野口建築事務所 |
Noguchi Architect & Associates |
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「美」という字は、「羊」と「大」の二文字の組み合わせである。草原に羊がたくさん集まっている様子を表していて、その羊の群れを見て、調和がとれ統一されているのが「うつくしい」と古代中国の人たちは感じたのであろう。 ところが、別の説もある。「羊」は宗教的祭礼にささげられる動物で、「犠牲」の意味が含まれている。例えば「義」は「我の責任の限りの犠牲」であり、「善」は「儀式の祭具に盛る限りの犠牲」、そして「美」は「大いなる犠牲」の意味である。「美」には、共同体の命運などに対し、人間として行える最大限の犠牲、つまり己が命をささげるという含意があるのだという。 それでは、その「美」という字を使った表題で今話題の、安部晋三氏の著作「美しい国へ」は、どちらの意味であろうか。新書判232ページ、原稿用紙300枚ほどのこの本の中で、「美しい」という言葉は意外なことに4回しか出てこない。 |
1. 「来年、桜が咲く4月頃が1番美しいかどうか」(父、晋太郎がゴルバチョフに訪日を誘った言葉) 2. 「人々の心、山、川、谷、みんな温かく美しく見えます」(曽我ひとみさんが佐渡に24年ぶりに帰ったときのあいさつ) 3. 「私たちの国日本は、美しい自然に恵まれた、長い歴史と独自の文化をもつ国だ」(この本の最後のページに安部氏自身が書いた文) 4. 「如何にして死を飾らむか/如何にして最も気高く最も美しく死せむか」(陸軍特別攻撃隊、鷲尾克巳少尉の日記よりの引用) 前の3つは普通の「美」で、4つ目が自己犠牲を含意した「美」であろうか。 安部氏は鷲尾少尉の言葉に続けてこう書いている。「たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ」 安部氏のいう「美しい国」とは、どうやら後の意味のようである。 私たち民草は、のんきに草を食べていると、“羊群声なく牧舎に帰り、手稲(ていね)の頂きたそがれこめぬ・・・” 知らぬ間に祭壇にささげられているかもしれない。 建築家 野口政司 2006年10月20日(金曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より |
美しい国へ |