歎異抄に聞く

                第3回

以前、いわき市社会福祉センターで行われた歎異抄に聞く会の講義録です。
現在は、年2回、寺報「プラサーダ」に掲載しております。

 
前序について(その1)
 
 
前序について、ふれてみたいと思いますが、紙面の関係上、前序を全文掲載するわけにはいきませんので、その概要を記し、そのなかで注意したい言葉について確かめてみたいと思います。
 前序ですから、多くの序がそうであるように、この抄を書く動機と理由が示されていると言えます。そこには、親鸞聖人がご存命の時と、今のありさまを比べてみれば、真実の信心の了解がづれている。このようなことでは、今後念仏の教えを生きようとする人たちをただ混乱させるだけである。自己了解で納得し、念仏の教えを台無しにしてはならない。そのため、親鸞聖人に教えられ忘れることのできない教えをここにしたためる、と著述の趣旨が書かれています。



≪有縁の知識≫

 
そこには、念仏の教えに生きる者となるには、「有縁の知識」によらなければならない、ということがいわれます。また、「自見の覚悟」で、念仏の教えを乱してはならない、ということも言われています。この二点について、ふれてみたいと思います。
 なお、「自見の覚悟」については、次回にゆずります。
 知識というのは、善知識のことで、我々が仏法に出遇う縁となる師や友のことをいいます。
 ところで、我々のうえに仏法に出遇うという事が成り立つには、どういうことが要件としてあるでしょうか。両親なり家族が熱心な仏教信者で、仏教にふれることのできる環境に育つということでないかぎり、二つのことが必要であると思われます。
 ひとつは、仏法を求めんとする意欲であり、いま一つは、その意欲をあるべき方向に導く先達といえるでしょう。
 そして、仏法を求める意欲と言いましても、多くはそのような明確なものであるより、絶望のただ中でもがき苦しむ者が一縷の光を求めることであったり、二度と立ち上がることが出来ない挫折を味わった者が、それでもなお、確かなものを欲するようなこととしてあるのでしょう。それは、当てになるもの、確かなもの、真実なるものを求めたいと欲っすることです。
 いま、我々にそのように意欲させる縁となるものを求法(ぐほう)の縁といい、導きとなる先達を遇法(ぐうほう)の縁と言うことにしましょう。
 言葉の意味としては、善知識とは、先達となる人を指しますが、求法の縁も、遇法の縁も必ずしも人に限ったことではありません。書物は、求法、遇法両方の縁となりえますし、また、求法の縁には、多く、体験や出来事がそれにあたることがあります。
 求法の縁と遇法の縁が、共にそろって、そこに、はじめて我々が仏法に出遇うということが成り立つといえますし、その両縁を人でなくても善知識といっていいように思います。仏道に引入せしめる縁として、善知識と言ったほうがはっきりします。
 申す要に、本来は、遇法の縁を善知識と言いますが、求法の縁もまた、善知識というということを、「浄土真要鈔」にみることができます。そこには、善知識には、3つあると説かれています。ひとつは、仏・菩薩のことであり、つぎに、教えを説き聞かせるひとのことであり、そして最後に、教えを聞く縁となる人もまた善知識というとあります。つまり、前二つは、遇法の縁をいい、教えを聞く縁となる人とは、まさしく求法の縁そのものをいっています。
 作家の高史明(コ・サミョン)という方がいます。歎異抄についても、多くの大事な指摘をされています。この方が、本格的に歎異抄と出会われたのは、中学一年生の息子の自死を通してです。最愛の息子の自殺という驚愕の事実にあい、背骨が打ち砕かれて二度と立ち上がれないとご自身が述懐しておられますが、出口のない日々の中で、以前に読んだことのある歎異抄に改めてふれなおし、そこに一条の光を見出していかれ、生きる力を取り戻していかれました。そして、歎異抄をたずね続けることを自身のライフワークとされている念仏者であります。
 高師が、仏法に出遇われたのは、息子の自死が求法の縁となり、歎異抄が遇法の縁となったといえます。最愛の息子の自死という悲惨な出来事と、歎異抄が共に高師の善知識であったということです。


≪支えが、頼りにしていることが、あてにならない ≫

 高師の場合は、息子さんの自死が仏法を求める直接の縁となりましたが、われわれにとっては、どのようなことが求法の縁となるのでしょうか。家庭円満で仕事が順調で、健康に暮らしている人が、仏法を求めようとするでしょうか。なかなか、そうはならないと思われます。それは、なぜか。家庭を頼りにし、仕事を支えとして、何の問題もないからです。いまの生活を幸せと感じている、それは支えが支えとしてはたらき、頼りにしているものが頼りがいがあるときのことです。そのような時、仏法は一つの教養としてしか問題にはなりません。
 しかし、一旦この生活を支えているもの、あるいは私が頼りにしているものが壊れた時、様相は一変します。
 私たちが頼りにし、支えにしているものには、まずこの体があります。そして、家族、友人、仕事、お金、地域社会、趣味等々があります。そして、この体は、外からウィルスや細菌にいつでも冒されかねない危険性を孕んでいますし、内にはガン細胞を生み出す要因をかかえています。無意識のうちに一番頼りにしているこの体が、実は、いつ健康を害し病に冒されるかわかりません。健康が当たり前なのではなく、病気に冒されていないという限りにおいての健康に過ぎないのです。薄氷の上に立っているような健康というのが、この身のありのままの相ではないでしょうか。まさに無常の身なのです。
 この身が無常の道理を生きているように、我々が頼りとし、支えとしているものも同様に無常の道理の内にあります。縁さえあれば、無常の道理はいつでも現実のものとして、作用します。支えとし、頼りにしているものが、無常であり、当てにならないものであると言わざるを得ません。
 かけがえのない人との死別、不治の病に冒される、会社の倒産、家庭の崩壊等、決して受け容れることのできないことが、われわれが支えにしていたこと、頼りにしていたことが、実は支えにならず頼りにならず、当てにならないことを教えてくれます。
 それらのことが、我が身のうえに起こる時、二度と立ち上がることができないほどの衝撃と動揺を味わい、真に支えとなるもの、当てになるものを求めたいという要求にかられるといえるでしょう。いわば、等しく仏法を求める入り口に立つとも言えます。
 しかし、その時の世間の対応は、おおむね二通りではないでしょうか。そんなことにくよくよしないで、楽しいこと面白いことに関心を向けなさいと気を紛らわすことをすすめるか、時間がくすりと慰めるか。親身になって気遣ってのことに違いないのでしょうが、それは、仏法への入り口を塞ぐことでもあります。
 

 ≪亡き人は、仏さま≫

 平安中期の歌人である和泉式部に、次のような歌があると教えられたことがあります。
 「 この世をば あだにはかなき 世と知れと 教えてくれた 子は知識なり 」
 和泉式部は歌人であり、恋多き情熱の女性としても知られていますが、最愛の娘、小式部に先立たれます。愛娘との別れという苦痛のなかで、憔悴しきって、こんなに私を苦しめ、辛い思いの中に閉じこめているのは、小式部が死んだからだ。亡くなった娘のためにこんなに苦しい日々を送らねばならない。私を苦しめているのは娘ではないかと、愛して止まなかった娘を、いつしかかえって恨みに思う自分を見出し、ギョッとします。
 そんな中、仏の教えに出遇い、死んだ娘が私を苦しめているのではなく、無常の身の事実に徹していった娘の死を引き受けることができず、娘に対する断ちがたい執着心こそが、私自身を苦しめているということに気付かされ、詠んだ歌がこの歌だということです。
 当てにならないものを、当てにならないものと教えられることによって、当てにならないものに執着して、振り回され、暗闇のなかを堂々巡りしている私から解放されるのです。当てにならないものを、当てにならないものと気付かせるはたらきを、仏の智慧といいます。仏の智慧にふれることによって、私を苦しめ悩ませる元としか思えなかった亡き娘が、私を仏の智慧に導いてくれた縁であったと気付かされ、善知識として見出すことができるようになったわけです。亡き娘に、善知識という意味を見出すことができたということであり、表現を変えれば、諸仏として見出せたということであります。
 世間でよく言われる、「亡き人は仏さま」というのは、こういうことを指します。ただ亡くなられたことをもって「仏さま」になられたというのでは乱暴です。亡くなられた人を通して、この私が仏の智慧、仏の教えにふれる事ができた時、亡き人は私を導く仏のはたらきをして下さったこととなり、仏さまと同じ徳をそこにみて、そのようにとらえなおしたということです。
 一方、立ち直れないほどの辛酸を舐めても、そのことが仏法に出遇う縁とならなければ、辛く苦しい思い出ということを出ません。辛く苦しい事は、思い出したくありませんし、なかったことにしたいものです。しかし、その辛く苦しいことも、私自身のまぎれもない事実なのです。そのことをなかったことにするのではなく、その辛い苦しいことが違った意味を持って、とらえ直すことのできる道が、この私が仏法に出遇うことによって、善知識として見出すことといえます。なかったことにしたいことを、拝んで頂けるようになる、そういう道があるということを善知識ということは教えてくれます。