野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


地面の底がぬけたんです
出版   
思想の科学者
 「自分の病気を知らされた時ですけどね、もう、なんというか・・・気を失ってしまって・・・立っている地面の底が抜けたんですよ」。
 藤本としさんは縁談がととのった18歳の時にハンセン病(らい病)が発症し入院する。
 1987年、岡山県の邑久光明園で86歳で亡くなるまでに数多くの随筆を残しているが、そのほとんどが晩年になって失明してからの作品である。
 「この病気は生きているうちに二度死ぬっていうんです。一度はライになった時、二度目は失明した時です。」(「地面の底がぬけたんです」思想の科学社)。
 らい菌は感染力が弱く、体力のない幼児に、それも濃厚接触しないとうつらない病気である。つまり母親から子供へ愛撫や口うつしでの食事とかで伝えられるので、遺伝する病気だと誤解されてしまった。
  本当は愛情が細やかで深いがゆえにうつってしまう不幸な病気であった。1943年にプロミンという特効薬が発見され、通院で簡単に治るようになったのに、らい病患者を隔離する政策はなんと1996(平成8)年に「らい予防法」が廃止されるまで続いたのだった。現在全国15ヶ所の療養所に4千人の入所者が住んでいて、平均年齢は77歳に達しているという。
 今年の夏、藤本としさんが4年間過ごした東京都東村山市
の多磨全生園を訪ねた。昔は園を囲む柊(ヒイラギ)の生垣が高さ3メートルもあって、隔離政策の象徴とされていたのが、今は半分程に刈り込まれ、門も開け放たれていた。周りには人家が立ち並び、すっかり風景の中に溶け込んでいたように思う。
 ついこの間もハンセン病患者の宿泊拒否をしたホテルのことが報道されていたが、私たちの心の中の生垣を刈りこむことはまだ十分にはできていないのではないだろうか。
 藤本としさんの随筆は、徳島県出身の北条民雄さんらと並んでハンセン病文学の代表でもある。「闇の中に光を見出すなんていいますけど、光なんてどこかにあるもんじゃありませんねえ。・・・光ってものをさがすんじゃない。自分が光になろうとすることなんです。」

建築家 野口政司
2004年10月27日(水曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より
闇の中の光