野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


樋口 一葉
 一葉さんにやっと巡り合えた。美登利と信如の初恋とも呼べないほどの淡い憧れの.心を描いた「たけくらべ」で一葉ファンになっていた私は、彼女が印刷された新しい五千円札をしっかりと財布の中にしまいこんだ。
 二十年間使われた千円札の夏目漱石に続いての明治の作家からの採用だ。これまでのお札の肖像は伊藤博文や岩倉具視、板垣退助ら明治維新の元勲が多かったが、一万円札の福沢諭吉らと共に文化人中心への切り替えが定着したようだ。
 さて、一葉に恋心を抱いていたのでは、と言われるほど森鴎外は一葉を高く評価していたが、実は一葉は漱石ともつながりがあった。一葉の終の棲家は、東京本郷の丸山福山町の崖下の借家である。一葉はこの6畳2間と4畳半の小さな家で、後に゛奇跡の14ヶ月"と呼ばれるようになる短期間のうちに、代表作のほとんどを書き上げている。
 一葉が1896年、24歳の若さで亡くなった6年後、漱石の弟子の森田草平が偶然この崖下の家を借りているのだ。
 一葉の旧宅であることを知った草平は、一葉の魂が乗り移ったかのように長編小説「煤煙」を書く。草平と平塚らいてうとの心中末遂事件をテーマにしたものだ。しかし師の漱石は、この小説の出来に不満で、自らこの家を舞台にした小説を書き直している。「三四郎」の中の謎の女美禰子は、平塚らいてうがモデルであり、「門」の中で宗助夫婦がひっそりと住む崖下の家は、草平の家、つまり一葉の旧宅であった。
 ところで、お札に女性が登場するのは、日本銀行券では初めてだ。ヨーロッパでは以前から女性の芸術家らが紙幣使われ
ており、ドイツやデンマークでは男女同数であった。先日発表された15歳の学力調査で、世界40ヶ国・地域の中で最も成績の良かったフィンランドのお札には、建築家のアルヴァ・アアルトと音楽家のシベリウスが描かれている。さすがに文化を大切にしているお国柄がうかがえる。
 ちなみに、アメリカはというと、7種類のドル札すべてが白人男性で、しかも初代ジョージワシントン以下全員が、歴代大統領らの政治家ばかりである。お札に関してだけは、日本はアメリカ追随を免れているようだ。

建築家 野口政司
2004年12月14日(火曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
一葉と漱石