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「社民党が、市民に必要とされるために」

(以下の文章は2008年6月『進歩と改革』№678に掲載されたものを加筆・訂正したものです)

「社民党が、市民に必要とされるために」

社民党北海道連合 副代表 山口たか

はじめに

昨年の参議院選挙から早くも、9ヶ月がすぎようとしている。社民党は現有3議席を維持できず、2議席にとどまった。自民党、公明党、共産党も議席を減らしたなかで、民主党が大躍進したのが07年参議院選の特筆すべき点である。では、これからの日本は、民主党中心の政治へ転換するのだろうか。衆議院では、与党335議席、野党が134議席、一方の参議院では野党が134議席、与党が105議席で 逆転となっている。この「ねじれ」といわれる状況にあって、社民党の存在自体が、問われている。

私は、7月参議選において、社民党全国比例区候補として立候補した。結果は、個人票11万票670票で、社民党内第3位、次点という結果であった。参議選をふりかえり、今の社民党に何が必要か、候補という立場からみえてきたことを記してみたい。

 はじめに、私の立候補の経過を記し、その総括として、今後の課題について考えていることのうち、二つのことを記してみようと思う。ぜひ、多くの方のご批判、ご助言をいただきたい。

 私が、社民党に入党したのは、06年9月であり、党歴はまだ2年未満である。学生時代は、ベトナム反戦運動、東大日大闘争を頂点とした学園闘争、70年安保闘争、やがて連合赤軍、あさま山荘事件と続く政治の季節であった。旧左翼に対する新左翼などとも称された全共闘だが、デモ、バリケード封鎖、街頭行動などの実力行動が、正しかったかと問われれば、今は、疑問に思う部分もなくはない。しかし、一方で、既成政党のなかには、学生運動を支援するのではなく、むしろそのエネルギーを、押さえ込もうとするようにしか見えない部分もあり、それ以来、組織=政党に信頼感をもてないまま過ぎた。将来自分が社民党にはいるなどということは微塵も考えになかった。したがって、結婚し、子どもを持ち、共同購入運動から反原発、脱原発へと関わるようになり、91年、札幌市議会議員選挙に出ることになっても、政党に入るという選択肢は私の辞書にはなかった。

3期務めさせていただいた市議会議員を辞めて、市民活動にもどりつつあった時、参議院選挙の話を社民党北海道連合からいただき、これまでの考えを180度転換し立候補を決めた。国政は遠いが、そこを変えねば、地域の変革も部分的なもので終わってしまうという思いは市議の時からあった。また、小泉政権発足以来、働く人の格差や、地方と中央の格差が拡大つづけるなかにあって、ワーキングプアーやネットカフェ難民は、自己責任ではない。政治、政策の結果であり、構造的な問題だとようやく分かり始めたところでもあった。愛国心や、改憲を掲げる安部晋三が総理になろうとしていることへの危機感もあった。

しかし、北海道においては2003年以来、社民党の国会議員の議席はなく、その存在自体が有権者から忘れられそうになっていた。政党に参加することに不安が全くなかったといえばウソになるかもしれないが、憲法の危機にあって、護憲や平和を最重要と考える私にとって選択肢は「社民党」しかないことも事実だった。

候補として、闘ってみて感じたことは、やはり選挙は、労働組合の活動家や元党員という方たちの力による部分が大きいという印象だ。全国比例の選挙だが、実際には、各地ごとに重点候補必勝への取り組みがされていた。それは当然であり、私は、北海道重点候補だから、全道各地へ出向いた。受け入れ地域での集会やあいさつまわりでは、党員、元国労、元全林野、元教職員組合、元自治労など、労働組合の活動家が中心であった。その方たちは、コアとなるメンバーではあり、本当にがんばってくれた。

しかし、さらにもう一回り外への広がりをつくることが不十分であったと思う。NPOや、福祉関係や、女性、人権など分野で活動している団体や農業者、漁業者、などへの働きかけが薄かったと思う。地域割りは、社民党内での組織割であり、私のような、組合出身でもなく、党員歴も浅い者にとっては、北海道と言う地域の、しかも組合、党員中心だけでは到底当選には及ばないことは自明であった。そこで、全国の市民運動の仲間や、所属するカトリック教会、有機農業・自然食関係のつながりを求めて全国を回ったり、ニュースレターを出すことにも力をいれた、その方たちは、ほとんど、政党とのつながりがない方たちであり、党の決めた重点候補という情報すら届かないところにいる人たちだ。しかし、それぞれの活動分野において、問題を抱えており、現状の政治で解決できないこと痛感している。そんな方たちへ、憲法9条はもちろん、信教の自由=政教分離も、自民党改憲案では、あいまいにされていることから、憲法20条が危ないということも訴えた。

全国何ヶ所かで、山口たかサポーターズという勝手連もでき、その故か、教会関係の方の支援や大阪などでは、小田実さんとのつながりのある市民運動の応援もいただいた。北海道ゆかりの全国比例女性候補が自民、公明、民主、共産と非常に多かったことも敗因のひとつではあるが、労働組合以外にどう広げられるかが、取り組まれるべき課題だったはずだ。(候補の資質や力量という問題を横において言えば)

今、メディアなどでは、自民党と民主党しか存在しないように見える。選択肢は二つしか示されていない。自民党はその役目を終え消え去る政党だと考えるが、では一方の民主党はどうか。年金問題や道路特定財源問題で、存在感を示しているが、重要な安全保障や、外交や、経済で、党のなかで政策的統一がされていない。いみじくも福田首相がぼやいたように、誰と話せばいいのですか!と。有権者は、憲法を守る民主党を選ぶのか、改憲をさけぶ民主党を選ぶのか。日米同盟を重視するという議員もいれば、アジア重視を叫ぶ議員もいる。生活が第一だというが、小澤代表の大連立構想や、国連決議を前提とする自衛隊の海外派兵恒久法の制定発言などを考えると、総選挙後の政界再編も予想される。一体どの顔が民主党なのかが、有権者にも見えない。自民党の支持率がジリ貧であるが、民主党の支持も伸びているわけではないことが各種の世論調査から伺える。浮遊する、無党派層の行き先はどこなのか。

私は、新自由主義に対して、共生や平和の理念を掲げる社民党の理念は、必要なものであるし、むしろ一層存在感が増していくべきはずだと考える。増大する非正規雇用や、切り下げられる労働条件など、働く者の権利が奪われ暮らしが脅かされているからこそ、社会民主主義が反撃しなければならない。しかし、今のままでは、社民党が、それらの人々を受けとめる党として公認されてはいないだろう。

すでに、先輩諸氏が様々媒体で議論し、提言もされているが、12月の社民党全国大会で壇上から質問したことと重複するが、新米党員の乏しい経験から、小さい提案をふたつほど述べたい。

ひとつは、今後、だれとどうパートナーシップを組むのかという問題である。どこに軸足を置く政党になるかといいかえてもいい。組合がいいとか悪いとかではなく、現実を直視するなら、北海道は、民主党の結成により、ほとんどすべての党員と組合と議員が民主党に移行した。当時、私は札幌市議会議員だったが、全員が民主党に移る中でたったひとりだけが社民党に残りがんばっていたのを記憶している。当事者ではなかったので、真剣に、党の解体や政治家の離合集散について考えたことはなかった。党員にとっては、人生を左右する苦しみの時期だったということには思いが及ばなかった。現在、労働組合は連合傘下にあり組織として社民党支持の労働組合は少ない。党員の多くは、職場のなかで、なんとか志を同じくする人々と連帯しようと模索し、苦闘している。しかし、元社会党員や社民党支持者のなかには、組織が民主党支持なので、影で応援すると言う人も多い。ということは、自分以外の他者に、語り、投票依頼することは難しいということだ。一人がもう一人二人に語りかけていくことで票を二倍にも三倍にも積み上げることが選挙で勝つことだと思うがそれができない。

 党大会では、又市幹事長(当時)は、当然働く人々こそがパートナーであり、それが、社民党の原点であると発言されたと記憶している。働く人の党という社民党の存在意義は、変わることはないとは思う。これからも労働組合とのつながりを探ったり、可能なかぎり共同行動を積み上げる努力は必要だ。しかし、一方で、多くが民主党支持であり、労働界でも民主党への一本化を進めようようとしている中、これらの組合が、今後、組織として社民党支持に変わることも考えにくい。 

 私は、ウイメンズユニオンの執行委員もしている。小さな女性のための労働組合であり、労働界では、無名の存在だが、私の数少ない推薦母体である。連合推薦の候補にもなることはほとんどありえないから、どこに根拠を置くのかといえば、やはり、市民運動の中に、組織すらもたない働く人々の中に、高齢者や障害者や女性や子ども、、、、「強い人、大きい人」ではない人々のなかにこそ存在意味があるのではないか、と私は考えている。働く人々が、まっとうに暮らせる社会にしなくてはならない。今、インディーズ系と言われる労働組合が全国で沢山誕生している。連合と敵対するわけではないが、派遣や非正規労働で働く人たちが、異議ありの声を挙げはじめている。そのような人々の活動を国会の内や外で支援、連携する。市民運動の課題を取り上げ、時に、立法化を促す政党がもっと議席を増やすことがどうしても必要だ。

 そもそも、市民運動を始めるきっかけは、人それぞれ違うだろうが、根底にあるものは、今の政治やしくみで解決できないことが見えてきたとか、わが身にふりかかってきたとか、行政に働きかけても、何もしてもらえなかったとか、やむにやまれず、自分たちで行動を始めることが多い。それだけ、切実であり、既成の組織では問題解決できないことを痛感し、政党にも失望している人々だ。社民党の役割は、その人たちと協働することで、政治に風穴をあけていくことだと思う。具体的にどう協働できるか、それは課題を共有するために、みすからも積極的に市民運動の中に入っていくことだと思う。これまで、主体的に、運動に入っていったか、どれほど交流したか、議論したか、話を聞きにいったか、党員、組合員の必死の努力がありながら北海道の市民運動においては、社民党はほとんど見えない存在だった。せっかく、NPO法の成立や非正規雇用の問題に社民党が早くから取り組んでいたにも関わらず労働運動のなかでも、北海道の市民運動のなかでも、社民党の評価をほとんどきかない。いや、見えないのだ。

 そこで、ふたつ目である。今の日本に必要な社会民主主義であり社民党であり、市民の中へ、市民運動と共に歩くことが、脱皮へのパワーアップであると考えるのだが、そのことをもっと見せていかねばならない。社民党は何をめざし、何をしようと考えているか、選挙だけでなく、日常的に見せていくことが不可欠なはずだ。すなわち、社民党の可視化。これが第二の課題である。どんな理念がすばらしくても良い政策であっても、知られなくては応援してくれるはずもない。その一因は、メディアへも、市民へも働きかけが弱いということに他ならない。では、どう取り組むか。私の力量では起死回生の戦術があるわけではないのだが、4つ述べてみたい。

1点目が、軽いフットワークで街宣しようということである。大きな選挙用の街宣車でなく、軽自動車で、住宅地のなか路地裏までも行く。女性でもいつでも運転できる。そんな、道具としての街宣車の使用だ。選挙の時だけでなく日常的に、社民党の街宣車が街にいることが重要だ。

2点目が、機関紙をはじめとした表現の問題だ。ブルーに白が、社民党カラーであるが、もっとカラフルに、もっと楽しく政治したい。街頭宣伝ののぼり旗でも「護憲」という字づらがそもそも、いかめしいし、近寄りがたい印象を与えている。「愛」でもいいし、「共に生きる」でもいい。社会民主主義をしなやか言葉で表現したい。

3点目は、ITの活用である。強制はできないが、パソコン使用の党員は自身のブログを開設する。日本中の党員や支持者が、毎日、パソコン上で、社民党をアピールする。今、北海道では、「知って目覚める社民党釧路」のブログと、「エダさんの生き生き社民党ライフ」「山口たかの毎日元気」があるが、それなりの反応もあり、アクセスが増えている。エダさんが、述べている「ブログを書くことで、物事を見る力が養われることがわかった」と。ホームページの充実も欠かせない。これらは当然のこととして、他の政党はとっくに取り組んでいるのだが、社民党においては、遅れをとっている分野だ。特に若い人には、ITが不可欠だ。ケータイでブログにアクセスできるようにすることももちろんやるべきことだ。

以上の3点は、かなり狭い意味での可視化だが4点目として考えることは、支援者のすそ野を拡げる試みである。ひとつは芸術文化分野への取り組みである。美術や舞台、音楽などの分野で、イベント、コンサート、美術展など。政治的メッセージに限らない、人の世の切なさや愛の悲しみでもいい。人の営みとしての文化を支援する。もうひとつ考えることは、地域に開かれたショップと事務所だ。アジアの女性を支援する第三世界ショップでもいい、フェアトレード(公正な貿易)ショップでもいい。利潤はなくてもいいが、問題提起になる店と一体化した事務所の設置はどうだろうか。これは、自治体議員の事務所などからスタートしてみてはどうだろうか。

以上、思いつくままに記してきた。長い活動を積みかさねてきた党員の方からは、邪道にも、政党活動からの逸脱のようにも見えるかもしれない、しかし、今、できることは何でもやってみる。小さいことから大きいことまで。そのことによって、可視化がしかも、今までと一味ちがう社民党が見えてくる。

私は、子育てのなかで感じた、食の安全性のことー農薬や添加物だらけの食品を与えたくない、という思いから、北海道生活クラブ生協の設立に参加し、理事を務めるようになった。あなた作る人、私食べる人という関係ではなく、生産者と顔の見える関係をつくること、生産者と消費者の協働だ。当時、牛乳部会に属して、低温殺菌牛乳の開発に関わっていた。その時のことで、今も思い出すことがある。それは、厚生省がロングライフ牛乳を認めた時のことだ。牛乳は、搾乳し、通常130度で数秒殺菌する。冷蔵が義務つけられているが、私たちは更に低温殺菌の自然により近い牛乳を求めていた。しかし、厚生省は、さらに超高温の殺菌をして、常温で流通させようとしていた。そのことによる、牛乳の品質が変質する、もはや、生鮮品でなく工業製品だ。その情報を知った時、私は、デモをすることを提案した。しかし、ある人が言った言葉は、目からウロコだった。即ち、デモだけが社会運動ではないということ。超高温殺菌に対する低温殺菌牛乳をつくり共同購入することが市場への異議申し立て運動であり、超高温牛乳への大きなアンチテーゼということだ。会員を増やすための戸別訪問の時、私たちは言う。生産者に、希望のものを作ってもらうためには、購買力を結集することが不可欠だ。だから、あなたが必要だ!いっしょに購入しよう、それが、組合員拡大の論理だった。そのことは、社民党のさらなるパワーアップにも、あてはまるのではないだろうか。生活や平和が脅かされている今だから、あなたが必要です!と、相手の心に響く言葉を届けることができたら、、社民党への共感の輪がきっと広がると思うのだ。自信を持って、これからも語っていきたいと思っている。