野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


『おんなのことば』
茨木のり子詩集
出版  童話屋
女のひとが花の名前を沢山知っているのなんか
とてもいいものだよ
父の古い言葉がゆっくりよぎる・・・・
いい男だったわ 
お父さん
娘が捧げる一輪の花
生きているとき言いたくて
言えなかった言葉です
       (茨木のり子「花の名」)
 昨年の秋、紅葉が色づき出した神山森林公園での女優日邑ともゑさんの朗読は、大好きな詩人、茨木のり子さんの詩から始まった。
 私は数日前に、高知のイタリア料理店で日邑さんとお会いしたときのことを思い出していた。少女のころ、お父さんの自転車の後ろに乗っかって、よく映画を見に行ったこと、映画好きが女優になるきっかけだったことなどを懐かしそうに話してくれた。お父さんが亡くなったとき、茨木のり子さんの詩「花の名」に出会い、悲しみを乗り越えることができた、と飾らぬ言葉で語られた。
 その「花の名」を神山森林公園で聴き、日邑さんの心のこもった朗読に、私は思わず涙を流していた。言葉の持つ力、人の心に染み込んで魂を呼び覚ますその力に感動したのであった。

 終戦時に19歳だった茨木さんは、その時代を次のようにつづった。
    わたしが一番きれいだったとき
    だれもやさしい贈物を捧げてはくれなかった
    男たちは挙手の礼しか知らなくて
    きれいな眼差しだけを残し皆発っていった・・・・
    だから決めた できれば長生きすることに
    年とってから凄く美しい絵を書いた
    フランスのルオー爺さんのように  ね
                (「わたしが一番きれいだったとき」)
 茨木さんの詩は、さっぱりとした語り口の中に深い情感を漂わせている。時代と向き合いながら、明るく自立していく女性の姿が生き生きと描かれている。
    ぱさぱさに乾いてゆく心を  人のせいにはするな
    みずから水やりを怠っておいて
                       (「自分の感受性くらい」)
    もはや  できあいの思想には倚りかかりたくない・・・・
    倚りかかるとすれば  それは椅子の背もたれだけ
                           (「倚りかからず」)
    どこかに美しい村はないか
    一日の仕事の終わりには一杯の黒麦酒(ビール)
    鍬(くわ)を立てかけ籠(かご)を置き
    男も女も大きなジョッキをかたむける
                                (「六月」)
 20日の夕刊で茨木のり子さんが逝ったことを知った。79歳。今ごろは、大好きなお父さんやルオー爺さんとあの世でおいしそうにビールを傾けているのではないだろうか。

 建築家  野口政司
 
2006年2月25日(土曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
わたしが一番きれいだったとき