野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates



出版 : 岩波書店
 建築の設計、中でも住宅の設計が多いので、住まい手との出会いから私の仕事は始まる。最近印象に残った方のことを紹介したい。
 I さんは、3人の幼子と絵本を読むのが大好きな若いお母さんだ。I さんが、こんな家を建ててほしいんです、とプレゼントしてくれたのは1冊の絵本。『ちいさいおうち』 (岩波 書店)だった。
  「むかしむかし、ずっといなかの しずかなところに ちいさい おうちが ありました。・・・」で始まるこの本は、アメリカの絵本作家バージニア・リー・バートンの代表作だ。
 ちいさいおうちの周りは、木々の緑であふれ、丘にはひなぎくが咲き、子供たちは小川で遊び回っていた。何年かたったある日、いなかの曲がりくねった道を、馬の引かない車が走ってきた。
 自動車だ。そしてひなぎくの丘を崩し、広い道がつけられ、両側にお店やアパート、ビルが建てられていった。

 「『ここは、もう まちになってしまったのだ』 と、ちいさいおうちはおもいました。でも、まちは あまりすきになれないような きがしました。 まちには、 ひなぎくのはなも さかないし、つきよにだんすをするりんごの木もありません」。
 人の生活にどれほど自然が大切かを感じさせてくれるすてきな絵本だ。
 つい先日、I さん一家の住まいが完成した。絵本に出てくる迷路のような間取りの家で、自然素材をいっぱい使ってある。もちろん木を植えられる庭もゆっくり取った。
 子供たちは家に入ると、プレールームやロフトを走り回って大さわぎだ。アニメ 『となりのトトロ』 のさつきとメイのようにはしゃぎ回っている。「娘たちはこの家がとても気に入ったようです。ありがとうございました」と I さんはほほ笑んでくれた。
 この仕事をしていて、最も充実感に満たされる時だ。そして少し寂しい気持ちにもなる。次はどのような人との出会いがあるのだろうか、と思いながら I さんの家を後にしたのだった。

建築家 野口政司
2005年7月13日(水曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
ちいさいおうち