野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates



出版 : 草の根出版会
 「お母、おらさ杉苗700本買ってけろ」。虔十のただ一回の願いごとを、父と母は気持ちよく聞いてやった。虔十はいつも縄の帯を締めて、杜の中をゆっくり歩く。風がどうと吹いて、ブナの葉がチラチラ光るとうれしくてうれしくて仕方ない。はあはあ笑ってばかりいる虔十を子供たちはばかにしていた。けれども虔十が植えた杉が美しく成長すると、子供たちは毎日のように林に遊びに来るのだ。
 虔十亡くなったあとも、杉林はみんなに愛され続け、やがて「虔十公園林」と名付けられた。その林は虔十の居たときの通り、お日さまが輝くと新しいきれいな空気をさわやかにはき出すのだった...。
 宮沢賢治の童話『虔十公園林』は、私たちにいろいろなことを考えさせる。
 

 去年の台風で山が荒れたのだろう、杉の木が自分を守るために多量の花粉をまき散らしている。先日の新聞に、山火事かと思って消防隊が出動すると、煙と見えたのは何と黄色い杉の花粉であったと書いてあった。
 今年初めて、鼻水が止まらなくなり、ティッシュペーパーが手放せなくなった私だが、鼻をかみながらしみじみと思った。
 先の戦争で敗れ、唯一残された山河に向かって、無力感に打ちひしがれた父や母のことを。そして自分たちの後に続く、子や孫のために黙々と山に杉の木を植え始めた、無数の虔十たちのことを。
 今、日本の森は"緑の砂漠”と呼ばれる。国土の2/3が森であるのに、木材の自給率は18%を切ってしまった。木が使われず、手入れのされない森から、砂塵’(さじん)ならぬ花粉が舞い散る。
 杉は生長が早く、その名の通り真っすぐ育つので、家の柱や梁、建具などの建材として優れた樹木だ。山の木は、使われることで森が保全される、ということをもう1度じっくり考えてみたい。
 今年の花粉騒動は、見捨てられ、ほったらかしにされた杉たちの悲鳴のようでもある。賢治が生きていたら、どんな話しを書くのだろうか。

建築家 野口政司
2005年4月25日(月曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
虔十公園林