諸先輩のみなさまへ
夜風に秋を感じる季節になりました。皆様いかがお過ごしでしょうか。永年にわたり党を支えてこられた諸先輩の皆様に、心から敬意を表します。
社会新報を通じてのお手紙、どうぞお許しください。
少しだけ、お話を聞いて頂けたら幸いです。
私と党との出会いは中学生の頃までさかのぼります。ある日、帰宅すると、テレビには、市民に向けて戦車が銃口を向け、警官隊が座り込む市民を排除する映像が繰り返し流れていました。1989年の「天安門事件」です。国民に銃口を向ける戦車を見て、「軍隊は国の体制を守っても、国民を守らない」と直感的に理解しました。私の思春期、新聞は「湾岸戦争」「自衛隊の海外派遣」を伝え、時代は右傾化していきました。
そんなとき、頼もしい存在だったのが社会党でした。不正義に向かって“おかしい”と言える、そんな私にとっての「正義の味方」が社会党だったのです。
そんな私でしたから、1992年12月12日、宮沢内閣総辞職の日、高沢寅男衆議院議員の事務所を訪れたことは自然なことでした。ニコニコ現れた“社会党の寅さん”は嫌な顔ひとつせず、初対面の私に傍聴券をあてがってくれました。宮沢内閣が議場で総辞職する瞬間、10代の私は“政治は変えられる”と確信したのです。
それからいつも、党は私の側にありました。本能的に選んだ“自分が幸せに生きるために必要なもの”が社会党であり、今の社民党なのです。困っている人、弱い立場の人、しんどい思いをしている人の側に寄り添っている、それが社民党です。
今、ずいぶん、この党は小さくなってしまいました。わずか、国会議員が5人です。しかし、私は知っています。社会党は、社民党は、ずっと信念を貫き、私たちの側についていてくれた、と。もう一度、あの頃の元気な党の姿を見てみたい。それが私の望みです。国会の中で、人々の人権が、平和が傷つけられようとしたとき、体をはって止めようとした、頼もしい党の姿を。
「変わらなくてはならない―——」誰もが考えている想いです。この想いをカタチに変え、日本のリベラルがもう一度復活し、「やさしい社会」を実現したいと思います。その起爆剤に社民党がなれると信じています。全国には700名を超える自治体議員がいます。諸先輩方の「歴史と叡智」、私たちの「感覚とアイディア」このふたつが融合するとき、社民党が復活するのだと思います。
「社会民主党宣言」の理念である「自由・平等・共生・平和」を根幹に置き、社民党を“リニューアルオープン”させてください。多様性が大切な時代だからこそ、多様な声をきちんと政治に届けます。
私をはじめ、全国の仲間が全力で取り組む決意であることをお伝えし、ペンを置きたいと思います。
寒さが増す今日この頃、くれぐれもご自愛ください。
石川大我と若者たちの政策<労働・環境・平和>(抜粋)
▼あらゆる人の「働く」が平等な社会へ
働く現場では、女性や少数の人が平等に扱われていません。少数者の立場を活かし、雇用における包括的な差別禁止法の制定を政策の一丁目一番地に据えます。未批准のILO中核的条約111号(雇用及び職業についての差別的待遇に関する条約)の批准を掲げます。
▼今こそ「環境技術」外交の促進を
諸先輩方が公害に対する広範な運動を組織した結果、日本の公害に対する科学技術は高いレベルにあります。日本の優れた環境技術の輸出促進を提唱します。環境外交には、安全保障の観点からも有効です。
▼日本ブランド」憲法9条を活かすためのあらゆる努力を
憲法9条は今や「日本ブランド」です。国の“信頼の源”である憲法9条を護り、次世代に伝えます。党首直轄で「『日本ブランド』憲法9条を活かす外交・安全保障研究会」を立ち上ます。
石川大我(いしかわ・たいが)プロフィール
1974年7月3日生まれ。東京都豊島区生まれ。明治学院大学法学部法律学科卒。元福島みずほ秘書。2000年から同性愛者であることを公言し、権利獲得を目指して活動などに注力。2011年の統一地方選挙で日本で初めてゲイであることを公表した議員になる。米・ルース大使(当時)と会談するなど社民党の枠を越え活躍している。
著書:『ボクの彼氏はどこにいる?』(講談社)ほか多数。
メディア出演:NHK教育テレビ「ハートをつなごう」「ETVワイド」、朝日新聞「ひと」欄ほかTV・新聞・雑誌掲載多数。