野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


 出版 求龍堂
 毎年、正月はゆっくりと一冊の本を読むことに決めている。今年は染織家志村ふくみさんの「一色一生」(求龍堂刊)。
 志村さんの作品は、日本伝統工芸展で幾度も目にしているのであるが、最初に出会ったのは、京都の醍醐の近くにある木工家黒田辰秋氏のアトリエであった。
 飛騨高山の民家を移築した黒田さんのアトリエの2階には、柳宗悦氏らと日本や朝鮮の民具を見て回ったときなどに集めた無名の工人の作品が置いてあった。また黒田さんと縁のある工芸家の作品や著書も収蔵されていて、ある時期、私はこのギャラリーに出入りすることを許されていた。そこで志村さんの仕事を知り、そして何より黒田辰秋作品集の装丁の布が、志村さんの織った裂(れつ)であった。
 志村ふくみさんは染織家を志したときに、まず陶芸家の河井寛次郎氏を訪ねている。子供を抱えながらの片手間では材料と時間の浪費だ、と寛次郎に厳しくいさめられ、志村さんは意気消沈してしまった。見かねた母親が、旧知の黒田辰秋氏に会うように勧めた。
 訪れた志村さんに対して、黒田さんは自分の仕事への思いを語り、こんな苦労の多い気の遠くなるような仕事の道にあなたは迷い込むなよと言われているようでもあり、どうでもこうでも引きずりこまずにはおかないというようでもあったという。仕事は地獄だといい、仕事は浄土だといいながら、志村さんの心に火をつけたのだという。
 それから1年後に黒田さんの勧めで、日本伝統工芸展に応募することに決めた志村さんは、渾身(こんしん)の力を傾けて1枚の布を織り上げた。そしてその作品が入選したとの知らせを聞いた母は、大工さんのもとに走ったという。「織小屋を建てておくれやす」と。
 植物の生命を結晶させた色に糸を染め、それを紡ぐのが志村さんの仕事だ。日本の女性を最も美しく見せる藍染めの着物をつくろうとの思いから、やがて吉野川流域で育った藍との格闘が始まる。
 藍を建て、染め、守る。一生かかってその色が出せるかどうか。
 「一色一生」は、祈るように取り組んだ藍染めから生まれ、そして志村ふくみの仕事全体を象徴する言葉として、彼女の本の題名になった。

 建築家 野口政司
 
2006年1月11日(水曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
一色一生