歎異抄に聞く

第8回

いわき市社会福祉センターで行われた歎異抄に聞く会の講義録を掲載いたします
        第2章について(その2)  


  《身命をかえりみず》
 親鸞聖人が42才から60才頃までの20年間近く滞在されていた今の茨城県を中心に、数多くの弟子が誕生しました。その関東の弟子たちの間に、動揺が生まれたわけです。その不安と動揺を解決するために、関東の弟子たちが、はるばる親鸞聖人を京都まで、身命をかけて尋ねてきたくだりです。
 現在と違って、当時の旅は、ここにありますように、身命をかえりみない命がけのものであったのでしょう。

 ところで、我々にとって命が一番大切であることは言うまでもないことです。ところが、やっかいなことに、どうすることが、命を大切にすることになるのかがよくわからないということは、ないでしょうか。
 どのようにすることが、命を大切にすることになるのかが、はっきりしない時、どうも、命を支えるものや、命を保つものを大切にしようとするようであります。我々が、衣食住の充実に大きな関心を払うのも、そのことで命を大切にしようとしているからではないでしょうか。昨今のグルメブームや健康ブームは、現代風の命を大切にするあり方かも知れません。しかし、美味しいものを一杯頂いても、健康に気を付けて、あれこれがんばっても、そのことで命を大切にしているという充実感はあまり得られるものではありません。

 星野富弘さんの、「いのちが 一番大切だと 思っていた頃 生きるのが苦しかった いのちより大切なものが あると知った日 生きているのが 嬉しかった」という詩があります。
 星野さんという方は、ご存じの方も多いと思いますが、群馬出身で、中学の体育の先生をしておられた24歳の時、クラブ活動を指導中、手足の自由を失うという事故にあい、自由を奪われた自身と真向かいになられる中で、大きな世界を感得された人です。群馬県の東村に星野富弘美術館があります。

 命より大切なものに出遇うことによって、はじめて命を大切にする道が開かれるということなのでしょう。命より大切なものに、この命を尽くしていけるということがはじまる。大切にするとは、この命を使い、尽くしていくことではないでしょうか。命を使うと書いて使命という言い方も、そういうことを言い当てる言葉でしょう。
 命を尽くしていけるものに出遇う事によって、人は活きいきと生きていける者となります。命を大切にするとは、活きいきと生きることでもあります。

 ところで、命を尽くせると思ったものが、すべて間違いがないかということになると、また、話は別です。命を尽くせるものとして、国、思想・信条、仕事、団体、宗教等々が立てられます。たとえば、オウム真理教の問題は、多くの青年が麻原教祖に自身を懸け、日々過酷な実践に励んでいましたが、多くの人々を殺し、傷つけるという結果に終わりました。また、教育勅語のもと、国のために命を尽くすことを国民に強要しましたが、戦後、命を懸けるに値する国であったのか、戦争であったのかが大きく問われました。そして、それは今も問われています。

 ここでは、身命をかえりみず、命を懸けて尋ねようとしていること、つまり、命より大切なものとして、往生極楽の道が示されているといえます。


 《親鸞におきては》
 関東の弟子たちの間に、その命より大切なものとして受け取られてきた往生極楽の道に対する了解におおきな揺らぎが生じたわけです。
 その弟子たちの問いに対して、親鸞聖人は、往生極楽の道の説明をしたり、解説をされるのではなく、自身の信念を語られます。
 ただ念仏して弥陀にたすけられられまいらすべしとの、法然上人の仰せが、信念のすべてであるとおっしゃる。そして、さらに、それで浄土に行けるか、あるいは地獄に堕ちるかは知らない。もし、地獄に堕ちるようなことがあっても後悔はないと。
 その場面を想像しただけで、鳥肌が立つようなやり取りですね。命がけで、目を血走らせている人もいるでしょう。すがり付く思いで哀願のまなざしの人もいたでしょう。それらの人たちを前に、親鸞聖人は、信念を吐露され、法然上人にだまされて地獄に堕ちても後悔はしない。なぜなら、もともと地獄にしか居場所がないものであるからと。

 関東で親鸞聖人の薫陶を受けていた弟子であっても、様々な念仏理解があったのでしょう。そこで、念仏の確かめを改めてされます。念仏が浄土に生まれる種となるか、また、地獄に堕ちる行為となるかは知らないとおっしゃる。そこにいう浄土や地獄は亡くなってから行く境涯として説かれているのでしょう。つまり、亡くなって地獄に堕ちることの無いように、あるいは、浄土に生まれることが出来るように、生前一生懸命念仏を称える。そういう念仏理解を正面から否定されているわけです。亡くなって浄土に生まれるようにと称える念仏もあるかも知れない、亡くなって地獄に堕ちないようにする念仏もあるかも知れない。しかし、法然上人が明らかにされた念仏は、そういう念仏とは違うと。念仏を亡くなった時に極楽に生まれるパスポートにしようと思っている人の念仏了解を退けられる。
 
このように見てくると、往生極楽の道として説かれている極楽は、亡くなってから行く境涯ということではないようです。往生は、生まれ往くということですから、往生極楽は、極楽に生まれ往くということです。しかも、亡くなってからでないとすると、現世で極楽に生まれ往くことを意味します。
 それはまた、地獄一定の地獄も、亡くなってからの境涯ではなく、現世においての居場所をあらわしているということです。


 《地獄一定》
 往生極楽の道は、この身を持ったままで、極楽浄土に生まれ往くものとなるということです。
 一方、親鸞聖人は「一念多念文意」に「無明煩悩われらがみにみちて、欲も多く、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、たえず」と、この身のありのままのすがたを述べておられます。そのようなあり方が地獄を生み出し、地獄を居場所とせしめるということです。

 往生極楽の道と地獄一定という全く相容れそうにない矛盾するようにみえる二つのことが、ここでは同時に説かれています。しかし、これは矛盾することではなく、ここにこそ教えのダイナミズムを見て取ることが出来ます。
 仏の教えは、我々の上に、二つの面をもって展開されるといえます。
 一つは、この身の真実の相(すがた)を、明らかに知らしめる。知らされてみれば、この身は愚かで、偏狭で、欲望まみれのエゴイスティックな存在であると。そういうわが身が知らされたということは、仏の教えにふれたということです。地獄一定は、自覚の言葉です。
 いま一つは、真に願求すべき世界を明確に指し示すということであります。我々が、意識化出来ずにいる、我々自身の最も願い求めている世界を我々に自覚させる。我々は、自身が本当はどうなりたいのかが、はっきりしないのではないでしょうか。そういう我々に、あらゆる人々と繋がり、共に活きいきと歩んでいきたいという願を持ち続けているのだと教え示す。
 そういう両面を、同時に成立させるかたちで、教えが我々のところにまで至り届くのであります。
 往生極楽の道とは、現実は地獄のただ中にありながら、極楽浄土を願求して歩み続けるといえるでしょうし、あるいは、地獄を生きながら、極楽浄土の質を持った歩みをするともいえるでしょう。
 往生極楽は、極楽浄土に生まれることではなく、極楽浄土という内容と質と方向を有した歩みをし続けることではないでしょうか。
 
 フランス人で、歎異抄を読み、そのような教えを説かれた「親鸞おじさん」に遇いたいと来日し、門徒となられたジャックリーン・藤田という女性がいます。
 彼女は、修道女として、厳格な戒律のもと修行を重ねてきました。その彼女が、歎異抄のどこに最も魅力を感じたかというと、地獄に堕ちても後悔しないというくだりです。それまで彼女は、地獄に堕ちることの恐怖から逃れるために、戒律を守り修行に励んできたといいます。その彼女が、地獄一定の教えにふれることによって、堕地獄の恐怖から解放されたのです。
 地獄一定は、自覚の言葉であると共に、救済の概念です。現実のその場を、我が居場所とすることが、地獄一定ということなのでしょう。
 この場を自身の居場所として、極楽浄土を願求して歩み続けることこそが、ただ念仏と教えられていることではないでしょうか。