野口建築事務所
Noguchi Architect & Associates


 アメリカは、個人にたとえれば強迫的な性格神経症者であると言ったのは、心理学者の岸田秀氏だ(「続ものぐさ精神分析」)。アメリカはメイフラワー号で新大陸に渡ったとき、親切に迎えてくれたインディアンを虐殺し、その土地を奪った。そして虐殺者のピルグリム・ファーザーズを聖者に祭り上げ、虐殺を正当化したため他民族の大量虐殺を強迫的に反復するという病的症状におちいった、と岸田氏は精神分析する。イラク戦争しかり、ベトナム戦争しかり、そしてヒロシマ・長崎への原爆投下しかり・・・。
 1941年12月8日、太平洋戦争が始まる。その時点ですでに日本の敗戦を確信していたアメリカは、翌年夏、コロンビア大学助教授ヒュ―・ボートンに戦後日本の再建、占領政策の立案を依頼する。東京帝大に留学していたこともある米国屈指の知日派のボートンは、京都、奈良のお寺が好きで、法隆寺の百済観音や雪舟の山水画の美しさに感銘を受けていたという(「ボートン回想録」)。
 ボートンが指名されたのは日本にとって幸いだった。当時、アメリカの世論は「日本国民の地球上からの抹消」が1/3を占めていた。それを意味する「国家壊滅・民族奴隷化」から中国やソ連とのアジアでのパワーバランスを重視した「帝国温存論」まで硬軟6つの選択肢の中から、ボートンは自由主義的改革に天皇制のマントを着せるという比較的ゆるやかな「積極誘導論」を主張する。民主主義の基本的な条件を示しつつ、日本人自身が変革を行うよう誘導することをボートンは考えていたのだ(五百旗頭真「日本の近代六」)。
 

 ポツダム宣言(1945年7月26日)の中では「日本国の将来の
統治形態は日本国民が自由に表明した意思によって決せられる」
戦後日本の設計者
ボートン回想録

出版 朝日新聞社
と書かれている。
 マッカーサーの日本占領政策に日本側から応じたのは吉田茂外相(のちに首相)であった。吉田は「戦争に負けても外交で勝てばよい」と考え、グッドルーザー(良き敗北者)を演じ、負けっぷりのよさによって「敗者」としての成功を勝ち取っていく。
 このような経験を経た日本は、国際社会の中でこれからどのような役割を担っていべきだろうか。敗戦から巡ってきた59回目の夏に思う。

建築家 野口政司
2004年8月9日(月曜日) 徳島新聞夕刊 「ぞめき」より





グッドルーザー(良き敗者)