野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


平櫛田中館 (東京都小平市)
 木の葉が色づき始めた玉川上水の散歩道を歩く。ケヤキの色がとりわけ鮮やかだ。クヌギやコナラ、エノキ、そして名も知らぬ樹木も負けじと色を染め出している。
 せせらぎの音を聞きながら、秋の朝の空気を吸い込む。と気が付くと津田塾大学の少し東側にある、端整な姿をした瓦屋根の建物に目が留まった。どこかで見たようなと思い、玄関側に回ると木彫家、平櫛田中(ひらぐしでんちゅう)(1872−1979)の旧居、九十八叟院(そういん)であった。
 宝形(ほうぎょう)の屋根が美しいこの建物は、建築家、大江宏の代表作だ。彼の作品集で見て、いつか訪れてみたいと思っていた建築に、このような形で出会うとは。
 この家が完成したのは、平櫛田中が98歳のときであった。それにちなんで九十八叟院(九十八の翁の家)と名づける。そして田中は10年間この家に住み、作品を彫り続け、107歳で大往生している。田中の没後、小平市に寄贈され、平櫛田中館として一般公開されるようになった。
 この家には展示館が併設されていて、岡倉天心に絶賛された「尋牛(じんぎゅう)」、そして「鏡獅子」や「気楽坊」などの代表作が展示してある。
 田中コレクションも見事なもので、親交のあったバーナード・リーチや浜田庄司、棟方志功らの作品も見ることができる。そして1個だけ置かれている李朝の壷の清楚な美しさ。
 平櫛田中の旧居は、木造平屋の書院造りである。玄関先に直径2メートル、高さも3メートル近いクスの木が置いてある。これは、田中が100歳のとき、今後30年間に使う材料をそろえた際に取り寄せたものだそうだ。
 男像の代表作として「鏡獅子」を20年かけて完成させた田中は、女像を構想していた。そのモデルに選ばれたのは、徳島出身の地唄舞の名手である武原はんさんであった。このクスの木は武原はんさんを写し取るためのものであった。完成していれば、どれほどのものができたであろう。
 田中は書もたしなみ、色紙を頼まれると、よくこの文句を書いたそうだ。「六十七十は はなたれこぞう 男ざかりは 百から百から」。
 玉川上水の林を借景した庭に面して、母屋とアトリエが配され、坪庭をはさんで茶屋が置かれている。日曜日というのに訪れる人はまばらだ。現代の書院造りの名作の座敷にひとり、庭を眺める。静かに時間が流れていく。極上の空間とはこのようなものであろうか。

 建築家 野口政司
 
2005年11月17日(木曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より



男ざかりの九十八叟院