野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


志賀直哉が愛用したインク壷
 白洲正子が黒田辰秋に出会ったのは、京都の宿であった。手にした漆塗りの椀が、あまりにいい味をしているので、おかみに尋ねると黒田辰秋の作だという。"韋駄天(いだてん)お正”と異名をもつ白洲は、早速黒田を訪ねている。
 黒田辰秋は漆も木工もできる工芸家で、1927年24歳のときに民芸運動の理論家の柳宗悦や陶芸家の河井寛次郎らと共に「上賀茂民芸協団」を創っている。共に暮らし、共同で仕事をするという柳の理想に、若い工人たちが応じたのだ。
 この京都上賀茂の僧院のような工房を、志賀直哉や武者小路実篤、芹澤_介、青山二郎、小林秀雄らが訪れるようになる。白洲正子が手にした椀は、志賀直哉の注文で作ったときのものだ。志賀はほかにも黒田の作品をいくつか持っていたが、どれもが黒田の代表作と言えるものばかりだ。
 
 中でも特に私が好きなのは、志賀が愛用したインク壷で、黒田辰秋の工房で実物を見せてもらったことがある。白タモのぶどう杢(モク)でできたこのインク壷は、こぼれたインクがかすかにしみていて、小さいものではあるが、その存在感は格別であった。
 黒田辰秋の作品は、京都百万遍の進々堂や東山四条西の鍵善へ行けば見られる。人間国宝の実作品に触れたり、座ったりできるのは得がたいことで、これも京都というまちの魅力であろうか。
 用の美を説き、無名の工人たちの仕事に光を当てた柳宗悦の民芸運動には、ほかにも富本憲吉や浜田庄司、バーナード・リーチらが協力した。若かった彼らのほとんどが、後に人間国宝になったことを思うと、柳宗悦の眼力と感化力の大きさに驚かざるを得ない。
 彼らの作品は、倉敷の大原美術館の工芸館で見られるし、柳が集めた日本や朝鮮の工芸品は、東京駒場の日本民芸館に収蔵、展示されている。
 私の蔵書のうちで、座右の書は 『黒田辰秋 人と作品』 (駸々堂)だ。装本は芹澤_介、序文は志賀直哉、川端康成、小林秀雄らが名を連ね、解説は白洲正子が書いている。
 白洲正子の師が青山二郎と小林秀雄であったことを考えると、人と人、人とものの出会いの不思議さを今、感じている。

建築家 野口政司
2005年6月13日(月曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
黒田辰秋のこと