歎異抄に聞く

第9回

いわき市社会福祉センターで行われた歎異抄に聞く会の講義録を掲載いたします
        第2章について(その3)  


  − ( 前 半 略 ) −
親鸞におきては、ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとのおおせをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土にうまるるたねにてやはんべるらん、また、地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもって存知せざるなり。たとい、法然聖人にすかされまいらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからずそうろう。そのゆえは、自余の行もはげみて、仏になるべかりける身が、念仏を申して、地獄にもおちてそうらわばこそ、すかされたてまつりて、という後悔もそうらわめ。いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし。
弥陀の本願まことにおわしまさば、釈尊の説教、虚言なるべからず。仏説まことにおわしまさば、善導の御釈、虚言したまうべからず。善導の御釈まことならば、法然のおおせそらごとならんや。法然のおおせまことならば、親鸞がもうすむね、またもって、むなしかるべからずそうろうか。詮ずるところ、愚身の信心におきてはかくのごとし。このうえは、念仏をとりて信じたてまつらんとも、またすてんとも、面々の御はからいなりと云々



 前回に続いて第2章についてもう少し確かめることにしましょう。
 この2章は、親鸞聖人が京都に戻られて、師をなくした関東の弟子たちの間で、念仏の教えがわからなくなって、信心に動揺をきたしました。自信をなくした弟子たちが、改めて教えを請うために、命がけで旅をしてきたわけです。そこで尋ねられたのは、念仏の教えとは何であるか、という究極の問いであったいえるでしょう。
 その問いに対して、親鸞聖人は、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべしと、よきひとの仰せをかぶりて、信ずるほかに別の子細なきなり」と答えられました。


   《 仰 せ 》
 無量寿経の東方偈に『聞法能不忘』とあります。法を聞いてよく忘れないということですが、能不忘というのは、忘れないというより、忘れられないこととなるということでしょうか。聞法は、話を聞くのではなく、仏法を聞くことです。聞いた仏法がその人の上にはたらいて、その人を生かす。その人の上に仏法が生きてはたらくということです。そのことを、能不忘というのでしょう。
 たとえば、縁起の教えを聞いて、「物事は全て、お互いに関係し合って、それぞれが因と縁によって成立し、同時に又因となり縁となる」ということに納得がいくとします。そのことは、この私がまた、あらゆる事柄、物質、人物、思想、環境等々を因とし、
縁として、この私がいる、と頷くことです。それは、この私は、こうあるべくしてここにあると、自身の有り様を必然なるものとして見出すことです。誰にさせられたのでも、誰のせいでもなく、ここにこうあるのは、自らが選び取ってきたことと納得できれば、如何なる私であろうと受け容れることが出来ます。縁起の教えは、この身にとってどれだけ不都合なことであったとしても、それを必然として受容することの出来る眼を開きます。
 とは言え、それは、この世の中の不平等や不公正や貧困を必然として黙認せよと言うことでは決してありません。阿弥陀さまの願いは、この世が戦争や貧困のない平等な社会となることであり、その願いの実現に参入することが念仏者としての生き方であります。縁起の理法を生きると言うことは、この私を受容し、この世の矛盾や不平等に敏感に対応しつづけることであります。
 聞法能不忘とは、教えが私のうえに頷かれ、その教えを生きることが出来るものとなるということです。そのとき、その聞き取った教えを、仰せというのでしょう。


   《 念仏の伝統 》
 一般的には、仏教は釈尊から始まるといえます。なぜなら、釈尊が仏となられて説かれた教えが仏教で、仏の教えであり、仏になる教えであるからです。
 それには違いありませんが、念仏の教えは、釈尊からではなく、弥陀の本願から始まると見ます。それは、釈尊を、弥陀の本願によって仏となられたと見るからです。そして、釈尊は、その弥陀の本願を我々に説き明かすことをご自分の仕事とされた。そのことを、正信偈では、「如来所以興出世 唯説弥陀本願海 (釈迦如来がこの世に出られたのは、弥陀の本願を我々に説き明かすためであった)」と親鸞聖人はおっしゃいます。
 弥陀の本願が釈尊によって説き明かされたのが、無量寿経、観無量寿経、そして阿弥陀経の浄土三部経であります。
 この2章には、念仏の伝統を弥陀の本願、釈尊、善導、そして法然という時系列の順にしたがって書かれていますが、親鸞聖人にとっては、法然上人の仰せがすべてなのでしょう。法然上人から、「ただ念仏して弥陀にたすけられまいらすべし」との仰せを聞き取られたわけです。そして、その法然上人は善導大師から「衆生弥念必得往生 (衆生、称名念仏して必ず往生をうべし)」という仰せを聞き取られた。そして、その善導大師は、観無量寿経こそ釈尊が真にお説きになりたかった教えであり、『無量寿仏の名をたもて』という仏の仰せを聞き取られた。これこそ、弥陀の本願が聞き届けられ続けた歩みであり、念仏によってたすかった人たちの歴史がここに記されているといえます。
 つまり、親鸞聖人のところにまで、弥陀の本願が至り届くには、法然上人、善導大師、そして釈尊の求道の歩みが必要であったわけです。その恩恵に対する深い謝念が、釈尊から法然上人までのこの記述なのでしょう。


   《 ただ念仏 》
 法然上人から、仰せとして何を聞き取られたのかといえば、何度もふれていますように「ただ念仏して、弥陀にたすけられまいらすべし」という教えであり、親鸞聖人にとっては、これが念仏の教えの核心であったといえるのでしょう。 
 「ただ念仏して、弥陀にたすけらる」この表現は、AしてBというように、Aをすることによって、Bという結果を得ることが出来ると、AがBを導き出す前提条件のように受け取られかと思います。Bを得るための、Aは手段、方法や根拠であるように。つまり、念仏が、弥陀にたすけられる手段や方法であるように読めます。
 しかし、ここの「して」は、「即」という意味で理解するのが、親鸞聖人のお心に適うことではないでしょうか。つまり、念仏して、そして弥陀にたすけられるのではなく、念仏を申すことが、弥陀にたすけられることなのだということです。
 念仏申すことがたすけられるということ、と言いましても、すぐには、そうですかということにはならないかと思います。我々にとって、たすかるということが、不安が無くなったり、不動心を獲得したり、真実に目覚めること等々で表現される時には了解できるのでしょうが、念仏申すことが助かることとは、到底思えないかもしれませんね。
 ところで、仏とは何かといえば、迷っている私をたすけるはたらきのことを仏といいます。そして、念仏は、南無阿弥陀仏となって仏が私の前に自らを名乗り出られることであります。念仏は、私を助けるために仏が名乗り出られたわけです。念仏となって、仏ましますということを、私のまえに示して下さる。救済といいましても、仏との出会い以外にはありません。
 親鸞聖人は、「教行信証」の教巻で、無量寿経が真実の教であることを証明しようとされるのに、阿難が仏と出会うくだりを挙げておられます。阿難は、釈尊のお側近くにいつも付き従っていたのですが、人間釈尊に会っていたかも知れませんが、仏陀釈尊には、出会えていなかった。その阿難が、仏として釈尊を見出す。そこにこそ、無量寿経を真実の教として見ることの出来る根拠があるというのです。
 念仏は、まさに仏との出会いがそこに要請されているのでしょう。そして、その仏との出会いによって、この私といっている私は、私の欲望を私といったり、私の思い込みを私といったり、私の執着を私といったり、実はこの私といっている内実が極めて不明瞭であるにもかかわらず、その私を立てずにおれないあり様を教えられます。そのことに、頷け、それが腑に落ちれば、欲望に振り回され、執着心にこだわり、思い込みを一歩も出れずに閉塞状態にある私を念仏は開放してくれる。念仏は、手段ではなく、目的であり、念仏申せることが、救いなのです。


   《 念仏は私の行ではない 》
 ところが、念仏が救済であるとすると、念仏が往生の種であるかどうかは分からないということとは矛盾するではないかと
思われるでしょう。
 これは、ややこしい言い回しで恐縮ですが、念仏は、仏が我々を助けるために立てられた仏の行であり、私が救われるために行ずるものではないことを明らかにされるものであると言えます。念仏は、仏の行であって、私の行ではないのです。念仏は私が申すには違いないのですが、それは、仏の行を私が代行することであって、決して私の行ではありません。ここで、往生の種や地獄に堕ちる因とされているのは、私の行として行ずる念仏のことであり、私が申す念仏を振り向けて往生の要因にしようとすること、あるいは、それによって地獄に堕ちること自体が否定されているのであります。なぜなら、私のものでないものを、私のもののようにして振り向けることが出来ないからであります。
 重ねて言いますが、念仏は、私がたすかるために申す私の行ではありません。たすかりたいと念仏申しても、その実感が全くないのは、当然です。私の行ではないものを、私の行としているのですから。どこまでも、仏が私をたすけるために立てた仏の行で、そこに仏との出会いが求められているのです。


   《 面々のおんはからい 》
 最後に「面々の御はからいなり」という文章がありますが、その受け止め方には、二通りあるかと思います。一つには、随分と突き放した表現で、親鸞聖人は冷たいのではないかという受け止めです。もう一つには、この言葉は、押しつけがましさや教条的なところが無くて、親しみやすいというものではないでしょうか。
 親鸞聖人は、ご自分の念仏了解を丁寧に披瀝され、そのうえは、そのように伝えることの出来る念仏を、信じるもすてるも、一人ひとりの決断であると言われる。親鸞聖人がおっしゃるから、それが生きる力になるかといえば、そうではありません。どこまでも、この私が、その教えを仰せとして聞き取らない限り、生きる力とはならないのでしょう。そして、そのことは、まさに面々のはからいに委ねられているのです。