白磁の壷(志賀直哉 旧蔵品)
 
 秋の風にさそわれて京都を訪れた。
 お目当ては、京都国立近代美術館で開かれている「アーツ&クラフツ展−ウィリアム・モリスから民芸まで」である。中でも志賀直哉が身近に置いていた李朝の白磁の壺がぜひ見たかったのだ。
 李朝の陶磁器は、柳宗悦らの民芸運動のルーツであった。会場には、「用の美」の実験の舞台であった三国荘の室内が再現されていて、柳らといっしょに活動した濱田庄司や河井寛次郎、黒田辰秋らの作品が、朝鮮の民具などとともに並べられている。いささか暑苦しい感がしないでもなかったが、少し離れた所に置かれている白磁の壺の清涼さがひときわ印象的であった。

 近代美術館の1階では、ギャラリーコンサートが開かれていた。モリスに影響され、東洋の神秘思想に目ざめたホルストの曲が演奏されている。
 ふと気がつくと、会場の壁に大きな字で何やら書かれている。
 「専願って、
  こんなにたくさん
  男前がいるのに
  ひとりとしかつきあえない
  ということやな、
  つまりは。」
 専願?仏教用語?何だろうと思った。その右側に京都女子大学付属小学校、ノートルダム学院小学校・・・など京都の九つの小学校の名前が書いてある。
 イチハラヒロコさんという新進のアーティストによる、言葉のインスタレーションの作品であった。「専願」のところに「恋愛」や「結婚」などの言葉を入れてみる。
 しかし待てよ、芸術はたくさんの男前とつきあうことができるよなあ、いいなあ、などと考えているうちに最後の曲、「木星(ジュピター)」になっていた。
 さて、各地で美術展がたけなわである。徳島でも10月21日から近代美術館で橋和三郎さんの陶芸展が開かれる。また、18日より「私の好きな和三郎さんの器(うつわ)展」を里まちの家ギャラリーで同時開催する。
 この秋、徳島の陶芸界の第一人者である橋和三郎さんの男前ぶりを見にいく、というのはどうだろう。

 建築家 野口政司
 
2008年10月4日(火曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より

こんなにたくさん男前がいるのに
野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates