野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates



 司馬遼太郎は四国とは縁の深い作家である。代表作の『竜馬がゆく』と『坂の上の雲』は、ともに四国の土佐と伊予出身の主人公が活躍するし、『空海の風景』は讃岐、善通 寺生まれの空海の物語だ。
 四国の明るい太陽と温暖な気候、そしてそこに育まれる素朴な人情が司馬は気に入っていたのではないだろうか。
 次は阿波のことを書いてくれるのでは、と思っているうちに、
出版  朝日新聞社
『韃靼疾風録』(1987年)を最後に司馬遼太郎は小説を書くことをやめてしまった。
 このことについて、井上ひさし氏は、いままでの自分の作品と読者を、作品をやめるという形で切ったのではと言い、自分の作品を愛読していると称する社長たちに「本当に私の作品を愛読してていいんですか」と鋭く匕首(あいくち)を突き付けている、と述べている。
 たしかに司馬が後半生に力を注いだ『街道がゆく』や『この国のかたち』 には、厳しい言葉があふれている。
 
 「かつては個性的で、それなりの文化の伝統をにじませていた地方の小都市が、いまは即席ラーメンの袋のようになってしまっている。戦後、日本の文化はほんとうにコウジョウしたのだろうか」                                     (『街道をゆく』 第3巻)
 自分の本を愛読書の一番にあげる日本の政治家や経営者がこの国の自然やまちの風景を汚し、バブルにおぼれる姿を見て司馬は強いいらだちを感じていたのだ。
  『訴えるべき相手がないまま』 という1984年の講演(『16の話』 収録)では、将来100年後にひょっとすると現れるかもしれない"ひとびと”に対して、地球環境の大切さを語りかけている。
 その“ひとびと”とは、国家やイデオロギーを越えた存在でしかもそれらに影響をあたえうる「無名の、しかも良識のある多数の個人群(ひとびと)」だという。
 晩年の司馬遼太郎の仕事は、そのような“ひとびと”の萌芽を探す旅であったのだろう。

建築家 野口政司
2005年5月28日(土曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
この国のかたちU