野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


ギリシャ・パルテノン宮殿
 30年ほど前に、韓国のハンセン病の回復者たちの村へ、ワークキャンプに行ったときのこと。その村の人たちが使っているまな板を見て驚いた。まな板は無垢の木の1枚板とばかり思っていたのだが、その村では3枚の板を寄せ合わせてまな板にしていた。つまり7センチほどの幅の板を集めてまな板にしていたのだ。
 一緒にキャンプしていた韓国の学生に訪ねると、韓国では木が貴重品で、大きな木がなかなか手に入らないとのことであった。そう言われて周りの山を見渡すと、確かにほとんどの山は岩がむき出しになっていて、細い木しか茂っていない。
 学生たちは、日本から豊臣秀吉が攻めてきたときに山が焼き払われ、それ以来はげ山になったままだ、と冗談ともまじめな話とも言える顔つきで語ったのであった。
 よく似た話がヨーロッパにもある。パルテノン宮殿はギリシャ文明の象徴であるが、かつては森の中に美しく建っていたそうだ。現在の状態を写真で見ると、ごろごろとした岩の上に廃墟として残されている。
 ギリシャ文明は、ヨーロッパ文明の原点とも言えるものだ。ギリシャは人口の増加により、その森の樹木を伐り倒して畑や牧場にしてしまった。地中海の強烈な日差しにあぶられて、土はすぐに乾いてしまい、数年は作物ができても、やがて土は風に吹き飛ばされ、岩が露出してしまう。森がなくなり、畑もなくなり、そしてギリシャ文明も滅んでしまった。
 ヨーロッパの人たちは、森の重要性を1つの文明を失うことで学んだと言えるであろう。
 それに比べて、日本は恵まれている。司馬遼太郎は 『樹木と人』 の中で「神の不公平」という言葉でヨーロッパ人の日本の森への思いを述べている。日本では山の木を皆伐しても、30年もすれば元の緑の山に回復する。温帯モンスーンの気候、特に梅雨と台風の雨が樹木を太らせるのだ。
 ところが、ところがである。現在の日本では木が使われないことにより森の荒廃が進んでいる。去年の台風で、貯水率ゼロだった早明浦ダムが一晩のうちに120パーセントまで達したのを覚えている人も多いと思う。地元の人の話では、今までにこんなことはなかった。山の力が急速に衰えていると言う。いわゆる緑の砂漠化が、想像以上に進んでいるのだ。
 ヨーロッパでは森を伐り開くことで文明が滅び、日本では木を使わないことで森が滅びようとしている。
 長い年月、自然の循環の中で森と共生してきた私たち日本人の“森の民”としての知恵を思い起こすときではないだろうか。
 文明とは簡単に滅びるものなのである。

 建築家野口政司
 
2006年2月10日(金曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
森と文明