野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates



出版   講談社
 あれから5年の月日が流れようとしている。2000年の1月23日、吉野川第十堰の可動堰化の是非を問う住民投票が徳島市で行われ、結果は投票した人の90%が反対に○であった。
 その1月23日を「吉野川の日」として、川の未来を考える日にしようとの市民たちの企画があるそうだ。
 また可動堰に替わる治水の方法として、森の保水力に注目した「緑のダム構想」が吉野川みんなの会から提案されている。これは下流地域の人たちだけではなく、中上流地域の人たちにとっても安心して暮らすために大切なことであろう。土木事業依存から新たな山の仕事を創出することにもつながる。
 さらに、もっと具体的に、山の木を使うことで森の保全に役立てようとの動きがある。80%以上を外国産の木を使っている日本の木造住宅の現状を見直し、自分たちの住んでいるまちの上流の森の木を使って家を建てようとの活動だ。

 緑の列島ネットワークや本県の里山の風景をつくる会が取り組んでいて、森とまちを結ぶ全国的な広がりへと進んでいっている。
 ところで、先ごろ亡くなった歴史家の網野善彦さんが中心になってまとめた「日本の歴史」全26巻(2000年10月〜03年1月、講談社刊)は、網野さんの私たちへの遺言とも言えるものだ。プロローグは網野さん自信が書いた“「日本」とは何か”から始まる。その本文の最初に出ている写真は、吉野川第十堰を空から撮ったものだ。
 その中で、網野さんは、30万人近い人が一挙に亡くなった広島・長崎への原爆投下により、人類は開発、前進することに疑いを持たなかった「青年時代」から、自らを滅ぼしうることを自覚する「壮年時代」に入ったと述べている。そして思慮深く、知恵のある壮年らしい生き方の1つの芽生えとして、吉野川の住民投票を紹介しているのだ。それは歴史に対する従来の見方を大きく変えるきっかけになった、と。
 日ごろおとなしい徳島の人たちが、あのとき、静かに立ち上がった。その余熱は、今、形を変えて流域全体に広がっているのではないだろうか。

建築家 野口政司
2005年1月21日(金曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
徳島は静かに燃えた