒と同じ数字だったので覚えていた。片岡さん・久保田さん・佐藤(厚)さんを見習って私も頑張りたいと思うが、片岡さんに辿り着くのは無理であろう。
E OB優勝25回、大学生優勝14回、高校生優勝1回
→全体を通してみると、OBの優勝が多いのが目立つが、直近6回連続で大学生の優勝となっている。近年は現役の強さが際立っているのが分かる。
OBの優勝が多い理由も一概には言えませんが、優勝された面々を見るに、OBになってからも将棋を続けた結果、現役の頃よりも強くなった方が多いのかなと感じる。現役の皆さんもあと10年くらいは実力が飛躍的に伸びる可能性があるので、社会人になられた後も、将棋を続ける方は是非とも頑張っていただきたいと思う!


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